第五話 湖の光、勝者の影
あらすじ
長野家との戦いに勝利した六角義仲。
しかし、焼け落ちた城と人々の悲鳴を前に、彼の胸に残ったのは「勝利の虚しさ」だった。
戦場で失われた理想、そして過去に誓った“生かす勝利”――
青年期の記憶が、静かに義仲の心をよみがえらせる。
五話 長野家攻め ― 雨の野洲川
永禄元年(1558)夏。
浅井との戦が終わって、息をつく間もなかった。
今度は東の長野家が動いたという。
……ほんと、戦国の世ってやつは休む暇がない。
観音寺城の作戦会議で、重臣たちが口々に言い合っていた。
「長野は浅井の敗を見て、六角の勢が弱ったと思うておる!」
「先に叩けば、野洲の地を安定させられましょう!」
俺は黙って聞いていたが、やがて口を開いた。
「……わかった。長野を討つ。ただし、やり方は考える。」
青地信孝が苦笑した。
「若殿、また“義”ですかな。」
「そうだ。戦って勝つことよりも、どう勝つかだ。」
出陣
出陣の朝。
霧が濃くて、野洲川の向こうが白く霞んで見えた。
鉄砲の火薬の匂いが湿った空気に混じる。
俺は兜の緒を締めながら、心の中でつぶやいた。
「これが終われば、しばらくは静かになるだろうか。」
先鋒は布施清秀。
俺はそのすぐ後ろに控えた。
浅井との戦で学んだ。――勢い任せは駄目だ。
敵を観て、流れを読むことが大事だ。
長野勢は野洲川沿いに陣を張っていた。
守りが堅い。しかも川の増水で、こちらの足場が悪い。
普通なら攻め時じゃない。
けれど、相手もこちらが来るとは思ってない。
「やるなら今しかないな。」
野洲川の戦
夜明けと同時に太鼓が鳴った。
川霧が晴れぬうちに突撃。
布施勢が矢を放ち、青地の騎馬が側面を突いた。
俺も槍を構えて前へ出た。
「六角の義、ここにあり!」
叫ぶと同時に、槍の先が敵の鎧を突き破る。
血の感触。腕に伝わる重さ。
何度経験しても慣れない。だが、迷いはなかった。
「引くな! 一歩でも前へ!」
泥と血が混じって、足元が滑る。
それでも進む。
布施の兵が橋を奪い、敵の本陣が崩れた。
長野家の旗が倒れた瞬間、
空が割れるように雷が鳴った。
――まるで、天が見ているようだった。
戦のあと
戦が終わると、野に煙が立ちこめた。
焦げた草の匂い。倒れた兵。
勝ったのに、胸の奥がざわつく。
青地が笑って肩を叩いてきた。
「若殿、見事な采配でしたな! もう立派な将ですぞ。」
「……勝てば、それでいいのか?」
青地が一瞬黙った。
「勝たねば、守るものも守れませぬ。殿もそう申されるでしょう。」
「……ああ、わかってるさ。」
空を見上げた。雲の切れ間から、陽が差していた。
野洲川の水が光る。
俺は槍を地に突き立てて、息をついた。
「いつか、この槍を使わずに済む日が来るだろうか。」
捕らえられた長野業盛
夕刻。
布施清秀が駆け込んできた。
「義仲様、敵将・長野業盛、捕らえました!」
「生きているのか。」
「はっ。深手を負っておりますが、まだ息がございます。」
「……会わせてくれ。」
敵陣の残骸の中、
縄で縛られた業盛が座っていた。
まだ若い。だが、眼はまっすぐだった。
こちらを睨むでもなく、静かに見据えてくる。
「六角の若殿、鈴木義仲とか申したな。」
「ああ、俺だ。」
「……見事な采配だった。だが、俺の家は滅んだ。」
「俺も家を継ぐ身だ。守りたい気持ちはわかる。」
「なら、なぜ攻めた。俺はただ、浅井に備えて動いたまでだ。」
「だが、お前が兵を挙げた時、領民が巻き込まれた。」
業盛は小さく笑った。
「戦国の世で、誰が無傷でいられる?」
「……それでも、誰かが止めねば終わらんだろ。」
沈黙。
雨の音だけが響く。
俺はふと、父の言葉を思い出した。
『仲よ。義は刃ではなく、人の心を正すものだ。
だが、その心を折らねば救えぬ時もある。』
あの声が、まだ胸の奥に残っている。
義の裁き
「長野業盛。お前の命、俺が決める。」
業盛は顔を上げた。
「斬るがいい。俺の首を晒せば、六角の威も立つ。」
「……いや、斬らん。」
「何?」
「お前の首を取っても、野洲の怨みは消えん。
それより、生きて見せろ。
家を、民を、もう一度立て直せ。」
業盛は一瞬、言葉を失ったようだった。
そして、かすかに笑った。
「若いな。だが――その若さ、嫌いじゃない。」
「俺は六角義仲だ。理想で終わるつもりはない。」
「……なら、俺も応えよう。」
その言葉に、雨音がやんだ気がした。
回想 ― 父の影
その夜、野営の焚火の前で筆を取った。
濡れた紙に墨がにじむ。
書くというより、刻むように。
「父上。
俺は今日、敵を赦した。
正しかったのかはわからない。
けれど、“義”を信じた。
いつか俺のこの手が、殺すためではなく、救うために動く日を――。」
紙が雨に濡れて、文字が滲む。
それでも、書き続けた。
余波
長野家は降伏。
一部の家臣は六角家に臣従したが、恨みを捨てきれぬ者もいた。
その日の夜、布施清秀が報告に来た。
「義仲様、長野の残党が甲賀へ逃れたとのこと。」
「甲賀……また厄介な場所だな。」
このときの“逃げた者たち”が、のちの北畠方の動きに繋がるとは、
その時はまだ知らなかった。
義の覚え書き
観音寺城に戻り、筆を取る。
戦の報告書ではなく、自分の心の整理のために。
「勝っても痛む。
だが、戦わねば守れぬ。
それでも俺は、義を見失わぬ。」
墨が滲んで、文字が歪む。
だが、その歪みも俺の“戦の跡”だと思えた。
作者メモ
長野家との戦いは、六角義仲にとって「理想と現実の分かれ目」。
血で勝ち取ったこの戦いのあと、彼は次の一歩を探し始めます。
次話――「織田信長との邂逅」
理想と野望が交わる、運命の出会いが描かれます。
何ヶ月1、2回か週に何回になろうと思いますが再開していきます!。




