戦渦-7
師団司令部へレインと向かう道すがら、俺は海岸付近の様子を観察していた。
師団も、一個連隊が無事に上陸しているようで、かなりの人数が砂浜や海岸に溢れかえっている。
そんな中、詳細が分からない場所に来て、緊張した面持ちをした者が多い我々を横目に、米兵や独兵たちは帰り支度を始めていた。
自分たちの車輌に、溢れんばかりに資機材を載せている。そこに、米軍の幹部たちを集め、話をしているロック少佐がいた。
話の邪魔をするのも悪いので、素通りしようとしたら、不意に背後から声が掛けられた。
振り返ると、どこから現れたのか独軍のアーレント中尉が、微笑ましそうにこちらを見ていた。
「おはよう、澤村中尉……いや、こんにちはかな?」
「おはようございます、アーレント中尉」
「その子が、噂の子供かな?」
アーレント中尉は、レインを見ながらオレに問いかけてくる。
話ぶりからすると、すでに要所々々には、レインの事が伝わっているらしい。
「そうですが……アーレント中尉は驚かないので?」
「ん?どういう事だい?」
「いえ、なんと言うか……人間の子供では無いので……」
「あぁ……そういう事か」
改めてレインの事を、まじまじと見つめるアーレント中尉に、当のレインは恥ずかしいのか、俺の背後に隠れて、恐る恐るアーレント中尉を覗いている。
その様子を見たアーレント中尉は、吹き出した。
「澤村中尉……この子は、見た目こそ異なるが、れっきとした子供だよ。人見知りして、可愛いじゃないか」
「はぁ。そこら辺は可愛い所ですが……」
「なに、見た目など記号に過ぎない。本質は中身だよ……」
そういうアーレント中尉の目は、どこか寂しそうな、遠くを見つめるような目をしていた。
そして、ポケットから薄い丸缶を取り出して、レインに渡そうとしていた。
「ほら、ショコラだよ。美味しいよ」
アーレント中尉が渡そうとしたのは、チョコレートらしい。恐らく独軍の携行食の中に入っていたのだろう。表面には鷲の紋章が描かれている。
レインは、差し出された缶を恐る恐る受け取り、蓋を開けた。
中には、円形の黒光りするチョコが入っていた。
クンクンと、チョコの香りを嗅いだと思ったらレインの顔が笑顔になった。
どうやら、お菓子である事に気が付いたらしい。
そのまま円形のチョコを両手で掴んで、小さな口でカリカリと食べ始めた。
その様子は、やはり可愛らしい。
それを横目に、俺はアーレント中尉に問いかけた。
「先ほどから見ていましたが、中尉たちは引き上げですか?」
「あぁ。今朝決まった。そちらとの連絡任務に多少は残るが、後は引き上げる。ここの管理は、そちらに任せるそうだ」
「では、アーレント中尉も?」
「なんだ?寂しいのかい?」
ニヤリと微笑を浮かべるアーレント中尉に、背筋がゾクッとする。
やはり、この男には気をつけた方が良いのかもしれない……。
そう思っていると、アーレント中尉は笑い出した。
「いやぁ、少し気持ち悪い事を聞いたな……だが、私は残留組だ。ついでに言うと、ロック少佐も残るらしい」
「そうですか。お二人がいてくれて安心です」
「おいおい、お世辞は辞めてくれ」
二人で笑っていると、略帽を被った一人の日本軍将校が歩いてくるのが見えた。
向こうも、俺が目当てらしく、俺を見つけると走り寄ってきた。
「お前が、澤村か?」
そう聞いてきた将校の階級章を見ると、大尉だったので慌てて敬礼した。
「はい。自分が澤村です」
「そうか。俺は、師団司令部付の丸山大尉だ。師団長が、貴様を呼んでいる。付いてこい」
そう言って丸山大尉は、踵を返すとサッサと歩き出した。
俺は、アーレント中尉に別れを告げると、レインと一緒に丸山大尉の後を追った。
少し歩くと、師団司令部に到着した。
師団司令部は、まだ仮設の状態だが会議に使う場所だけは、天幕が張られている。
それ以外は、青空天井で仕事をしているようだ。
「ここで少し待っていろ。師団長に報告してくる」
司令部天幕入口前で、丸山大尉は俺にそう告げると、天幕の中へ入っていった。
話し声が微かに聞こえるから、まだ会議が行われているのだろう。
俺は待ち時間を利用して、自分とレインの身支度を整えた。
さほど汚れてはいないが、畏まった場に違いは無いので、ある程度キチンとしておかなくてはならない。
先ほど食べたチョコで、口元が汚れていたレインの顔を手拭いで拭いていると、丸山大尉が再び外に出てきた。
「澤村中尉、入っていいそうだ」
「分かりました……レイン、行くぞ」
言葉は分からないだろうが、レインの手を引くと軽く頷いてレインは、俺と一緒に天幕の中に入った。
天幕の中は、屋根に明かりの灯ったランタンが数個下げられていて、外に比べると少し薄暗いが全員の顔は見て取れた。
四角上に並べられた机にいるのは、森岡中将以下の師団司令部の幕僚たち、海軍の渋谷大佐以下数名、米軍のモリンズ大佐以下数名、そして独軍のホルン少将以下数名がひしめき合うように着席していた。
その中でも、異質な雰囲気を放っているのが、三人の指揮官の横に座っている魔王側近のゴルトだ。
今回で会うのは二度目だが、この表面上は好好爺とした老人に、俺は得も言われぬ恐怖心に似た何かを感じていた。
俺は、高級指揮官の中で一人居心地の悪さを感じながら、早速本題を切り出した。
「日本帝国陸軍の澤村中尉です。今日は、ゴルト殿にお願いがあって参りました」
「……私に?」
「はい……実は、昨夜この子供を保護しまして……言葉が分からないので、子供の素性が全く不明なので、ゴルト殿に通訳をして頂けないかと……」
「ほう……猫人族か」
ゴルトは、俺の後ろから顔だけ出しているレインを見て『猫人族』と呼んでいた。
その猫人族と言うのが、レインたちの人種なのだろうか……?
「名前はレインと言うそうですが、それ以外は外見の特徴以外なにも分からず……」
「言葉が分からねば、そうなるでしょう。承知しました……直接聞いてみましょう」
「よろしくお願いします……レイン、ほら」
ゴルトが通訳というより、レインに直接話を聞いてもらうことになったので、俺はレインの背中を押した。
レインは不安そうに俺を見ていたが、落ち着けるように俺が笑ってやると、幾分か表情が和らいでゴルトのもとへと歩いて行った。
椅子に座るゴルトの前に立つレインは、背丈が同じぐらいになるのだが、なぜか酷く小さく見えてしまう。
そして、ゴルトがレインに向かって話しかけた。
最初は、緊張しているように見えたのだが、話をしていくうちにレインは不安と言うよりも、今にも泣きそうな表情になっていく。
俺は……いや、その様子を見ていた高級指揮官たちも気づいたはずだ。
話の中身が”良くない話”であると……。