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4話 国境の橋

「あの橋を境に国境が分かれている」


 丘の上から見下ろせば、なるほど岩を積み上げて作った大きな橋がある。橋の両端に門が建てられているのが見えた。


「橋を渡った先がニーレイクだ。まず門番に顔を確認されると思うけど」

「えっ!? どうやってあっちに行くの?」

「まあ、バレないようにするしかないな」


 レンは、いつの間にか化粧道具を手にしていた。


「目の下にクマ、眉は太く、唇は青白く。ついでに鼻の下に黒子……っ」


 化粧を施しながらレンがわたしの顔を見て笑いをこらえた顔をした。


「ねえ、遊んでない!?」

「遊んでる」

「ちょっと!」

「仕上げに髪を染めるよ」


 レンが取り出した瓶には黒い染料が入っていたが、底にわずかだった。

 髪につけていたリボンはポケットにしまった。レンに櫛で梳かされながら染料を刷毛で髪に塗られる。


 レンに渡された手鏡をのぞき込めば黒髪の少年の姿になっていた。


「……あ」

「どうした?」


 レンは初めからわたしを変装させたかったらしい。

 言ってくれたらよいのに……。いやでも素直に従ったかというと……きっとわたしはごねた。

 だからレンは、最初からそうなると見越して、わたしが身に着けていたものを全部「物々交換」と称して取り上げていったのだ。

 変装させることを目的に全部取り上げて、レンはちゃっかり得してるのだ。

 合理的すぎるし、わたしの性格が見透かされて、なんか腹が立つ。


「……言いたいことがあるけど、むかつくから、何でもない」

「ふーん」


 関所へ向かうと、そこには民衆が押し寄せていた。

 門の前には行列ができていて、レンの言う通り、騎士の姿が見える。

 人混みに紛れ、バレませんようにと祈る。


「どうしてこんなに人が?」

「徴兵が始まっているんだ」

「え?」

「新王は戦争をしたいらしい。国境に近い民は徴兵を逃れるために隣国へ向かってるんだ」


 人々は焦りと不安に呑まれていた。

 ざわめきの中、「ルチル様……?」と聞き覚えのある声がする。

 振り向くと、そこにいたのはウネウネに襲われたときに自分を置いていったメイドだった。


「……生きてらしたのですね。その格好は」

「しっ!静かに」


 レンに彼女はわたしのメイドだと伝える。メイドには隣国まで案内してもらう取引をしたと伝える。


「貴女も隣国へ?」

「はい、ここにはいられませんから」


 泥にまみれ、服は破れ、顔もやつれて、彼女の目は怯えと哀願でいっぱいだった。


「お願いです、私も……連れていってください……。あの時は、恐ろしくて……でも、あとで後悔しました。ルチル様のお傍に残るべきでした。本当に申し訳ございません」


 メイドは深く頭を下げて、わたしは言葉に詰まる。

 馬車の中に置いて行かれ、本当に恐かったのだ。許す必要なんてない、という気持ちが湧き上がる。

  けれど、この状況で命乞いをするのはずるい。

 わたしだって何が何でも、生きたいと思う。それは仕方のないことだ。


「……レン。この人も連れていって」

「やれやれ、仕方ないな」


 レンは自身のマントをメイドに渡す。


「これ着て、その服は汚れていても平民には見えない」


 薄汚れたマントをメイドが羽織る。

 しだいに列が進んでいく。


 いよいよ、わたし達の番が来て門番に詰問された。


「国を越える理由は?」

「元々、ニーレイクの民です。ほら通行証もある。こっちの二人は連れで、はいこの二人の分もあるでしょ」


 レンが見せた札を門番が確認する。

 わたしは緊張で汗ばむ手を握り締めた。

 うつむいて顔を見られないように気を付ける。

 

「そこの二人、顔をよく見せろ」


 門番の言葉にドキリと心臓が跳ねる。

 そこにレンが落ち着いた声で話しかけて、わたしの顔を上げさせる。


「ほら、後ろがつかえているんだから、門番さんの言うとおりにして」


 門番と目が合った。門番は眉をしかめる。


「姉さんの方は美人だが、こっちはどんくさそうな小姓だな」


 ……はあ?!どんくさい!誰がですって?


 わたしが門番をにらみ返そうとすると、レンの背中でさえぎられた。


「問題ないなら通してよ」

「そうだな、いいぞ通って」


 門を潜り抜けた。

 橋を歩き始めて門と距離があいてから、うっぷんを晴らすように口に出す。


「……どんくさくないもん!」

「あれぐらいで怒るなよ」


 その時、後ろが急に騒がしくなった。


「ここはノースシー、オブシディアン王のもと管理される」


 背後から重い蹄の音と張り上げた声が響いた。


「なんだ?」


 レンはつぶやき背後をにらんでいた。

 わたしも背後に目を向ける。

 ノースシーの騎士たちが、門を通って馬を進めているのが見えた。


「囲え!」

「誰一人、動くな!」

「ノースシーに戻れ!」


 橋の上の人々は急に現れた騎士たちに恐慌状態に陥っていた。

 あっという間に、すぐそこまで騎士が迫ってきた。


「……あいつら戦争を始める気か?」

「え?」

「ルチルを探しに来たのかと思ったけど、それにしては数が多い」


 レンの視線を追う。ノースシーの門の前には騎士が隊列を作っていた。ぞろぞろと数を増やして百騎ほどいるだろうか。彼らが対岸に向けて弓を構えるのが見える。


「これはいったい何事だ!」


 隣国側の門から兵士が駆けてくる。

 橋の上の騒ぎを見てニーレイクの兵もただごとではないと慌てていた。


「国境に戦力を配置して何が目的だ!」


 双方の緊張が爆発寸前に達する。

 一矢触発の中に固まる民衆。

 わたしたちは橋の中心で立ち往生していた。


「どうしよう……」


 そのとき、ヒュッ、と空を裂く音がした。

 誰の手からとも知れない一矢が、空気を切り裂いてニーレイク側へ飛ぶ。

 すぐさま、ニーレイク側から応戦の矢が放たれる。騎士と兵士、そして民衆の間で混乱が巻き起こった。

 

 その時、メイドがわたしの肩をつかんだ。その指は恐怖と焦りでひどく食い込み、痛いほどだった。


「あの騎士たちは、きっとルチル様を追ってきたのです!はやく身分を明かして争いを止めてください!」

「そ、そんなこと言われても……」


 肩の痛みで、思わずメイドの顔を見る。そこに広がるのは、恐怖だけではなかった。今まで見たことのない、憎悪にも似たような、黒い感情がその目に宿り、口元は怨嗟にゆがんでいた。


「王女のくせに、国民を見捨てるんですか……!一体、どれだけ私たちを苦しめれば気が済むのですか!」


 顔をゆがませたメイドが叫んだ。その表情は、まだ平和だったころ、笑顔でわたしの身の回りを世話してくれていた彼女のものとは到底思えなかった。彼女の隠されていた本心が、剥き出しになったようだった。


「やめて!ここにルチル王女がいるのよ!ノースシーの ──!」


 メイドの叫び声が響く。周囲の騎士たちが目を見開く。

 民衆も王女とつぶやき、メイドとわたしに目を向ける。


 わたしは息を呑む。顔から血の気が引く。

  何をしているの、そんなことしたら……!


「ここに、王女がいるわ!!」


 メイドが繰り返し叫んでいる。

 しかし、射手まで声は届かず、矢が止まることは無い。


「伏せろ!」


  レンの叫びとともに背中を押されて地面に転がったわたしの目の前で、メイドの体が仰け反るのが見えた。

  鋭い音とともに、一本の矢が彼女の胸を貫いた。


「……嘘……でしょ」


 呟いた自分の声が、騒音にかき消される。

 さっきまで喋っていた彼女が、地面に崩れ落ち、血を流している。


 顔を背けたいのに、目が離せない。息が苦しい。

 嫌だ、怖い。


 あたりを見渡す。メイドと同じように矢が刺さり倒れこむ人々が見えた。

 

 ……何でこんなことに。


 あの騎士たちは本当に自分を探しに来たのだろうか?

 メイドの言う通り、王女のわたしならこの争いを止められたのかもしれない。


 ……それなら、彼女が死んだのはわたしのせいなの?


 自分のせいじゃないと言い聞かせても、心の奥がざわつく。かき乱される。

 耳に、まだメイドの叫び声が残響のように残っていた。


 両国の兵達が矢をつがえるのが見えた。

 

 メイドの声を聞いた騎士が止めに走ったが遅い。

 雨のように矢が降り注ぐ。

 絶体絶命と思ったその時。


 ── レンの声が、歌が聞こえた。


 歌にあわせて突風が吹いた。叩きつける風が橋の下から沸き立つ。

 風に吹き飛ばされて矢が明後日の方角へ飛んでいく。


 そのまま、風は徐々に強さを増して竜巻のように渦を巻く。

 風に人々が飛ばされないよう、地面に這いつくばっているのが見えた。

 たた、その中で、風の中心にわたしとレンだけがいた。

 渦の中心で、そこだけは奇妙なほど静かだった。


 膝をついたまま、レンを見上げた。レンの表情は怖いくらい感情が見えなかった。


「このままだと、間違いなく戦争になる」


 レンの低く切れた声が、耳に突き刺さる。


「悪いね。私が戦争の火種を持ち込むわけにはいかないんだ。だから、ルチルをニーレイクに連れて行くわけにはいかなくなった」


 レンは落ち着き払って言い放った。その態度が、この風を引き起こしたのは彼だと物語っていた。

 こんなこと、魔法以外の何だというのか。

 まるで風を操るかのような力が常人に扱えるはずがない。

 魔法とは、天空の国にいる魔法使いだけが使えるもの。しかも、彼らでさえ地上ではその力を発動させることはできないとされている。

 けれど今、確かに目の前で『ありえないこと』が起きた。

 

「困った。王女がここにいるってばれてしまったね。この橋はちょうどノースシーとニーレイクの境でさ、『ニーレイクに連れていく』って契約を果たしたことに……できるか微妙だ。けど、そのまま橋を渡ったら、王女を連れ出したってことで戦争の火種を持ち込むことになる。だからニーレイクの門をくぐった瞬間に、ルチルをノースシーに送り返すしかないんだよ。面倒だからさ、この場でルチルの方から契約を破棄してくれない?」


 レンがわたしを絶望に叩き落す言葉を放つ。


「やだ、だって、……わたしはどうなるの?」

「あっちの騎士たちのもとへは連れて行ってあげるよ。そうしたら、パイライト侯爵のもとに嫁ぐしかないかな」


 そんなの嫌だ。絶対嫌だ。結婚することも、なにより、相手が父の仇だけというのは死んでも嫌だ。

 なんでわたしが、こんな目に遭うの?


 わたしは背後を振り返る。国境の向こうにあるノースシーの空が、異様に遠く見えた。

 ノースシー国は厳しく美しい。

 高くそびえる山々は、冬になれば雪深く、澄んだ空気の中で凛とした静けさを宿す。夏になれば立派な山脈の麓にひろがる湖畔の水面は青く輝き、太陽を受けてきらめく波が、まるで宝石を散りばめたように美しかった。

 山の奥には金や銀、宝石を秘めた鉱脈が眠る。国を潤し、人々が幸せに暮らす豊かな国だった。


 厳しい冬の峠が過ぎたばかりの今は、白い冠を被った黒い山々がわたしを見下ろしていた。今、わたしが何もしなければあの山が、その向こうに広がる村や町が戦火に飲まれる。


 わたしはただ生き延びたいだけだったのに。


 ── 王女のくせに、国民を見捨てるんですか……!


 それも嫌だ。

 もし、わたしがこの争いを止めなかったら。

 わたしもあの人たちを、見捨てることになるんだ。

 全部わたしのせいになる。


 ……そんなの、嫌だ。


 わたしは前を向いて、レンを見つめる。

 身一つ。それしかない。でも、何とかしなくては。

 できることを考えるんだ。

 もう、何も残っていない。身に着けていた高価な宝石も、プライドも全て。残っているのは王女の肩書とこの身一つしか、わたしには差し出せるものがない。

 馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれない。

 それでも生きるためには、この状況を変えるためには、今、わたしにできることはこれしかない。


「ニーレイクに連れて行くという依頼は破棄する」


 彼の言葉から察するに、戦争は彼にとっても避けたい事態のようだ。

 ならば、もしかしたらわたしの提案を受け入れるかもしれない。

 今からわたしは、とんでもないことを言う。これは賭けだ。

 もはや頼れるのは、目の前の得体のしれない商人のレンだけ。


「ノースシーに戻る。でも、レン、あなたに新しく依頼をするわ」

「そんなの、ことわ」


 レンの言葉にかぶせるように叫ぶ。


「わたしの初夜を対価に、国を救って!!」


 破れかぶれに叫んだ。

 レンは呆気にとられた顔でわたしを見た後、大声で笑いだした。


「はっ、初夜って、とんでもないこと言うな、あははは、あーおかしい!」


 そうだ、こんな提案、馬鹿げているに決まっている。

 もはや誇りも、体面も、何も残っていなかった。何も持ってない。

 こうなったら自棄だ。馬鹿馬鹿しいだろうが、なんだろうが、わたしにはこれしかなかった。

 この全てを失った身一つが、差し出せる唯一の価値なのだ。

 この男なら、この常識外れの力を持っている彼なら、状況を変えられるかもしれない。


 レンが馬鹿にしたように問う。


「変態ジジイに汚されるはずだった体一つにそんな価値あると思うのか?」


 そんなこと言われても、わたしには他に渡せるものがない。このまま押し切るしかない。


「あるに決まってるじゃない!その変態ジジイの協力が無かったら伯父の王位簒奪なんて成功しなかったのよ!国を傾けるぐらい超絶美少女の初夜権なんだから国を救う対価としては十分じゃない!」


 大笑いするレンになおも食い下がれば、レンはニヤニヤ笑いを浮かべてわたしの頭からつま先まで眺めて値踏みするように考えこむ。


「国を救えとは、ニーレイクとの戦争を止めて王弟から王権を取り戻すということか?」

「ええ、そうよ」


 レンは先ほどの嘲笑から徐々に真剣な顔へと変わっていく。


「いいだろう、まずは交渉だ」


 レンの金色の瞳が、獲物を見据える獣のように光るのがみえた。


「ルチルが対価として差し出すのは初夜の権利とは婚姻も含めてかな。だったら、この権利を私が最も有効な形で利用しても構わないか?  相手は私が自由に選定する。それならまあ悪くない」

「レンが誰かにわたしを売り込むってこと?」

「そうだね。ルチルは正当な王族だから、その婚儀は、複数の国や有力な家を動かすほどの価値がある。並外れた利益を生み出す、まさしく破格の『商品』だ。それを私が自由に取り扱えるなら、悪くない取り引きになるだろう。でも、ルチルは本当にそれでいいの。知らない男を私が宛がうといっているのだよ」

「父の仇以外なら、どんな男でも百倍マシよ」


 わたしの答えにレンはうなずく。


「つぎに、私にできることは限られる。ルチル自身が協力を惜しまないこと」

「ええ、いいわ。その代わり、レンも協力して。食べ物とか別料金は無し」

「いいよ。ならば、取引成立だ!」


 レンはパンッと両手を合わせた。


 取引、成立しちゃった…?

 自分で言いだしてなんだけど、身体を全て差し出したところで国を救うなど到底釣り合わない。そんなことは、わたしだってわかっている。思ったよりすんなりと話が進み、真面目に取り合ってもらえるなど予想外だ。


 だいたい、この男は最初から変なのだ。


 ウネウネから助けてもらったあと、ネックレスを見せた時が一番緊張した。

 あの時は、ウネウネに殺されるか、森で野垂れ死ぬか、あるいはこの男に殺されるか。そのどれかだと覚悟した。

 わたしに身を守る術などない。金品全て奪われて殺されるか放り出される。あるいは身包み剥いだあと、パイライト侯爵に突き出して礼金をもらう。そうするのが、この男にとって一番得なはずだった。


 姉の指輪も奪ったものかもしれない。

 でも本当の事を言っている気がして、賭けにでた。


 商人という割にはネックレスに目の色を変えるでもなく、むしろ呆れたような顔をしていた。価値がわからなかったわけじゃない。高価な品だと気づいたからこそ、あの反応だった。

 「そんなものをぶら下げて襲ってくださいって言ってるようなもんだろ」そう顔に書いてあった。欲しがるどころか、信じられない馬鹿を見たって顔だった。


 都度都度、金銭を要求するのも意味がわからない。

 対価を払えばいちいち律儀に要求に応えてくれる。そんな面倒なことしないでわたしを殺して奪えば手っ取り早いだろうに。


 どうにも何か払えば良いだけで、対価はなんでも良いのかもしれない。

 姉の指輪がそうだ。あれはレンの言う通り安物だ。

 話を聞くに、わたしがパイライト侯爵に輿入れすると知った時点で手紙でも出せば、姉とレンとの間で交わされた契約は終わりだ。

 だとしたら、ニーレイクへ行く途中で、わざわざわたしを助けられる距離にいるなんておかしい。偶然にしては出来すぎている。


 彼がお人好しというわけでもないと思う。

 いったいレンは何が目的なのだろうか……。


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