会談-14
ロック少佐たちの案内で、俺たちは指揮所の近くにある大型の天幕に入った。
ふと時計を見ると、一二時五〇分……向こうの指揮官が話通りに六時間でこっちに到着したと考えても、一九時になる。
そこから会談が始まったとして、輸送船に戻るのは日付が変わる直前か、それ以降か…なんにしても長い一日は終わりが見通せない。
護衛に連れてきた真田たちも天幕の外で全周警戒をしていたが、師団の御偉方がいる状況で堂々と休憩するわけにもいかない。
分隊長である真田には「今日は長くなるぞ」と耳打ちしておいたが、遠い目をして軽く笑っていた。
俺も天幕の外に出て一緒に警戒していたが、ロック少佐の好意なのか、それとも通常業務に戻ったのか、一回目の上陸とは違い警戒度は高くなかった。
その証拠に天幕の周りに警備兵はおらず、連絡係として割り当てられた兵が二人ほど居るだけだった。
その兵たちも天幕の前に立哨のように立っているが、さっき大欠伸をしていた事から、そこまで厳しく命令されているわけでもない様子だ。
それから三時間が過ぎた。
相変わらず米軍側はこちらを警戒しておらず、連絡係の兵も交代しながら休憩をとっているようだ。
こちら側は、真田たちが三人一組で天幕外側の四隅に立って警戒を続けている状態だ。
俺は、天幕を出たり入ったりを繰り返して一応の警戒態勢を採っているが、天幕の中は未だに緊張した面持ちの幕僚たちが椅子に座って待っている。
その時、少し離れた所から良い匂いが天幕のところまで漂ってきた。
辺りを見回していると、指揮所の隣にある炊事場が忙しそうにしていた。
どうやら米軍も晩飯の準備を始めたようだ。
「中隊長…自分たちの飯はまだですか?」
いつの間にか横に来ていた真田が、大げさに腹を摩りながら俺に向かって愚痴る。
俺も含めて護衛に来ている真田たちは、夜明け前に食った握り飯と味噌汁以外口にしていない。
二回目の上陸前に食べようと思っていた昼飯を食いっぱぐれたからだ。
おかげで半日近く水以外飲んでいない状態だ。
「背嚢に食料は?」
「一応、いつものように携帯口糧は持ってきていますが……」
「師団長たちも腹が減っただろう…ちょっと待ってろ」
俺は真田にそう言った後、天幕に入った。
何度も出入りするからか、最早誰も気に留めていない。
俺は、椅子に座って腕組みをしている森岡中将に進み寄って敬礼すると話しかけた。
「師団長閣下、待機時間も長くなりましたので晩飯を作りたいと思うのですが…」
「もうそんなに時間が経ったのか?」
「自分の時計では一六時であります。晩飯と言っても、携帯口糧しか持ってきておりませんので、混飯ぐらいしか出来ませんが…」
「いや、構わん。食えるだけでありがたい……向こうには話を通したのか?」
「いえ、今から連絡係の兵隊に話します」
「うん。勝手にするとマズイからな…許可が出次第やってくれ」
「わかりました」
俺は敬礼して、再び天幕の外に出た。
そして眠そうにしていた連絡係の米兵に話しかけた。
「今から晩飯を作りたいのだが、ここで作っていいのか?火も使いたいのだが」
「あー…、少々お待ちください。本部に聞いてきます」
米兵は、俺の話を聞いて足早に指揮所に入っていった。
そして数分もしないうちに、その米兵はロック少佐と一緒になってこっちに歩いて来た。
「澤村中尉、晩飯だって?」
ロック少佐が少し笑いながら俺に聞いてくる。
「そうです。我々は昼飯を食い損ねましてね…出来たら今から早めの晩飯をと思いまして……」
「そうかそうか…ここら辺ならどこで調理してくれて構わんぞ…なんだったら炊事場を貸してやろうか?」
「いやいやそこまでは…できれば水を幾らか融通していただけたら嬉しいのですが」
「水か?炊事場の班長に話しておこう。連絡係に取りに行かせる」
「ご厚意に感謝します」
「気にすることはいらんよ」
ロック少佐はそう言って、俺に手を振りながら天幕の中に帰っていった。
日本軍とはまるで違う雰囲気…アメリカ人とはこういうものなのだろうかと考えながらも、了承を得たことから分隊を集めて晩飯の準備に取り掛かることにした。
全員が叉銃して、背嚢から飯盒と米、それに牛肉の缶詰を取り出して準備を始めた。
燃料に枝でも使いたかったが、勝手にその辺を歩き回るわけにもいかないので、持ってきていた携帯燃料を使用することにした。
そして米軍の連絡係を通して炊事場から融通してもらった水を使って、米を研いで炊いていく。
各個炊爨をするのは久しぶりなような気もするが、皆が慣れた手つきでテキパキと作業をこなしていく。
現在は、日本陸軍の戦場での食事は、飯盒炊爨ばかりというイメージがあるが実際は違っていた。
実際は、「野戦炊具」と呼ばれる炊出機材で調理された食事を、食器である「飯盒」を用いて喫食するのが、本来の給与システムである。
飯盒炊爨は、作戦や行軍の都合により野戦炊具が調理した食事の提供が受けられない場合に、主に中隊以下の部隊単位で行われる食事の方法である。
この飯盒炊爨のイメージが付いてしまった原因は、主に戦争末期の南方での飯盒を使った貧しい食事事情がクローズアップされてしまったことが大きいだろう。
補給に余裕があった戦争初期や中国戦線では「口取缶詰」という数種類の祝賀料理を詰めたものが前線部隊に配給されている。
それ以外にも、「乾麺麭」「携帯圧搾口糧」「熱量食」「軍粮精」「乾燥野菜」などが昭和初期に陸軍に制式化され、戦場にいる将兵たちの空腹を満たしていた。
筆者も調べていて、その多様な内容に驚いたので、気になった読者諸氏は調べてみることをお勧めする。
話を戻そう。
飯盒を火に掛けてしばらくすると、中の米が炊ける匂いがしてきた。
担当の兵は、中の米を焦がさないように真剣に飯盒を見つめている。
そして数分後、火から飯盒を下すと飯盒をひっくり返して蒸らしに入る。
蒸らし終わると、飯盒の蓋を開けて混ぜながら米の状態を確認する。
俺も横から覗いてみたが、どの飯盒も焦げた様子はなく、綺麗な米が炊けていた。
そのまま兵は、牛肉缶詰を開けて中身を炊けた米に入れて混ぜ込んでいく。
混ぜ上がれば、「牛缶飯」の完成である。ほぼ一緒に粉味噌と乾燥野菜で作った味噌汁も完成した。
完成した食事を参謀たちに持っていくとき、あることに気づいた者がいた。
「中隊長…マズいです」
「なんだ真田?飯がマズいのか?」
「いや、そうじゃなくて…器と箸が足りません」
「……は?」
「自分たちだったら飯盒で回し食いでもしますが……流石に師団長たちにそうさせるわけには…」
今になって気づいても些か遅い気がするが、飯を盛り付ける食器を持ってくるのを完全に忘れていた。
いや、忘れていたというよりは元々想定していなかったのだからしょうがなかった。
「しょうがない…米軍から借りるか。真田、一緒について来いよ」
「わかりました」
そして俺と真田は、恥ずかしそうに米軍の連絡係経由で余った食器を貸してくれるように頼みに行くのだった。