会談-10
「ここがノルマンディーになるさ」
ロックの言葉を聞いた途端、整備兵は青い顔をして自分のカービン銃を手に取ると急いで持ち場へと走っていった。
そう言った当の本人であるロックだが、緊張している雰囲気などおくびにも出していなかった。
というのも、なぜか攻撃があるとは思えなかったのである。
あくまでも可能性の話だが、日本軍も望んでここへ来たのではなく、何らかの出来事に巻き込まれてきたとしたら…。
そして、コロンブスのように何か月も旅をして陸地を見つけたとしたら…。
もしそうであれば、見つけた陸地に何としてでも上陸したいというのが本心だろう。
ロックは、海軍ではないので分からないが「海で漂流して死にかけた」という話は、古今東西どこにでもある話だ。
そう考えれば、部隊の補給や休息の意味を考えても突然攻撃することは無いだろう。
万が一、現地人が友好的関係を望んでいた場合、一度攻撃してしまえば敵対関係に陥ることは想像に難くない。
地球であればそれでも良かっただろう。しかし、ここは勝手が違う異世界だ。
もし、日本軍がここが異世界だという事が分かっていれば、違う手段を取るはずだ。
ロックはそこに賭けていた。
「軍曹!舟艇はどうだ!?」
頭上で双眼鏡を構えている軍曹にロックが怒鳴った。
軍曹は、双眼鏡で日本軍を見つめながら答えた。
「まだ向かってきてます…針路が少し右へずれていますが……あと五分ほどです!」
「分かった……その場所で大丈夫か?」
ロックは軍曹を心配したが、軍曹は双眼鏡を下すと自分の持っているガーランド小銃を見せつけるようにした。
「いざとなれば、ここから撃ちおろします!」
「よし、気をつけろよ」
「少佐殿も!」
その言葉を背にロックは、近くに掘ってあった塹壕に飛び込んだ。
飛び込んだ塹壕はドイツ軍の増援部隊が掘ったもので、中にいたドイツ兵たちは飛び込んできたロックに一瞬ギョッとしたが、再び海岸へと注意を向けた。
さっき、軍曹が報告した通りに日本兵が乗っている上陸用舟艇三隻は、こちらから見て中央からやや右に逸れた地点に向かっているようだ。
おそらくこっちの発光信号が海岸の中央部辺りから出ているのを見て、僅かに針路を変えたのだろう。
やはり日本軍は信号を理解しなかったのだろうか…。
ただ無為に考える時間が過ぎていくが、それも長くは続かなかった。
数分後、日本軍の上陸用舟艇は砂浜に乗り上げた。
一瞬だけ間が明いて、船首の導板が前方へ倒されて大勢の日本兵が吐き出された。
刀を振りかざした数名の将校らしき人物を先頭に、着剣した小銃を持った約一個中隊の兵隊たちが雄たけびを上げながら砂浜を突っ走ってきていた。
その光景と日本兵の叫び声に反応して、ほぼ全員がロックの号令を待ちかねて銃の引き金に指を掛けた。
だが、日本兵たちの集団は波打ち際から少し進んだ地点でスローダウンして、最後には止まってしまった。
様子がおかしいと思ったモリンズだったが、その答えは横にいるドイツ軍の分隊長が見つけた。
「あいつらは何やってるんだ?!」
驚きの声を上げる分隊長を見てみると、双眼鏡で日本兵たちを眺めていた。
しかし、双眼鏡の視線が少しずれているように思えたロックは、その視線の先を追った。
視線の先にあったのは、砂浜と森の境目で数名の兵隊たちが不用心にも塹壕から出て日本兵たちと対峙する姿だった。
慌ててロックも双眼鏡を取り出して、その姿を確認した。
それは、紛れもない味方の兵隊たち数名だった。そのうちの一人は銃ではなく、なぜかカメラを手に持っている。
ほかの兵たちも、誰も銃を持っているものはいなかった。
それどころか、微かに甲高い指笛のような音が聞こえてくる…。どうやら喝采を日本兵たちに浴びせているようだった。
視線を日本兵たちに向けるとと、集団の先頭にいる将校を筆頭に全員が固まっていた。
こちら側から浴びせられる喝采を前に混乱しているようだ。
やがて、とある日本兵の一団の先頭にいた将校が刀を腰に収める様子が見て取れた。
その後、日本兵たちは直ぐに正気に戻ったようだった。
しかし、小隊単位で纏まってこの状況について話し込み始めてしまったようだ。
日本兵たちは、こちらの布陣に気づいている様子はなく、ただ自分たちに向かって喝采を浴びせていた兵たちに気を取られているようだった。
やがて中央にいた将校の一人が両隣の集団に声を掛けると、腰に刀を下げた将校が中央の小隊に向かって走り寄った。
ロックは観察して分かったが、中央に位置する小隊だけは毛色が違うように見えた。
軍服の形や色合いが微妙に違う兵隊が混じっているのだ。その中には頭にレシーバーらしき物を取り付けている通信兵も見て取れた。
「おい、中央の小隊に照準を合わせられるか?」
ロックは囁くような声で隣にいたドイツ軍の分隊長に尋ねた。
同じように双眼鏡で日本軍を観察していた分隊長は頭を振った。
「僅かですが、射角外です…左にいる小隊なら狙えますが……陣地転換を?」
「いや、今動きを見られるとマズイ…俺が無線で頼む」
「しかし、逆探知されるのでは?」
「さすがに味方諸共砲撃で吹き飛ばしはしないだろう…」
そう言って、ハンディトーキーのアンテナをロックが引き延ばした時だった。
微かにだが、飛行機のエンジン音が近づいてきているのが分かった。
慌てて双眼鏡を海上に向けると、東から一機の飛行機がこちらへ向かってきていた。
『全員、身を隠せ!敵機だ!』
慌ててロックがハンディトーキーに向かって短く指示を出した。
その声を聴いて、周りにいた全員が塹壕内に身を屈めたり、木の根元に伏せたりして身を隠した。
飛行機のエンジン音はどんどんとこちらに近づいてきていた。
ロックも隠れていた塹壕から僅かに頭を出して双眼鏡で飛行機を確認し続けた。
飛行機は一機だけで、正面から見てもやけにスマートな飛行機だと分かるが、ロックは日本機に詳しくなく機種名までは分からなかった。
だが、その飛行機が偵察機ではなく戦闘機という事だけははっきりと分かった。
黄色く縁どられた両翼から機銃の銃身が突き出していたからである。
やがてその戦闘機は、ひらりと身軽な動きで一旦上昇すると海岸と並行に飛行を始めて高度を下げ始めた。
ロックはそれを見てゾッとした。典型的な地上掃射の動きに見えたのだ。
欧州でも米独両航空部隊が、敵地上部隊のいるところへ散々機銃掃射を行っていた。
その時もやはり掃射しやすいように、敵部隊の上空を並行に飛行して機銃掃射をしていた。
たかが機銃掃射と侮ると、戦車でさえ鉄屑に変えてしまう恐ろしい攻撃である。
ロックがゾッとするのも無理はなかった。
しかし、ロックが思い描いていた事は完全なる杞憂に終わった。
戦闘機は、日本兵たちが屯っていた地点の上空約一〇メートルほどの高さを低速で通過していった。
そしてそのまま、上昇して翼を二三度揺らすと、東の空へと帰っていったようだった。
ロックが塹壕から頭を上げて、砂浜にいた日本兵たちを見ると、ほとんどが地面に倒れこんでいた。
その中でも緑色の野戦服を着た日本兵は、倒れた味方の兵を見て笑っているようだった。
倒れこんでいた日本兵たちは、ゆっくりと立ち上がると服についた砂を払い落としながら、今しがたの戦闘機が落としていった物なのだろう小さい落下傘が付いている筒状の何かを拾っていた。
「くそっ…脅かしやがって!肝が冷えたぞ……」
隣にいたドイツ兵が悪態を吐くが、ごもっともだとロックは思った。
しかし、この出来事で一つだけはっきりしたことがある。
日本軍は、こちらとの戦闘を望んでいないという事だ。
連続更新は、ここまでとなります。
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