吶喊した先-4
現状の説明が終わり、続いて先遣上陸させる部隊の話し合いが始まった。
話し合いには時間がかかると思われたが、意外なほど短い時間で決着がついた。
最低条件として、英語かドイツ語を理解できるもの部隊に含まれていることが森岡より提示されたのである。
戦前から陸軍は、幼年学校や士官学校では外国語教育としてドイツ語を主軸に教育していた。
外国語教育は選択式で、ドイツ語・フランス語・中国語・ロシア語・英語から選べたが、ほとんどはドイツ語を選択していた。
これは日本陸軍の軍制がドイツ式に固められていたことが理由である。
もちろん、英語を履修した者も少なからず存在し、英米への理解を深める者がいたことも事実である。
しかし、彼らはドイツ語を学ぶ主流派からは冷遇され、中枢部にも上がりづらくされていた。
そのため、陸軍において英語を履修するものが少なくなってしまったのである。
「師団の中でドイツ語が出来る者が十人、英語が出来る者が四人ほどいます。それと、海軍に問い合わせたところ士官数名が英語が話せると回答してきています」
資料を片手に参謀長が会議の場で話し出した。
「その中で実戦部隊を指揮できるものがいるのか?」
森岡から告げられた質問に、参謀長は苦々しい表情を浮かべた。
「理解する将校のほとんどが軍医や衛生隊の者です。兵の中にもいますが、これは指揮権から考えて問題外です。」
「一応、俺もドイツ語は話せるんだが?」
「中将閣下を最前線に送り込むわけにはいきません。……一人だけ中隊長が英語とドイツ語の両方を話せるそうです」
「どの程度話せるのだ?」
「英語であればかなり、ドイツ語は多少だそうです」
その中隊長の資料を参謀長から手渡された森岡は、中身を見てから軽く笑った。
そして資料を机に置くと椅子から立ち上がった。
「最初に上陸する部隊は、二九五連隊の第三大隊第八中隊とする」
資料の一番上の名前の欄には「陸軍中尉 澤村充」と書かれていた。
改めて名前を見て思い出したのか、参謀長が納得のいった表情をした。
「そういえば最初に起きて、長門に乗り込んだ将校が澤村でしたか?」
「あぁ、そうだ。長門の渋谷艦長から話は聞いた。そういう意味でも海軍からの協力は得やすいかもしれない」
「どちらにせよ、状況が状況ですので海軍も無下に支援を断りはしないでしょう」
「そうだな…。ところで澤村は、どの船に乗り込んでいる?」
「この船に乗り込んでいます」
「私から直に命令を伝えたい。あとで私の船室に来るように伝えてくれ」
「承知しました」
会議も佳境に入り、第二・第三段階を詰める話が進められた。
第二派として送り込む大隊の選定から、輸送に使う大発や小発の状況の確認、武器弾薬の保有量など会議は深夜にまでもつれ込んだ。
すべての話し合いが終わったのは、日を跨いだ深夜一時ごろだった。
会議が終わると、参加していた面々は疲労感を隠すこともなく食堂を後にした。
森岡もその一人で、皆が退席した後に一人で船室へと戻っていった。
疲れた目を労わるように目頭を揉み解しながら、裸電球がポツポツと灯っている廊下を自室へと戻りながら、森岡は考えていた。
これまで起きた戦争で、上陸作戦は何度も行われてきた。第一次大戦のガリポリ上陸戦を皮切りに、杭州湾上陸やマレーのコタバル強襲上陸などだ。
半年ほど前には、欧州で大規模な上陸作戦が行われたらしいが詳細は不明だ。
しかし、どの上陸作戦でも実施した部隊は多大な損害を受けている。
ガリポリ戦では、ついにオスマン軍を打ち破れずに英仏軍を主力とする連合軍は海に追い落とされてしまった。
このように、防衛側が強大な武力を有していると確実に攻撃が頓挫する危険性を孕んでいるのが上陸作戦の常なのだ。
そのうえ今回は、現地の事前偵察が不可能なので憶測と目測だけで上陸することになる。
下手をすれば、最初の上陸すら危ぶまれる事態になりかねない。
森岡の頭の中で次々と不安要素が広がっていくが、頭を振り払って考えを打ち消す。
指揮官が不安に駆られていては、部下に動揺が広がってしまう。そうなれば戦う前から負けたも同然だ。
マレー作戦を指揮した山下大将のように毅然と理路整然とした作戦を立てなければ、すぐに詰まってしまう。
そうして歩いていると、自室の前に誰かが立っているのに気付いた。
「誰か?」
ぼんやりとした明るさの中で、立っている人物の顔が影になって見えづらくなっていたので森岡は誰何した。
その人物は、森岡の方に向くと二三歩近づいてきて、無帽の敬礼をした。
「第八中隊の澤村です。閣下が自分をお呼びということでしたので、参上しました」
「あぁ、君が澤村か。よく来た、とりあえず部屋に入れ」
「はい。失礼します」
部屋に入ると、森岡は自分にあてがわれた寝台に腰を下ろす。澤村は、扉の傍で直立不動の姿勢をとっていた。
「遅くなってすまなかったな。休んでいたのだろう?」
「いえ、眠れずに過ごしていました」
「そうか、目が赤いのは気のせいか…」
にやりと指摘する森岡に、複雑そうな表情をする澤村だった。
この時間、当直将校でもなかった澤村は船室で数人の将校と休んでいたのだが、大隊長が自分をたたき起こしに来た。
そして要件が「師団長が呼んでいる」というものだったから、慌てて軍装を整えて部屋の前で待機していたのだった。
「Wie gut kennen Sie Deutsch ?(ドイツ語はどのくらい分かる?)」
「……Das ist ein wenig(少しなら)」
「Alltagsgesprach?(日常会話ぐらいか?)」
「Du hast Recht (そうです)」
部屋に入った二人の会話は、唐突にドイツ語から始まった。
森岡は寝台から立ち上がると、着ていた上衣を衣紋掛けに掛けながら澤村に話しかけた。
「試すようで悪いな。しかし、ドイツ語が必要だった。…英語もわかるのだろう?」
「はい。自分が幼少の頃より、父に鍛えられました」
「そう畏まらなくてもいい…。まぁ、座れ」
「は、失礼します」
中尉とは言っても、自分とは階級がかけ離れた中将が相手では畏まるのも無理はないのだが…。
そういう相手に勧められては、無下に断ると後々がまずい。
澤村は、勧められるまま椅子に腰かけた。森岡ももう一つ椅子を取り出して澤村の目の前に座った。
「単刀直入に言おう。君の第八中隊を先遣部隊として海岸に上陸させたい」
「…私が英語とドイツ語の両方を話せるからですか?」
「それもある。しかし、よくよく見て君の経歴は良かった」
「経歴?自分はジャワで負傷して帰国しただけの負傷兵です」
澤村は、森岡たちが自分を過大評価していると考えた。
だが、森岡の目は至って真剣な眼差しで、澤村を見つめていた。
「見習士官として部隊教育中に正規の小隊長が戦死して、臨時に指揮を引き継いだのだろう?」
「…」
「そして兵の損耗を抑えつつ、英軍が固守する陣地を攻め落とした。首の負傷がなければ、そのまま小隊長として任務に就いていただろうな」
「あれは偶然うまくいっただけです。自分は…」
「今は部下たちからも慕われる良い中隊長だとも聞いている…なぁに、君が勇将か愚将かはこれから判断するさ。澤村中尉、命令だ」
「はっ!」
森岡が立ち上がって、命令を口頭伝達する。
それに引きつられるように、慌てた感じで澤村も立ち上がった。
「二九五連隊第三大隊第八中隊は、状況を確認するための先遣隊として海岸線への上陸を命ずる。ただし、状況によっては敵との交戦がありうるので、その際は中隊長の判断での交戦を許可する」
「はい。第八中隊は、先遣隊として海岸へ上陸。現地の状況を確認、報告します。敵との交戦は中隊長の判断で行う」
「上陸まで三〇時間ほどある。明朝に中隊に説明した後は、装備を纏めろ。その後はしっかりと英気を養ってくれ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
「頼んだ」
澤村は、扉の前で敬礼すると船室を後にした。
その姿を見送った森岡は、船窓から月明かりに照らされた海を見た。
波も穏やかで、ゆらゆらと月明かりが反射している綺麗な海だった。
「大海蛇がいた海だ…人魚でも現れそうだな」
ぼそりとつぶやいた森岡は、船室の電気を消すと寝台に寝転がって眠りについた。
この話に出てくるドイツ語ですが、
私は、ドイツ語がからっきしなので、ネットの翻訳に頼ってます。
もし間違っていたならばすいません。
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2020.02.16
本文一部修正しました。
1:正規の小隊長と次席が戦死して→正規の小隊長が戦死して
2:固守する陣地を三つも攻め落とした→固守する陣地を攻め落とした