20話 黄金の御手
眩しい。
熱い。
光が瞼の裏まで突き抜け、視界が明滅する。
耳の奥で、キーン、と甲高い耳鳴りが響く。
指先が炎に炙られたように熱をもった。そして、ズキリと強い痛みが襲う。
「……ルチル!」
歯を食いしばって痛みに耐えて、それが和らぐと、耳鳴りもおさまった。
「ルチル、ルチル!しっかりしろ!」
はっと目を開けると、レンの顔がすぐそばにあった。
何が……起きたの?
「あ、あ、素晴らしい!」
甲高い歓声に視線を向けると、セプタリアン伯爵が金色の花を握りしめていた。
それは、茎の先から花弁まで、光を孕んだような黄金の花だった。
「ほら、もう一本」
エマが廊下の花瓶から花を引き抜き、セプタリアン伯爵に手渡す。
セプタリアン伯爵がそれに触れた瞬間、触れた先から染み込むように金に飲み込まれていく。
両手の花を打ち鳴らせば、カンッと冷たい金属音が響いた。
「……本当に本物の黄金!」
「ああ、純金さ」
触れたものが黄金に変わるなんて、目の前の光景が信じられなかった。
「……なにそれ?」
「ほら、お嬢ちゃんも」
エマがわたしに目を向けて手元を指差す。
「……え?」
エマが笑ったその時、胸の中に抱えていた父の描いた贋作が、ずしりと重くなった。
視線を落とすと、それは眩い光を放つ黄金の板に変わっている。
「━━ っ」
驚いて手を離す。板が膝から滑り落ち、床にごとりと転がった。
……何? なんで? パパの絵が……どうなってるの!?
「ルチル、その指……」
レンの声に、自分の手を見下ろす。
両手の指先から、金色の線が模様を描くように皮膚を這い、細かい粒子がキラキラと輝いていた。
「何これ……?」
擦っても消えない。
それを見たレンが眉をひそめた。
「あ、服には触らないように気をつけな。固まって動けなくなる」
エマに声をかけられて顔を上げる。
「これで、金の問題は解決だな!」
エマが口角を上げて笑う。その笑みは、遊びの延長のように軽かった。人智を超えた事態に背筋に冷たいものが走る
「いったい……わたしに何をしたの?」
「あたしからのプレゼントさ!その手に触れたものが黄金に変わる。そういう魔法を授けてあげた!」
……魔法?
さっきから擦っても消えない指先の金色の模様。
黄金に変わった絵画。
指先にはピリピリとした感覚がまだ残っている。
現実味がなさすぎて、恐怖で体がすくむ。
「それに、負けることはないから安心しな」
エマは言葉を続ける。
「このあたし、迷宮の主がついてるんだから」
その言葉にその場が静まり返る。
……嘘だ。信じられない。
迷宮は竜の神様が人に与える試練だ。
その迷宮の主なら、エマが竜の神様ということになる。
「迷宮の主……本当に!?」
セプタリアン伯爵が震えた声でエマに確認する。
「そうとも、敬え、崇めよ!」
全員がエマを見つめて息を呑む。
「まさか、あの話は本当だったのですか……?!」
セプタリアン伯爵は興奮した声を上げる。
「十六年前にオブシディアン殿下が迷宮を踏破して帰還されたと……!」
十六年前にノースシーの迷宮は閉じたという噂がある。
さっき聞いたオブシディアンの愛称、シアン……その名前をわたしは聞いたことがある。必死に記憶の断片を掘り起こす。
……あれは、わたしが三つの時?
二十歳ぐらいの男の人が銀の人と話していた。銀の人は彼をシアンと呼んでいた。
シアンは迷子になったわたしをあやすように物語を話してくれたんだ。
迷子になった庭は広くて、銀の人の家まですごく遠かった。
彼が道中で話してくれた、友だちと二人で旅して迷宮を踏破した物語。
わたしは、エマに確認する。
「さっき、オブシディアンとは先輩後輩って……」
「ああ、シアンはあたしの後輩だ」
銀色の人がエマで、シアンがオブシディアンなら……。
「……オブシディアンが次代の竜に選ばれた?」
神話では、この世界は複数の竜で形を保っている。そして、世界の終わりに、次の竜に引き継がれ新しい世界が始まる。
迷宮が試練を与えて、次代の竜を選ぶ。
次代の竜は━━
セプタリアン伯爵が声を上げた。
「であれば、オブシディアン王は不老不死だと……!」
「そう、シアンはあたしの後継になったんだよ。ほら、不死身の王に、迷宮の主までいて、負けるわけない」
……そんなのってない。
「おお、なんという事だ!ならばこれは聖戦!大陸統一も夢ではありません!」
セプタリアン伯爵は熱に浮かされ、エマを見つめていた。
わたしは目の前が真っ暗になった気がした。
わたしの敵が、迷宮の主と不老不死の王……。
勝てるわけがない。
戦争を止めることも、オブシディアンを倒して王権を取り戻すことも……全部、無理だ。
絶望が胸の奥で重く沈殿していく。
その時。
「では!エマ様が先頭に立って敵を殲滅してくださいますか?」
レンの鋭く澄んだ声が響いた。
そばにいたレンが一歩前へ出る。
まっすぐにエマを見据えるその瞳は、迷いも怯えもなかった。
「……いや、それは」
レンの問いかけに、なぜかエマが渋る。
「何故ですか? 」
「あたしにも都合があるんだよ」
レンが続けてたずねる。
「それならば、祝福を与えてください。ノースシーの国民のため全員に先ほどのような魔法を授けることもできるはず!」
「それもちょっと……」
また、エマが言い淀む。
そこにセプタリアン伯爵が割って入った。
「貴様、殿下の使用人だろうが、黙っておれ!特別な力を得るのは選ばれた者だ!でしょうエマ様!」
「んーまあ、そんなところだ!」
……つまり、迷宮の主は戦闘には参加しない? 不特定多数に魔法を授けることも無い?
セプタリアン伯爵を無視して、レンはエマだけを見据えていた。
「なんだ、迷宮の主も大したことないんだな!」
レンが挑発するように声を上げる。
「なっ!無礼だぞ!!エマ様、いま黙らせます!!」
セプタリアン伯爵が腕を突き出して突進してくる。レンはそれをひらりとかわし、足を引っかけた。
セプタリアン伯爵はバランスを崩し、そのまま壁に激突し、鈍い音とともに、痛みに唸り声を上げてうずくまった。
レンはセプタリアン伯爵を一瞥して、ラウルに目配せをする。
「ラウル」
「オッケー!」
ラウルが腰から剣を抜く。
レンはポーチに手を入れ、何かを取り出した。
黒鉄の握りを持つ、細長い筒。
それを見た瞬間、胸の奥がざらつく。
知っている。ニーレイクだけが作る、強力な武器。
父がかつて献上品として受け取ったレプリカを見たことがある。しかし、ニーレイクが戦争で使ったということは実際には無い。
……だから、実用化はしてない空想の武器と言われていた。
レンの手に握られていたものは━━ 銃だ。
「あ?」
エマが疑問の声を上げた瞬間、ラウルが斬りかかる。
「お!何、お前やるじゃん!」
甲高い音を立ててエマの腕が剣を受け止めていた。
「うわっ!鉄の棒に打ちこんだみたい!」
後ろに下がったラウルを二人の銀の兵士が襲う。
「レン!?何してるの?」
「ひとつ確かめたいことがある……クオーツ王を殺したのは、エマでもオブシディアンでもない。手を汚したのは、パイライト侯爵だったんだよな」
「え、うん……」
……それが何かあるの?
ラウルは銀の兵士を掻い潜りエマに迫る。
エマは笑いながらその刃をかわし、同じ速さで拳を返す。
「おっと、まだ本気じゃないな……お前、もしかして……」
ラウルがもう一段踏み込み、剣先が風を裂く。エマも応じ、殺気を帯びた拳がラウルに襲いかかる。
━━ その間に、レンが割り込んだ。
「えっ!?レン兄!?」
「レンっ危ない!!」
ラウルとわたしは驚いて声を上げる。
意外なことに一番慌てたのはエマの方だった。
「━━っ?!」
ガンッ。
壁が爆ぜ、亀裂が走る。レンを避けたエマの拳が石壁を粉砕していた。
もし、人に当たっていたら確実に死んでいた。
「ああ、やっぱり」
不敵に笑ったレンがゆっくり銃を構えた。
「迷宮の主は……人を殺せない」
━━ パンッ!
音に驚き、心臓が跳ねる。
銃声が石壁に反響する。
エマがのけぞって膝をついた。
粉がぱらぱらと舞って、エマの顔にヒビが入っているのが見えた。
「今だ、走れ!」
レンがわたしの腕を掴んで強く引く。
「ひとまず、逃げるよ!」
次から次へと信じられない事が起きて、頭が追いつかない。けれど、わたしは立ち上がってレンたちと共に走り出した。
ルチルが大変なことになってますね!
そして、エマについて呼び方がいくつかあってややこしいので補足です。まあ、大雑把に全て神様の呼び方と思って大丈夫です!
竜……竜は複数存在し、絡み合って世界を形作る。迷宮を踏破し、試練を超えた者を次代の竜と呼ぶ。
迷宮……世界を作る時、竜が口を開き、その身は迷宮と化した。次代の竜を選ぶための試練。
迷宮の主……各迷宮に存在する個別存在。今世の竜のこと。人格があり話ができる。本人達がこっちを名乗るため、昔話では迷宮の主の呼称を使う。
竜神……信仰で語られる迷宮の主のこと。 実際の迷宮の主からはだいぶ美化されて伝わっている模様。




