6話 パイライト侯爵
隊の荷馬車に乗り、街道を進む。
並走し、馬に乗ったヒースが横につける。
日が沈みかけたころに、屋敷に到着した。
レンはついてきているのだろうか。橋で別れたきり彼の姿を見ていない。
屋敷の前の広場には大勢の人が集まっているのが見えた。
「あれは?」
粗末な服を着た人々が見えたので、わたしはヒースに尋ねた。
「先ぶれを出したので、避難してきた者たちでしょう」
兵の中で彼らに声をかけている者たちがちらほらと見えた。
広場に集まる人々の顔には深い疲労と、どこか諦めのような影が落ちていた。それでも、兵に話しかける彼らの目には、わずかな期待が宿っているようにも見えた。
「親しい様子だけど、知り合いが多いの?」
「兵の一部は元鉱山夫です。職にあぶれた者を集めて徴兵しました」
「どういうこと?」
「呆れました。そんなこともご存じないとは。贅を尽くして国を疲弊させただけあります」
すごく悪意のある言い方だ。
それ以上は聞けなかった。
レンのアリとキリギリスの話、黄金の畑が枯れたというのは……。
鉱山を掘りつくしてしまったということだ。
レンの話はノースシーの現実だったと実感がわいてくる。
荷馬車を降りて、屋敷の中へと進む。
パイライト侯爵は金銀が出る土地を有しているお金持ち。それを裏づけるには十分な豪邸だった。
大理石でできた白い床の玄関ホール、上階へと敷かれた赤絨毯はふかふかだ。天井には過剰なまでに装飾されたシャンデリアがぶら下がっていた。豪華に額装された絵画が壁に掛けられ、どこを見ても「金があるぞ」と言わんばかりだ。
階上の方でしわがれた話し声が聞こえた。
「少年の姿もあれはあれで良いが、婚礼の支度をしてくれ」
いきなり結婚式とか聞いてない。
老人の言葉がわたしの脳裏で反芻され、背筋が凍った。変態ジジイが、わたしに何を求めているのか、嫌な予感が全身を駆け巡る。
「そんなことより、ウネウネが出て魔物の襲撃が来るかもしれないわ!結婚式などしている場合ではないの!」
声のした上階に向かって声を張り上げる。結婚も初夜も全力で回避したい。
「パイライト領には、ニーレイクにつながる地下道があってね、大半はそちらに誘導したよ」
「え?」
すでに対策済みと言われて、わたしは二の句が継げなかった。
隣にいたヒースにも声がかかる。
「ヒース殿、ニーレイクに攻撃せよとは、正確にはニーレイクの第十六王子を誘き出せとの命なのだろう?」
「なぜそれを?」
「彼らは第十六王子にご執心なのだよ。しばらくはパイライトの領地で残党の魔物でも狩って過ごしなさい。君らは餌にされたのだ。わざわざ律儀に命令に従って殺されんでもよかろう」
唖然とした顔で立ち尽くすヒースを置いて、わたしはパイライト家のメイドに屋敷の奥へと連れていかれた。
わたしはメイド達に世話をされて風呂に入れられ、泥にまみれた汚れや、髪の染料を洗い落とす。
たった数日でこんなに汚れていたのかと、水が濁って驚いた。
婚礼のドレスに着替えさせられると、白いドレスはサイズがぴったりすぎて怖気が立つ。
鏡の前に立つ。
染料がすっかり落ち、髪は本来の金色を取り戻していた。短くなった髪を、メイドたちが丁寧に編み込んでいく。
白い肌に、金の髪、紅い瞳。見慣れた自分の顔だ。
でも、なんだか寂しい。
「これつけて」
わたしは、レンからもらったリボンを髪に結んでもらった。
自分の物は全部レンに取られたけど、代わりに貰った物だ。
赤いリボンが揺れる。
いまはレンとの契約が命綱だ。
リボンに少しだけ勇気をもらう。
支度が整えば、あれよあれよと広間に通された。
広間の奥、神父の前に老人がいた。
がらんとしてその二人以外に人はいない。
参列者の姿が全くなく、きっと神様さえ欠席している。
なんだこの寂しい式は、いや結婚したくないんですが、それにしても参列者が一人もいないとか、そんな孤独老人の元へわたし嫁がされるわけ?
「さあ、こちらへ」
神父に呼ばれてわたしは、仕方なしに彼らの元へと進む。
ちらりと、これから夫となるらしい男を見上げる。
白髪を撫で付け、杖を頼りに立つ老人だった。もはや棺桶に片足どころか首まで突っ込んでいそうな年齢だ。痩せて皺だらけの顔に、落ち窪んだ目。けれど、その目だけは異様にギラギラと光を宿しており、ルチルをじっと見つめていた。まるで、獲物を見定める獣のような、粘着質な視線だった。その視線が、皮膚の裏まで這い上がってくるような悪寒を感じさせる。
この人が父の仇……。
わたしと目が合うと、目を細め三日月にして笑う。その笑みは、顔の深い皺をさらに強調し、顔面が歪むようで、恐ろしかった。
「白いドレスもよく似合っているよ。とても綺麗だ」
わたしに言葉をかけて、彼は前を向く。
父の命を奪っておいて何事もないような月並みなセリフを吐く老人に、ルチルは嫌悪と憎悪を強める。
神父が結婚の義に則り誓約文を読み上げる。
まずは、神父の口から創世神話が語られる。
世界は輪っかになった竜の神様で、迷宮に選ばれた者が次の神様になるという話だ。
「天に鎮座し、光り輝く竜は、宇宙の創造主のお使いであり、あらゆるものを産んで育て、万物を支配する神です。はじまりの時、この世界には何もなく竜だけがいました ──」
竜は自分の尾を呑みこみ深い眠りについた。
それは、終わりのない始まりの円環であった。
しかし、別の一匹の竜はその眠りを破ろうと牙を剥き、無数の竜たちが現れました。彼らは互いに激しく噛み合い、絡まり、そして、ほどけぬ広大な輪となりました。
その絡まりこそが、我らが立つ大地、広大な海、そして高く輝く空を形を作ったのです。
我らが歩く大地は、竜のうねる背。
風は、竜の吐息。
この世にあるものすべて、竜から生まれました。
やがて竜は口を開き、その身は迷宮と化しました。
それは新たな竜へと託すため、次なる命が試される試練なのです。
迷宮の深き核に至りし者は、人でありながら人を離れ、不死となって竜の器となる。
夜が来て沈黙し、昼に命が芽吹くように、百億の時を巡り、世界は滅び、また転じる。
「── この日、ふたつの命がひとつとなるように。かつて竜たちが輪を成したように、結び合うことこそが世界を繋ぐ理であり、神の祝福なのです」
竜たちがひとつの輪になったように、男女も結ばれることを祝福します。子孫が繁栄し竜の神様に選ばれますように。
そんな願いを込めた祝詞が結婚式の誓いの場で語られる。
「竜神様の円環は生と死を司る。男は女の手を、女は男の手を結び円環となす」
神父の言葉を合図に老人は杖を神父に預けるとわたしに右手を差し出す。左手を重ね、わたしも右手を差し出してを二人で輪をつくる
ここまではいいけど!!このあと!
「では誓いの口づけを」
やだーーーーーー!!!!
歳の差いくつよ!!待って、ほんとにするの、あれでしょ介護要員とか老後が寂しいから話し相手的なそれでしょ!?ねぇ、そうだと言って!!!!
わたしは意識が遠のくのを感じた。
……え、私の初キスが、こんな老人と!?わたし王女なんですけど!?
胃の奥がきゅうっと縮こまり、せり上がる吐き気。想像しただけで、全身の毛穴が開き、ゾワッと鳥肌が走る。
……こんな、こんな醜悪な老人となんて嫌だ。
屈辱と嫌悪感が、意識の淵から這い上がってくる。
わたしは嫌悪を怒りで塗りつぶして、心の中で怒鳴る。
……あのクソ商人!早く助けに来てよ!!
しかし、この瞬間に彼の助けは期待できない。
……おのれ、父の仇だ。口付けられた瞬間に噛みちぎってやる!
ぎゅっと目をつむる。
カサついた唇の感触が、わたしの肌に触れた。
おでこに。
ハッとして目を開ける
老人がニタニタと笑っている。
とても不気味だ。その笑みは、安堵したわたしの心を嘲笑っているようだった。
「お楽しみはあとでだ。食事にしよう」
広間を出て食堂に通される。
久しぶりの豪華な食事だった。
前菜のサラダ、クリームシチュー、ふわふわのパン、メインディッシュの分厚いステーキ、デザートのプリン。
おなかが減っていた。
レンは夜に合流すると言っていた。レンに会ったらここを抜け出して、きっとそのあとは食事の暇なんてないだろう。
「どうした、食べないのか」
わたしが手を付けないで躊躇していると老人に声をかけられた。
老人は向かいの席に座り、大皿から取り分けられた料理を口にする。
それを見てわたしもようやく料理に手を付けた。
悔しいけど、美味しい。
視線を老人に向けると、食はつまむ程度で細いらしい。彼はじっとこちらを見ながらワインを飲んでいた。わたしが黙ってお皿を空にしていると勝手に話し出した。
「妻を少し前に亡くしてね」
まあ、男の容貌を見るに、同じぐらい歳とって死ぬなら奥方も大往生だろう。
「私も生い先短いんだがどうしても若い嫁が欲しくなった。それもとびきりな女がね」
最悪である。そのギラギラした瞳の奥に、強い欲望が見えた。身の毛がよだつ。そんな老人の夢とかやめてほしい。これで王女を手に入れるとか、狂っている。
わたしは気づかれないようそっとテーブルのフォークに手を伸ばす。
汗ばむ手でひんやりと冷たい銀のフォークを握りしめドレス裾口に隠した。
「結婚式は何度しても良いものだ」
食事を終えたのを見て、老人が立ち上がる。
ゆっくりとわたしのもとへ歩いてくるのでタイミングを見計らう。
わたしの前に立ち、エスコートの手を差した。
その手を取った瞬間──。
ブスリッと突き刺した。
「おっと、痛いじゃないか。爪を立てるなんて悪い猫だ」
喉元を狙ったつもりが、避けられて、フォークは老人がかざした掌に刺さった。
傷から静かに血が滴る。
「パパを返してよ!」
声を張り上げた。涙がこぼれそうになる。
「残念だがそれはできない」
わたしが睨みつけるけど、動じないのが悔しい。
使用人たちが慌てて駆け寄り老人とわたしを引きはがす。
老人は傷を抑えながら、悠々と食堂を去った。そして──。
「初夜を楽しみにしているよ」
ゾワッと冷たい手で撫でられたみたいな悪寒が走る。
きっも!!鳥肌がたった。
その言葉は、これから訪れるだろう夜への期待をありありと示していた。わたしの肌に、見えない何かが這い回るような、生理的な嫌悪感が止まらない。この男に、この身を触れさせたくない。強く、強く、そう思った。
パイライト侯爵と晩餐のあとメイドらに部屋で待つよう言われる。
あのジジイは「楽しみだ」などと、言いくさって、あのジジイはヤル気である。
貞操のピンチだ。このままでは、今夜わたしはあの老人と一夜を共にしなければならない。考えるだけで肌がざわつき、ひどく不快になる。
レンに初夜をなんて言ったのは、ヤケクソだったのもあるが、そう言えばレンを巻き込んで、彼はわたしの純潔を守るしかなくなる。あの男は商品価値を落とすことをしないと踏んでの打算があったからだ。
早く助けに来い!さもなければ、この美少女プリンセスは、老いぼれジジイに汚されててしまうのよ!
とにかく何か、問題でも起こして、初夜どころじゃなくさせねば!
そうだ、我儘を言って周りを困らせよう!
とにかく思いつく限りのことを言った。
「薔薇の花を飾って!」「服がシルクじゃない!」「部屋がダサい!」「苺が食べたい!」
どれも「無理」とメイド達が困り顔で言う。メイドたちが戸惑い、顔を見合わせる。
「じゃあ何があるの?」
メイドが金のネックレスを取り出した。
アクセサリーでご機嫌取りをしようという魂胆らしい。
わたしは金のネックレスを手に取り「あれ?」と思う。いつものネックレスはもっとずっしりと重い。
「これは安物よ。こんなの本物の金じゃない」
メイドたちは次々に、アクセサリーを持ってくるが、出てくる宝飾品はすべてに違和感があった。
触った瞬間にわかった。光の反射が鈍い。質感が違う。
「……パイライト侯爵って、お金持ちじゃないんだ」
戸惑うメイドをよそにわたしは部屋を飛び出した。
一見豪華絢爛に見える館をぐるりと見渡す。
まず廊下の絵が下手くそだ。
「なんで指が六本あるの?」「タペストリーは虫食いだらけじゃない!」「この花瓶歪んでいるわ!」
まがい物。全部ニセモノ。
金の宝飾は安物。廊下の絵は無名作家でデッサンが狂っている。さらに、壁にかかったタペストリーの織りは粗く、壺の絵付けも雑だ。ありとあらゆるものが、一見豪華に見せかけただけのまがい物だ。本物に囲まれてきた王女のわたしが知っている名作、名品、金銀あらゆるものとは、かけ離れて粗悪品だった。
館全体が、貧乏を隠す虚飾でおおわれていた。
「だったら……!」
わたしは走り出した。ドレスの裾をなびかせて、屋敷中を駆け回る。
「全部偽物!偽物よ!パイライト侯爵にお金なんてないじゃない!パイライト侯爵は貧乏人だわ!」
わたしは屋敷を駆け回って叫ぶ。
廊下に響いたわたしの声に、屋敷にいた兵が騒ぎ始めた。
「おい、金が無いらしいぞ!」
徴兵された元鉱夫達が話が違うと集まってきた。
「金が無いだと……?」
「俺たちは騙されたのか……?」
ざわつきがどんどんと広がっていった。
「オレ達の給金はどうなるんだ! 兵隊になれば金がもらえるって話だろ!!」
「まさか騙したのか!?」
「きっとオレ達を無駄死にさせる気だ!」
ホールにどんどんと人が押しかけて収拾がつかない騒ぎになってしまった。
いいぞ、もっと騒げ!
パイライト侯爵が困ればよいと思ったけれど、予想以上の騒ぎになった。
階上から下の様子を見ていたわたしは油断していた。
「あんた! どうなっているんだ! 金を払え!」
急に腕をつかまれた。
上の階にも元鉱夫の兵があがってきたのだ。
「知らないわ! 手を放して!」
興奮した男の手を振りほどこうとするもびくともしない。周りを見渡すもメイドたちとはぐれてしまった。
そのとき、目の端をキラキラした小さなものが掠めていった。
── チャリン!
小さな音を立てて、それは廊下に転がった。
「金貨……?」
「なに? どこだ!?」
男はわたしの手を離して、飛びつくように床に転がった硬貨に飛びついた。
代わりに、別の誰かが私の手をつかむ。
「今のうち」
振り返ると、そこにはレンがいた。
ニヤリと笑う顔に、安堵と同時に怒りがこみ上げる。
「遅い!」
「はいはい、怒らない。逃げるよ、こっち」
レンは使用人の使うであろう出入り口を見つけていたようだ。皆が玄関ホールの騒ぎに気を取られて、使用人は誰もいない。運よくわたしとレンは屋敷の裏から脱出することができた。
「私が騒ぎを起こそうと思ってたのに、ルチルに先を越されたな。細工をしたんだけど、要らなかったかな?」
── ドォン!!
レンの言葉のすぐ後で、背中越しに爆発音と熱風を感じた。
夜の空に燃え上がる炎が見えた。
レンの細工とは、やばいぐらい派手だ。
「ちょっと、やりすぎ!」
「ははは! さあ、現国王オブシディアンの勢力に弓を引いたからには後戻りできないぞ」
わたしは、右往左往するであろうパイライト侯爵やヒースを想像して笑いそうになった。
そうだね、後戻りなんて必要ない。わたしはレンとつないだ手を強く握った。
燃え盛る館を背に、わたしたちは夜の闇へと消えていく。その背後では、騒乱と炎が、まるでこれから始まるわたしの運命を、鮮烈に照らし出すかのように燃え上がっていた。
◇◆◇
鉱山夫たちが騒ぎだし、突然の爆発と火事が起きてから一夜明た。辺りを焼け焦げたにおいが充満している。
「やれやれ、ひどい騒ぎだった。人死が出なかったのが幸いだ。屋敷も半焼してしまったし……まあ、ガラクタしか置いてないので、かまわぬが」
焼け残った家屋の一室。老人は窓を開けて、煙草に火をつける。
昨夜の騒ぎで一睡もしていない。高齢の体には応える騒ぎだった。
ヒースが老人に言葉をかける。
「ルチル王女を探しております。しかし、街道には見当たらず。森の中も捜索中です」
「坑道に入ったのだろう」
「では、坑道の捜索に……」
「ヒース殿、私の話を聞いていたかね?」
「はあ?」
「やれやれ、ボケるには若すぎるぞ。捜索は打ち止めでよい」
老人は煙草の煙を窓に向かって吐き出す。
「魔物を誘導した地下道は坑道につながっている。君らも餌食になりたくはなかろう」
老人は冷ややかに口元を歪めた。
プロローグのシーンまで辿り着きました。
ここで第一節の区切りという感じです。
レンとルチルはパイライト侯爵達から逃げるため坑道に入ったようですがそこには魔物が…?
まだまだピンチは続くようです。
頑張れルチル!
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