会談-1
誰かが、俺を呼んでいる…。
そこに居るのは…中村か!
そうか、俺も靖国行きか……。
道案内で待っていてくれたのか?え、違う?
俺を追い返すためだって?
なんでそんなことを言うんだよ!
ん?なんだって?よく聞こえないぞ。
おい、待て!
俺を置いていくな!先に逝くんじゃない!
「な…なかむら……」
俺は目覚めた。目覚めたと同時に首に鈍痛が走ったので、上手く声が出せない。
体も動かしにくい状態だったので、視線だけで周りを見回すが見知らぬ天井しか視界に入ってこない。
何とか体を動かそうと悪戦苦闘していると、足音が近づいてきた。
「お!起きたか若いの。どうやら三途の川を渡り損ねたようだな」
俺の顔を覗き込んだのは、中年の大隊付き軍医だった。
軍医は俺の横に立つと、荒っぽい手つきで一通りの診察を済ませた。
診察を終えると、軍医は俺が寝ている寝台の横に椅子を持ってきてドンと腰かけた。
「声は出せるか?」
「何とか…」
軍医からの問いかけに微かな声で答えたが、軍医はウンウンと頷くと話を続けた。
「お前は三日眠っていた。ここにはもう一人、伍長と一緒に運び込まれてきたわけだ…覚えてるか?」
「いえ…覚えているのは手榴弾が爆発した直後までです…」
「なんだ覚えてるじゃないか。その時、部下の伍長に庇われたろう?えーっと、名前は…」
「真田…真田道直です」
「そうだ、真田だ。その伍長も重傷だったが、昨日目を覚ました。今は内地帰還の手続き中だ」
真田が生きてると聞いて、俺はほっとした。
あの砲陣地を巡る戦いでは、小隊の誰も戦死しなかったのだ。
物思いに耽っていると、軍医が何かの書類を数枚俺の眼前に差し出してきた。
仰向けの状態でいきなり目の前に出された書類だったが、近すぎて読めなかったので少し離してもらってから読んでみた。
それは中隊からの書類で、承認者は北島大尉ではなく吉岡中尉となっていた。
俺は、横にいた軍医に無理やり体を起こしてもらうと渡された書類をしっかりと読んだ。
体を起こしてもらって気付いたが、どうやらここは後方にある拠点の野戦病院で俺は個室にいるらしい。
窓の外には、太陽に照らされた日章旗が掲げられている建物が幾つか見て取れた。
書類は吉岡中尉の私信と何かの書類とで二枚あり、まず吉岡中尉の私信から読んだ。
私信には、中隊長の北島大尉や他の将校が戦死したことで吉岡中尉が正規の中隊長になって大尉に昇進したこと、あの後にバンドン要塞が意外にもあっけない降伏で陥落したことが書かれていた。
あれだけ抵抗していたバンドン要塞がかくも簡単に陥ちるのかと思ったが、私信を一緒に覗いていた軍医が話を付け加えてくれた。
「お前たちの奇襲で、敵さんは大部隊が接近していると誤認したらしい…。そこで全滅の危険を冒すよりも…と考えて降伏したそうだ。味方は、昨日の陸軍記念日にバンドンに入城して、ジャワ島は完全に陥落したよ」
そうか、そういうことだったのかと俺は合点がいった。
自分たちの果敢な攻撃は無駄ではなかった。若松支隊七〇〇名の先頭に立って戦った甲斐があったというものだ。
私信は、まだ続いていたので俺は読み続けた。
そこには、俺を気遣う言葉とともに内地へ帰還して傷を癒して来ることを許可するとも書かれていた。
その代わりに配置転換があるかもしれないが、出来るだけ希望は通すとも書かれていて、一緒に渡された紙が申請書だとも書かれていた。
残る書類を見てみると、それは私信にも書かれていたように内地帰還の申請書だった。
「ありがとうございます…吉岡中尉」
「もう大尉だぞ」
「そうですね…って、うわぁ!」
俺の例に対してツッコミが入ったと思ったら、それは当の本人である中隊長で大尉になった吉岡大尉だった。
俺は姿勢を正そうとしたが、「お前は負傷兵だから」という理由で寝かせられて、再び仰向けの状態で吉岡大尉と話すことになった。
申し訳なさそうにする俺に対して、戦勝したからか吉岡大尉は機嫌よく対応してくれた。
「どうやら生き返ったらしいな、澤村」
「はぁ、三途の川の中程まで泳いだみたいですが…」
「ハッハッハ!そのようだ!……せっかく帰って来たんだ、あいつらの分まで長生きせいよ」
「……はい。努力します」
吉岡大尉の言うところの「あいつら」とは、先のジャワ攻略戦で戦死した俺の親友の中村と、直属の上官だった三条少尉の事だろう。
たった数日前にあった大きな出来事だが、遠い昔の出来事のように感じられる。
感傷に浸っている俺を知ってか知らずか、吉岡大尉は話を続けた。
「澤村…書類は読んだんだろ?」
「はい…目は通しました。しかし、内地帰還は…」
「それに関してだが、中村少尉や三条少尉の遺骨を持って帰ってやる奴がいる…お前行ってくれんか?」
「しかし、それは……」
「今のところ戦力的には補充された……それに噂だが、師団は南方に転用される可能性がある。今のうちに内地に戻って遺骨を届けてほしいんだ。三条少尉の遺骨は真田に任せる」
「では、真田とともに内地帰還ということですか?」
「あぁ、そうだ。申請書類を書いてくれれば、後はこっちでやっておく。書類は軍医経由で俺に渡してくれ」
「分かりました…」
そういって吉岡大尉は俺との話を切り上げて部隊へと帰っていった。
吉岡大尉と入れ替わりにやってきた軍医は、俺の横に座るとおもむろに煙草を吸いだした。
そして懐から、油紙に包まれた物を取り出した。
「話は終わっただろ?ほら、こいつを見せるのを忘れていた」
そういって軍医は油紙に包まれた何かを、俺に向かって放り投げた。
「危ないな…いったいこれは?あと、俺にも煙草を…」
「怪我人は駄目だ。お前の首にめり込んでいた手榴弾の破片だよ」
包み紙を開けて入っていたのは、二センチほどの菱形の鉄の塊で軍医が言うのは「手榴弾の破片」らしい。
俺が眺めていると、軍医が自分の首を指さしながら俺に教えてきた。
「破片が刺さったのは首の右側だな…あと数ミリ深く刺さっていたら頸動脈に達していたぞ。そうなったら出血多量で三途の川を速泳でわたっていたろうな…。顔の方は、左頬に裂傷だ……これは五針ほど縫った。抜糸は二週間後だ」
「男前が崩れましたかね」
「箔が付いたと思っとけ。頬の傷は治りが早いと思うが、首の方は内地で療養だ」
「分かりました」
「よし、それじゃあ体を動かすのは二三日後からだ。それまでは寝てろ」
そう言うと軍医は俺を置いて、病室の外へと歩いて行った。
個室の病室は静まり返り、窓から入ってくる南洋の生温い風の音だけが聞こえてくる。
ふと寝台横の机を見ると、吉岡大尉からの書類の上に何か箱状の物が置いてあった。
目を凝らしてよく見てみると『櫻』と書かれている箱の横には、マッチもご丁寧に置かれている。
そう、誰かが気を利かせて煙草を置いていったらしい。
「一体、誰が…?」
煙草の包み紙をよく見て、俺は思わず笑ってしまった。
「あの軍医、怪我人には駄目だと言っておきながら…」
包み紙にはこう書かれていた。
『ヨク生キ残ッタ 鬼塚軍医ヨリ』
本日から五話連続更新。