吶喊した先-1
これより二章に入ります
「渋谷艦長、隼鷹から索敵機が発艦します」
長門艦橋で、客船改造空母の隼鷹を双眼鏡で見ていた若い士官が、艦長の渋谷大佐に報告する。
艦長席に深く腰掛けたままの渋谷は「うむ」と小さく頷くと、立ち上がって前面のガラスに近づいた。
輸送船団を長門の主砲発射で叩き起こし、隼鷹と天城の二隻の空母には索敵機の発艦を命じた。
その後は、船団の全てに対して現状把握と状況確認を命令していた。現在の状況があまりにも不明瞭だったからだ。
渋谷も双眼鏡を覗いて隼鷹の飛行甲板を見る。三機の九七艦攻がプロペラを回して、甲板上に静止している。
艦載機が飛行甲板から飛び立つには、空母の速力と向かい風による合成風力が必要だ。
そのため長門・隼鷹・天城の三艦と万一のための駆逐艦二隻が船団を離れて、発艦に必要な風力を稼ぐための航行を始めていた。
やがて九七艦攻が発艦を始めた。徐々に加速する機体が飛行甲板を駆け抜けていく。
飛行甲板の先端から飛び出した瞬間、一瞬機体が沈んで船体に遮られて見えなくなり、その後上昇すると定められた針路をとって索敵を開始した。
残りの二機も同じように飛び立ち、天城からも天山艦攻が三機発艦した。
索敵役の艦攻がすべて飛び去るのを見届けた渋谷は、再び艦長席に座ると大きく息をついた。
もし、これで陸地が見つからなければ…船団が大海原で迷子になった挙句、遅かれ早かれ全滅する。そういう考えが浮かんでいたのだ。
隼鷹から飛び立った九七艦攻の航続距離は、約一〇〇〇キロ…往復分を考えると半分の五〇〇キロが限界だ。
天城が出した天山艦攻は、約一四〇〇キロの航続距離を持つが、これも往復を考えると七〇〇キロ程度が限界点となる。
ともかく、索敵機からの無線連絡が入るか帰還するまでは待機するしかない。
「島の一つでも見つけてくれればいいんだが…。帰還するにしても薄暮になるな」
渋谷の懸念はもう一つあった。それは搭乗員の練度だ。
各地の飛行隊や練習隊から人員を引き抜いて新編された第六〇六航空隊の練度は、お世辞にも高いとは言い難い。実際、あの噴火に遭うまでの間に何度か発着艦訓練や編隊飛行訓練が行われていたが、発着艦も覚束なければ編隊飛行も満足にできてはいなかった。
一部の機には、大戦を辛うじて生き残っていたベテラン搭乗員を乗せてはいるらしいのだが、それでも開戦劈頭の第一航空戦隊のベテラン搭乗員に比べれば、一歩半ほど及ばないと言ったところだ。
しかし、無い物ねだりしても状況が変わるわけではないので現在保有する装備だけで凌ぐしかないのも、また現状であった。
何はともあれ、索敵機は飛び立った。これから数時間は報告待ちの状態が続く。
その間に渋谷には、こなすべき職務があった。
「艦長、各艦の艦長と陸軍の師団長や連隊長らがお見えです」
渋谷の座る艦長席の背後から若い声がする。そこでは、艦橋付きの若い一等水兵が艦内電話からの連絡を受けていた。
「分かった。航海長、艦橋を任せた。副長、一緒に来たまえ」
「はっ!」
渋谷は、副長と一緒に陸海の幹部たちが集まる長門の長官公室へと向かった。
本来なら長官公室は、艦隊の司令官である将官が乗込んだ時に使用する場所なのだが、今回の硫黄島派遣では将官が乗込んで居らず、何にも使用されていなかった。
そこで今起きている事態を幹部全員で共有するために、長門へ陸海の指揮官を招集したのだった、
長官公室に入った渋谷は、椅子に腰かけると集まった幹部の面々を見渡した。
海軍からは、各艦の艦長たちが出席している。見知った顔も多く、いつもながらの安心できる顔ぶれが並んでいる。
陸軍は、第九七師団の師団長以下数名の参謀と司令部付と見られる将校がやって来ていた。
「早速ですが、大佐。現状の説明を願いたい…増援を心待ちにしている仲間が待っているのだ」
渋谷が席に着くや、中将の階級章をつけた陸軍師団長が口を開いた。渋谷は、その中将の顔を見て派遣されるにあたり軍令部から受領した輸送する陸軍部隊のリストを思い出した。
師団長は、森岡泰次中将。支那事変が勃発した時に中国へ歩兵団長として赴任した経歴を持つ。
積極的攻勢よりも、味方の損害を減らして敵に出血を強いる我慢強く堅実な戦闘を指揮して、支那軍を大いに苦しめた。
しかし太平洋での戦闘が始まり、中国の北支戦線整理が行われ始めた頃に突如として予備役行きを志願。当時は破竹の勢いで日本軍が進撃していることもあってか、直ぐに受理され予備役少将となる。
予備役になった後は、アメリカの資料をあらゆる伝手を頼って取り寄せて、独自に戦史研究していたことが判明している。
「森岡中将殿…現在索敵機を飛ばしています。彼らからの情報が入り次第、状況を精査しましょう」
渋谷が落ち着いた口調で森岡に話しかけたが、その言葉を聞いた陸軍参謀の大佐が声を荒げた。
「それでは遅い!すぐにでも硫黄島へ向けて針路を取るんだ!」
「その針路すら分からないと言っている!」
「…一体どういうことですかな?迷子にでもなったというのですか?」
「……そう言うのが正しいです」
渋谷は、今わかっている限りの状況を話した。
「海底火山が噴火した時、船団は大波にすべて呑み込まれた…。そこまでは覚えていますか?」
渋谷の問いに、陸軍の全員がうんうんと頷く。
「ああ、無論だ。あの時は、船室にいた全員が転げまわっていた…。先に起きてきた下士官に起こされるまでは眠っていたようだが…」
「我々も似た状況でした。乗込んできた陸軍の澤村中尉が私たちを起こしてくれたのです」
「澤村?一体誰だ?」
「閣下、澤村は二九五連隊の第八中隊長です。長門に行く前に直接話を聞きました」
森岡の疑問に、横にいた佐官が答える。彼は、澤村が長門に行く前に輸送船の上で話を聞いた中の一人らしい。
渋谷が続けて状況を説明しようとした時だった。
ドーンッ!
長門の四一センチ主砲の発射音に比べたら、幾分か軽いが砲声が長官公室に轟いた。
思わず渋谷以下、各艦の艦長たちが身構えた。
艦長たちは全員が、この場に来ている。各艦は副長に任せてきている。
「何事だ!」
渋谷が席から立ち上がって、舷窓に駆け寄った。
狭い視界から見えたのは、煙突から黒々とした煤煙を上げながら、白波を蹴立てて海上を突進する軽巡と駆逐の水雷部隊だった。
艦上では鉄兜を被った水兵たちが、せわしなく走り回って合戦準備をしている。
その時、長官公室の扉が激しい音を立てて開かれた。
思わず全員が扉の方向を見つめると、そこには艦橋付きの若い水兵が息を切らしながら立っていた。
水兵は、息を整えることもなく渋谷に駆け寄ると、手に持っていた一枚の藁半紙を差し出した。
「竹より緊急電です!」
「構わん、読み上げろ」
「はっ…"海中ヨリ攻撃ヲ受ク。敵ハ潜水艦二非ズ。コレヨリ追撃ス"以上です」
「潜水艦じゃない?どういうことだ」
渋谷は一瞬考え込んだ。竹は、海中から攻撃を受けたのにもかかわらず潜水艦ではないと断言してきた。
つまり魚雷の攻撃ではないということになる。
これが魚雷攻撃だったならば、その爆発音が長門にまで轟くことになるだろう。しかし、それは聞こえなかった。
「大佐、艦橋に上がらせてください!」
駆逐艦竹の艦長、宇那木少佐が渋谷に詰め寄り請願した。
自分の艦が攻撃を受けているのだ。乗員のことが気が気ではないのだろう。
「分かった。全員、艦橋に行くぞ。陸軍の皆さんはこの場にいてください」
「いや、私も行こう…」
そういう渋谷に向かって、師団長の森岡が席を立ちあがり略帽を被った。
陸軍と海軍で分かれているとはいえ、自分より階級が二つ上の中将のいうことを否定できず、渋谷は了承した。
長官公室に森岡中将以外の陸軍の面々を残して、早足で艦橋に向かった一同はそこで信じられないものを目にすることとなる。




