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取引という名の修正

 夜営地は、静かすぎた。


 火は燃えている。

 枝が弾ける音も、風に揺れる木々のざわめきもある。


 それでも――どこかが、欠けている。


 アルヴィスは地図を広げたまま、視線を上げた。


「……来ているな」


 未来視は、はっきりとは映らない。

 だが、“来訪”という結果だけが、曖昧な輪郭で浮かんでいた。


 セリスも同時に立ち上がる。


「ええ。さっきまで、いなかった“気配”です」


 ルルナが息を呑んだ。


「また……あの人、ですか?」


 返事の代わりに、火の向こうの闇が揺れた。


 影が、ひとつ。


 音もなく、霧のように滲むようにして、人の形を取る。


「こんばんは」


 穏やかな声だった。


「今回は、ずいぶん早い再会ですね」


 若い男――名を持たぬ端末は、焚き火の光を嫌う様子もなく、そこに立っていた。


 前回と同じく、武器はない。

 旅人のような装いも変わらない。


 だが、その存在感は、明らかに違っていた。


 アルヴィスは剣から手を離さない。


「……条件が変わった、と言っていたな」


「ええ」


 端末は頷く。


「あなた方は、想定以上に進んでしまった」


 ルルナが顔をしかめる。


「それ、悪いことですか?」


「世界にとっては」


 即答だった。


「非常に」


 セリスが一歩前に出る。


「用件を。

 忠告は、もう聞きました」


「では、本題を」


 端末は、淡々と告げる。


「世界は、最終的な修正案に移行します」


 焚き火の音が、ひときわ大きく弾けた。


「これ以上の“偶然”や“不運”では、あなた方は止まらない。

 ならば、因子を減らすしかない」


 アルヴィスは静かに問い返す。


「……誰を切る?」


 端末は、その問いを肯定も否定もせず、三人を順に見た。


「選択肢は、三つあります」


 指を一本、立てる。


「一つ。

 アルヴィス、あなたが未来視を手放す」


 空気が、張り詰めた。


「あなたが“未来を壊す者”でなくなれば、世界はあなたを許容します。

 以降、修正は行われません」


 指を二本目。


「二つ。

 セリス、あなたが世界の正義として残る」


 セリスの眉が、わずかに動いた。


「あなたは、これまで通り選ばれ続ける。

 勝つべき戦いで勝ち、守るべきものを守る存在として」


 そして、三本目。


「三つ。

 副官――ルルナ。あなたは、確実に生き残る」


「……え?」


 ルルナの声が、かすれた。


「三つのうち、二つは保証されます」


 端末は、まるで契約書を読み上げるように続ける。


「一人を切れば、二人は救われる」


 沈黙。


 火の音だけが、やけに遠く感じられる。


 ルルナが、震える声で言った。


「それって……」


「取引です」


 端末ははっきりと答えた。


「脅迫ではありません。

 世界にとって、最も安定した未来の提示です」


 セリスが、迷いなく言い放つ。


「断ります」


 端末は、驚かなかった。


 むしろ、どこか納得したように、目を細める。


「あなたは、そう言うでしょうね」


 アルヴィスは、低く息を吐いた。


「確認する」


「はい」


「これは“観測者”の最終意思か?」


「半分は」


 端末は微笑む。


「半分は、私個人の興味です」


 アルヴィスは、乾いた笑いを漏らした。


「世界の端末にしては、人間臭いな」


「観測者は、人間を理解しませんから」


 端末はあっさりと言う。


「私は、理解するために作られています」


 アルヴィスは、一歩前に出た。


「伝えておけ」


 その声に、迷いはなかった。


「未来視は手放さない」


「セリスは、世界の正義を拒む」


「ルルナは――俺が守る」


 剣に、力を込める。


「その上で修正するなら」


 視線を、真っ直ぐに端末へ。


「次は、正面から来い」


 端末は、しばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……やはり」


 その身体が、徐々に輪郭を失っていく。


「では、次段階へ移行します」


 声だけが、霧の中に残る。


「観測は続く。

 介入も、段階を上げる」


 完全に消える直前、端末は振り返った。


「あなた方が、どこまで“不確定”でいられるのか」


 薄く、笑う。


「楽しみにしています」


 闇が、元に戻った。


 焚き火の音が、急に現実味を帯びる。


 焚き火の向こうには、もう誰の姿もなかった。


 ルルナが、不安そうに自分の手を握りしめる。


「……今の、夢じゃないですよね」


 セリスは答えなかった。


 代わりに、剣の柄に添えた指を、ゆっくりと外す。


 ――一瞬。


 いつもなら感じるはずの“確信”が、そこになかった。


 剣を握れば、正しい距離が分かる。

 踏み出せば、守れる範囲が見える。


 それが、今は――ない。


 セリスは、ほんのわずかに眉を寄せた。


「……行ったわ」


 声は静かだったが、どこか硬い。


 アルヴィスが、それに気づく。


「どうした?」


「いいえ」


 即答。

 だが、間はあった。


「ただ……世界が、少し遠くなった気がしただけです」


 ルルナが、きょとんとする。


「遠く、ですか?」


「ええ」


 セリスは夜空を見上げる。


「今までは、立つ場所を間違えなかった。

 剣を振る理由も、迷わなかった」


 そして、はっきりと告げる。


「でも今は……自分で選ばないと、いけない気がします」


 アルヴィスは何も言わなかった。


 だが、その沈黙が、答えだった。


 焚き火が、ぱちりと音を立てる。


 世界は、まだ彼女を手放していない。

 けれど――掴む力は、確かに弱まっていた。


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