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会談-2

 「…尉、澤…中尉、中隊長!起きてください」

 「なん…いったっぁぁぁぁ!」


 大声で揺さぶり起されたことで、俺は飛び起きた。そして上の寝台に頭を強打した。

 船室の薄暗い電灯に照らされた兵の顔を見てみると、立っていたのは真田だった。

 壁に掛けてある振り子時計に目をやると、時刻は午前三時を過ぎていた。


 「いったー………」

 「中尉、大丈夫ですか?」

 「お前の顔に魂消(たまげ)ただけだ……それより何の用だ?」

 「いえ、上陸開始まで残り三時間を切りましたので起こしに来ました」

 「そうか、悪かったな……ちょっと煙草を取ってくれ」


 俺が激しく寝台に打ち付けた頭を摩りながら、机の上の煙草を指さす。

 真田は、それを見て煙草の箱から二本(・・)取り出すと、俺に一本だけ手渡した。

 そしてマッチを擦って、俺に火を近づける。


 「誰が、お前の分も貰っていいと言った…?」

 「固いことは言わんでください」

 「ったく…ちゃっかりしとるわ!」


 そういいながらも、俺は真田の言動に心地よさすら感じている。

 あの日以来、従卒として俺にずっと仕えてくれている。

 傍から見ている分には「金魚の糞」だとか何とか言われているようだが、俺や真田は気にしていない。

 死線を乗り越えた戦友としての絆がそこにあると思っているからだ。


 二人分の煙草に火を点けたマッチは、自然に消えて白い煙が立ち上る。

 真田が舷窓を開けて、それを捨てる。

 二人で煙草を吸いながら、暫し話すことにした。


 「そういえば、ジャワの夢を見たぞ」

 「ジャワ?何時の話です?」

 「上陸からバンドンまでだ…早回し映画でも見ているかのように早かったぞ……」

 「中尉もそうだったんですか…」

 「じゃあ、お前も?」

 「多分、上陸があるからでしょう…。自分は、エレッタン湾上陸を夢見ました」


 どうやら二人して似たような夢を見ていたらしい。

 偶然の産物だろうが、奇妙な話ではある。

 

 「あの時は無血上陸に近かったが、今回はどうなるか分からん」

 

 俺の言葉に、ただ紫煙を燻らせる真田がこちらをジッと見つめている。

 真田自身もこれから起きる出来事の予想すら出来ないのだろう。

 何と言っても、未開の地に来てしまったのだから。


 「相手が化け物じゃない限りは戦いますが…」

 「おいおい、不吉なことを言うなよ。現実になったらどうする」

 「その時は、走って逃げます」

 「おいー。帰ってこーい」


 舷窓の外を見ながら恍けた事を言う真田に、思わず突っ込んでしまう。

 そして二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

 やはり真田といると不思議に元気が出てくる。真田はそんな男だった。

 上官と部下という間柄で最悪とも近い出会い方をした二人だが、今では最高の友人と言っても過言ではないと思っている。


 二人でしばらく話し込んでいたが、ふと時計を見ると午前四時を過ぎていた。

 いつの間にか一時間ほど話し込んでいたらしい。

 

 「おっと、こんな時間か…。真田、皆は起きているんだよな?」

 「はい、澤村中尉が最後でした」

 「そうか…俺も準備したら甲板に向かう。今のうちに中隊全員に腹拵えと用便を済ませておくように言っとけよ」

 「了解」

 「準備が済んだら、待機しておけ」

 「はい。甲板で待ってます」


 真田は椅子から立ち上がると、俺に敬礼をしてから船室から出ていった。

 俺は真田を見送った後に、寝台から立ち上がると壁に掛けた上衣を手に取った。

 その時、上衣の内衣嚢(ポケット)から一つの紙の包みが零れ落ちた。


 「おっと、落としちまったか…」


 手を伸ばして拾い上げたものは、印刷された文字すら掠れかけた煙草の紙箱だ。

 クシャクシャになっている紙箱を見て、さっき見た夢を少し思い出す。

 紙箱には、あの鬼塚軍医が書いた文字が薄っすらとまだ残っていた。


 「本当にあの乱暴軍医のおかげで助かったんだからな…」


 あれから病院船で内地に帰るまでの間、鬼塚軍医は俺に着いて来てくれた。

 本人から聞いた話によると、内地で後進の軍医の養成に当たってほしいと上から命令があったらしい。

 鬼塚軍医は、東京帝大医学部の出身らしく医学知識は群を抜いていた(自慢げに本人が語っていたが…)らしい。


 その後、いろいろあったが俺は何とか首の傷を癒して兵役に復帰した。

 外地にいる連隊に戻ろうとしたが、連隊は既に転戦しており制海権・制空権すら取れていないとの理由で内地に留まることが決まってしまった。

 俺は、別の中隊に移動となりそこで中隊付き将校として任務にあたることになった。

 その時、異動する前に真田を俺の従卒にすることを上官に願い出た。

 申請は難なく通って、その時から真田は俺の従卒として任に当たっていた。

 

 それから約三年、俺は中尉に昇進して真田は軍曹に昇進して中隊軍曹となった。

 といっても昇進したのは、今回の派遣が決まる直前だ。

 どうやら将校や下士官の不足が極まっており、ろくな戦果を持たない将校連中を一斉昇進させて不足する部隊長を補おうという陸軍上層部の浅い考えらしい。


 俺は上衣に腕を通しながら昔の事を思い出して、少しだけムカついてきた。

 もちろん軍人である以上、上からの命令は絶対である。しかし、無為無策を晒し自分たちの失態を部下の血で(あがな)おうとする精神だけには同調できない。

 結局、俺がいた中隊はガダルカナル島で全員が戦死した。そのほとんどは戦死ではなく戦病死…つまりは飢えや病に侵されて死んだ。

 生き残ったのは内地にいた俺と真田の二人だけ…あとは誰もいない。


 着替え終わって、装備を身に着けた俺は煙草を吹かしていた。

 我ながら、多量喫煙者だとは思うが、緊張したらやっぱり煙草が効くのだ。

 すぐに一本を吸い終わり、灰皿で潰し消すと船室の電灯を消してから船室を後にした。

 そして俺は、自分の中隊が集合しているはずの甲板に向かった。


 甲板に出ると、そこは兵たちで溢れかえっていた。

 狭い甲板には輸送時の陸軍兵の利用を考えて厠、炊事場、真水の貯水槽などが特設されている。

 既存の設備では、それらを賄うのが到底不可能であったからだ。


 夜明けということもあり、炊事場は朝飯の用意で慌ただしそうにしていた。

 その後ろの広くなった場所に中隊の面々は座っていた。

 自分以外は全員がそろっているようで、上陸前最後の腹ごしらえをしている最中だった。


 今調理している他の中隊の輜重兵たちが、炊き立ての飯で手を真っ赤に腫らして握ってくれた「一合握り飯」と椀一杯の「味噌汁」が朝飯だ。

 俺は炊事場の横に置いてあったその二つを貰うと、手近な場所に座って早朝の薄明るい中、さっと食事を済ませた。

 丸く握る一合握り飯は食い応えがあり、腹ごしらえとしては申し分ない量があった。黙々と握り飯を頬張り、味噌汁で流し込んでいく。


 五分ほどで食い終わったので、中隊の様子を眺めてみた。

 気の合う仲間同士で談笑しながら握り飯を頬張る者が居たり、敵前強襲上陸の緊張からか舷側の柵に寄り掛かかり黙って海を眺める者が居たりと、皆が様々に最後の平穏な時間を過ごしているようだった。


 朝飯を済ませてしばらくすると、徐々に船尾の方から赤い太陽が昇り始めた。

 日本…いや、地球とは違う場所にいると師団参謀から聞かされたのは二日前だった。

 それから「違う世界」とやらの何がどう違うのかと考えながら過ごしてきていたが、未だに違う点が見つけられない。

 無論、海中から現れたとかいう「大海蛇」とやらはあり得ないが、それ以外の違いという点については分からない。


 太陽は地球と同じで東から昇り、西へ沈む。時間のずれはあったが、おおよそ二四時間で一日という点でも変わりはしない。

 そういった世の理というものは変わらないものなのかもしれないとしみじみ実感していた。

 そして俺は重くなってきていた腰を上げた。


 夜明けが来たということは…

 


 「第八中隊!後部甲板に全員集合しろ!」


 

 仕事の時間が始まるということでもあった。

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