21話 暗闇に踏み出す
「あたしの顔! よくもやってくれたな!」
怒鳴り声とともに、エマと銀の兵士たちが迫ってくる。
ルチルは後ろを振り返る。
エマの顔に入ったヒビ。レンが撃った銃。
記憶のなかで、銃のレプリカを持った父は言った。
── 脅しかな。これが実用化されたら、子どもですら明日から戦場に駆り出される。
父はため息をつき、書類にサインしていた。
あれは、ニーレイクとの友好条約だったはず。
わたしはレンの持つ鈍色に光る鉄の筒を見つめる。
……なんで、そんな武器を……レンが持っているの?
「全然、効いてないな……」
わたしの腕を引っ張りながら、レンが冷静につぶやく。
エマと銃を構えるレンを交互に振り返る。
レンが撃った銃は、ノースシーでは未完成の存在だった。
彼の持つ魔道具や魔法、経済状況をすべて把握しているという事実。これらは、ただの商人にしてはあまりに不自然だ。
ラウルはニーレイクの王子に仕えている。ノエルはわたしより高い教養を持っている。
そんな二人と親しいレンが、ただの商人であるはずがない。
ずっと、考えないようにしていた。
だって、レンだけがわたしの味方なのに、疑いたくなんてなかった。
ひとりになるのが怖くて、目をそらしてきたのだ。
廊下を走り出すも、銀の兵士に行く手を阻まれた。
「だいたい何で襲ってくるんだよ!」
エマが不機嫌そうな声を出す。
迷宮の主。今世の竜。竜の神様。
神話の登場人物が、現実に目の前で怒っている。
彼女に敵対するレンたちは、あまりに恐れ知らずだ。
剣をかまえたラウルが答えた。
「僕はニーレイクの人間だからね。うちの国と戦争しようなんて奴は、迷宮の主だろうと敵だよ」
その言葉に、セプタリアン伯爵が目をむいて叫ぶ。
「ニーレイク! 殿下は敵国の者を招き入れていたのですか!?」
「うちはノースシーとは友好国だよ。それを反故しようってのはそっちのくせに良く言う」
レンが呆れたように返すと、セプタリアン伯爵は顔を真っ赤にし、唾を飛ばして怒鳴った。
「五月蠅い! 王女ともあろう方が何たる愚行!」
その怒りは、わたしの父へと向けられる。
「娘が娘なら、親も最悪だ! あの狸……王家の美術品をいつも自慢しおって、挙句、私に贋作を押しつけ、笑っていたにちがいない……!」
鬱憤を吐き出すように、セプタリアン伯爵は憎悪を重ねていく。
「おのれ!おのれ……おのれクオーツ王……! 死んでなお、私に恥をかかせおって…!」
父との関係は上辺のものだったのだろうか。
贋作と知ってからのセプタリアン伯爵は、父を侮辱する言葉を並べ立てる。
悔しさに胸がかっと熱くなり、怒りが込み上げるのに、同時に足がすくんでしまう。
射すくめるようなセプタリアン伯爵の目に、思わず体が強張った。
「しかも……! 娘はよりにもよって敵国の人間を引き連れる裏切り者……!」
その増悪に満ちた顔は、昨晩、わたしに丁寧に接していたとは思えない表情だ。
これが、セプタリアン伯爵の本心なのだろうか。
「それだけではない……見たぞ……おまえの手に宿る黄金の輝きを……! エマ様の祝福を授かるのはこの私だけで十分! 選ばれた私だけの特権だ!」
セプタリアン伯爵は両の手をかざし、指先に浮かぶ金の模様を恍惚と見つめる。
そのまま、うっとりと己の指に口づけた。
「ああ、なんと美しい…。黄金は、この私のもの! この私ただひとり……! ここで消えろ、裏切り者め……!」
吐き捨てられた言葉は、刃のように鋭く胸をえぐる。
「おまえは不要だ、邪魔だ、存在してはならんのだ!!」
わたしはその言葉にひどく傷ついた。
胸の奥が裂けるように痛み、息が詰まる。
……嫌だ。 聞きたくない。
「黄金に閉じ込め、二度とその息を吐かせはせぬ……」
セプタリアン伯爵が壁に手を打ちつけると、ダンという音とともに壁が黄金色に輝き始める。
金属の光が壁を床を反射し、空間を侵食していった。
それを見ていたエマが、なぜか慌てだした。
「あ、おっさん! 待て、一度に使うな!」
エマが焦った声を出す。
「アレが寄ってくる!」
……アレ?
迷宮の主が慌てるなんて、ただ事ではない。
しかし、セプタリアン伯爵はエマの言葉が耳に入っていないようだ。
陶酔した目で、金色の壁を撫でていた。
「金……金だ……素晴らしい……!」
セプタリアン伯爵は富が増していくことに高揚している。
黄金に変わっていく廊下の壁と、それに魅入られたかのように触れ続けるセプタリアン伯爵の姿。
わたしは、この光景に背筋が凍るような恐怖を覚えた。
壁が金になって歪み、ギィギィと金属音が響く。
視界の端で、床板がわずかに沈んだ。
黄金の天井がどろりと泥のように溶けだした。
ここにいてはまずいと、悪寒が走る。
レンが銃を撃ち、ラウルが銀の兵士を斬り飛ばして道を開く。
わたしたち四人は、廊下を飛び出した。
「こっち!」
城は黄金に染まりはじめ、逃げ道をふさがれていく。
追ってくるのは銀の兵士だけで、エマ自身の姿はどこにも見えなかった。
その銀の兵士たちは、数を増やしながら迫ってくる。
迫る兵士の頭を斬り飛ばしたラウルが、疑問の声をあげた。
「ん?」
「どうした?」
「なんか違和感」
振り返ったわたしはラウルが倒した銀の兵がゆっくりと起き上がるのを見た。
頭が無いのに、動いていた。
「まだ生きてる!」
ラウルも振り返る。
「あれ、中身が人じゃないかも」
「魔物だって言いたいのか!?」
「迷宮の主の手下だものね……魔物でも、驚かないわ」
倒しても倒してもきりがない。
後方の銀の兵士が増えていく。
「う~ん、レン兄、さすがに三人をかばいながらは厳しそう。狭いからまだいいけど、広いところに出たら無理」
ラウルは困ったようにわたしを見た。
「だからさ……王女様の手を離して」
……いま、なんて言った?
頭の中が真っ白になる。耳の奥で、血の流れる音だけがやけに大きく響いた。
「ええ、置いていきましょう」
ノエルの声は冷ややかで、背筋を氷で撫でられたような感覚が走る。
「……え?」
出た声は、間抜けで情けなくて震えていた。
彼らは、わたしの存在を、重荷でしかないと言っているようだった。
実際、そうなのだろう。
わたしがエマの正体を知って絶望したように。
戦争を止め、オブシディアンを倒して王権を取り戻すのは不可能だと、二人は見切りをつけたのだ。
「ニーレイクに帰るでしょ?」
「迷宮の主がついてるなんて……国に帰って知らせるべきよ」
説得するように、ラウルとノエルはレンに語りかける。
わたしは、腕を引いてくれるレンの背中を必死に見つめた。
……お願い。言い返して。否定して。わたしを見捨てないで。
でも。
「……」
レンは沈黙していた。
……なんで? なんで言い返さないの?
心臓がぎゅっと掴まれたような、不安が押し寄せ俯いた。
息が詰まって、苦しい。
昨夜、聞いた彼の言葉が蘇る。
── とても責任重大な交渉事を任されて、私はそれに失敗したんだ。
わたしは、あの時「ルチルが私を高く買ってくれたから」と笑ってくれたレンの言葉を信じたはずだった。安心したはずだった。
しかし、今はその言葉に裏があるように思えてしまう。
失敗といっても具体的に何を失敗したのか、わたしはまだ聞けていない。
交渉相手を怒らせて大損害を出した、とか。
裏切られて大切な契約を横取りされた、とか。
……何も知らない。
ただ一つ確かなのは、その失敗で彼が大きく失った、ということだ。
戦争を止めることも、人々を救うことも、王権を奪還することも、その全部が、隣国の彼にとってはどうでもいいことのはずだ。
だから、この国の危機を利用しようとしているだけなのではないか。
ただ「失敗のリベンジ」という個人的な執念のために。
それ自体は、別にいい。
わたしの目的を果たしてくれるなら、彼が何を企んでいようとも。
……でも、この契約が損だと思われたら?
わたしには為す術がない。
胸の奥がひどく重くなる。喉が焼けつくように乾いて、呼吸が浅くなる。
だって、レンは企業秘密だって、はぐらかすことも多い。
絶対に普通の商人なんかじゃない……。
もし、リスクに見合わないと思われたら。
その瞬間、わたしは……切り捨てられる。
今、この場で。
不安に押しつぶされそうになった、その時。
わたしの腕をつかむレンの手に力が入った。
「いいや、ルチルとの約束通り戦争を止めてオブシディアンを王座から退けるまで帰らないよ」
レンは、迷いなく言った。
その声を聞いた瞬間、胸を締めつけていた不安が少しずつほどけていく。
「馬鹿なこと言わないで。相手が悪すぎる」
「ノエルは私を信用するって言ったじゃないか」
「……そうだけど」
……わたしもそうだ。
レンの言葉を信じ、「できる」と約束した自分を思い出す。
不安を押しのけ、レンの背中を見上げる。
レンの真意を確かめるためにも、今はただ信じて、ついていくしかない。
「それに、今からニーレイクに戻ったところでだ」
そのままレンは走りながら話を続ける。
「戦争が起きたらニーレイクの負けが確定する」
その言葉に、ラウルが反応した。
「あれ、レン兄は僕が負けるとでも? 迷宮の主は倒せなくても、国同士の戦争は別じゃない?」
「いくらラウルが強くても、お前は一人だ。伯爵が言っていただろう。他国を買収する話」
「あー、南と西がノースシーと手を組まれでもしたら確かに手が回らないね。でも銃があれば農民でも英雄に早変わりじゃない?」
「あのなー、商人国家が敵に囲まれて交易できないという時点で負けなの。金の殴り合いで他国を中立に持っていっても、絶対足元見られるし、搾り取られる。その上、ノースシーの黄金は無尽蔵ってなればジリ貧」
「じゃあ、王女様をニーレイクに連れていく? そうしたらお金の問題は解決でしょ」
わたしをレンが振り返る。わたしの指先を見ていた。
「魔法には頼らない。私のデメリット知っているだろ? ルチルもきっとなにかある」
「……。レン兄が口にしちゃったってことは、本気だよね。わかったよ、仕方ないなー!」
そうだった。レンも魔法が使えたんだ。
レンの言葉から察すると、魔法も万能では無いらしい。
そして、ラウルが折れた理由は、レンの魔法のデメリットにあるようだ。
「デメリットってなに?」
「あとで教える」
わたしの問いにレンは短く答え、走るスピードを上げた。
「もっと速く、追いつかれる!」
視界の端で、金の床がもぞりと動いた気がする。
その輝きは、まるで生きた金色の泥のようで不気味だ。
城内を逃走中、人々の狂気に満ちた叫びを聞いた。
「金だ! すごいぞ!」
使用人たちだろうか。欲に駆られ、黄金の壁を剥がそうと手を伸ばす者がいる。
しかし、壁の黄金はどろりと溶けて、触れた者を飲み込んでしまう。
「うわああああっ!」
彼は、そのまま、壁の一部になってしまった。
その光景を目の当たりにした他の人々は、恐怖で体を硬直させ、悲鳴を上げた。
……ひどい! なんて恐ろしい力!
わたしも恐怖のあまり、叫びたいが、走って呼吸をするので精一杯だ。
銀の兵士も増えていく。
行く手を阻まれ、階下に降りることができない。
「上へ!」
逃げ場がなくなっていく。
下への道はふさがれて、階段を上がるしかない。
塔の先、屋上に飛び出す。
扉から追いつく銀の兵士をラウルが斬り伏せていた。
首が落ち、腕が飛び、足が切り裂かれて、中身は空のまま崩れ落ちる。
……鎧だけで動いているなんて、本当に魔物?
それを見たノエルがレンに言う。
「レン、一体だけ持っていけない? どうして動いてるか知りたい」
「この状況で!? 無茶言うじゃん!」
ラウルが戦っている横をレンが駆け抜ける。
ラウルがバラバラにした銀の兵士の残骸に、レンは素早くポーチを押し当てた。
すると残骸は吸い込まれるようにポーチの中へ消えていった。
「入った!! ラウル少し時間稼いで!」
ラウルが奮闘している間、崖側の縁へと走る。
レンは荒い呼吸を整えるように、しばらく深呼吸を繰り返した。
レンが何をしようとしているかわかって慌てる。
「ま、まさか!!」
「大丈夫、天空の国から落ちても平気だったし」
……やだやだやだあああ!
そのときだ、耳鳴りのような、低い唸りのような音が、足元から響いてきた。
「見て!」
ノエルの指さす先、ニーレイク側の斜面から、白い大きな蛇みたいな生き物が地面から顔を出すのを見た。
「ウネウネ……あ! エマの言っていたアレってウネウネのこと!?」
「ああ、覚えとけ、魔法を派手に使うと寄ってくる」
金色に染まった城にウネウネが絡みついていく。
足元がぐらぐらと揺れ、バランスを崩して倒れそうになった。
「ルチル! 触らないように気をつけて!」
次の瞬間、わたしはレンに抱き寄せられた。
とっさに、レンに触れないよう手をぎゅっと握りしめる。
抱えられたまま、レンの腕に支えられて手摺の上に立った。
ノエルも、レンの反対側に慎重に立つ。
「ラウル来い!!」
その言葉を合図に、レンはノエルも一緒に両腕に収める。
ラウルが銀の兵を掻い潜り、こちらに駆け寄ってくる。
足下をのぞく。
城のはるか下には、岩肌の崖が広がり、底は暗く見えない。
……死ぬかも!
喉がはりつき、心臓が痛いほど跳ねる。
背後で、城全体が悲鳴のような音を立て、亀裂が広がっていくのを見た。
前に進むしかない。
「行くぞ!」
レンの声と同時に、足場が崩れた。
ラウルはレンの肩にしがみつき、わたしたちはそのまま空中へ投げ出される。
視界がぐるりと反転し、見上げた先では、金色に輝く城にウネウネが巻き付いていた。
白い巨蛇が幾重にも絡みつき、塔を圧し折り、壁を破壊してゆく。
石が砕け、金が剥がれ、轟音が空気を震わせる。
崩れた破片が降り注ぎ、金色の雨を降らせた。
その輝きとともに、わたしたちは、深い暗闇の中へ落ちていった。
前半クライマックスでした!ノースシーの物語は、折り返し地点に到着です。
崖下に降りたルチルたちの話を、もう1話書いたあとで後半に入りますが、その前に、セプタリアン伯爵やエマがどうなったかを、別視点でお届けします。
あのご老人が登場です……!
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