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1話 見捨てられた王女

 ノースシー国の第二王女であるルチルは豊かで贅沢に暮らしていた。


 鉱山から金銀財宝が出土するノースシーはお金持ちの国だった。

 幼子のころは金貨をおはじき代わりに遊び、宝石を砕いて絵を描き、毎年ドレスやアクセサリーは数えきれないほど新調されて、お城には著名な絵画や美術品が所狭しと飾られていた。

 わたしが生まれた時から十四年の歳月は、まさに黄金時代であった。


 それが、あの女が現れてからおかしくなった。


 王弟オブシディアンの愛人エマだ。

 何処から来たのか誰も知らない。彼女は銀の鎧の兵士を引き連れてオブシディアンの居城に住み着いた。また貴族の中にはオブシディアン側についた者たちもいた。その一人がパイライト侯爵であった。


 ある冬の日、城に突如として炎が上がった。

 窓の外に見えた煙が黒々と空に向かって立ち上る。

 避難をしなければと部屋を出ようとしたとき、扉がけたたましい音を立てて開かれ、銀色の甲冑に身を包んだ兵士が押し入ってきた。状況が掴めないまま、わたしは問答無用で腕を掴まれ拘束された。


 兵士達の荒々しい足音と、遠くで聞こえる喧騒。その中で、耳を疑うような会話が聞こえてきた。


「パイライト侯爵が国王陛下を討ち取っただと?」

「ああ、王妃様とガーネット王女は逃げたらしいぜ」


 彼らの言葉を、頭が理解を拒む。


 突然のことに、理解が追いつかない。現実が受け入れられず、視界が絶望に塗りつぶされる。


 世界がひっくり返ったみたいだった。

 目の前で起きているなにもかも、聞こえる言葉も、何も信じられなかった。ただ、冷たい手枷の感触と、薄暗い空から雪が降っている気配だけがやけに鮮明だった。


 ……パパが死んだ? パイライト侯爵に? 嘘だ。


 こんなのは悪い夢だと思いたい。でも、誰も否定しなかった。


 ……お姉ちゃんとママが逃げた? どこに? どうして? わたしを置いて?


 息ができない。心臓がぎゅっと掴まれたみたいに苦しくて、震えが走る。今さっきまであった幸せが、一瞬で粉々に壊れた音がした。現実だと理解した瞬間、全身の震えが止まらなかった。王城の一室に閉じ込められて、わたしはどうしてどうしてと泣いた。どうして父が殺されたのか。母と姉が逃げるのにどうしてわたしも連れて行ってくれなかったのか。


 ……わたしは、ひとり見捨てられたんだ。


 軟禁の生活に不自由はなかった。けれど、深い悲しみと絶望がわたしに追い打ちをかけた。

 普段なら笑顔で献身的に世話をしてくれるはずのメイドたちは、皆、わたしの目を見ようとしなかった。彼女たちはまるで、わたしを腫れ物みたいに扱った。サッと視線を逸らしては、用事を済ませて足早に部屋を通り過ぎていく。

 見張りの兵士達も、わたしの問いかけには一切答えず、まるでそこに存在しないかのように無言であった。城の中の誰もが、わたしから距離を置こうとしているのが肌で感じられた。

 わたしは膝を抱え、ただ泣くことしかできなかった。


 

 数日後、わたしの前に、オブシディアンの愛人エマが現れた。

 雪国のノースシーには不似合いな浅黒い肌に赤い髪の女性であった。女騎士のような引き締まった体格で背が高い。目鼻立ちが整ってまるで作り物のような美しい面立ちをしている。

 緑色の目をわたしに向けてエマが言い放った。


「結婚おめでとう、お嬢ちゃん。あんたの嫁ぎ先が決まったよ」

「……けっこん?」


 ……なにを言ってるの、この人? 


 エマがニタニタと笑いながら言葉を続ける。


「そう、結婚。パイライト侯爵が、あんたを嫁に欲しいってよ。物好きだよなぁ、あのジジイ。ま、王家の血筋ってだけでありがたがってんのかもね」

「……どうして?」

「あたしらに金出して王様を殺してくれた見返り。お嬢ちゃん十四だっけ? うわっ趣味が悪い男もいるもんだ。この国では女は幼くても結婚できるんだってね。よかったねえ。ほんっと、運がいいよなぁ? ふつーだったら政変が起きた時点で、前王の血筋なんて全員首チョンパだろ。ギロチンか、絞首台か。どっちがよかった? でもまあ、ジジイの世話でもしてりゃ、そのうちくたばるだろ。そうしたら自由だ。数年の辛抱、楽なもんだよな? ねえ、お嬢ちゃん。あ、そういや思い出した。前に隣の国の王子様から縁談がきて断ったんだって? ぷっ、マジでバカじゃん。選り好みしてねーで、さっさと嫁いでりゃ、こんな目に遭わずに済んだのによ。ほんと、世間知らずの箱入りってバカだねぇ」

 

 エマはケタケタと下品に笑いながら部屋を出て行った。


 わたしは、伯父であるオブシディアンに愛人がいることは知っていたが、その相手がどんな人物かまでは知らなかった。

 母がかつて、銀の鎧をまとった兵士を引き連れてオブシディアンの城に出入りしている女がいると愚痴をこぼしたことを思い出す。実際に顔を合わせたのはこれが初めてだった。


 言葉使いや振る舞いからして、貴族ではなく、明らかに平民のそれだった。あの女は、わたしをあからさまに見下すような態度を取った。彼女の笑い声が耳に焼き付いて離れない。

 父は殺され、母と姉はどこかへ逃げていった。誰も迎えに来ない。誰も助けに来ない。

 そんな中で、わたしの未来を鼻で笑いながら奪う女の声だけが、この世界のすべてみたいに響いていた。


 顔も知らない老人に嫁がされる。命が助かっただけマシだと、そう言われた。

 これは生き延びたんじゃない。ただ、死んでないだけ。

 何もかもを失って、さらに父の仇の慰み者にされる現実に、わたしの心がぽきりと折れた気がした。


 ……もういっそのこと死んでしまいたい。



 冬の悪路を輿入れの馬車が進む。

 王都を発ったその馬車は、隣国ニーレイクに接するパイライト領を目指した。凍え死ぬような寒さは去ったものの、道にはまだ雪が残り、車輪は何度も跳ねて大きく揺れた。

 わたしは毛皮のコートに厚手の襟巻きを身につけ、できるだけ暖かい服装で身を固めていたが、それでも寒さは容赦なく体に染み込んでくる。

 馬車そのものは贅沢な造りだったが、暖炉もない空間で長時間を過ごすことは、わたしにとって初めての経験だった。

 カーテンをめくると車窓の外には、騎士たちが馬に乗って並走するのが見えた。その姿は、逃げられない現実を突きつけられているようだった。

 

 およそ二十日をかけて、パイライト領に入った。目的地の侯爵の屋敷までは、あと数日の道のりである。地図で見た限りでは山道を越え、川を渡った先にその居城があると聞いていた。


 そのとき、異変が起きた。


 どん、と馬車が大きく揺れ、わたしは思わず座席から転げ落ちた。何があったのかと車窓にすがりつく。雪解けの湿った大地が、まるで水面のようにうねっているのが見えた。


 様子を見てきます。そう言って同乗していたメイドが外に出ていく。

 次の瞬間、地面を突き破って現れたのは、信じられないほど巨大な生物だった。真っ白な蛇を何百倍にも膨れ上がらせたような、異形の魔物。鱗の生えた身体に環のような節が幾重にも続いている。


「魔物だ!! 戦闘態勢!!」


 外から怒号が響く。剣を抜き、暴れる馬を抑えながら勇敢に魔物に立ち向かう騎士たちの姿が目に映った。しかし、敵はあまりにも巨大だった。魔物は体をくねらせ、一瞬で先ほど叫んでいた騎士の一人を丸呑みにした。悲鳴が耳を裂き、恐怖で体が凍りつく。


 外に出ていたメイドが、わたしのことなど見向きもせず、一目散に森に逃げていくのが見えた。


「え、そんな、置いてかれた…!」


 信じられない。何かの間違いだ、と、思いたい。けれど、彼女の背中は容赦なく遠ざかってしまった。忠義などあったものではない。それどころか、わたしの存在など、彼女にとって邪魔でしかないと告げているようだった。


 わたしも逃げなければと扉に手をかける。その瞬間、馬車が大きく揺れた。魔物が激しく動き近くの土が波のように盛り上がる。馬が嘶く音が聞こえ、車体が大きく傾く。ガシャン!!

 馬車が横転した衝撃で壁にたたきつけられ、痛みで一瞬視界が白く霞む。

 上を見上げると、割れた車窓の隙間から白く曇った空が見え、視界の端を魔物の体が横切る。御者台のあたりに魔物の口が迫っていた。御者の姿は見えず、代わりに赤い液体がぱっと散ったのが見えた。


 ……逃げなきゃ。死ぬ。ここで、喰われる。


 呼吸が乱れて、心臓がどくどくと鳴る音を聞く。

 あはは……おかしい。わたしは、父の仇のもとに嫁がされるぐらいなら死んだほうがマシだと思っていた。慰め者にされるぐらいなら、自ら命を絶とうかと、道中に何度も思ったはずだった。


 それなのに。


 「……死にたくない」


 喉の奥から漏れたのは、情けなくて、でも紛れもなく本音だった。

 惨めでも、みっとなくても、生きたい。

 絶望に心が折れ、孤独に打ちのめされて、それでもまだ……わたしは、生きたい。

 

 わたしはよろめきながら立ち上がり、頭上にある扉に手を伸ばすが開かない。扉についた割れた窓に目を向けた。指先に力を込め、残ったガラスの破片を押し出すようにして砕き、急いで取り除く。幸いにも分厚い皮の手袋をしていたため、手を切らずに済んだ。


 窓枠に両手をかけ、馬車の外へとよじ登ろうとする。しかし、体がうまく持ち上がらない。焦りが心をかき乱し、手足の動きまで鈍らせる。

 外からは、騎士たちの絶叫や悲鳴が響き、ますます恐怖が募った。


 そのとき、馬車のすぐ側から、低く抑えた男の声が聞こえた。


「……おい、中にいるのはルチル王女か?」


 はっとして声のする方へ顔を向ける。


「……ここよ! 助けて!」


「シッ、声がでかい。いいか、絶対に物音を立てるな。声も出すな」


 静かに、低く、でも鋭い声音。

 その声に、従い口を押さえて息をひそめた。


 騎士たちの声が次第に遠のいていく。金属がぶつかる音、誰かの怒鳴り声、悲鳴。それらが断片的に聞こえて、やがて消えた。あとはズルズルと何かが地面を這う、不気味な音だけが聞こえた。


 怖い。どうすればいいの。動けない。

 外に出れば襲われるかもしれないし、このままじっとしていても、見つかれば終わりだ。


 さっき、わたしを呼んだ男の人は……まだ生きているの? それとも――


 不意に、馬車の上から、魔物が姿を現した。大きな口を開けたそれは、目も鼻もない。ただ、歯だけが、ずらりと恐ろしいほど規則的に並んでいた。生理的な嫌悪がこみあげてくる。悲鳴を上げそうになったが、必死に口を押さえた。


 恐ろしい口が、少しずつ、窓に近づいてくる。体がすくんで動けない。息もできない。


 ──パンッ!


 小さな破裂音が聞こえた。少し離れた場所で何かが弾けたような乾いた音。魔物の頭が、そちらに向いた。

 わたしはじっと、さらに息を殺した。


 ──パンッ! パンッ!


 また聞こえた。今度はさっきより遠く。魔物がその音を追うように移動し、ズリズリという這う音も遠ざかっていった。


 代わりに、窓から人の顔がのぞいた。騎士ではない。若い男だ。指を口にあてて「静かに」と合図してくる。わたしはこくりと頷いた。


(今のうち……)


 男の唇が声を出さずに動き、手が差し出される。わたしはその手を掴み、体を引き上げられた。馬車の外に出ると、彼以外の人影はなかった。木々の向こうでは、あの魔物がまだうろうろと何かを探している。


 わたしたちは静かに、音を立てずにその場を離れた。


 男に手を引かれて道を外れ、森の奥へと進む。言葉はない。ところどころに雪の残る地面を踏みしめ、必死に足を動かした。ふいに視界が開けて沢の流れが見えた。雪解けの水が轟々と音を立てている。


「これだけ離れたら、大丈夫か……。ノースシーの魔物のことはあまり知らないが、あれはウネウネだな。なら、出現した穴が塞がるまで、地下から別の魔物が湧くかもしれない。まったく、こんな国境近くで……。あーあ、成り行きで助けてしまったが、そこまでの金はもらってないんだよなぁ」


 男は、わたしには目もくれず、ひとりごとのようにぼやいている。


「……助けてくれてありがとう。それで、あなたは……誰ですか?」


 わたしはようやく声を出し、彼と向き合った。身長は平均より少し高いくらい。年齢は……成人しているかどうか、微妙なところ。平民と思わる服装に刺繍の模様が目立つ頭巾を巻き、そこからのぞく髪は黒い。何より印象的だったのは、その瞳だ。金色にきらめくその目に、わたしが映っていた。


「私のことはレンって呼んでくれ。隣国一の大店商人の孫ってところさ」

「レン……商人なの?」


 レンは、猫のように目を細めて、ニッと笑った。


初めまして、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


これからルチルとレンがどんな騒動を巻き起こしていくのか、どうぞご期待ください。

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