会談-12
「という事でありまして、米独軍の現地指揮官との会談では、双方が我々との敵対関係を望まず協力体制を樹立したいとの考えがありました。これは彼らの上官一同の考えでもあるとのことです」
俺は帰ってきた輸送船の食堂で師団司令部のお歴々を前に、海岸で行われた会談内容の報告をしている。
報告を始めるまで渋い顔をしていた司令部幕僚たちだったが、相手と友好的に接せられるかもしれないと分かり、幾分か表情は和らいでいた。
しかし、一部の幕僚は俺の話を聞いて、鼻息も荒く居並ぶ司令部の面々に向かって声を荒げた。
「はっ!今まで空襲で民間人を殺しておいて何が協力か!この際、総力を持って断固撃滅すべきだ!!」
「その通りだ!協力関係と言うのも敵の謀略である可能性が高い。敵は寡兵だ……ここは一気呵成に敵を撃滅して、仇をとるべきだ!」
声を荒げる二人の幕僚は、硫黄島への出発直前になって参謀本部の作戦課から派遣された参謀だ。
一人は少佐、もう一人は大尉であるが、この二人はどうやら師団司令部の督戦任務を大本営から命令されているとの噂がある。
この第九七師団は、各地の留守師団から人員を集めて編制された師団だが、師団幕僚の大半が師団長である森岡中将の肝入りで指名されている。
本来であれば、司令部人事について決定権を持つのは陸軍大臣であり、その陸軍大臣に助言を行うのは参謀本部であるが、現在の陸軍大臣は日和見主義者として悪名高い杉山元である。
森岡中将は、予備役となってからも人脈は保持していたらしく、噂ではあるが皇族とも繋がりがあるようで、宮中と仲違いすることを恐れた杉山大臣が参謀本部の助言を無視して森岡中将の言うがままの司令部人事を通したらしい。
この人事について参謀本部内局の作戦課は、再三にわたり杉山大臣に再考を促すように説得に当たった。
しかし、現参謀総長である梅津美治郎陸軍大将が支那戦線における森岡中将の活躍を知っており、内局に対して参謀総長直々に意見具申の中止が命令された。
それでも水面下で暗躍した結果、空席だった師団司令部の参謀に息が掛かった二人を捻じ込むことに成功したのである。
だが、幾ら参謀本部の息が掛かったとはいえ、意見としては至極真っ当な意見である。
現在の状況として、日本は英米主導の連合国と戦争中なのである。
たとえ異世界に来たと言っても、その状況までは変わることはない。
吠える参謀二人に師団長は我関せずといった表情で黙している。
これを一喝したのは参謀長の中間大佐だった。
「いい加減にせんか!我々参謀部は助言する立場にあって、師団長の決定を覆す立場にはない!ここは議論する場だ…演説する場所ではない!」
直属上官の一喝を受けて、渋々と言った表情で参謀の二人は椅子に座った。
そして、そのまま中間参謀長は言葉を続けた。
「師団長、うちの者が失礼しました……しかし、この二人が言うことも一理あると思われます」
「中間くん……どういうことだ?」
「現在、我が日本は米英蘇連合軍と戦争を繰り広げています。一部とはいえ敵の戦力を削げるならば、この機会を逃すのは惜しいと本職は考えます」
「…」
「追加で申し上げますと、国土は空襲で蹂躙され、無辜の国民が毎日何千人と焼かれているのです」
中間参謀長の事実だけを指摘する言葉に、食堂の雰囲気は沈痛なものとなった。
実際、第九七師団が新編されるまで留守師団にいた部隊の中には、戦災者救援のために市街地に繰り出された部隊もある。
それを指揮した指揮官もこの会議に参加している為、内情は複雑であった。
もし彼らが、三月一〇日に起きた東京大空襲の惨状を目の当たりにしていれば、米軍を発見した時点で即座に攻撃に移っていただろう。
一九四五年三月一〇日に日付が変わった頃、三〇〇機を超える米軍戦略爆撃機のB29が東京下町を襲った。
下町が目標になった理由は、散在する中小規模の軍需物資の生産拠点を壊滅させるためと説明されている。
しかし、下町には民間人の木造家屋も密集しており、本当の目的は絨毯爆撃による民間人の殺戮だったのではないかという説もある。(筆者もそう考えている)
この空襲により、東京の下町一帯は灰燼に帰した。
超低空で投下される焼夷弾は三八万発以上に上り、トン数で言えば一六〇〇トンを超えた。
この空襲により、死傷者だけで一〇万人を超え、被災者に至っては一〇〇万人を超える世界史上類を見ない大虐殺となった。
実際にこれは、今日に至るまで単独の空襲被害としては世界史上最大と言われている。
そのような惨状を目撃しなかった彼らは、ある意味では幸運であったのだろう。
食堂にいた全員が押し黙ってから数分が経った。
誰しもが、どうするか考えていたが一番深く考えていたのは師団長の森岡中将だろう。
彼の判断一つで、一個師団丸ごとが壊滅の憂き目に遭うことも十分にあり得るからだ。
「しかし、それはあくまで日本……いや、地球にいた場合の話です」
沈黙を破ったのは、他でもない当の中間参謀長だった。
全員が中間参謀長を見つめる中、中間参謀長は話を続けた。
「ここでは地球とは勝手が違う…それに会談した米軍も欧州戦線で独軍相手に戦争していた……つまり直接的には日本を攻撃してはいないのです」
「それは、あまりにも詭弁すぎるんじゃないか?奴らだってヤンキーには違いない」
「民族的にはそうでしょう。ですが彼らも大和民族を根絶やしにしたいと考えていたならば、今ここに澤村中尉は立っていないはずです」
「…」
「地球での戦争を忘れろとも米軍を許せとも言いません。しかし、現在の状態が異常であることを鑑みるのならば、協力するのも一手だと本職は考えます……あとは師団長殿の判断にお任せします」
師団幕僚の何人かに不満は残っていたものの、中間参謀長の話は終わり全ての決定は師団長であり、現在異世界に来た日本軍最高位の将官の手に委ねられた。
当の師団長は、皆が話している最中も何一つ言葉を発さず、ただじっと腕組みをしながら話を聞いていた。
振り子時計の音だけが、静かになった食堂に響いていた。
「まずは……」
幾分経っただろうか、おもむろに森岡中将が口を開いた。
「向こうの最上級指揮官と直接の話がしたい……そしてその会談をもって協力するか否か決定する」
「師団長殿!」
「向こうに敵意が無いことは先刻明らかである。これは澤村中尉が無事に帰ってきたことからも確実だ……そして現時点では、大本営からの命令を受領できる状態ではない。だから私が判断した結果を異論もあると思うが受け入れてほしい……これは命令ではない」
森岡中将の言葉に表立って反対する者は誰一人いなかった。
澤村中尉も表情こそ引き締めているが、内心では胸を撫で下ろしていた。
一先ず、死人が出ないことが確定したからである。
しかし、澤村が冷や汗を掻くのはここからだった。
「異論がないなら話を進めるが、大発に乗っていくのは私と参謀長、海軍からも渋谷艦長や数名連れていきたい……あとは澤村中尉、貴様にも来てもらう」
「自分ですか?」
「そうだ…貴様は向こうに面が通っている。二度手間の話もしたくないだろうからな」
「いや、しかし…」
「命令だ。護衛に中隊から一個分隊率いてこい」
「……わかりました」
「出発は正午にする…直ちに準備せよ」
そういって立ち上がった森岡中将を、ただ茫然と見送る澤村中尉であった。