戦渦-10
「敵はどこだ?潜水艦か?!」
「違います艦長、潜水艦ではありません……」
「じゃあ……」
「ええ、『大海蛇』かと……」
軽巡洋艦北上の艦橋では、艦長席に座る金岡大佐と副長が双眼鏡を手に話していた。
艦内には、緊急事態を告げるブザーが鳴り響き、水兵たちが自分の配置へと飛び込んでいる。
事の起こりは、数十分前に遡る。
駆逐艦竹で当直中だった士官に、一本の報告が入った。
それは、対潜警戒中の聴音手からだった。
報告内容に疑問を持った士官は、自身も聴音の経験者だった事から、直接水測室へと向かった。
「花丘、変な音とはなんだ?」
「深度六〇辺りで、艦尾側を右舷から左舷に向かって移動するような音が聞こえてきます。
正体は、よくは分かりませんが、潜水艦じゃないみたいです……」
あまり的を得ない聴音手の受け答えに、受音機を受け取った士官は耳を澄ませた。
音は微かだったが、潜水艦の推進音では無い事はハッキリと分かった。
推進音特有のスクリュー音がしなかったからだ。
そして、その物体はゆっくりと近づいてきているように感じられた。
その音を聞いて、士官は言いようの無い不安に襲われた。
そして思い出した。自分たちが、この世界に来てから何と対峙したのかを……。
「艦長に報告する。変化があったら知らせろ」
「分かりました」
士官は、その足で艦長室に向かうと宇那木少佐に起きている事を報告した。
宇那木少佐もピンと来たようで、即座に艦橋に向かった。
「副長、どう思う?」
「潜水艦で無ければ、何かの馬鹿でかい魚の音か……」
「あの化け物……か」
宇那木と副長は、顔を見合わせた。
そして、渋谷大佐不在の為、次席として指揮を取っていた空母隼鷹艦長の前原大佐に問い合わせたところ、『不明物体の正体を確認せよ』との返答が来たため、確認を実施する事になった。
「探信音波発信用意。発信は一回のみ」
宇那木の命令で水測室では、聴音機を引き上げ、探信儀を水中に下ろした。
用意出来た事が伝えられ、そのまま発信した。
ピーン………
探信音波が放たれた数秒後だった。
「不明物体が増速しました!方位九〇、距離六〇〇!真っ直ぐ来ます!」
水測室から急報が入り、宇那木は即座に決断した。
「両舷第二戦速、対潜戦闘用意!」
宇那木の命令一下、全艦に喇叭の音が響き渡り、水兵たちが走り出す。
それと同時に、艦本式タービン二基二軸の一九〇〇〇馬力が唸り、一五〇〇トンの船体が僅かに沈み込み、船足が速まるのを感じる。
「航海長、この辺りの水深は昨日測ったな?」
「はい。およそ一〇〇メートルです」
「よし、爆雷深度は九〇メートルに調定。敵の距離は?」
「方位、深度変わらず、距離近づく……およそ五〇〇!」
「爆雷投下ぁ!」
竹の艦尾にある投下軌条から数発の爆雷が海底に向かって投下される。
竹が装備する二式爆雷は、秒速二メートルで沈降する設計だ。多少の前後はあれど、深度九〇メートルに達するには、四五秒ほど掛かる。
だが、聴音で聞く限りでは、この物体は一〇秒ほどで一〇〇メートル近く移動していた。
爆雷が間に合わないかもしれないと宇那木が考えた時だった。
「不明物体、浮上しています!方位変わらず、深度三〇、距離四〇〇!」
「爆雷深度調定変更、深度五〇メートル!調定済み次第、順次投下せよ!」
竹の艦底を抉るつもりなのか、その物体は徐々に浅海面へとやってくる。
だったら、こちらも爆雷の調定深度を浅く設定して放り込むしか無い。
爆雷は、目標(潜水艦)直下や至近で爆発すればこそ、威力を最大限に発揮するが、距離が開けば当然ながら威力は落ちてしまう。
その為、水中を三次元移動する目標に対して、適切な深度を調定しなければ、撃沈は狙えず下手を打つと損傷すらさせられない。
その時、宇那木の所へ水測室から報告が入った。
「目標の音が消えました……」
「くそっ……最後の接触は?」
「方位二七〇、深度三〇、距離四〇〇です」
今、竹は海岸から離れて方位九〇……つまり東の沖合に向かっている。
目標は、竹の艦尾で忽然と姿を消した。
爆雷の事を看破したのか?まさか……
その時、艦尾の方から轟音が響いた。
どうやら、投下した爆雷が調定深度に達して爆発したようだ。
「全方位の見張りを厳とせよ!目標がどこから来るか分からんぞ!」
宇那木が、命令を叫んだ瞬間だった。
艦橋横の張り出しで右舷側の見張りをしていた水兵が艦橋内に向かって叫んだ。
「右舷、五〇メートルに大量の気泡!」
「五〇メートル?!近すぎる!」
竹の主砲は、艦首に一二.七センチ単装高角砲を一門、艦尾には同じ高角砲の連装砲型を積んでいるが、目一杯俯角を取っても、五〇メートルは完全に射程内に入ってしまう。
「右舷の単装機銃に照準させろ!命中しなくても構わん!威嚇で十分だ」
「主砲は?」
「右舷に指向!発射は待て」
「宜候!」
宇那木の命令で、右舷に設置してある二十五ミリ機銃が間髪入れず、気泡目掛けて猛然と射撃を開始した。
銃側では、手空きの水兵が弾倉の再装填を手伝っているのが見てとれた。
宇那木が艦橋右舷の張り出しに出て、双眼鏡で水面を見ると、報告があったように五〇メートルほどの位置で大量の気泡が上がり続けている。
一見すると、潜水艦が浮上する時のようにも見える……しかし、探信儀や聴音機には反応はない。
爆発の余波で、両方とも使用不能という事もあるが、潜水艦なら既に潜望鏡ぐらい見えてもおかしくないはずだ。
そう思いながら、双眼鏡で海面を観察していると、艦橋内にいた副長が宇那木の所へ電文を持ってやってきた。
「艦長、隼鷹の前原大佐から通信電文です!」
「読み上げろ」
「貴艦ノ直掩ニ航空隊ヲ送ル……艦戦六、艦爆六、艦攻三……以上です」
「大佐も前回の戦闘は見ておられるからな……駆逐艦には、厄介な相手だと考えられたのだろうな……『掩護に感謝する』と返電しておいてくれ」
通信の発信者は、先任の前原大佐だった。
前原も宇那木と一緒に、あの大海蛇を見ている。
いくら小回りの効く駆逐艦とはいえ、相手を考えて艦爆や艦攻を送ったのだろう。
今回は相手が違うが、潜水艦だと上空からの攻撃にはほとんど為す術がないからだ。
精々、急速潜航して逃げる事しか出来ないのだ。
「射撃やめ!取り舵一杯、右舷前進強速!」
「宜候……艦長!右舷!」
目標から遠ざかろうと、宇那木が号令を発し、副長が復唱しようとした時だった。
竹の右舷側数十メートルの海面に、何かが浮き上がった。
咄嗟に双眼鏡を構えた宇那木は、悪態をついた。
「やっぱり奴だ……大海蛇だ!」
浮き上がった物体は、全体的に紫色をしていて、頭部だけを海面から突き出して、双眸鋭くこちらを見つめていた。
そして、大きな口には何か丸い物を咥えている。
見覚えのある物体に、宇那木は青褪めた。
「なんて奴だ……あの野郎、爆雷を咥えてやがる!」
その言葉に、艦橋内の誰もが絶句した。
投下した爆雷は全部、爆発したと思っていたからだ。
「取り舵やめ、直進!両舷一杯!」
「宜候!」
宇那木は、取り舵をやめてそのまま直進で退避行動を取った。
旋回していると、艦の速度が出ないからだ。
そして、ボヤボヤしていると味方の空襲に巻き込まれかねない。
《左舷後方に零戦六!低空で接近してきます!》
《同じく、左舷後方に九九艦爆と九七艦攻を確認!上昇しています!》
伝声管から後方見張り員の声が響いてくる。
隼鷹から発艦した戦爆攻の直掩隊の来援だった。