戦渦-3
真田と子供が戯れている(?)間に、俺はロック少佐から貰った米軍の携帯糧食を取り出していた。
携帯糧食は、長方形の紙箱に入ったもので表面には『Dinner』と書かれている。
「ディナー?少佐は晩飯食わなかったのか?」
疑問に思いつつも、箱の中身を全部出す。
余談ではあるが、米軍において『Dinner』は昼食を意味する。
夕食は『Supper』である。
出てきた中身を見ていると、俺は米軍の補給能力の高さに目が付いた。
箱の中に数種類の品が入っている…マッチに煙草まで入っているのには驚いた。
ここまで潤沢な補給が出来る敵を相手に戦っていたのかと思うと、自分たちが食っていた昼飯の内容を思い出す。
あの時、俺たちの所に来たのはアーレント中尉だったが、やはり米軍との違いから珍しいものを見るような目つきになっていたのだろうと考える。
「はぁ、そりゃ貧相に見えるわな……」
隣から何か野太い悲鳴が聞こえた気がしたが、気にすることなく子供にあげられないもの…煙草やマッチを分けていると、子供が横に立ってこちらを覗いていた。
キラキラと目を輝かせて、勝ち誇ったような顔で、右手はしっかりと握り拳を作っている。
「……何を握ってるんだ?」
俺は子供に右手を指さして首を傾げた。
言葉が通じないなら、体で表現するしかない。
すると、意味が分かったのか俺の目の前に拳を突き出して、ゆっくりと手を開いた。
「……うわぁ」
中身を見て、思わず変な声が出てしまった。
子供の手の中にあったのは、黒い毛だ……真田の髭が戦利品らしい。
「中尉…俺、どうなってます?」
真田が、情けない声を上げつつ顎をさすりながら歩いてくる。
最後に聞こえた悲鳴は、髭を毟り取られた瞬間だったらしい。
顎鬚の一部が、無惨にも引きちぎられていた。
「あー、いつも通り凛々しいぞ……気分転換に髭でも剃れよ」
「無いんですね?!やっぱり無いんですね!?」
「静かにしろ…他の連中が起きるだろうが…」
辺りをわざとらしく見回すが、誰も起きる気配が無い。
皆、慣れない環境で疲れて熟睡しているようだった。
「そういえば、この子の名前は何です?」
まだ髭を毟られた顎が痛いのか、手でさすりながら真田が俺に問いかけてくる。
子供は、食事中で今は乾パンを齧っている。
ポリポリと小さく齧る様子が、とても可愛らしい。
「聞いてなかったな…名前は万国共通だから聞いてみるか……」
俺は、子供に聞いてみることにした。
いつまでも「この子」とか「子供」と言うのは煩わしい。
せめて名前が分かるなら、この先呼びやすいのだが……。
「坊主…名前は?」
「……?」
何度も試したが、言語の壁は厚く高かった。
やはり、体で表現することにした。
「みーつーる。分かるか?“みつる”だ」
俺は、自分の胸を叩きながら自分の名前を子供に告げた。
すると子供は、頭を横に振った。
自分の名前を間違えたつもりはないが…と思っていた時だった。
子供が俺を指さして、一言だけ言った。
「チュイ!」
「チュイ?」
思わず、オウム返ししてしまう。『チュイ』とは何のことだ?
そう思っていると、真田が笑い出した。
「そうかそうか…中尉、この子はちゃんと俺たちの話を聞いてますよ」
「どういうことだ?」
「分かりませんか?チュイ…つまり“中尉”ですよ」
あぁ、と俺はそこで合点がいった。
思い出せば、春日も真田も二人とも俺の事を『中尉』と呼んでいた。
それで、この子供は俺の名前を『中尉』だと思い込んでしまったのだ。
「いや、本名は充だから…みーつーる!」
「チュイ!チュイ!」
「そうだ坊主!この人はチュイだ!」
真田が悪乗りして子供に間違いともいえないことを教え込んでいる。
ふっと思い立った俺は、真田を指さして子供に教えた。
「いいか?“ヒゲ”だ…ヒーゲ!」
「ヒーゲ?」
「ちょ!中尉!」
こうなりゃ自棄だ。俺は真田の髭を掴んで更に連呼した。
子供も素直に受け入れて、一発で覚えたようだ。
「ヒーゲ!ヒゲ、髭!」
「ヒゲ!ヒゲ!」
子供は面白そうに真田を指さして『ヒゲ』を連呼していた。
これで真田の愛称は『ヒゲ』に決定した。
ひとしきり、ヒゲを連呼した後、本題に入ることにした。
「いいか〜?チュイ……ヒゲ……君は?」
名前(渾名?)を言うたびに、自分と真田を指さす。
そして、最後に子供を指さす。
それを二三回繰り返すと、ようやく意味が伝わったようで、小声で呟いた。
「レイン」
「そうか、レインか…レイン?」
俺の確認に、レインは無言で頷く。
これでようやく名前が呼べそうだ。
そうしていると、レインは食事を食べ終えて、大きく欠伸をした。
「ん?眠くなったか。真…ヒゲ、外套あるか?」
「いや、言い直す必要ないと思いますが?一応ありますけど…」
「敷物にするから貸してくれ」
「はぁ…まぁいいですけど」
真田は、自分の横に置いていた外套を俺の横に敷いた。
俺は半分眠りこけているレインを抱えて静かに横たえた。
そして、自分の外套をレインに掛けた。
「いや、中尉も持ってるんですか?」
「俺のは掛物、お前のは敷物だ」
「酷いなぁ……お?交代のようですね」
真田が気づいたが、天幕の方から二人ほど歩いてくる。
時計を隠顕灯の明かりに翳してみると、交代の時間になったようだ。
二人は、こちらに向かって真っすぐ歩いてくると、俺たちに気がついた。
「軍曹殿…歩哨交代願います」
「おう……中尉、真田軍曹以下六名歩哨に就きます」
「ん。任せた…気をつけてな」
「ありがとうございます……チュイ」
「さっさと行きやがれ、ヒゲ」
真田は、先ほどの仕返しのつもりか小声で「チュイ」と言ったので、俺もやり返した。
真田は、小さく笑うと周りの兵隊を起こして歩哨へと向かった。
今戻ってきたのは春日と池崎で、立哨の四人は入れ替わりで戻ってくるようだ。
「中尉殿、その子供は眠ったのですか?」
「あぁ、つい今し方な…静かにしとけよ」
「心得てます」
池崎が俺に聞いてきたので、小声で答える。
何故か安心したような池崎は、そのまま装備を外すと横になった。
しばらくして立哨の四人も帰ってきたので、軽く説明すると納得してくれて静かに横になった。
気持ち離れて休んだのは、レインに気を使ったのだと思いたい。
「俺も寝るか…」
全員が休んだのを見届けてから、俺も地面に身を横たえた。
気候的に暖かいので外套が不用なのは救いだった。
俺は、帽子を顔に被せると疲れていたのか、直ぐに寝入ってしまった。
起きた時、ちょっとした事件になっていることを、この時俺は知るよしもなかった。