2話 商人レン
「これでガーネット王女にルチル王女を助けて欲しいと頼まれてね」
レンは指輪を取り出す。それは赤い柘榴石のはまった、姉の指輪だ。
「お姉ちゃんが!お姉ちゃんは何処にいるの?」
見捨てられてなかった!
「ディアイランド連邦国にいる。傭兵を雇ってオブシディアン王から政権を取り戻すって言ってたけど、まあ難しいだろう」
ディアイランドはノースシーの海を東南に進んだ先にある諸島が集まった国だ。ガーネットはディアイランドに亡命したということだろう。
「ママは?」
「ガーネット王女とディアイランドにいるよ。伯母がディアイランド連邦国に嫁いでるだろ。そっちのツテで匿われている」
「……そう、無事でよかった」
ならばわたしも彼らに合流したい。
「じゃあ、わたしもディアイランドに連れてってくれるのね!」
しかし、レンの答えは予想と違った。
「なんで?」
「え? ……だってレンはお姉ちゃんの部下じゃないの?」
「あー違う違う。ディアイランドで偶然会ったときに、傭兵団を斡旋しただけ」
レンは肩をすくめた。
「ニーレイクに帰るって告げたら、ノースシーに寄って妹を助けて欲しいって言われて、これをもらったんだけど……うーん、石は小粒、珍しい色でもないし、地金は混ぜ物がしてある。つまり安物。割に合わないから様子見だけして状況を手紙で知らせるまでという事で請け負ったんだ。だから、それ以上は金をもらってないの」
助けに来たわけではないと言われて、わたしは混乱する。
「それなら、わたしはどうしたらいいの!?」
「ん? パイライト侯爵に嫁げば? 噂だと金持ちらしいし、安泰だろう」
わたしはレンの言葉に沸々と怒りが込み上げてきた。
「そんなの絶対に嫌!パパの仇よ!!」
「丁度いいじゃん、仇討ちでもすれば? 寝込みを襲えばうまく行くかもよ」
なんて酷い事を言うんだこの男は!
「とにかく、私はここまで。これでもだいぶサービスしてんだ。ガーネット王女達の情報だって金をとっても良いぐらいだぞ」
「そんな……」
助けが来たかと思えば、あっという間に放り出された。パイライト侯爵に嫁ぐのは絶対に嫌だ。父の仇をとったとしてもその後わたしは処刑されるだろう。父には悪いがわたしは生きていたい。
「レンはニーレイクに行く途中なの? それなら、わたしを連れて行って」
まずは、パイライト侯爵の手の届かないところに逃げなければならない。亡命するにしてもディアイランドは王都近くの港から船に乗らなければ行けない。他国に逃げるならば南の隣国ニーレイクへ行く方が近い。
「いくら出せる?」
「お金なんてないわ」
「話にならないね。ガーネット王女みたいに物でも良いよ」
レンは親指で指輪をピンと跳ねてキャッチする。
「これは?」
わたしは身につけていたネックレスを差し出す。
「……VVSクラス相当の金剛石5ct、脇石は紅玉、違うなこれ刻印から紅緑柱石か? 合計3ct。地金、鎖ともに24金。刻印通りだろうな」
ネックレスを手に取り、じっくりと真剣な表情で品定めする。鑑定に集中しているように見えた。けれど、ふとこちらに向けられた視線には、明らかな呆れが混じっているような気がした。
レンがネックレスとわたしを交互にまじまじと見つめるので、緊張する。
「ガーネット王女のものより、ずっと良い品だね。普段からこんな物を?」
「そうね。それ、石が小さいから普段着用」
「……小さい。まあ、式典用と比べれば、そうなるか……うん、良いよ」
レンは腰のポーチに、ネックレスをしまい、地図を取り出した。
「あと半日もすれば異変に気づく。パイライト侯爵の騎士団がお前を探すだろう。捕まらないように街道には出ないで森を進む」
「あの現場を見たら、わたしも死んだと思うんじゃない?」
「人の捜索なら犬を使う。匂いで追ってくるだろうな。そうすれば、王女が生きてるのがわかる。何処かで川を渡って撒きたいが、まあ、ここから逃げるとすればニーレイク一択だし先回りされる可能性もある」
「そんな!逃げられないの?」
「鉢合わせしないことを竜神に祈るんだな。それで、ここが今いる場所。この川を渡って歩くと国境。そこがニーレイクとの橋だ」
レンは地図を指差し、わたしに見せる。道なき森を進んだ先に大きな川があって橋の絵が描かれていた。
「まずそこに向かう。徒歩で二日程度だ」
「歩くの? 馬車は?」
「追手に見つかるだろ」
「仕方ないわね」
わたしはレンの背中に回り込む。
「? なに?」
「? 屈んでよ、背中に乗るの」
「……なるほど。ガーネット王女から聞いていたけど、これは確かに難あり……」
「何か言った?」
レンの言葉の後半がよく聞こえなかった。
レンはわたしを無視して沢沿いをスタスタと歩き出す。おぶってくれる気はないらしい。
「ちょっと、ネックレスあげたのに…あれ、お気に入りなのに……!」
わたしはレンの姿が見えなくなる前に追いかけた。ごつごつした大小の岩と、溶けかけの雪に足を取られて滑った。思いっきり水溜りに突っ込んでしまい靴が濡れて指先が冷たい。
「待って、靴が濡れた!」
「丁度いい、そこの浅瀬から向こう岸に渡ろう」
レンのいう通り底が見えるぐらいには浅いが、わたしは膝まで浸かることになる。
「冷たくて死んじゃうよ……」
「少し我慢だ。着替えならあるから気にするな。沢を渡ったら火を起こして昼飯にする」
つめたいー!雪解けの水の中に足を入れれば突き刺すほどの冷たさだ。水の流れもあって足が進まない。
「むりむり、おぶって、無理無理!」
「足場が悪い。手を引くから我慢しろ」
「しんじゃうしんじゃう!!」
レンの腕にしがみつく形で、沢を渡る。
「足がもげる!もうむり!痛い、冷たすぎて痛い!!凍っちゃうぅぅぅ!」
「追手が来るかもしれないことわかってる? もう少し声を抑えろよ」
「ーーー!!」
ザブザブと水をかき分ける。
渡り切れば渡り切ったで、濡れた体に容赦なく風が吹きつける。
「さぶい〜!」
わたしが体をさすっていると後ろからバサリと毛布がかかった。
「うるさい。それにくるまって、これに履き替えて濡れたものと交換だ」
レンが下履きと皮のブーツを差し出した。どこから出したのだろう。レンは軽装で荷物はどこにも持っていなかったはずだ。
とりあえず、足が冷たい。言う通り着替えよう。
「見ないでよ……」
「後ろ向いてるから早く」
毛布の中でゴソゴソと着替える。メイドもなしで着替えるなんてと嘆く。
濡れて足に張り付いた下履きを脱いで、ゴワゴワする下履きを履く。肌に触れる粗末な布地の感触が、これまでの生活との隔絶を突きつけた。
なんとか着替えられたけど、靴の結び方がわからない。サイズは少し大きい。
レンの方を見れば、いつのまにか火を起こして、鍋をかけていた。煙や炎が少ないのを不思議に思えば、用意の良いことに木炭が赤く燃えていた。レンは濡れた服と靴も着替え終えている。手慣れていて手際の良さがうかがえた。
「着替えた。……その鍋どこから出したの?毛布や靴も」
「企業秘密。……サイズ大丈夫?」
「ちょっと大きい。これ結んで」
「ああ、簡単だから覚えろよ」
わたしが岩に腰掛けると、レンが屈んでわたしの足から靴を脱がした。ポーチから布切れを取り出して足に巻きつけたあと、靴を履かせて靴紐を結ぶ。
「こうやってこう。覚えた?」
「うん……ちょっと、やってみていい?」
わたしはもう片方の靴を自分で結んでみせた。うまくできたか不安で、レンの顔を見上げる。
「……いいよ、立ってみて」
足に巻きつけられた布の分、先ほどよりしっかりと靴がはまった。
「大丈夫」
「じゃあ、濡れた服もらうから」
着替えた服をレンに渡すと乾くよう火のそばにかけた。
わたしも火の近くに寄る。
「あったかい……」
レンが鍋からお湯をカップに注ぐ。ポーチから小瓶を取り出すと中に丸薬のようなものが入っていた。レンは丸薬をカップに落としてスプーンでかき混ぜる。
いい匂いがする。命の危険の後に歩き回って、さらに川で体が冷えた。喉も渇いたし、お腹も空いた。
レンはそのままカップを飲みながら火にあたる。
「……」
「……」
「……?」
「……」
「……わたしのは?」
レンは手のひらを上に向けてわたしに差し出した。
「金払って」
「は?」
「無ければ物と交換」
「は? え? だってさっきネックレス」
レンはこちらを向いて心底不思議そうに答えた。
「頼まれたのはニーレイク国にルチルを連れていくこと。契約内容に衣食住は含まれていない。だから都度、別途料金」
「なにそれ……!横暴よ!というか、呼び捨てにしたわね!」
「いいだろ。お互い様だ。あ、そうそう、お釣りは出ないから」
なんてことだ。とんでもない人に頼ってしまったかもしれない。レンが最初に見せた指輪は間違いなく姉のものだった。だから信用してしまった。
レンはニーレイクまで二日と言った。なら二日耐えればいい。二日ぐらいなら……。その時、わたしのお腹でぐぅーと、大きな音が鳴った。
「な、な、な、なに今の。わたし病気になっちゃった?」
「空腹で腹が鳴っただけだろ」
「お腹が空くと、お腹から音がするの?」
「……もしかして、ここまで空腹になったの初めて?」
わたしはこくりと頷く。なんだかすごく恥ずかしい。羞恥に耐えられなくて、襟巻きにつけていたブローチを外してレンの手に乗せた。レンはブローチを陽の光にかざす。
「地金はプラチナ、変彩金緑石15ct……カラーチェンジあり。キズ無し、インクルージョン無し。脇石は藍玉合計6ct」
「それでいいでしょ!わたしにも食事を頂戴!」
なんだかすごく呆れた目を向けられた気がしたけど、今は食事が優先だ。
レンは先ほど飲んでいたカップと同じ物をわたしに差し出した。
一口飲む。喉の奥に温かいスープが落ちて、胸の中心に沁み渡る。キノコと鶏の味がする。普段食べているシェフの料理には程遠いが、優しい味でわるくない。
「美味しい」
「口にあって何より。干し肉は食べたことある?」
「無いわ」
「じゃあ、スープにつけてふやかしてから食べて。あと、黒パンも食べたこと無さそうだな、固いからよく噛んで」
「バターかチーズは?」
「……仕方ないな」
……あるんだ。
レンはポーチから葉っぱに包まれたチーズを取り出した。
「そのポーチ、なんでも出てくるのね。デザートはある?」
「調子に乗るなよ。せいぜい干し葡萄だ」
……あるんだ。
わたしは出された食べ物を口に運ぶ。
ずっしりと重い黒パンと、固く干からびた肉だった。それまで食卓に並んだことのない、見慣れない食べ物に思わず眉をひそめる。
意を決して、恐る恐る黒パンを一口かじる。想像以上の固さだ。奥歯で何度も噛み砕くと、ようやくわずかな甘みが感じられた。もごもご口を動かすと、わたしを見たレンが笑う。レンがナイフで切り取ったチーズを火であぶって、パンに乗せてくれた。チーズの塩気で幾分かましな味になった。
薄い干し肉は、言われた通り柔らかくなるまでスープに浸す。肉の独特の臭みが強く、正直、美味しいとは言えない。
「干し肉は好みじゃないわ」
「そうかい、でも平民にとっては肉があるだけ御馳走だぜ」
「そうなの?」
王族の自分が食べる料理と平民の食事が同じはずはない。しかし、この木の皮みたいな肉がご馳走とは驚きだ。
量が物足りないと文句を言えば、ニーレイクまで村に寄れないからこれ以上は難しいらしい。
レンは灰を地面に撒いて食器を片付け始めた。着ていた服と靴を触ればまだ湿っている。
「もう出発? まだ乾かないよ」
「また後で乾かすよ。それは交換したんだから仕舞っておく。毛布も返して」
レンの言い方に違和感を覚えた。
「交換って、一時的にってことよね」
「交換は交換でしょ」
「ちょ! こんなゴワゴワの服と可愛くない靴が交換なわけないでしょ!」
「じゃあ、濡れて冷たい服と靴を履く?」
「……交換でいいわ」
もう、レンには騙されない。絶対にだ!
でもまた騙されそうな気もする。ぐぬぬ!
レンが、わたしが着ていた服を畳んで靴ごとまとめる。そして、次の瞬間に、わたしは頭に毛布を被せられた。
なにをするのかと毛布を除けようとしたら ── ふっと毛布が消えてしまった。
目の前にはレンが立っていて先ほどの毛布、靴や服、食器と鍋も全て消えていた。
「え?」
人名と家名に宝石の名前を使ってややこしいので、本物の石は漢字にルビで表記してます。