22話 【幕間】ヒースの恩人
「なんですか……あれは!?」
ヒースが見上げた先、白い蛇のような禍々しいなにかが、黄金に輝く城に巻き付いていた。
ドーンと鳴る轟音と金属がぶつかる甲高い音がこだましていた。
「ウネウネが暴れているね……ほら、ヒース殿、ボーと突っ立ってないで生存者の救助をしたまえ」
パイライト侯爵の言葉にハッとして、ヒースは急ぎ指示を出していく。
エマがセプタリアン伯爵の城にいると知り、ヒースは今後の相談のため城へ向かっていた。
そこへ「自分も行く」と言い出したパイライト侯爵が同行し、断り切れずにここまで来てしまったのだ。
「この状況は一体……何が起こっているのですか?」
ヒースの疑問に答えたのはパイライト侯爵だ。
「ウネウネは迷宮をかじるというだろう。あの城が金に変わったのはエマ ── 迷宮の主の力だ。やつにとってはあの金ぴかがご馳走というわけさ」
「エマ様が迷宮の主……? そんなわけ……」
「おや、知らなかったのか。 ほら、噂をすればなんとやらだ」
パイライト侯爵が指さした先に、瓦礫を飛び越えて逃げてくる影があった。
銀色の兵士たちに囲まれ、赤い髪を振り乱している。
「あのクソ虫!!」
緑の瞳を吊り上げ、エマは悪態を吐く。
目鼻立ちが整った美しい面立ちが、仮面のようにひび割れ怒りで歪んでいた。
あきらかに、人ではありえない。
背中に冷や汗が流れる。
迷宮の主……先ほどパイライト侯爵に聞かされた言葉が、ヒースの中で現実味を帯びた。
ヒースは、元は孤児で、この国の生まれでもない。
アホアイト家の養子に入る前は、ある傭兵の弟子であった。
── 迷宮の主。
その言葉が、ヒースの胸の奥で複雑な感情を呼び起こす。
この世界の大地は竜の背に築かれている。
竜はその口を開き、迷宮へと招く。
迷宮の試練を乗り越えた者が次代の竜となり、次の世界を支える竜に生まれ変わる。
ゆえに迷宮は竜の試練であり、竜の継承の場でもある。
竜を神として崇める信仰にとっては、迷宮は神の住まう神聖な場だ。
迷宮の奥には主、今世の竜 ── 迷宮の主が人の姿をして現れるという。
人々はその存在を神と呼び、迷宮を神聖視してきた。
「本当に、神だと……?」
ヒースにとって迷宮は、ただの伝説というわけではない。
迷宮はヒースの恩人を奪った場所だ。
孤児だったヒースを拾い、戦い方を教えてくれた人は、迷宮に関わったせいで命を落とした。
彼の名はグレイ。世に名高い傭兵であり、ヒースにとっては憧れの存在だった。
オブシディアンとともに迷宮へ挑み、試練を乗り越えた……そう聞かされた。
迷宮を踏破した者は次代の竜となり、不老不死の存在へと変わるはずだった。
しかし、迷宮から帰ったグレイはまもなく命を落とした。
世間はグレイを「嘘つきの詐欺師」と非難し、笑いものにした。
あの人が嘘をつくなんてありえない。
エマが迷宮の主というならば、グレイについて知らないはずがない。
真実を知る機会が飛び込んできた。
ヒースの目の前に今。
「エマ様! 貴方が迷宮の主とおっしゃるなら、グレイのことをご存じのはず! 彼は、迷宮の試練を乗り越えられなかったのですか!?」
ヒースはたまらずエマに向かって叫んでいた。
エマはヒースにいぶかしげな視線を送る。
「はあ? グレイ……お前、あいつの知り合い?」
「グレイは私の師匠で恩人です」
「はーん、なら今度シアンと話をしてやってくれよ。あいつが死んで凹んでるんだよ……ったく」
ヒースはシアンとは誰だろうかと考えた。しかしそれよりも、答えがまだだ。
「なぜ、彼は亡くなったのですか? 不老不死になるのでは?」
「そりゃ、あいつが断ったんだからしゃーない。だいたい周回野郎が次代の竜になれたのかわかんねーし」
エマの言葉の意味が分からず、ヒースはさらに質問を重ねようとしたとき、地面が大きく揺れた。
土煙の向こうで、ウネウネが頭をもたげ、匂いを嗅いでいるように見える。
「げっ! あのクソ虫、あたしを探してやがる!」
エマが心底嫌そうに顔をしかめる。
その様子を見て、パイライト侯爵が愉快そうに口元をゆるめた。
「虫に怯えるなんて、か弱いご婦人のようだね」
「うるせーよ!」
余裕のないエマとそれを面白がるパイライト侯爵。
しかし、冗談を言っていられる状況ではなかった。その間にも、轟音が鳴り地面が揺れる。
怪物はあまりに巨大で、ヒースにはどうすることもできない。
「あんなのどうすれば……」
黄金の城を砕き、破壊するウネウネを見てヒースは後ずさる。
それこそ、迷宮の主の力を借りたい。
しかし、あの巨大な白い蛇のような怪物は、エマにとってどうにも手を焼く存在であるらしい。
パイライト侯爵はエマにたずねた。
「虫除け、持ってたりするかい?」
「は? ……なんで知ってんだよ」
「昔話に、虫除けの薬の逸話があってね」
エマは短く鼻を鳴らし、薬瓶を取り出すと、勢いよくウネウネへ投げつけた。
人が投げたと思えぬ力で発射された瓶はウネウネの頭部に当たり砕けた。
するとウネウネは体をくねらせ、もがいたかと思うと、地面の中へ逃げていった。
「あたしがいたら、また虫が寄ってくるかもしれない」
「ああ、移動した方がいい。馬はいるかい?」
パイライト侯爵の言葉にエマは首を振った。
「必要ない。迷宮を通って王都に戻る」
そう言ってエマは鍵を取り出した。
地面にそれを差し込み回すと、鋼鉄の扉が現れる。
扉を引いて開けると、その下には階段が続いて先が見えない。
「あ、そうだ。なあ、じいさん、あんたの嫁が来てたけど、崖下に落ちていったぜ。葬儀ぐらいしてやんな」
エマの口から、ルチル王女が亡くなったと聞かされ、ヒースはショックを受けた。
魔物の徘徊していた坑道から生還したことも驚きだが、その後、崖下に転落したとは痛ましい。
ところが、パイライト侯爵は涼しい顔で返した。
「エマ殿、顔が笑ってますよ。彼女は生きているんでしょう?」
「ちっ! 全然取り乱さねーのな!」
パイライト侯爵の言葉に、ヒースは信じられない思いで目を丸くする。
崖下に落ちたルチル王女は生きているらしい。
「年の功という大人の余裕ですよ。年を重ねても変わらない方もおられるようですが」
「あ゛!?」
「年を重ねても変わらずお綺麗な方もおられる」
「このクソジジイ!! よかったな! あたしが綺麗で寛容な大人で!!」
そういうと、エマは銀の兵士たちに先を歩かせ、その後を追って扉の中へ消えた。
彼女が去ると同時に、鋼鉄の扉は幻のように消え去った。
ヒースは目の前で起きた摩訶不思議な出来事にしばし唖然とした。
「本当に……迷宮の主……」
「神と祀られるには、あまりに口が悪くて驚いただろう?」
パイライト侯爵の言葉に、ヒースは思わずうなずく。
たしかに、教会で語られる神のイメージからは程遠い。
だが神話にあるように、迷宮の主も元は人間だ。
エマの品行を欠いた物言いや態度は、人間臭く、不思議と親しみさえ感じられた。
パイライト侯爵はため息をつく。
「しかも、後始末はしないときた」
「後始末……?」
「ウネウネの開けた穴から魔物が出てくる」
そうだった。
怪物の残した爪痕が、この先さらなる災厄を招く。
ヒースは被害の広がりを思い、顔をしかめた。
「ひとまず、あの城を陣地としようか。瓦礫の城だろうと、無いよりましだ」
パイライト伯爵の言葉にヒースも賛同する。
崩れ落ちた黄金の城も、まだ拠点としての形をぎりぎり保っている。
パイライト侯爵は瓦礫の先を見やり、独り言のように呟いた。
「……さて、セプタリアン伯爵は生きているかな」
1話で収まりませんでした。
ヒース視点の次は、パイライト侯爵視点で続きます。




