戦渦-2
「猫?」
春日に子供と言われて、俺が駆け込んで見た子供の第一印象だ。
ざっと見た感じは、五歳か六歳ぐらいの子供で膝を立てて座り込んでいた。
しかし、よく見てみると自分たちがよく知る子供たちとは異なる点がいくつかあった。
麻で作られたようなボロボロの服を着て、頭から猫の耳のようなモノが突き出ている。
それに、猫と人を足したような顔立ちと下半身からちょろりと覗いている尻尾らしきものまである。
これを見た俺たちは、思わず閉口してしまった。
「中尉、どうしますか?」
「とりあえず銃を下せ、相手は一応子供のようだ…」
「しかし…」
「構わん。怯えているようだ……」
混乱する俺たちだったが、とりあえず子供だと分かり一旦警戒を解いた。
本来なら、子供といえども警戒を解くべきでは無いのだろうが、子供(子猫?)が俺たちを見て微かに震えていたのをみて判断した。
「坊主、どこの子だ?この辺りの子か?」
「…?」
子供は答えない。
というより、俺が何を言っているのか理解出来ない様子だ。
そこで俺は思い出した…ここが地球ではなく別の場所であったことを。
「そうか、日本語が通じるわけないよな……悪かったな」
俺は手を伸ばして、子供の頭を撫でた。
一瞬、体を強張らせた子供だがその後は素直に撫でられることを許容していた。
子供の頭を撫でていると、不意に池崎の姿が目に入った。
何故か体を揺らしてソワソワしている。
「どうした池崎…小便か?」
「いえ、違います…自分は、自分は…」
「?」
「猫が大好きなのであります!特に子猫は!」
思わずズッコケそうになった。
つまり、俺が猫っぽい子供を撫でているのが半端なく羨ましいらしい…。
なんとも俗っぽい理由である。
「今は我慢しろ……というかずっと我慢してくれ」
俺の命令に池崎は心底気落ちしていた。
その肩を叩いて、春日が慰めている。ちなみに春日も羨ましそうにこちらを見ていた。
春日…お前もか……。
「夜中に何事だ」
不意にライトで照らされて、ドキリとして反射的に拳銃を構えそうになり、グッと我慢した。
顔を直接ライトで照らされているので、逆光となってしまい相手の顔が見えない。
「誰だ?」
「おぉ、澤村中尉か…俺だ。ロックだ」
ライトの光が顔から外され、やっと相手の顔が見えた。
そこには、米軍のロック少佐が一人で立っていた。
「少佐殿でしたか…」
「いったいどうしたんだ?声が聞こえたから出てきたんだが…」
「はい。実は…」
先程までの顛末を話すと、ロックは笑っていた。
「なるほど、子供か…しかし、こっちの歩哨は何してたんだ?後で怒鳴るか…」
「それは…少佐のご自由に……して、この子供はどうしますか」
「どうするもこうするも、既に決まっているようだが?」
「はい?」
決まっていると言われて疑問に思っていると、ロックは一点を指で指し示した。
視線を指の先に向けると、いつの間に掴んでいたのか、俺の軍袴の裾を恐る恐るといった感じで子供が掴んでいた。
「貴公は子供に好かれるようだ」
「…はぁ、そのようで」
「貴公に任せる…おう、そうだ!ちょうどいいから、こいつを渡しておこう」
ロックが懐から取り出して俺に渡したのは、米軍のいわゆる携帯糧食だった。
「なに、余っていたからな…その子供にでも食べさせてやればいい」
「ありがとうございます…遠慮なく頂きます」
「構わんさ」
そう言って、ロックは煙草に火をつけると後ろ手に手を振りながら、自分のテントへと帰っていった。
後に残されたのは、日本兵三人と子供一人である。
「中尉、歩哨は自分らに任せてください」
これからどうしようかと決めあぐねていると、春日が俺に言ってきた。
「中尉は、この子と休んで頂いて結構ですよ。流石に子連れじゃ歩哨は無理でしょう」
「そうか、分かった。以後は任せる」
「はっ!春日伍長、これより哨長任務に就きます」
「すまんな…よし、坊主。おいで」
春日にランタンを返すと、俺は子供の手を引いて歩き出した。
俺の意図を察したのか、トテトテと覚束ない足で歩き出す子供。
しかし、歩いて数歩でいきなり立ち止まった。
「ん?どうした?」
子供の目線の先には、春日と池崎が並んで立っている。
ジーッと見つめる子供の視線に気づいたのか、春日がランタンでこちらを照らす。
すると、子供が春日と池崎に向かって手を小さく振っていた。
「グハッ…」
「エンッ!」
二人は心臓を押さえ、膝をついて悶えていた。
猫好きは斯くもこうあるのだろうか…。
子供は、満足したのか再び俺の手を掴み直すと、前を向いた。
俺は二人の兵隊が悶えるのを尻目に、真田たちがいる寝床へと歩いていった。
ふと空を見上げると、木々の間から月が覗いていた。
森の中なので木々に遮られてあまり光が届かないが、それでも歩くには問題ないぐらいの光量はあった。
ゆっくりと気を付けながら歩いていたが、子供は訳なく俺の横を付いてきていた。
躓かないように気を使ったつもりだったが、心配なかったかもしれない。
そうこうしているうちに、寝床へと辿り着いた。
「あれ?中尉、もう交代……なんです?その子供?」
「お前、寝てなかったのか?」
寝床へ行くと、真田が座って煙草を吸っていたので驚いた。
かくいう真田は、そんな俺の質問など気にせず子供に興味津々だ。
「歩哨中に出くわした…とりあえず夜明けまでは面倒見てやらんとな」
「はぁ…しかし、なぜ子供が?」
「俺が知るか……とりあえず飯でも食わせるか。おい、明かりを出してくれ」
「はい」
真田は背嚢から隠顕灯を取り出して明かりを灯した。一応、限界まで蝋燭を下げて明るくなりすぎないように配慮する。
微かな蝋燭の炎が、俺と真田、そして子供を照らした。
隠顕灯は、日本軍が露営などをする時に使用していた携帯式の金属製行灯ともいえる物である。
隠顕灯本体の下部から光源となる蝋燭を入れ、背後の反射板により照明として利用する。
蠟燭が短くなれば、差し込んでいる部分のネジを調整して明かりが維持できる優れものだ。
実際使い勝手が良いこともあり、戦後でも一部が旧国鉄で夜間の照明として使用されていた。
「うわっ!」
明かりに照らされた子供の顔を見た瞬間、真田が声を上げた。
今まで月明りのみだったので、よく見えていなかったのだろう。隠顕灯が点いたことで子供の姿がはっきりと見えていた。
「中尉…猫又を拾ったんですか?」
「失礼なことを言うな……れっきとした子供だ」
「いや、でも……」
「人を見た目で判断するのは良くないぞ……ましてやほんの子供だ」
そこまで言うと、真田がバツの悪そうな顔をしていた。
子供相手に言い過ぎたと思ったのか、その子供に謝っていた。
謝られた子供は、やはり日本語が理解できないようで疑問の顔をしていたが、すぐに真田の顎鬚を引っ張るという凶行に出ていた。
「痛い痛い痛い!ちゅ、中尉…どうにかしてください」
「人を化け物扱いした罰だ……しばらく遊んでやれ。俺はこいつを用意する」
そう言って、俺は二人に踵を返すと子供の食事の用意を始めるのだった。




