ルビーの憂鬱
文章が稚拙なのでちょいちょい改稿します。
王宮に王太子殿下の婚約者としてとどまるようになり、ジェサイアの執務室にルビーの席がもうけられた。
ジェサイアが執務中は、ルビーも仕事を手伝った。手伝うことで学ぶことが多く、ルビーはこの状況にとても満足していた。
だが、ルビーが一番問題としていたのは、ジェサイアが王宮内のどこででもルビーにくっつきたがることだった。ジェサイアは執務中に
「息抜きの時間だ」
と突然執務を中断したかと思うと、両手を広げてルビーに言う。
「ルビー、おいで」
毎度恥ずかしがるルビーを、楽しそうに抱き上げ膝の上に乗せ、ギュッと抱き締めるとしばらく離さなかった。昼食後は膝枕をお願いされるのも日課のようになっていた。
ルビーはそれが嬉しくもあるが、恥ずかしくもあり、使用人からは温かい視線を向けられ、それが逆にいたたまれなかった。
ある日の執務中、ジェサイアにお願いしてみた。
「ジェシー様、周囲の目もありますし、二人でいる時だけ私を、か、可愛がっていただけないでしょうか?」
ジェサイアは膝に乗せているルビーに微笑むと
「なぜ? 何か問題でも?」
と言いながらルビーの髪を指先で弄んだ。微笑んではいるが目が笑っていない。ルビーはジェサイアが怒ったのではないかと焦る。
「えっ? あっ、あの嫌とかではないのです! 逆に私もずっとこうしていたいとか、くっついていたいとか、はしたないことをいつも考えているのですが………」
そう言うと、ルビーは自分がうっかり、心のなかで思っていたことを、口に出してしまったことに気がつき、手を面前でブンブンと振ると
「違うのです! あの、恥ずかしい!」
そう言って、どうしたら良いのかわからなくなり、思わず両手で顔を隠した。ジェサイアはルビーのその様子を見て抱き締めた。
「こんな時間を時々取らなければ、君をどうにかしてしまいそうだ。慣れてもらうしかない。本当は今ですら僕は君と過ごす時間が足りてない。やはり、本当に閉じ込めてしまえば良かったかな?」
ジェサイアが自問するようにそう言うとルビーは慌てて顔をあげて、ジェサイアのシャツをギュッとつかんだ。
「ジェシー様が、私を閉じ込めるなんてありえませんわ!」
そのルビーの様子をジェサイアはじっと見つめ、満足そうに言った。
「閉じ込めなければ、それはそれで君が使用人に見られて恥ずかしがる姿を見れるのだから、良しとしなければね。それにしても、君は僕が閉じ込めるなんてそんなことはしない、と思っているんだね? 本当に可愛いな」
と言うと、恥ずかしさで悶絶しているルビーの顎を上に向け口づけた。
そんな毎日を過ごし、ルビーは王宮から出ることは許されていなかったが、その代わりにガーネットやサファイアが訪れて定期的に三人のお茶会をすることが許されていた。
お茶会などでは普通ならば、社交界の話や流行のオペラやドレスの話で盛り上がるところだろうが、三人はもっぱら、サファイアの兄であるオニキスとガーネットの義兄であるハリーの、二人の話題や前世の話で盛り上がった。この日もまずハリーとオニキスの話から始まった。
サファイアが、瞳を輝かせながら言う。
「お母様から聞いたのですけれど、お兄様、最近よくハリー様に誘われてお出かけされるようになったんですって!」
それを聞いて、ガーネットも嬉しそうに瞳を輝かせた。
「オスカーが実家から聞いた話だと、ハリー様もお洒落をして、楽しそうにお出かけになるそうですわ。ミラー侯爵はハリー様が本気になる女性がいるのでは? って嬉しそうに話してらしたみたい」
ルビーはお茶を一口飲むと、ゆっくりティーカップをソーサーに置いた。
「順調に進んでいるように見えますわね」
ガーネットはルビーに訊いた。
「私ゲームを全て攻略しませんでしたので教えてくださらないかしら? ハリー様をちゃんと攻略しますと、どのようになりますの?」
ルビーは一瞬困った顔をしたが、ガーネットとサファイアの期待に満ちた目を見ると、話し始めた。
「私も自分が攻略した訳ではなくて、前世の妹が攻略していたのを横で見ていただけですの。間違えているかもしれませんわ、それでもよくて?」
サファイアとガーネットは頷く。ルビーは微笑むと話し始めた。
「パシュート公爵令嬢ことヒロインとハリー様の仲を深めていくと、オニキス様が二人の間に割り込むように、俺を練習台にしろと強引にハリー様をお出かけに誘うようになりますの。それでヒロインの邪魔をしますわ、でもパシュート公爵家で開かれた舞踏会で、ハリー様がはっきりオニキス様をお断りして、ハリー様はヒロインと結ばれるんですわ」
聞き終わるとサファイアは、嬉しそうな顔をした。
「現実とゲームでは話が違ってきていますわね、お兄様からハリー様を誘うことはありませんもの」
それに次いで、ガーネットも
「それにハリー様はお出かけになるとき、とても楽しそうにお出かけされるのだと聞きました。しかも、先日は出先でデートスポットをリサーチされてらしたみたい」
と言って微笑んだ。ルビーはガーネットを見て嬉しそうに言った。
「私、デートスポットって言葉を久しぶりに聞きましたわ! 懐かしいですわね」
サファイアも頷きそれに次いで言う。
「ルビー様、私も今そう思いました! デートスポットって言い方、こちらでは聞きませんものね」
と、前世の記憶についても大いに盛り上がる。このような感じで、ルビーにとってこの三人のお茶会は大切な息抜きの場となっていた。
そんな穏やかな毎日に変化がおきたのは、隣国のデマントイド王国から王太子殿下と王女が訪れた時だった。
突然ジェサイアがルビーのサポートを断るようになった。しかも、二人の寝室にジェサイアが戻ってくる時間が遅くなり、時々戻って来ないこともあった。必然的にルビーとジェサイアが一緒にいる時間は減っていった。
会っている間はいつもと変わらぬ態度で接してくれているので、ルビーもどうして良いかわからなかった。忙しいのだろう。そう考えることで自分を納得させ、それならそれで疲れを癒して差し上げなければ。と、ジェサイアの睡眠を優先して、二人で話す機会も減ってしまっていた。
ルビーは途端にすることがなくなり、家庭教師をつけてもらい色々学ぶ時間にあてることにした。ジェサイアに何かあれば、頼りになる存在でいようとした。
そんなある日、廊下で隣国の使用人らしき人物の会話を耳にした。
「本当はここの王太子殿下と、デマントイドの王女様が結婚するはずだったんだろう?」
一人がそう言うと、もう一人がそれを受けて笑いながら
「道理で王女様が訪問したとたんに、婚約者を放り出してデマントイドの王女様と毎日会われるわけだ。会ってみたら誰だって王女様に魅了されるに決まってる。当然乗り換える気なんだろうなぁ」
と言った。ルビーは信じられない気持ちになった。ジェサイアがまさかそんなことをするはずがない。そう思いながらも、二人の会話の続きを聞く。
「なぁ、知ってるか? ここの王太子殿下はその婚約者を側室にするために、離れを建て始めたそうだ。婚約してしまった手前どうすることもできないしな。邪魔者は追いやるしかないよなぁ」
そう言った。ルビーは目眩がして、全てが歪んで見えた。何度もそんな話あり得ないと否定しては、はたしてそうと言いきれるのか? と自問自答を繰り返した。
この世界の話は、前世では小説からゲーム化された話だ。だったら私がこの世界に転生した後に、ゲームの続編が出ていてデマントイド王国の王女とジェサイアが結ばれる話があってもおかしくない。
ジェサイアを信じたい気持ちもあるが、以前の壁を作っていた時のジェサイアを知っている身としては、国益を重視したジェサイアが、デマントイドの王女を選んだとしてもおかしくないと思った。
それに、離れを建てていることなど聞いたことがなかったルビーは、とりあえずそこから確認することにした。
ジェサイアに訊いたとして、本当の話をしてくれるはずもないので、フランツの所へ向かった。フランツを見つけるとすぐに声をかける。
「フランツ様、お話ししたいことがありますの。お時間よろしいかしら?」
フランツは一瞬戸惑った様子を見せたが、立場上断ることもできなかったのか、笑顔になると言った。
「なんでしょうか」
ルビーは平静を装って単刀直入に訊く。
「離れを建てていますでしょう? その件でお聞きしたいことがありますの。内装のことなんですけれど、どうして私の意見を取り入れてくれませんの? 私が住む場所ですのに、おかしくありませんこと?」
そこまでルビーが言うと、フランツは慌てて自身の口に人差し指をあてて周囲を見渡し、小声でルビーに言った。
「ど、どこでその話を! その話をどなたかにされましたか? まさか殿下の耳に入っていないでしょうね? 知られていたら僕は殿下に殺されます。せっかく隠して建てているのに……」
ルビーはフランツのその反応だけで十分だった。フランツを安心させるため、微笑むと
「誰にも言ってませんわ? そうなんですの、殿下が秘密のうちに全部お決めになると言うことですのね? そういうことなら、知らなかったことにいたしますわ」
と言って微笑むと、自室へ戻った。
離れが建設されていると言うのは、本当の事だった。離れは建設されているのだ。だが、そこに追いやられるぐらいならどのように自分にダメージがあったとしても、婚約破棄された方がましだと思った。
ルビーは不安を隠しているつもりだったが、三人のお茶会でガーネットに指摘される。
「ルビー様? 最近体調がよろしくないのですか? 元気がないようにお見受けしますわ?」
ルビーは話すか迷ったが、心配をかけるのが躊躇われ嘘をついた。
「違うのよ、昨夜少し寝るのが遅かったから寝不足なだけですわ」
そう言って微笑むと、何かを勘違いしたサファイアが、カッと顔を赤くして
「あっ、えっとルビー様、そういう事ってありますわよね?」
と言うと、両手で両頬を押さえた。ガーネットとルビーは、そんな彼女を温かい眼差しで見つめた。
ルビーは話の矛先を変える。
「ところで、先日パシュート公爵家主催の舞踏会がありましたでしょう? きっと何か進展があったはずですわ。オニキス様はどうしてらっしゃるかしら?」
サファイアは、表情を曇らせた。
「今日はその事についてお話ししなければと思っていたのです。お母様にお伺いしたら、お兄様はその舞踏会の日、早々に切り上げて帰ってきたかと思ったら、その日から少し落ち込んだ様子なんですって」
ルビーは少し考えるとサファイアに訊いた。
「その舞踏会のあとも、ハリー様からのお誘いはあるのかしら?」
サファイアは頷いた。
「お誘いはあるようなんですけど、お兄様は全てお断りしてしまうみたいですわ。それと、たぶんこれが原因だと思うのですけど、今社交界で、パシュート公爵令嬢とハリー様が、近々婚約されると噂があるようですわ」
ガーネットが苦い顔をした。
「またですの? パシュート公爵令嬢も懲りませんわね。でもオニキス様が落ち込んでいる原因は、パシュート公爵令嬢にありそうですわね」
ルビーは今までのことを思い出していた。ルビーがジェサイアから離れようとした理由は、ヒロインの存在があったからだった。
「私はヒロインの存在に気づいて、一度身を引こうとしました。だからオニキス様もそうなのかもしれませんわね」
するとガーネットもサファイアも大きく頷き、ガーネットが驚いた様子で言った。
「ルビー様もでしたのね? 私もヒロインの存在がありましたので、一度は身を引こうと」
そう言うと、サファイアが次いで
「ガーネット様、ルビー様、私もですわ。じゃあお兄様が、ハリー様のお誘いをお断りして、少し前からお父様に領地に住むから準備をして欲しいって言っているのは、身を引こうとしているからでしょうか?」
と言った。ルビーは少し考えると、ある可能性を話した。
「断言はできませんわ。でもこのままだと、オニキス様は領地へ行き、二度と帰ってこない可能性がありますわ」
サファイアは涙目になった。
「そんな……」
ガーネットがサファイアの背中を撫でる。
「サファイア様、まだ諦めたらいけませんわ! そう言うことなら私たちでなんとかしましょう! 私、ハリー様と話してみますわ」
ルビーが次いで
「そうですわね、ハリー様にお話しして私たちでお膳立てすれば、まだ修復できるかもしれませんわね」
とサファイアに微笑んだ。
こうして三人は結束してことを運んだ。ガーネットがハリーと話をし、ルビーはオニキスとハリーがじっくり話をできる場所を提供するため、お茶会を開き、そのホストを務めることにした。お茶会のホストを務めることによって、ルビーも少し気が紛れた。
少し前ならルビーが王宮から出ることは、許されなかっただろう。だが、最近はそこまで拘束されることはなく、外出が許されていた。
王宮の中でも、使用人たちがデマントイド王国の王女とジェサイアが婚約するために、ルビーは側室とするだろう。と、ルビーに同情する動きがあった。
この時点で、ルビーはジェサイアが隣国の王女を選ぶのだと確信した。
だが以前にも同じような経験をしているため、今回は少しは落ち着いて考えることができた。
お茶会当日、お茶会は滞りなく進んでいたが、執事よりオニキスが来て早々に帰ってしまったと報告を受けた。慌ててハリーへその事を伝える。すると今度はサファイアから、オニキスがスペンサー男爵と領地へ向かったと報告を受けた。サファイアからの情報もあり、なんとか先回りできそうだったので、ハリーはオニキスを引き留めに行った。ルビーは自分が残念な結果になった分、二人には幸せになってもらいたかった。
ハリーを見送ったあと、疑問に思ったことをサファイアに訊いた。
「どうしてオニキス様が領地へ向かったと知ってらしたの?」
サファイアは微笑んで答えた。
「お父様が使者を寄越しましたの『オニキスと共に領地へ出かける、お母様が一人になるから気をつけてやって欲しい』って」
ルビーも微笑んだ。
「そういうことですの。素敵なお父様ね」
サファイアは頷き
「愛情表現が上手くないのですけれど、愛情深いお父様ですわ」
と、苦笑した。
その後の三人のお茶会にて、オニキスとハリーが無事に誤解を解いて結ばれたようだとサファイアから報告があった。
そんな嬉しい報告もあったが、良いことばかりではなかった。
ジェサイアは益々忙しくなりルビーと過ごすことがほとんどなくなった。それまで耐え忍んでいたが、こうなってはただの形式上の婚約者であるにも関わらず、いつまでも王宮に居座り続けるのはどうなのだろう。と思い、王宮から出ようと決断した。
ルビーはジェサイアに置き手紙をした。
『私のことは如何様にでも。王太子殿下のご指示に従います。今後のことはディスケンス家までご連絡下さい』
とだけ書き、婚約指輪を外した。正直、直接ジェサイアから引導を渡されるのはつらすぎるので、自分から終わらせたかった。
ディスケンス家に戻ると、家族はみんな驚いた顔をしたが、何も言わずに優しく迎えてくれた。
私は少しだけ夢を見ていたのだ。そう自分に言い聞かせると、今後の身の振り方を考えなければならなかった。
ディスケンス家はオスカーを養子に迎えてしまっているので、いつまでも世話になるわけにもいかない。かといって婚約を破棄された令嬢をもらってくれる当てもなかった。母親は余裕の表情で微笑むと
「貴女が心配することは何もないわ。安心してゆっくりしていらっしゃいな」
と言った。考えてみれば、ジェサイアから正式に婚約破棄の連絡がこない限りは身動きできないのだ。ルビーは母親の言う通り、ゆっくりさせてもらうことにして、今はただお茶を楽むことにした。
そこに、ガーネットが血相を変えて走ってきた。
「ルビー様、大変ですわ! 大変なことになってますのよ!」
ルビーは怪訝な顔をして言った。
「ガーネット、なんですの? 少し落ち着きなさいな。順を追って説明してくださるかしら?」
ガーネットは口をパクパクさせながら、ドアを指差す。振り返ってみるとそこには、ガーネットが開け放ったままのドアの前に、衛兵を従えたジェサイアが拳を握り険しい表情で立っていた。
ルビーは衛兵を見ると、ついに何か罪を着せ投獄するつもりなのだと思った。
「お母様、親不孝な娘ですみませんでした」
と、捕まる前に母親に謝る。
「あら、結婚したっていつでも会えるわよ」
と母親はにっこり微笑む。お母様、そういうことではないのです。私は幽閉されるか、処刑されるかもしれないのです。そう思うと涙が溢れた。
そこにジェサイアが部屋に入ってくると
「ディスケンス公爵夫人、失礼します。ルビーを取り返しに来ました」
そう言って、ルビーを抱き上げた。ルビーは驚いて、ジェサイアの顔を凝視した。ジェサイアはそんなルビーを見て
「君は自分の立場をわかっているのか? 逃がさないと言っただろう」
そう言って、そのまま歩き始めた。
「何処に向かっていますの?」
ルビーが恐る恐る訊くと、ジェサイアは作り笑顔になり
「帰るんだ、僕らのいるべき場所に」
と言った。婚約者であるにはかわりないので、勝手をするなと言うことなのだろうか? そう考えているうちに、馬車に乗せられた。
すると、ジェサイアはルビーの指に、すぐに婚約指輪をはめた。
「こんなに簡単に外せるものでなくて、足枷や手枷、首輪をはめて欲しいのかな?」
そう言ったあと
「違う、そうじゃない。まったく、僕をここまで動揺させることができるのは、世界広しと言えど君ぐらいのものだろうな」
そう言ったあと、ルビーを抱き締めた。ルビーは、ギュッとジェサイアの服をつかむと
「でも王太子殿下は私のことを、疎ましく思っていらっしゃるのでしょう?」
そう言って、ジェサイアから体を離そうとジェサイアの体を押した。が、ジェサイアは更にルビーを抱く手に力を入れ抱き寄せる。
「すまない僕が君を放っておいたのがいけなかった。そんな誤解を招いてしまったのも、全て僕の責任だ。誓って言うが、君を疎ましく思ったことなどない。本当の君を見ていなかった頃はいざ知らず、君の本質に触れてから過去の君も含め、君の全てが愛おしいのに」
ルビーは抱き締めるその腕をギュッと握ると、首を振った。
「ですが、政治的にデマントイドの王女と結婚すると聞きました。私は王太子殿下の邪魔になるぐらいでしたら、婚約破棄されてもかまいません。国のためにもその方が良いでしょう。ですが側室として離れで一人、他人の夫が通ってくるのを待つなど、私出来そうにありません。なので、王宮を出て行きます。だって、だって私、心からジェサイア様を愛してるんですもの」
そう言うと大粒の涙をこぼした。そこで馬車が調度王宮へ到着したようだった。ルビーは慌てて涙を拭った。
「政治的に婚約破棄せざるを得なくなったとなれば、王室の対面も悪いでしょうから。婚約破棄の原因は私に問題があったと言ってくださってかまいません。その代わりに私の今後の身の振り方については、自分で決めさせていただきますわ」
そう言って、ジェサイアの腕を振りほどこうとするが、ジェサイアは絶対に離そうとしなかった。
「ルビー誤解だ、君を側室など誰がそんなことを……。とにかく説明させて欲しい。それに君は自分が僕に対して、どれだけ影響を与えられる存在なのか本当に気付いていないのか? いいかい? 言っておくが、僕は何があっても君を手放すつもりはない。君がそれでも僕の側を離れると言うなら、それこそ閉じ込めてでもね。それは君の意思とは関係なしにだ」
そう言ってルビーを抱えて馬車から降りると、そのまま真っ直ぐどこかの部屋へ向かって行く。
そしてある部屋に入ると、そこにはデマントイドのスタック王子とカーリン王女が円卓の席についており、その部下らしき人物がその周囲を囲って立っている。
「失礼」
入室するとジェサイアはそう言ってルビーを床に立たせて、腰に手を回した。
スタック王子は不機嫌そうに
「君は一国の王太子であるにも関わらず、ずいぶんと軽率なことをする」
と言ったあと、ルビーに目を止めると、笑顔になり
「ディスケンス公爵令嬢、お会いできて光栄です」
と、立ち上がってルビーの元へ行き面前に立った。そしてルビーを上から下までなめ回すように見たあと、ジェサイアを見た。
「連れてきたと言うことは、取引成立と言うことかな?」
そう言って、ルビーの手を取ろうとしたが、ジェサイアはルビーをスタック王子から引き離し、ルビーとスタック王子の間に入った。
「そんなに焦らずとも、まずは取引内容から確認しましょう」
微笑むと、スタック王子に座るように促した。スタック王子は不満そうな顔をしたが、席に着くとジェサイアが着席するのを待った。
ジェサイアはそばにいた使用人を呼び、少し大きめの椅子を用意させると、ルビーの手を引いて、その椅子に座る。ルビーはジェサイアが何をしようとしているかわからず、引かれるままにちかづくと、ジェサイアはグッと引き寄せ自身の膝の上に座らせ、ルビーの耳元で
「じっとしていてくれ、君は僕の勝利の女神なのだから、そこにいて僕を見守って欲しい」
と、囁いた。そんな様子を見て、スタック王子とカーリン王女はあからさまに嫌な顔をした。
「そのようなことをして、サイデューム国に得になることは何もないと思うが? トップが無能だと国民も苦労が絶えない。自分の立場をわきまえて行動できるようにならねば、上に立つことはできないだろう」
と、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
ジェサイアはルビーの頭にキスをすると、微笑んだ。
「私も同感です。国民に苦労をしいるばかりか、自分の欲を優先し守りたいものすら守れず、そればかりか全てを失うような無能は、国の頂点に立つ資格はありませんね」
すると、カーリン王女が口を開く。
「先程からなんなのです? 私たちを待たせた挙げ句その態度と物言い、無礼にも程がありますわ。私を娶ることができて、デマントイド王国まで手中に納めたおつもりでしょうか? けれど、殿下の元へ嫁ぐのは私からしたら、降嫁するのとなんらかわりないと思ってますの。ですからこちらに嫁いだら、そのような自由は許しません」
カーリン王女は、美しく堂々としていた。王族の風格を備えている、と言っても過言ではないだろう。しかし言っている内容が傲慢すぎて、品位がないとルビーは残念に思った。
それに王族と言えど、対するジェサイアも王族である。しかも隣国であり、友好的にした方が良いに決まっている。喧嘩を売るのは得策ではない。なぜこんなに強気なのか不思議に思っていると、カーリン王女がルビーを見て馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ふっ、そこの公爵令嬢は、自国のおかれる立場がわかっていないようでしてよ? 王太子殿下が理解していないのだから当然でしょうけれど」
そう挑発してきた。ルビーは関わらないよう傍観することにした。きっとジェサイアには考えがあるはず、口を挟むべきではない。そう思った。ジェサイアはルビーの頭を撫でると話し始めた。
「サイデュームの立場とは、西側の港の使用及び運搬の通行料のことかな? 確かに現状、デマントイド王国を通過しなければ、西側からの運搬は大陸を迂回せざるをえない。したがって通行料を値上げされては、我が国は大変困ることになるだろう。だが、それはパイロープ王国が港の使用と通行を許可しなければ、の話では?」
パイロープ王国もサイデュームと接している隣国である。パイロープ王国を通過できれば、港からの運搬はデマントイドを通過するよりもずっと近い。すると、スタック王子は愉快そうに声を出して笑った。
「面白いことを、パイロープはここ数十年、他国とは距離をとっている。それにあの大国がサイデュームのような小国、相手にするはずもない。まぁ、恥をかくのも良い経験だろう、交渉してみてはいかがかな?」
すると、ジェサイアは頷いた。
「実は交渉済みでしてね」
スタック王子とカーリン王女は、驚いた様子で同時にジェサイアの顔を見た。ジェサイアはその顔を見て満足そうに微笑んだ。
「スタック王子はご存知かな? パイロープ王国の国王は大変愛妻家でいらっしゃる。そこで今の私の立場を説明したら、快く全面的に協力すると言ってくださったよ」
スタック王子は立ち上がると
「そんなはずはない!」
と言い、やり場のない怒りでプルプルと小刻みに震えた。すると、カーリン王女が微笑み
「あら、ならば私の銅鉱山からも取引はなかったことにさせていただきますわ」
と、勝ち誇ったように言った。スタック王子はハッとしたのち、カーリン王女の肩に手を乗せ
「まぁ、そう言うことで今謝ってこちらの条件を呑めば、妹を説得してやらんでもない」
ジェサイアはため息をついた。
「カーリン王女、そちらが銅鉱山の取引を打ち切るなら、こちらも港の使用を止めさせていただこう」
カーリン王女は、鼻で笑い
「お忘れなのかしら? デマントイドは東側にも港を持っていますわ。サイデュームの港なんて使用するはずありませんでしょう? それにデマントイドの港は、サイデューム王国の港よりも遥かに規模が大きいですし」
そこでジェサイアがカーリン王女の言葉を遮った。
「グリーン貿易」
カーリン王女はビクリとした。スタック王子が何事かと、訝しんでカーリン王女の顔を覗き込む。
「カーリン? どうした、グリーン貿易とはなんだ?」
すると、カーリン王女は慌てて
「何でもありませんわお兄様。銅鉱山はサイデュームと取引した方が利益が出ますわ。これからも、引き続き取引していただかなければいけませんわね」
とひきつった微笑みを返した。
「カーリン何故だ、お前の銅鉱山はサイデューム以外にも取引先には困らないだろう」
スタック王子が不満そうにそう言うと、カーリン王女はスタック王子を睨み付けた。
「お兄様はだまってらっしゃい!」
スタック王子はムッとしたのち無言になった。ジェサイアは微笑むと
「あぁ、そうそう先程言ったと思いますが、パイロープの国王は、全面的に協力してくださると言ってくださっていてね、今後はパイロープ王国の銅鉱山と取引することになったので、そちらと取引できなくてもなんら問題はありません、心配ご無用です」
カーリン王女は青ざめた顔をした。ジェサイアは追い討ちをかける。
「どうやら欲を出し過ぎたようですね。カーリン王女との婚約、更にルビーをスタック王子の側室として迎えるなど、到底あり得ない話だ。その話がなければパイロープの国王も、協力してくれなかったでしょう。まぁ、そういうことで、今回はお引き取り願おう」
そう言うと、ドアを指差した。スタック王子は悔しそうに、なにか言いたげな顔をしたが諦め出ていった。カーリン王女もその後を追う。その背中に向かって、ジェサイアが言う。
「グリーン貿易のことは、調べた内容を報告書にして、貴女のお父上に届けておきました。帰ったらお父上に確認されてはいかがかな?」
カーリン王女は振り向き絶望的な顔になると、感情のない眼差しになりそのまま去って行った。
「さてと」
そう言うとジェサイアはルビーを思い切り抱き締めた。ルビーは
「誤解していてごめんなさい」
と、呟く。
「いいんだよ、さっきも君に言った通り、僕が君を放っておいたのが悪いんだ。ちゃんと説明しておくべきだった。それにしてもルビー、君に王太子殿下と呼ばれたのには堪えたよ」
そう言ってルビーの首に顔をうずめた。そして話を続ける。
「もし隣国の王女と結婚しなければならないほど、立ち行かない国ならば、僕の裁量がそれだけ小さなものなのだろう。どうしても隣国の王女と結婚せねばならないなら、そうならないように国を動かすぐらいやってのけるほど、僕には君しかいない。以前の僕は君に見向きもしなかったから、君に疑われてしまうのは仕方ないことかもしれないが、こうして君を胸に抱き締めているだけでこんなにも心が満たされ、幸福に包まれる。こんな感情を教えてくれたのも君だ」
そう言うとルビーの顔を覗き込んでじっと見つめた。そして額にキスをすると
「以前パイロープ王国に行ったときの話なんだが」
そう言って微笑み、一息置いて話し始める。
「パイロープ王国の王妃はもともと病弱で、自分から婚約を辞退しようとしたらしい。だが、国王は諦めなかった。自分の執務室の隣に、新たに部屋をあつらえ王妃をいつでも看病できるようにした。全ての世話を国王自ら一人で行っているそうだ。その愛に国民は感動し、病弱な王妃を娶ることに、誰も反対する者はなく逆に祝福されている程だ」
そう言うと苦笑した。
「当時は理解出来ない、くだらない事だと思った。だが、今は王太子の献身の気持ちがわかる。君が教えてくれた、初めて自分以外にこんなにも大切に思える心が自分にもあるということを。僕を信じて欲しい、愛しているんだ。君以外は考えられない」
ルビーはジェサイアの頭を優しく撫でた。
「ではあの離れは?」
そう訊くと、ジェサイアはニヤリと笑った。
「離れを建設しているのが君にバレてしまっていたとはね。離れは君が以前、僕が君を可愛がるところを人に見られるのは恥ずかしい、と言ったからそのために建設した。だが、こうなって色々考えて、あの離れは君を閉じ込めるために使おうと思う」
そう言って、ルビーのうなじにキスをした。ルビーは顔を真っ赤にして
「あの、殿下? 閉じ込めって、あと二ヶ月ですわ? 執務はその間」
と言った。ジェサイアはルビーの頬を撫で
「パイロープの国王を見習って、離れに執務室を作り、その直ぐ隣を寝室にしたから心配いらないよ」
ルビーは恥ずかしさのあまり、目の前がチカチカして、ぼんやりした。
「大丈夫かい? 僕に寄りかかっておいで。じゃあこのまま離れを案内しよう。急ピッチで建てさせた割には、素晴らしい建物に仕上がった。君たちがお茶会ができる専用の庭もある。使用人たちは最小限しか置かないから、好きに何処ででも君を可愛がることができるよ」
そう言ってルビーを抱き抱えて、歩き始めた。
こうして結婚式まで、ルビーは一歩も外へ出ることはなかった。
誤字脱字報告ありがとうございます。
ちなみにパイロープの国王は、ムーンライトノベルズで書いている小説の王太子殿下のことです。