第18話 灯の下でー近江の重臣、その本音ー
第18話 灯の下で ―近江の重臣、その本音―
夜半。
観音寺城の奥、普段は使われぬ小広間に、低い灯りがともっていた。
外では琵琶湖から吹き上げる冬の余韻を含んだ風が吹き、廊下の障子がかすかに鳴る。
城の堅牢な石垣を震わせる風の音に混じり、遠くで夜番の足音が響くが、この部屋に流れる重苦しい沈黙を破るには至らない。
集まっているのは、当主・義仲を支える近江の柱石たちだ。だがそこに、主君の姿はない。
「……こうして集まるのも、久しいな
元服や当主の就任式以来だな。」
静寂を破ったのは、**進藤賢盛**だった。
六角氏の最高位である「宿老」を務め、代々行政を司る名門の長。白髪の混じった眉を寄せ、手元の酒杯を見つめるその姿には、家中を束ねる老練さと、時代の奔流に抗う疲れが滲んでいた。六角氏の運命どうするかを悩んでいるのだ
「殿の前では、言えぬことがある。……いや、殿を想うがゆえに飲み込んでいる言葉があるだから我ら直臣が話し合い会って解決しようぞ」
賢盛が酒を一口含むと、その言葉を合図に、座にいた男たちがわずかに身を乗り出した。酒を一口含んでから話していく
猛る刃:望月吉政
「では、俺から言う殿には覚悟して頂きたい」
真っ先に声を上げたのは、望月吉政だ。
彼は「甲賀五十三家」の筆頭格であり、六角氏の下で軍事や諜報を担う**地侍**の代表だ。武士としての格式を持ちながら、忍びの術にも通じる実利主義者。六角氏を裏から表から支えている縁の力持ちだ
「殿は、待ちすぎだ。官位を受けぬのも、織田と盟約を急がぬのも道理は分かる。だが、時は我らを待ってはくれん。三好は沈黙の中に牙を隠し、尾張の信長は今まさに美濃を飲み込もうとしている。このままでは、殿が『決断できぬ遅れた当主』と見なされる。織田家や三好家から見下られる可能性もある
それは近江の死を意味するのだ」
望月の鋭い眼光が灯りに照らされ、獣のような凄みを放つ。彼ら地侍にとって、当主の判断の遅れは、自分たちの土地が蹂躙される直死の危機だった。 それは自身の責任と家の命に関わるものだ
静かなる懐刀:後藤高治
「それでも、殿は正しい。我ら後藤の家は、かつて六角に背いたこともある身だが……今後藤家としては殿のおかげで居られておる事もある」
淡々と言ったのは、後藤高治だ。
後藤氏は「六角氏の両翼」と称される有力な**国人衆**であり、かつては家督争い(後藤騒動)を引き起こすほどの独立性を誇った。今は義仲の器量に惚れ込み、実務派として彼を支えている。家督争いの際に義仲が味方になり庇護にしてもらった仲である
「受ければ朝廷の鎖に縛られ、動けば織田の戦火に民を投じる。殿は、それを分かった上で『止まる』という戦いをしておられる。……殿は、国の終わりを誰よりも近くで見ておられるのだ。短慮な開戦こそ、名門六角の血を絶やす毒となろう」
忠義の揺らぎ:三上定直
「……だが、殿はあまりに一人だ我ら側近が力添えして行かないといけないと思いまする。」
ぽつりと呟いたのは、三上定直。
義仲に近い側近であり、実直な性格から家中の調整役を担う中堅の将だ。当主なる前からの側近で義仲方の筆頭だ
「昼は城下を歩いて民の嘆きを聞き、夜は使者たちの毒にまみれた書状を読み漁る。戻られた殿の背中は、見るに忍びないほど重い。……俺たちは殿に『決めろ』と迫るが、その決断の果てに待つ地獄を、どれほど肩代わりできているのか。俺には、自分が卑怯な者に思えてならん」
三上は畳の目を強く指でなぞった。その指先が、わずかに震えている。心で力無く震えてるのだと感じてるのかと
誇り高き大黒柱:蒲生賢秀
「殿は、我らを信じておられる。……いや、信じすぎておられるのだ」
最後に口を開いたのは、蒲生賢秀。
近江・日野城主であり、六角家中で最も強固な軍事力と忠誠心を持つ有力臣下だ。後に天下を狙う蒲生氏郷の父でもある。
「我らが勝手に暴れ、織田や朝廷を刺激せぬと信じておられるからこそ、殿は一人で泥を被り、時間を稼いでおられる。だがな、宿老。信じられるというのは、時に刃よりも鋭く身を刻む。俺たちは、殿の信頼に応えているのか、それともその信頼に甘え、重荷を押し付けているだけなのか」
賢秀の重厚な声が、小広間の天井に響く。
灯りの影が、それぞれの顔に深く、濃く落ちた。
沈黙の夜
進藤賢盛は、空になった酒杯を見つめ、ゆっくりと皆を見回した。
「……やめよ。これ以上は、忠義の道を踏み外す。殿はすでに、我らには見えぬ戦場で戦っておられるのだ。剣ではなく、決断の重さと、時間という名の怪物とだ」
賢盛は立ち上がり、琵琶湖の見える窓をわずかに開けた。
冷たい風が入り込み、行灯の火が激しく踊る。
「我らが成すべきは、殿を急かすことではない。殿がどちらへ歩み出そうとも、その足元が崩れぬよう、黙って土台となること。……それが、六角に仕える者の意地ではないか」
誰も、すぐには答えなかった。
夜の闇の中、それぞれが思っている。
殿は正しい。だが、苦しい。
この国はまだ保っている。だが、永遠ではない。
その夜の言葉は、義仲には届かない。届かせてはならない。
だが、城のどこかで――。
義仲は一人、この夜の風を同じ重さで受け止めている。
家臣たちはその気配を感じながら、夜が明けるのをただ静かに待った。
第18話 後書き
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
第18話は、本作始まって以来の試みとして、主人公・義仲を一度も画面に出さず、家臣たちだけの密談を描きました。作者としては、実はこれ、かなり**「書きたかったけれど、書くのが怖かった回」**でもあります。
Web小説では主人公の無双が見たいという声も多い中で、あえて「当主不在」にする。けれど、義仲がいないからこそ、部屋の中に彼の**「影」**がより大きく、濃く落ちている……。そんな空気感を目指しました。
正直に告白すると、書いている最中、僕自身も彼らと一緒に悩んでしまいました。
特に望月の「殿は待ちすぎだ」という言葉。作者である僕が一番「早く義仲を暴れさせてやりたい!」と思っているのかもしれません(笑)。でも、戦国時代の「当主」という重責は、ただ剣を振るうこと以上に、**「何もしないという選択」**に命を削るものだと思うんです。
かつての「後藤騒動」のような内紛の火種を抱えながら、バラバラな家臣たちを「信じる」という一点だけで繋ぎ止めている義仲。その「静かな戦い」を、家臣たちの戸惑いや焦燥感を通して少しでも共有してもらえたら嬉しいです。
「忠義」って、ただ命令に従うことじゃないですよね。
「この人の決断なら、泥舟でも一緒に沈んでやる」
そう思えるまでの葛藤。泥臭くて、青臭い彼らの本音。
書き終えてみて、僕自身、改めてこの家臣たちのことが大好きになりました。
次回、この「夜の残り香」を抱えたまま、物語は再び大きく動き出します。
義仲がこの家臣たちの「本音の気配」をどう受け止め、どんな顔で彼らの前に現れるのか。
静かな夜が明け、近江にどんな陽が昇るのか。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです!




