会談-9
そして海岸にいる部隊が警戒態勢を敷いて三日目の朝の事だった。
初めは、海を監視していた米軍の軍曹が夜が明け始めていた東の海上に黒っぽいモノを見かけた。
その軍曹がいたのは、あの巨木の上の方に生えていた太い枝の上である。
実は工兵隊が巨木を倒そうとしたとき、枝を落とそうとロープを這わせたのだが結局切り倒すことが出来ずに放置されていた。
それに偶然目を付けた軍曹が、「遠距離の監視なら高いところが良いのではないか」という個人的な判断で登っていたのだった。
幸いにも視界はそこそこ開けていたので、海岸の殆どを視界に収めることが出来た。
そのため、一番最初に気づいたのである。
軍曹は持っていた双眼鏡で東の海上で見かけたモノに目を凝らした。
ゆらゆらと立ち上る黒いモノは、明らかにエンジンから発せられる煤煙だった。
それに気が付いた軍曹は下にいる自分の分隊に叫んだ。
「東から船がやって来るぞ!どんどん数が増えてくる…急いで全員叩き起こせぇ!」
その声を聴いた副分隊長をしていた上等兵は、非常用に渡されていた笛を何度も思い切り吹いた。
甲高い笛の音が一帯に響き、近くで警備していたほかの分隊も同様に笛を吹き始めた。
途端に大隊は蜂の巣を突いた騒ぎになった。
天幕から息せき切って兵たちが飛び出してきて、自分の持ち場の塹壕に転がる勢いで飛び込んでいく。
海岸際の塹壕で休んでいた兵たちは、自分の銃や機関銃に装填すると海に向かって銃口を構えた。
その時、軍曹が持っていたハンディトーキーで小隊に通報した。
「エイブル12よりエイブル16!日本軍と思われる船を確認した!」
「エイブル16よりエイブル12へ、そのまま監視を続行しろ。敵の進路は?」
「エイブル16へ…まっすぐ俺の方へだ!」
軍曹からの通信は、すぐさま小隊から中隊へ伝令され、その後大隊長のロックを経て、後方にいる司令部のホルンとモリンズへ伝えられた。
しかし、帰ってきた返答は「状況に応じて判断せよ」というある意味冷たい返答だった。
確かに今更増援を送ったとしても、到着は完全に敵が上陸した後になる。
もし、戦闘状態に陥っていたとしたら攻撃の最中に到着することになり、いたずらに兵を損耗させかねない。
「つまり…我々だけか」
今や前線となった海岸の後方に設置していた大隊指揮所でロックがボソリと言った。
今、指揮所に配下の中隊長は一人もいない。さっきの笛の音を聞いて全員が飛び出していったからだ。
二〇名ほどいる指揮所スタッフが切羽詰まった表情で自分の仕事をこなしているだけだ。
そこに大隊本部付の伝令が三名ほど駆け込んできた。
三名全員が矢継ぎ早に「部隊配置完了」の報告をロックへ行う。
その報告を聞いて、ロックは被っていたヘルメットを深く被りなおすと指揮所の外へ出た。
指揮所の外へ出た途端、二人組の兵隊が工具箱を手にロックの目の前を駆け抜けていった。
その兵隊たちが切羽詰まった表情をしていたことから、何か不味い事態でも起きたのかと思ったロックは、二人が走り去った方向へ向かった。
二人組が立ち止まっていたのは海岸正面のとある位置だった。
ロックは、その場所に近づくにつれて悪い予感がした。
その場所は、モールス信号を発信する予定の場所だったからだ。
そこには数人の人だかりができていて、大声で怒鳴っている兵隊もいた。
兵隊をかき分けて、前に出たロックは状況を目の当たりにして悪い予感が当たってしまったと頭を抱えた。
そこでは、使う予定だったジープがボンネットを開けた状態で停まっていた。
「おい、一体どうしたんだ!?日本軍は目の前だぞ!」
「少佐!ここは危険です!」
「危険なのはどこも変わらん!何が起きた!」
周りにいた兵たちがロックに気づくと大隊の指揮所にいるように諭したが「そんな場合ではない」と兵たちに一喝した。
エンジン部分に頭を突っ込んでいた整備兵が、苦い顔をしながら頭を引き抜いた。
「状態は?」
「バッテリー配線の腐食です…昨日点検したんですが…」
「間に合わせでいい!どうにかならんか」
「電線が足りません。今、ライトと直結させるように改造中です」
「早くしろ!」
整備兵の横でロックが叱咤しているとき、近くの頭上から叫び声が聞こえた。
ロックや周りにいた兵隊たちが見上げると、あの巨木の枝の上で日本軍を監視していた軍曹だった。
「輸送船から舟艇が下り始めてる…そろそろ始まりそうです!」
「分かった!そのまま見続けろ!」
「了解!」
ロックが頭上にいた軍曹に指示を飛ばすと、軍曹は二つ返事で双眼鏡を使ってで海を睨んだ。
東の空は完全に明るくなっていて、遠巻きながらロックの目にも船の姿が太陽を背にくっきりと浮かんで見えるようになっていた。
こちらからでは見えないが、水平線の向こう側には恐らく戦艦と空母も存在しているのだろう。
それを思うとロックは身震いしたくなったが、勇気を振り絞ってなんとかこらえた。
手元では、未だに整備兵がバッテリーとライトの直結を試みていた。
どうやら死んでいるのは電線だけのようでバッテリー自体は生きているようだった。
限られた時間の中で、整備兵は電線を配線し、そのうえで信号兵がモールス信号を打ちやすく改造を施していく。
時間にして十数分だったかも知れないが、整備兵の作業を見守るロックには、その何倍もの時間に感じられた。
その時、再び頭上の軍曹からロックたちに声が掛かった。
「少佐!日本軍の舟艇が発進しました!…三隻がこっちに向かってきてます」
「分かった!止むを得ん…攻撃準備!開始の合図は俺が出す。それまで絶対に撃つなよ」
まだロックの周りにいて、作業を見守っていた兵隊たちが慌てて自分の持ち場に飛び込んでいく。
近くの機銃座では、指揮官の軍曹が双眼鏡で目標の舟艇を睨みつけていた。
中には早々とパンツァーファウストを木陰から海岸に向けて構えているドイツ兵もいた。
(時間切れか…神よ……)
ロックがそう思った時、改造を施していた整備兵が顔を上げた。
「出来ました!これで何とかなるはずです」
どうやら祈りが天に届いたようで、ライトとバッテリーの直結作業が間一髪で完了した。
ロックが声を掛ける間もなく、信号兵がスイッチに取り付いて信号を送り始めた。
間に合わせの改造だったが、ライトは途切れることなく信号を舟艇に向けて送り続けている。
「少佐…これで大丈夫ですか?」
タオルで汚れた手を拭きながら改造をやっていた整備兵がロックに尋ねた。
「さぁな…信号は送った。あとは日本軍が英語を理解してくれれば意味は通じるはずだ…」
「もし、通じなかった時は…?」
思いつめた表情で質問する整備兵にロックが返した言葉は一言だった。
「ここがノルマンディーになるさ」