【第一章】逆らえない実況者と過激なファンダム(1)
プロローグだけではなく、本編まで読もうとしてくださるなんて!
本当にありがとうございます!
「えぇええええええっ! 噓でしょぉおおおおーっ⁉」
絶対にばれちゃいけない姿のまま、誰かに見られてしまった。
しかもそれだけじゃなく、突然ベッド下から人の手と推定される何かまで飛び出して、俺の両足をぐっと捕まえたのだ。
「ひゃんっ!」
びっくりしすぎて、思わずライブ配信の時のトーンで悲鳴を上げた。
「えっ⁉ ほ、本当に本人ですか? 嘘……じゃない? でも、なぜ男性……?」
足元を包んでいたシャツの上からもはっきりと感じ取れる十本の指の感触に俺が当惑していると、下から何かがすさまじい勢いでこっちに飛び込んできた。
ラズベリーの香りをまとっていたそれは、やがてベッド上を素早かに占領した。
そうやって俺のベッドを占めた生き物の正体は、ふわふわしそうだった茶色の大きな毛玉だった。
目を疑わせる奇妙な格好はそれだけじゃなくて、毛玉の頭だと推定される方には猫耳と似てる何かまでつけている。
全般的にとって野生動物、って感じがした。
その草深い熱帯雨林を連想させる毛玉の奥の方をチラッとのぞいてみると、まるで夜に出会った獣のように、テカテカと光ってる双眼が俺を待っていた。
「……いや、そんなことはともかく! 会いたかったよぉおーっ!」
俺と毛玉、互の目と目がすれ違うように会ったとたん、あっという間に俺へと近づいてきた毛玉の瞳に映られたのは、俺を襲ってくる特異な形のショルダーバッグだった。
やがてそれ、文字一つも書かれてない無刻印のキーボードのようにカスタマイズしたショルダーバッグは、俺の肩を越して背中をあっさりと打った。
メカニカルキーボード特有の軽快なタイピング音を鳴り響きながら。
「へぇ……本当に男なんだ! ねぇねぇ、ユキねぇ! あたし、CPですよ、CP! ユキねぇの女性ファンダムとして名高いキャットの一員なんですよぉー!」
そのまま俺に抱き着いてきた毛玉は、何かに興味を持った子犬の鼻のごとく、自らの鼻を猛烈にピクピクしながら俺の首筋の匂いを嗅ぎ始めた。
一旦冷静になって茶色の毛玉をよく観察してみると、それは紛れもなく女の子だった。
しかもこいつ、女性ゲーム実況者として名を知らした「ユキ(俺)」のことを、女性ながらも溺愛してくれる過激なファンダムで名高いあのCPの内のC、キャットの一員だったのだ。
「ライブ配信の時より髪は短くなっていらっしゃるんですが、今のがもっとサラサラ感がしていてさらに素敵です! 特にその、けしからんほどつやつやしてる肌は生まれつきのものなんですか? それとも何らかの特別なお手入れでも? へぇーなにこれ? マジやばじゃん! ほっぺた超ぷにぷにしてるし。この感触……もしくは餅なんじゃ……? めっちゃおいしそー!」
今になっては昔の話だが、短い間で不可能に近いほど多すぎるリスナー数を得た俺の配信のことを「身売って商売してる女」と罵倒してた数十名のアンチファンたちを、CPの子たちが引きずり込んで冷蔵倉庫の中に閉じ込めた事件があった。
もちろん、社会的に大きな騒ぎを起こしたことに対して、俺はその代表として被害者の方々に謝罪した。
そしたらCPの連中は「ユキねぇ様! 何であんな奴らに謝るんですかっ! 悪いのは全部あいつらなのに! あ~あ、あそこで皆、凍死すれば良かったのに」って反省もせず、ネットニュースに逆ギレのコメントまで残したのだ。
「っていうか、どうして女のふりまでしてライブ配信をやってたんですか? そもそもこんな愛らしい姿をして本当に男……? ねぇねぇ、ユキねぇ、なんで? ね、何故あたしたちをだましたんですか? マジ、あり得ないんですけど。今までユキねぇと直接会えるためにあたし、必死で頑張ったのに……」
それほど過激なCPの一員が今、俺の前に立って変なオーラまで出して何かをぶつぶつ言っていた。
「あなた、ひどい」
さっきまでは俺のほっぺたにくっついて物凄く甘えてた少女の目つきは、その冷たい言葉と同時に一瞬で変わってしまった。
そして俺から徐々に遠ざかっていったその毛玉は、バッグの中から光って見える金属の何かを取って、俺の腹を突くような勢いでそれを差し出した。ま、まさか……包丁⁉
……そうだな。
およそ八年以上もだましていたんだもんなぁ。こいつにとっては当たり前な動機なわけだ。
だから、覚悟を決めよう。
どうせ死ぬことって、借金まみれになった八歳のあの頃からとっくに覚悟済みだったはずだ。
これを受け取れば、今の今まで詐欺に等しい行為をしてきた俺に何も知らず金まで支援してくれたファンの人たちに対しての、せめてもの罪滅ぼしになるのかもしれないしな。
あぁ……これでやっと、この罪悪感から解放されるんだ。
「今までだまし続けてごめんな! せ、せめて痛くないように一瞬で殺してッ」
「見てくださいよ、これ! ユキねぇとあたしとの未来を描いたこの本、「未来計画書」を! お陰様で六割以上を修正せざるを得なくなったじゃないですかっ! これからあたしの人生はっ! 一生懸命勉強して、トラウマも克服して、やがて偉大な科学者にもなって! iPS細胞を研究して誰だって同性間で子作りできるような実用化を実現し、ユキねぇとの幸せな結婚生活を送る予定だったのに……あーぁ、こんなんじゃこれからはどうすれば……って、あれ? そもそもユキねぇが最初から男の人なら何も問題ないんじゃ……」
「……は? こ、子作り?」
「えっ? はい、子作りですよ」
死を目前にしてビビったあまりに首をすくめていた俺と、興奮しすぎて文字通りの口角泡を飛ばしていた毛玉の少女。
二人はしばし、ただ互いの顔を見つめた。
チクタク、チクタク。
古い目覚まし時計の安っぽい秒針の音だけが部屋中に流れる。
……空気が重い。
「……うへへ」
凡そ実況者たるものは四六時中、一人でしゃべることに特化した人たちである。
この人種は、総じてこんな重い雰囲気に耐えられる種族ではない。
どうにかしてでも、その場の空気をより良い方に変えたがって欲しがる生き物なんだ。
それができないと、リスナー数0名でなかなか増えない初期の頃からとっくに深刻な精神病を病んでしまうことになる。
誰も返事してくれない部屋の中で、たった一人でずっとしゃべり続けるのって、想像以上に苦しい自傷行為だから。
故にこの雰囲気を変えるため、俺は突き刺されたように渡された本に手を出した。
「これ、読んでもいい?」
「え? あ……は、はいっ! 是非とも読んでください、ぜひッ」
さて、許可も得たものだし。
俺は気まずい雰囲気から逃げるために、ほぼ分厚い法典のサイズだったこれ、「未来計画書」を敢えて読もうことにした。
「ほぉ……うん……はぁ?」
だが、最初から度が過ぎるほど多くの設定と世界観の羅列が目を狂わせた。およそ三十ページくらいめくらないと本題すら始まらないほど、結構ひどい状態だったのだ。
まぁ、そこまでは百歩譲ってありなんじゃないか、って言える程度なのかもしれない。
その分だけ作者の気持ちが込められている作品ってことにもなるし。
「はぁああああああーっ⁉」
しかし、ちょうど開いた本文の小見出しが「七十二時間のライブ配信! 選ばれた百人のファンの子たちとの一対百の鬼ごっこ。 捕まえたらユキねぇを好き勝手にできるぞ!」だったので、俺はすぐ部屋の隅っこに向かって本を投げ捨てるしかなかった。
「はぁ⁉ なっ、ななな……何をするんですかっ⁉ ああーもぉ……本に傷が……」
もちろん「未来計画書」を開く前からこうなっているだろうとは予想していた。
別に今更、内容が過激なことくらいで驚いたりしない。
俺がびっくりしたのはそこじゃなく、「七十二時間のライブ配信」という致命的な有害文章の方だった。
いつも俺を応援してくれる約一千万人の前で、三日連続で女のふりをしながらだまし続けなきゃいけないって……罪悪感に苛まれたまま死ねっていうのと同じなものだ。
やはりCPはその存在自体でも危なすぎる。
一人でもこんな破壊力なのに、もし他のCP達にも正体がばれたら……。
命より先に精神的に死んでしまうんだろうなぁ、きっと。
早く何とかしなければ。
「えっと……あのさ」
「あ、はい」
「俺の住む場所なんだけど、どうやって知ったの? すごいね」
聞くまでもなく、とびっきりの危険な質問だったので、俺はあえて何気ないふりをしながらこいつに聞いてみた。
もしかしたらこれで、自分を犯罪者扱いしたとブチ切れて八つ当たりのつもりでユキの正体を皆に暴こうとでもしたら……何もかもがTHE ENDになるだろうけど。
でも今後のためにでも、これだけは必ずしも聞いておくべきことだった。
「えへへ……ユキねぇと直接会いたくてあたし、精一杯頑張ったんですよ?」
幸いに未来計画書を抱いていた毛玉の少女は、それらには大して気にしなさそうな顔で話を続いてくれた。
「ユキねぇってば結構、ドジなところがあって可愛いんですよね? 天気とかもライブ配信でぽろりと言えちゃうし、時々に外の音までマイクに流したり、特定の地域にしか売ってないイベント性のグッズとか食べ物まで全部露出していらっしゃるんですよ?」
あ、元凶は俺だったのか。
こいつの凄まじい観察力に驚きつつ、俺は心の中で安易だった過去の自分に絶望した。
「ついにユキねぇの住む町まで特定できた瞬間からは、ライブ配信に合わせて外でリコーダーを吹きながら、位置をいちいち調べたんです」
「あ……うん、そうなんだ」
「そこで完璧にここだ、と思われる場所を見つけたんですよ。だから今日、ユキねぇにサプライズイベントのつもりでこうやってベッド下で隠れようとしたんですが……あたし、見てしまったんです。ユキねぇと同棲しているような男性の痕跡を……こんな事……絶対に許さない……ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ……」
頭を下げていたせいで、少女の目は毛玉の奥に吸い込まれたように隠れていて見えなかった。
だが、目に見えるほど震えていた淡い紫色のスプライトスカートと、茶色のロングウェーブのヘアーだけは分かりやすいくらい、その男性という対象に怒りをぶつけていた。
しかもそれだけでは収まりそうになかったのか、ベッドのシーツまで思いっきり乱していた。
まるで咲いたばかりの桜の花びらのようで魅力的だった唇のことも、血がにじみ出るほど嚙み締めながら。
「でも、さすがに北海道から東京まで探しに来たのは結構無茶しすぎだったようです。同棲している男性の方に対して罰を与えるところか、ベッド下に隠れたまま寝ちゃってしまいましたし。でもですね、でもですねっ! 起きたらすぐ目の前でユキねぇは服を脱いでいたし、しかも男性の方の痕跡だと思っていたあれこれが全部ユキねぇご本人のものだったことを知ってあたし、どれだけ安心したのか……嬉しかったのやら! 言葉だけではすべてを言い切れないほどにほっとしたし、まるで心が躍るような気持ちでした!」
しかし、今の今まで怒りまくっていた少女の様子はあっという間に変わってしまった。
浮きすぎたシャボン玉のように、怒りそのものが影も形もなくいきなり消え去ったのだ。
その上、今はただ不思議なものでも発見した幼稚園児みたく、純粋に両手を挙げてくるくるっと回していた。
それと同時に独自性を持つ生き物のように動き出していた少女の鼻すらも、その手に合わせ元気よくぴくぴしてたのだ。
なんだ、こいつ……さっきまで怒っていたやつと本当に同一人物なのか?
まるで夢現のような気分がした。
「このうれしさをどう表現すればいいのでしょう。あぁ、ユキねぇと出会えるための今までの努力が報われるような気がしていてあたし……今、とっても幸せです!」
毛玉の少女の冒険談がどんどんとクライマックスを迎えようとするほど、こいつの口からの泡も比例してこぼれそうに溜まっていく。
息すらまともに吸わずに「くっ……けふっ」しながらも、少女は言いたかったことを全部言い切って最後まで自分の意志を貫いた。
「そ、そうだったの? あ、あはは……」
いろいろ少女の様子がおかしかったので、俺はその毛玉の奥の方を覗いてみることにした。
「えへへ……ふひひひっ……」
うわっ、怖っ!
毛玉の少女は思いっきり目を上に向けていて、白目だけで口角泡を飛ばしていたのだ。
完全に一人でホラー映画でも作ってるような勢いだな、こいつ。
「あはは……何はともあれ、お前は俺が男だったことを知っても平気そう……っていうか、むしろ喜んでるみたいでよかったよ。俺はてっきり、バッグから包丁でも出るのかと……」
俺はこの狂っている雰囲気を変えるため、軽いジョークのつもりでこう言ったんだけど。
「えっ⁉ あ、あの……それは……その……」
戻ってきたのはギクッとした少女の表情だった。
「その様子だと……見てしまったんですね、はい」
おい……嘘でしょう? 本気で怖いから、冗談はよせよ。なぁ?
「か、勘違いしないでくださいっ! 実はユキねぇのプライベートな痕跡を同棲してる男性の方のあれだと間違えちゃって、彼にそれ相応の罰を与えるために用意していたのが未だバッグの中にあります、って言いますか……も、もう危ないだけですのでキッチンに置いといた方がよさそうですね、あ、あはは……」
少女はそう言って、メカニカルキーボードみたいなバッグの中からゲームマガジンに包まれていた本物の包丁を取り出した。
それをベッド上にさり気なく落として、毛玉の少女は頭をかきながら照れくさそうに笑っていた。
「くふふ」
包丁を境界線として互いを見つめていたその瞬間、少女はロック状態だったパソコンの画面をチラッと見て話しを続けた。
「あの、ユキね……じゃなくて、ふ、吹雪様にお願いがあります。「ユキ」としてじゃなく、「吹雪」様としてのみ叶えられることができる、あたしの一生の願いです!」
そしたら突然、少女は俺たちの間を防いでいた包丁を取り、それを何ともなく床に投げ捨てながら、いきなり俺をベッドの方へと引っ張り出した。
元気よく低空飛行していたその包丁は、あっという間に床へ着地した。
それもぶるぶると震えながらも見事に刺さっていて本当、立派に立ち上がっていた。
こんな危なっかしい真似までして願いごとなんて……いったい何の願いなんだろう。
少女が言ってた「ユキ」では出来なくて「俺ふぶき」だけが出来ることって一体……。
確か、先ほどこいつが言っていたのって……こ、子作りのことだったような……?
「あたし一人じゃできっこないことなんですよ。だから……手伝ってくれませんか?」
お互いに密着していたせいか、毛玉の少女が吐いた甘酸っぱい吐息が鼻腔をくすぐる。
俺の両肩をつかんだ少女の両手は、雨の日に捨てられた子犬のようにプルプルと震えていた。
そして毛玉の少女が俺にくっついてきたその時。お風呂に入る直前だったからパンツ一着だけ着ていた俺の腹に、温かくてすべすべな少女の太ももがくすぐりながら乗ってきた。
不本意だが、股間に力が入りそうな気分になる。
だとしても今日初めて見た名も知らない相手と一発やるのは、いくら性欲が頂点に達している男子高生とはいえ、さすがに抵抗感はある。
それにこの少女は「ユキ」の大ファンであって、別に俺のことが好きでこうしているわけでもないからな。こんな状況で本当にやってもただ後味の悪いだけだ。
人生で何度あるかわからないこんな貴重な機会を逃すのは男として本当にもったいないが、やっぱり仕方ないか。
「何でも言う通りにしますので! い、今なら! ど、どどどッ、どんなことでもオッケーですからっ!」
「はぁあああっ⁉」
こいつ、今なんて言ったんだろう。どんなことでも?
それってつまりNG……なしってこと?
よし、天国のお父さんとお母さん。今日からこの息子は大人にになります。
「うぅ……これでもダメなんでしょうか」
おい! 今更逃げんな。
こっちはもう準備万全だぞ、ゴルァ!
「ふ、ふーうん。ど、どうせ言われた通りにしないと、俺の正体を皆に暴露するつもりのくせに。す、すすす、好きにすれば?」
「おぉっ……その手がありましたね! では早速、命令です! ユキねぇの秘密を守ってほしければ、あたしの言う通りに従ってくださいッ」
いいぞ、その調子だ! かかってこい、ハッピータイム!
「ユキねぇ、どうかこれを……受け取ってくださいっ!」
しかし、その後にやってきたのは決してハッピータイムなんかじゃなかった。
毛玉の少女は長くて少し硬い何かで、俺の唇を無理やりこじ開けてそれを口の中に押し込んだのだ。