戦渦-1
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「澤村中尉、会議に引き続いてすまんが、夜間の立哨は任せたぞ」
「ありがとうございます閣下……安心してお休みください」
「うん。では、翌朝〇五三〇に頼むぞ」
そう言って俺に労いの言葉をかけて、森岡中将は日本軍一向にあてがわれた天幕へと入っていった。
あの後、会議は更に一時間ほど続き、終わったのは二二時を過ぎた頃だった。
師団の上陸は、明朝〇六〇〇から行われる予定で、正午過ぎまでには師団全員が上陸を完了する手筈となった。
今回は、敵前強襲上陸ではなく、あくまで支配地域への上陸という前提で行われるものなので、短時間に上陸させなくてもよい。
むしろ、今回求められるのは確実性だが、その点に関しては船舶工兵の任務なので、俺は管轄外だ。
「中尉、終り方に聞こえてきた笑い声は何です?」
「あー、あれか……」
俺に聞いてきたのは、真田だった。
真田たちは、指揮所の近くにいた…というよりあてがわれた天幕が指揮所の近くだったので、ある程度の会話は聞こえていたらしい。
無論、真田たちは英語がほとんど分からないので、意味が分からなかったらしいが、突然笑い声が聞こえて、分隊員たちは顔を見合わせていたと言う。
「ホルン少将…独軍の指揮官だが、日本語で“ありがとう”と言ってな…それで笑っていたんだ」
「あぁ、そういう事でしたか……へぇ、ドイツ人にも日本語が分かるもんなんだなぁ」
「俺だって日本人だが、英語が話せるぞ」
「中尉殿ほどじゃなくても、中隊の何人かは、片言の英語や独語だったら理解している連中がいますよ」
「え?本当か?」
真田の思わぬ発言に、今度は俺が面食らう番だった。
戦時下では、英語は『敵国語』として忌避されていた…と言う話をよく聞く。
しかし、実際には英語教育は行われ、それなりの数の日本人が英語をある程度話すことが出来たと言われている。
実際に、日本で戦前に教鞭を執っていた外国人講師は『戦場で一〇〇人の日本兵に遭ったならば、一五人は英語の読み書きができるだろう』と著作で述べている。
戦場での例を挙げるならば、激戦地となったペリリュー島の戦いにおいて、海兵隊員が日本軍の夜間斬り込み対策として合言葉を使っていた。
しかし、日本兵がすぐに合言葉の法則を覚えてしまい、日替わりで合言葉を変える羽目になってしまったというものだ。
また、他の戦場では日本兵が英語で「衛生兵!」と叫んだり、突撃時に「ガスだ!」と叫んだりしたと、嘘か本当か分からない話が何個もある。
当時の日本兵たちが意外にも英語を理解していたと分かるエピソードだ。
話を戻そう。
天幕の立哨は、二三時の今からだと中将が起きる時間までの約七時間になる。
分隊は、俺を含めて一三名いるから七名と六名の二班に分けて、三時間半交代で立哨することになった。
当初は、ぶっ続けの仕事に若干の不満があったが、森岡中将が察してくれたのか明日から明後日までの二日間は、この分隊全員を非番としてくれたので全員が我慢することになった。
俺は、最初の六名と一緒に前半での立哨に立つことになった。
真田は後半組で、それに備えて今から寝るところだ。
「では、中尉。しばらくお願いします…」
「おう…子守歌でもいるか?」
「勘弁してください……」
真田は、俺の冗談に軽く笑うと寝床へと歩いて行った。
俺たちの寝床は、ロック少佐たちが用意してくれた。
用意してくれたと言っても、天幕の近くにあったちょっとした広場だが、数名が寝るのには十分な広さを持っていた。
「こんな所でいいのか?あっちにテントがあるぞ」
「いえいえ、ここで十分です……というより、あのテントでは少佐の部下が休んでいるのでは?」
「どかせばいいだろう?なぁに、奴らは鍛え方が足りないから鍛えなおすと思えば…」
「ここで大丈夫です!」
「では、私たちの天幕に来るか?我が部下はどこでも寝れ……」
「アーレント中尉まで!我々も露営は慣れていますので、大丈夫です!」
ちなみにだが、この場所を借りる際にロック少佐とアーレント中尉がお互いの近くを勧めてくるという異例の事態に見舞われた。
恐らく、からかわれていたのだろうが、よく見ると二人とも少し残念そうな顔をしていた。
それを見て少し居心地が悪い気がしたのは内緒である。
俺は、真田と別れると立哨を始めた。
一応前半組の最高位者なので俺が哨長を務める事になるのだが、本来なら歩哨は一人で、尚且つ一時間交代だ。
しかし、場所が場所という事もあり、四人は天幕の周りに立たせて文字通りの立哨をさせている。
残ると俺と二人の兵隊は、周辺を歩きながらの歩哨として三時間半を過ごす予定だった。
ちなみに米軍側の状況だが、連絡兵として来ていた二人の兵隊は、とっくの昔に帰っていた。
他に歩哨でも来るのかと考えて一時間程待っていたが、そんなものは一向に来ず、日本軍は完全に味方として扱われているようだった。
「アメさんは、警戒心がないのかね…」
米軍の事を考えて、思わず俺が呟いた時だった。
目の前の木立からパキリと枝を踏み折る音が聞こえた。
「誰か!」
拳銃を拳銃嚢から引き抜くと、音がした方へと構える。
誰何するが、返事がない。
俺は、薬室に装填するともう一度、今度は英語で誰何した。
「誰か!返事をしなければ撃つぞ!」
返事は無い。
俺が意を決して誰かが潜んでいるかもしれない木の裏に飛び出そうとした時だ。
俺の背後から走ってくる音がする。
振り返ると、一緒に歩哨をしていた二人の兵が駆け寄ってきていた。
「中尉殿、どうされました?」
ランタンを手に走ってきた春日伍長が俺に尋ねてくる。
もう一人は、池崎二等兵である。池崎は銃剣付きの九九式小銃を目の前の木に向けて、腰構えしている。
「分からん…誰何しても返事がない……」
「米兵か独兵では?」
「二回目は英語で誰何した…独語で三回目やるから、返事が無かったら裏に飛び込め……いきなり銃剣で突くなよ」
「了解」
俺の指示に従い、春日と池崎の両名は小銃を構えた。
俺は春日からランタンを借りて、木を照らしながら三回目の誰何をした。
「誰か!次は無いぞ!」
数秒待ったが、相変わらず返事は無い。
誰かが逃げたような動きも無いので、俺は二人に合図した。
春日と池崎は、勢いよく木の裏へと飛び込み、そして直後、春日が声を上げた。
「中尉!澤村中尉!」
「どうしたぁ!」
「人です……いや、人か?…子供です」
子供と聞いて俺は焦った。
米軍、独軍とも子供はいない…いや、独軍に若干の子供がいると聞いたが、独軍なら格好で分かるはずだ。
つまり、この地域の子供がどこかから紛れ込んだ…そう考えるしかなかった。
慌てて春日の近くに行き、ランタンで銃剣の先を照らした。
そこにいたのは……。
「猫?」