戦渦-4
「中尉、起きてください…中尉!」
真田の声がして、俺は目が覚めた。
辺りは薄明るくなっていて、夜明けになっていることが分かる。
俺は起きあがろうとしたが、なぜか体が動かない…何が重いものが体の上に乗っているみたいだ。
俺は目だけを動かして、体の上を見た。
何か乗っている……よく見てみるとレインが俺の腹の上で丸くなって寝ていた。
スゥスゥと健康的な寝息を立てているから、まだ熟睡しているのだろう。
「なんだ…レインか……良かった」
「一体、なにが良かったのかな?中尉」
真田の声とは違う声が足元から聞こえて、俺の心臓が跳ねた。
聞き覚えのある声だ。しかもその声の主はドンドンと近づいてくる。
やがて俺は、その人物に上から覗き込まれた。
「お早う中尉…よく眠れたかな?」
「か、閣下ぁぁ!」
俺を覗き込んだ人物は、他でも無い森岡中将だった。
慌てて寝ているレインをどかして、その場に直立不動の姿勢をとる。
真田も、森岡中将の後ろで『休め』の姿勢をとっている。
「し、失礼致しました!」
「いや、構わんよ。この軍曹から話は聞いた」
「はっ!報告が事後になってしまい申し訳ありません」
「その点も良しとしよう。だが、な?中尉…」
森岡中将は、少し改まって且つ少し言いづらそうにこちらを見ている。
俺は、なにも聞けず直立不動の姿勢のままだ。
「幾ら懐かれたとはいえ、腹の上で寝かせることもあるまい?貴公…小児性愛者か?」
「ち、違います!これは…」
「いや、他人の趣味趣向をどうこう言うつもりでは無い…ただ、それだけはやめておけ」
「閣下…本当に違います…今から詳しく説明します」
俺は昨夜の出来事から今までのことを、ありのまま森岡中将に話した。
半分笑っていたので、先程の会話も冗談だったのだろう。
俺も寝起きで頭がまわっていなかった。
ちなみに真田こと“ヒゲ”は、森岡中将の背後で見えないことをいいことに、終始ニヤけていた。
あいつの休みは中隊長権限で減らしてやることを静かに決意した。
「なるほど、なるほど…つまり名前しか分かっていないのか」
「そうであります…つきましては中将閣下にお願いが御座いまして…」
俺は、昨日の夜ぼんやりと考えていた事を中将に話すことにした。
「なんだ?」
「はっ。今日、ゴルト殿が参られるという事なので、ゴルト殿を介して、この子供の事を聞いてみたいと思います……御許可願えますか」
「分かった。同席を許可しよう…それまでは非番で構わん。連隊長には上陸次第、私から伝えておこう」
「感謝します」
俺が敬礼で答えると、森岡中将も敬礼で返した。
その直後、森岡中将の視線が俺の右下に動いた。
それと同時に、俺の右足は誰かに掴まれた。
敬礼を解いて見てみると、レインが俺の後ろに隠れるようにして、ジッと森岡中将を見つめていた。
「おぉ、可愛らしい顔をしておるではないか……」
森岡中将は、まるで孫でも見るような優しい目でレインを見つめていた。
そして上衣の衣嚢に手を入れると、懐から小さな紙の包みを取り出し、レインの目の前に差し出した。
「ほら、爺さんからの手土産だ…」
レインは包みに恐る恐る手を出すと、それを受け取って、早速開いていた。
包みの中には、飴玉や金平糖が何個か入っているようだ。
しばし随順するレインだったが、甘い匂いがして食べ物だと分かったのか金平糖を口に入れた。
途端に顔が綻び、レインは中将の足に抱きついた。
礼でも言っているつもりだろうか。
慌てて引き剥がそうとする俺を、中将は制した。
「大丈夫だ。子供というのは、元気すぎるくらいが丁度いい……」
レインをあやすその顔は、好好爺らしい優しさが滲み出ていた。
その時、不意に森岡中将は空を見上げた。
一瞬だったが、微笑みが寂しいものに変わっていた。
「私にも孫がいたよ。生きていればちょうどこのくらいの年嵩だった……」
「閣下?」
「去年の初めだったな…娘夫婦を疎開させていた所に空襲があったのは……」
足にしがみつくレインの頭を撫でながら、森岡中将は寂しそうに呟いた。
俺は何も言えず、その様子を見守ることしか出来なかった。
森岡中将も、この戦争で掛け替えの無い宝物を失っていたのだ。
そう思うと、戦争の無常さを考えずにはいられなかった。
ひとしきり森岡中将の足にしがみついて、頭を擦り付けていたレインは、満足したのかスッと離れた。
そして、再び俺の所に来ると森岡中将を見つめていた。
それを見て、先ほどと同じように微笑みを浮かべる森岡中将だったが、突然表情を変えて、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「中尉、どうなるか分からんが、その時まではちゃんと面倒を見るように…」
「はっ。承知しました」
「師団長命令だぞ?」
そう言って森岡中将は、レインに小さく手を振ると歩いていった。
俺は、背中を見せて去っていく森岡中将に深々と頭を下げて、その姿を見送った。
真田も敬礼で森岡中将を見送ると、俺に話しかけてきた。
「すいません…中尉とレインちゃんが一緒に寝ていて、起こすに起こせず……」
申し訳なさそうに頭を下げつつ真田が謝って来るが、先ほどのニヤついた顔が思い出される。
内心では、どうしてやろうと考えていたが、俺の足にしがみ付くレインを見ていると溜飲が下がってきた。
やっぱり、俺は危ないのだろうか……?
「まぁ、いい……結果として中将にも話は出来たわけだからな。ところで今何時だ?」
「〇六四〇です。先ほど、第一陣が上陸を始めました……」
「どの連隊からだ?」
「第二九五連隊からです。大隊順に上陸しています…あと、揚陸艇も物資の陸揚げを行う予定だそうです」
「非番になったとはいえ、顔を見せに行かないわけにはいかんな」
俺はそう言って、連隊が上陸している海岸へと向かおうとした。
しかし、レインが俺の右足にしっかりと摑まっているので、閉口した。
ちょいちょいと真田を手招きすると、レインに言った。
「このヒゲで自由に遊んでいいぞ……」
「ヒゲー!」
「ちょっ!中尉!」
名前は完全に「真田」で定着したらしく、俺が真田を指さすと笑顔になって突撃していった。
馬乗りになられた真田は、俺に助けを求めているが、無視して海岸へと向かった。
背後では未だに真田が助けを求めていた。
「中尉!?さっきの仕返しですか?!ちょっ…痛い!レイン、やめてぇぇぇ!」
「ヒゲーーー!」
「中尉ぃぃぃぃぃぃ!」
最後に振り返って、真田の様子を見た。
真田は顔を押さえていたが、隠しきれない顎鬚がレインの標的になったらしく、小さな両手で無造作に引っ張られている。
俺は、鼻で笑って海岸へと歩いて行った。