19話 エマ
おもわず声にでてしまって、エマが振り返る。
「ん? お嬢ちゃん?」
エマが絵を見てもう一度わたしの全身をちらりと見やる。
「昔は可愛かったんだな……」
「失礼ね!今も可愛いわよ!」
「うんうん、すくすく大きくなったんだねぇ。んー、なんか見たことあるんだよな、この顔。お嬢ちゃん、ちっちゃい頃にあたしに会ってる?」
……はて?
「さすがに貴女みたいな見た目の派手な人、いくら小さい頃でも覚えてそうだけど……」
「んー、もしかしてこっちの姿でいたかも」
エマがそばに控えていた銀の兵士の鎧を、コツコツと叩く。
全身銀色の人。
……あー、なんか、見た気がする。
銀色の大きな人。
もっと大きくて、いや、わたしが小さかったのか……あれは、お城の庭?
「お嬢ちゃんもあたしも覚えがないなら、シアンに聞いた方が早いか」
シアン。その名前には聞き覚えがある。
カチッと、音を立てて記憶のふたが開いた気がする。
お城の庭で迷子になったとき、誰かが迎えに来た。
その人に連れられて、銀色の大きな人のところへ行き、二人はしばらく話をしていた。
それで、わたしが退屈していると、銀色の人がおもちゃをくれたのだ。
「……お城の庭にいて、動く絵をくれた人?」
「動く絵……? あー、タブレット!!あの時のおチビちゃんか!」
わたしがぼやぼやの記憶を手繰り寄せているうちに、エマが先に思い出したらしい。
……過去、本当にわたしはエマに会っている?
「そっか、シアンのことおじちゃんって呼んでたのは、おっさん呼びじゃなくて普通に伯父と姪なのか」
伯父と姪。シアンはオブシディアンの愛称らしい。
「愛称で呼ぶなんて、愛人という話は本当なのね」
「愛人? シアンの? ……あー別にそういう仲じゃないけど、表向きなんかそういうことになってるんだっけ……実際は先輩後輩みたいなもんだなー。シアンって呼び名はシアンの友だちがそう呼んでたから、そのまま、あたしもそう呼んでるつーか。まあどうでもいいか」
エマは腕を上げて伸びをする。
「あー思い出せてスッキリした!いやーずっと昔のことなら割と覚えてるのに、ここ最近となると思い出せないのなんでかね!」
エマが老人みたいなことを言う。見た目よりも歳がいってるのだろうか?
「これ、上手な絵だね。写真みたいだ」
「パパが描いた絵よ」
「へー、お嬢ちゃんの親父が描いたの。しかもアナログだろ。神絵師ってやつかー!」
しゃしん? あなろぐ?
エマの言葉は時々聞き取れない言葉が混じる。わたしは、これでも外国語にはそこそこ自信があったのにそれでも分からない。
神絵師というのは聞き慣れない言葉だけど、意味はなんとなくわかる。
「そっかそっか、こんなに才能あったのに……こっちの都合で殺させちゃって、ごめんねー」
大人が足元の小さな子どもに軽くぶつかってしまって謝るぐらいの軽さだ。軽い……人の親の命を奪った元凶、そのひとりが何を言っているのか。
わたしが唇をかみしめ、煮えたぎる気持ちを抑えていると別の声が後ろから聞こえた。
「何を集まっているのだ? ん? ああ、クオーツ王の絵を見ていたのですか」
エマと話している間に、廊下の奥から探していたセプタリアン伯爵がやってきた。
わたしたちのもとに近づいたセプタリアン伯爵は父の描いた絵を見て破顔する。
「これは、すこし無理を言って譲っていただいたのです」
セプタリアン伯爵は、父の絵に見惚れるようにうっとりとした表情を浮かべた。
「素晴らしい出来でございます。王でなければ芸で身を立てていたでしょうね。絵の中の少女に今にも触れられそうではありませんか」
モデル本人を前にしていることを、セプタリアン伯爵はどうやら知らないらしい。
描かれているのがわたしなので少し気持ち悪いが、彼の言葉には父への称賛が込められていた。
父の悪行について気づかれたくない。けれど、問題が大きくなってからのほうが、きっと良くないはずだ。
わたしは、意を決して父の悪行をセプタリアン伯爵に告白することにした。
「セプタリアン伯爵!あの、この絵以外の絵画、あの絵とあっち、あれも、それからローベンスは全部、父の描いたものだと知っていましたか?」
「クオーツ王が……? いやいや、殿下なんの冗談ですか?」
やはり、セプタリアン伯爵は知らずに絵画を飾っていたのだ。
ぎゅっと両手を握りしめて、真実を口にする。
「父が詐欺を働いたようで、すべて父の手による贋作なのです」
「は? 贋作? いやいや、そんなはずない」
セプタリアン伯爵の顔には、困惑と驚き、ついで焦りが浮かぶ。
「そんな筈はない!」
大声で怒鳴る。いま、セプタリアン伯爵の頭には、もし本当に偽物だったらという考えがよぎったのだろう。
そこへ、レンの落ち着いた声がかかる。
「裏返してもらえますか?」
視線がレンに集まった。
「それなりに、真贋の見極めについて教育を受けていまして。裏からみれば、支持体の年代や、キャンバスの布の状態で鑑定することができます」
レンの言葉に、セプタリアン伯爵は不安そうな顔をする。
「たしかに……そこのローベンスの絵……本物であれば、三百年前のオーク板になるはずだ……」
目をしばたかせて様子を見守っていたエマが声をあげる。
「よくわかんねーけど、裏返せばいいのか? おい、これおろしてやれ」
エマの命令をうけた銀の兵士が壁の絵をそっと床に下した。
わたしが両手で持てるぐらいの大きさの絵で、青年が描かれた『英雄アジャヤの横顔』という絵だ。
銀の兵が絵を裏返す。
「オークだ!オークの板だ!……殿下!脅かさないでいただきたい!」
安堵の声をあげるセプタリアン伯爵に、わたしはなんと説明していいのかわからない。
わたしには、ただなんとなく父の描いた絵の特徴がわかるのだけど、それをうまく言葉にできない。
じっと絵の裏面を見つめていたレンの金の目が、すうと細められた。
そして、レンがはっきりと口にする。
「これは本物じゃない」
静まり返った中、レンの声がよく通った。
「温暖な気候の南部で育ったオークは成長スピードが早い。だから、木目が大きくなるんだ。一方、北部で育ったオークはゆっくり育つため木目が細かくなる」
皆が見つめる先のオークの板には細かい木目が刻まれていた。
「ローベンスは南の国の画家だ。北部のオーク材が使われるわけがない」
レンの言葉に、セプタリアン伯爵は息をのむ。
「そんな、こ、これが偽物だなんて…!!」
セプタリアン伯爵は息を飲み、目を見開いたまま、よろよろと、絵に近づく。
そっと手を伸ばして絵を持ち上げる。手がわずかに震えていた。
次第に顔がこわばり、額に汗が浮かぶ。
低くうなり声をあげて、瞬間勢いよく絵を持ち上げた。
「こんなゴミクズ!」
セプタリアン伯爵が激高して、絵を床に叩きつけるように投げ捨てた。
「ちょっと!」
わたしは床に膝をついて父が描いた絵を拾い上げる。
その横でセプタリアン伯爵は顔を真っ赤にし、荒い息を吐きながら拳を握りしめている。
ダンダンッ!と床を踏み鳴らす。
「あの狸め!よくもよくも!」
セプタリアン伯爵は唇を震わせ、苛立ちと憤怒に身を震わせた。そしてこちらを睨みつけると、父の絵を抱えたわたしに向かって足を振り上げる。
── ダンッ!!
誰かに掴まれて後ろに引っ張られた。おかげで、わたしは踏みつぶされずにすんだ。
振り返ると赤い髪が見えて、わたしはエマに首もとを掴まれていた。
「あぶないじゃん、おっさん。……それ本物か偽物かってそんな大事なこと?」
「大ごとも大ごとだ!!こんなゴミを!私がいくらで買ったと思うんだ!」
セプタリアン伯爵は頭をかきむしりながら呻く。
「なんてことだっ!他の貴族たちも似たようなもの。私のほかにもクオーツ王から買い取った絵を自慢していたやつらがいる!」
セプタリアン伯爵の取り乱しように、エマは困惑していた。
「えーと、この絵が偽物だとして、おっさんは何をそんなに焦っているんだ?」
「戦争の支度金を払うための資産がこの絵画だったのだ!実際の金はほとんど残ってない!それが私だけではないといえばわかるか!!」
セプタリアン伯爵の一言で、レンたちの推察が当たっていたことがうかがえる。
「ん? もとから貧困だって話だよな? それで隣国と戦争して土地や財が手に入る、あたしは戦いが見れるでみんな丸く収まるってシアンから聞いているんだが……」
「戦争を起こすにも、武器や兵が要る!!鉄は国内の鉱山で賄えるも武器を作る間の食糧費は!? 隣国の軍は強力と聞く。そのために他国とも取引しようとしていたのだ!!賄賂にする金もないのであれば孤立無援!戦に勝てるわけないではないか!!」
エマに向かってセプタリアン伯爵は捲し立てた。
もし、セプタリアン伯爵のいう通り、他の貴族も父の被害にあっているなら、戦争への意欲は落ちる。
なにしろ、戦争準備の金を捻出するのが難しくなる。
貧困が戦争へと駆り立てられているが、極貧がそれどころではなくさせてしまうとは皮肉な話である。
わたしは、内心で胸をなでおろした。
わたしの目的の一つ、戦争を止めることは難しくないように思えた。
しかし、その直後に頭上から降ってきた声の意味が理解できず、思考が止まってしまった。
「あー、ようは金が欲しいってことだよな。でも、鉱山の埋蔵量を増やしたら、戦争してくれないか。うーん、戦争の支度金は確保できて、戦争に踏み切る余裕のなさの塩梅かー」
……鉱山の埋蔵量を増やす?
わたしはエマ振りあおぐ。浅黒い肌に赤い髪。背が高くすらっと長い手足。まるで作り物のように均一に整った美しい面立ちの中心、緑色の目が怪しく輝く。
「どうしようかな。あんまり与えすぎるのも、他の奴、とくに砂漠のあいつは、うるさく言ってきそうだし……」
窓は締め切って、ここには風もないのにエマの赤い髪がゆらゆらと揺れて広がる。
レンがわずかに息をのみ、ラウルの表情が強張った。
なにか、変だ……。
「そっちのおっさんと……」
エマがセプタリアン伯爵を指さす。
あれだけ激高していたセプタリアン伯爵は口を閉じ、冷や汗を流して目を見開く。
不気味で得体のしれないものを前にして震えるように、わたしを含めその場から動けないでいた。
「お嬢ちゃん……」
エマの口元が、嘲笑にも似た歪みを見せた。
緑の目を向けられ、心臓をつかまれたような錯覚に陥る。
畏怖に体がその場に縫い付けられたように動かない。
チカチカとエマの周囲で光が瞬きだす。
「夜が来て沈黙し、昼に命が芽吹くように……あたしの血肉で育った子らよ、さあ祝福を受けな」
エマを覆うように、禍々しい赤橙色の光が煌々と瞬き、廊下の影を濃く歪ませる。
瞬間、わたしの目の前はまばゆい光に塗りつぶされた。




