未来にある現実
「先生凄いですね、これは人類の常識を超越する発明ですよ」
「タイムストッパー、時間を停止する装置。とうとう私たちはSF映画の世界に一歩を踏み出しましたね。科学は今日を境に一気に発展しますよ」
2032年、大きな話題を独り占めする男。
学術誌には、宣伝広告のような美辞麗句が連なっていた。
世紀の発明、天才科学家、僅か20代後半にして子供から大人まで知らない者はいないと言わしめた男だった。
「先生、おめでとうございます」
淹れたてのブラックコーヒーを両手に持ち片桐冴子が部屋に入ってきた。リフレッシュ効果のあるコーヒー豆のアロマ独特の香りが研究室全体に漂う。隣のデスクチェアに座り、右手に持ったカップを俺の前に置き、左手のカップを口に運んだ。昔から愛用しているセザンヌの口紅を塗った唇の薄いピンクが上下に動く。
「ありがとう、君が手伝ってくれたおかげだよ」
「あれから10年ですね」
「そうだ」
「……」
「今日も行くんですか?」
「あぁ、今日は彼女のところに行かないと」
狩野結衣は、淹れてもらったコーヒーを一気に飲み干すと、デスクチェアから立った。
今日は琴乃の命日だった。十年前の今日、俺は彼女を助けることも出来ないで、呆然と列車に轢かれる琴乃を見ていた。電車に消えていく彼女、すぐ後のブレーキの金切り音、居合わせた少女の悲鳴は、十年経った今でも昨日のことのように思い出す。フラッシュバックのような強い衝撃が記憶の中で何度も繰り返された。あの日の俺は泣くことさえ出来ずにホームに倒れ込んだ。
目の前を人の群れが行き来しているのだけが認識できた。初めて泣いたのは、彼女のお通夜だった。それまで現実味さえ感じられずにいた俺は、棺に入れられた琴乃を見た時、瞳に熱く流れていくものに気づいた。嗚咽と溢れ出る滴はどんどんと溢れ止まらなくなった。俺に釣られたのか近くの大人たちも目頭を抑えて、泣くのを堪えてる姿が目に入った。
制服姿の琴乃の友達達は、3人全員涙を枯らしたように目にクマを作って、それでも溢れてくるのか遺体にすがってむせび泣いていた。
研究室を出た俺は、服を着替えるために家に帰った。
白衣の仕事着を洗濯機に投げ込み、ワイシャツに袖を通し、ネクタイを巻き、スーツを羽織った。普段、研究室で過ごす俺は、こんな事でも無ければ滅多にスーツを着ることがない。学術誌の会見でも白衣の方が研究者に見えるという理由で、年に数回も着ればいいくらいだった。昨日買ってきた彼岸花を右手に取り、自宅前のバス停からバスに乗り込んだ。左手に巻いたアップル製の時計を見て時間を確認する。このままいけば、お昼前には着けそうだった。
「あっ、おられましたか」
西条霊園、手前から4軒目にあるお墓には先客がいた。俺の到着に気づいて、深々と頭を下げる。
「いつもありがとうございます」
「いえ、……これは俺の責任ですから」
今年で54歳になる琴乃の母親は悲しそうに墓石に水をやり、こちらに向き直り深くお辞儀をした。結衣は、持っていた花を墓の両隣の花受けに入れ、横に置かれたバケツから柄杓で水を掬い上げ花受けを水で満たした。
焼香に火をつけ、墓石に数分手をあわせる。
これまで十年、この日にはかかせたことがない日常だった。
「琴乃、ごめんな。助けられなくて」
「あの時の俺は本当に頼りなかった……」
何度となく繰り返してきた言葉。後悔と自責の念。
あの時、もし俺に勇気があれば、声をかけていたら、並んでいたのが二人一緒だったら、起こらなかった。
どうすれば助けられたのかは、やがてどうすれば助けられるのかに変化していった。
今なら助けられるのではないかと思う。そのための10年間だった。琴乃が亡くなった日、結衣は誓った。
どんなことが起こっても琴乃を助けようと……。
「それでは、これで」
「今年は、仏壇のある自宅には行かれませんか?」
「はい、今日は用事がありますので」
「有名科学者ですものね、仕方がありません」
「それでは、これで」
結衣は、急いで自宅に戻り、玄関からリビングのドアを開けて、奥の部屋に入った。
誰にも見せたことがない研究室が、そこにはあった。
目の前のタイムリープマシーンを取り出す。この装置は、時間遡行をするための装置で、結衣の十年にも及ぶ成果の結晶だった。この装置開発のためには使える犠牲は全て払った。
学術誌で有名になったタイムストッパーマシンはタイムリープマシーンのプロトタイプで過去移動のプログラムを外したものだった。
本来の目的はタイムリープマシーンの完成だった。結衣はそのためにここまで昇りつめた。
平均点程度の学力だった結衣は、琴乃の葬儀の数日後から必死で勉強するようになった。結果はすぐに出た、あっという間に学年一位の成績をとったのだ。それからの結衣は勉強漬けの毎日だった。
誰よりも試験で良い点数を取り、誰よりもいい大学に進学し、教授に気に入られて時間研究の研究室に入った。
この十年、1日も琴乃のことを忘れたことなどなかった。
この最後のプログラムを打ち込めばタイムストッパーマシーンはタイムリープマシーンへと変化する。
その時、リビングのインターフォンが鳴った。
タイムリープマシーンの自動プログラムを開始させ、扉を閉め通話ボタンを押すと片桐冴子の姿があった。
何のために来たんだ? タイムリープマシーンの存在はみんなに秘密にしてたはずだ。冴子が知ることもない。別の何かの理由だろうか、と思い応答に応じた。
「どうした?」
目の前の冴子は、時間研究で有名な教授の娘だ。
大学に入った時に、まず話したのは彼女だった。
時間研究の基礎理論は、簡単に教えてくれるわけもない。そのため、結衣は冴子を利用して取り入った。
タイムリープマシーンの完成のためであれば、彼女と付き合うことなんか造作もなかった。
数ヶ月で冴子は恋に落ち、結衣と一つになった。
彼女も結衣が最初の男だった。
その長い付き合いも3ヶ月前に終わりを告げる。
結衣が冴子を振ったのだ。計画通りだった。
だから、今さらなんの用事があるのか。
「入れてくれませんか? 話したいことがあるので」
真相を知られた筈がない。
「すまん、これからやらないとならないことがありますので、帰ってくれませんか」
「やはり、……入れてくれませんか。でも、あなたには拒否権はありません、もし断った場合、あなたの研究のことを学界に言います」
なんのことだ、でも万一知っているのであれば放置しているわけにはならない。
「とりあえず入れ」
結衣は玄関のドアを開けた。
「見せてくれませんか?」
「なにを?」
「知らないふりをしてもわたしはわかってます。あなたは時間遡行ができる機械を作っていたことを……」
一番、不安だったことが的中した。タイムリープマシーンは結衣にとって極秘中の極秘だった。
デートの時も絶対に見せなかった。
気づくことはないと思っていた。
なのに……。
「なぜ、気づいた?」
冴子は一枚の紙を見せた。
四つ折りの紙には細かい数式が書かれていた。
普通の人なら気づき得ないが時間研究の始祖と言われた教授の一人娘の冴子なら知らないはずはない。
「タイムリープマシーンの公式よ」
「黙って通してくれないか」
「だめよ、……」
「あなたのやろうとしていることは、世界を崩壊させるわ」
「ずっと知ってた。抱かれた時も……」
「あなたの心の中には、ずっと琴乃さんがいた」
「それでもよかった、私は……」
顔を両手で覆う、大粒の涙が溢れてきた。
「すまないとは思ってる」
「じゃあ……!!」
「……、ごめん」
「これが俺の生きてきた証だ。罵るなら罵ればいい。それでも、俺はこの決意を止めるわけには行かない」
「パパに言うわよ」
瞳を真っ赤にしながら、前にいる結衣に言う。
時間渡航は、実現可能性が取りざたされ始めた頃に、法律によって開発が禁止された。
蝶が舞いその羽ばたきが遠くで竜巻を起こすバタフライ効果と呼ばれる現象と同じことが起こると予測されたからだ。
何が起きてもおかしくはない。過去に行くという行為は人類にとって危険すぎた。
そのため、時間旅行は法律により全面禁止事項になっていた。
「あなたが罪を犯せば、一生外の世界には出れなくなる」
「わかってる」
「じゃあ、なぜ、……」
やめて欲しいと言う一縷の望みを結衣に向ける冴子。
それに対する答えは、……。
結衣は完成したばかりのタイムリープマシーンを手に取って、冴子をすり抜けて走り出した。
「あなたは、絶対後悔するわ」
「好きだった、……ずっと、だけどごめん」
遠ざかる自宅に数台のパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
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