くまのリズリーと冬のともだち
この森のくまは二足歩行です。
お日さまが少しずつ低いところに降りてきて、空気がしんと張り詰めた頃、逆さ虹の森にも雪が降りました。
「やったな!」
「わぁっ」
窓の外では、楽しそうな声。
くまのリズリーは、夜のうちに積もった雪で雪合戦をして遊ぶ他のくまを眺めながら、家で一人ため息を吐いていました。
「はぁ………」
リズリーは臆病、怖がり、引っ込み思案。
他のくまに話し掛けられてもビクビクしているし、やっと喋っても小さな声でボソボソと呟くだけ。対話能力が非常に乏しいくまなのです。そのせいか、なかなか友達ができませんでした。
「家にいてもつまんないや」
自分の参加できない楽しい遊びを見ていても虚しいだけ。
悲しくなったリズリーは、暇に飽かせて自分で編んだ赤い毛糸のマフラーと帽子を装着して、外に出ることにしました。
外は寒く、吐いた息が白く空気に溶けていきます。
「わぁすごい、真っ白だ」
家の裏戸から見える景色は一面真っ白で、まだ誰も踏んでいない白い道にリズリーは寒さを忘れて踏み出します。
踏み抜いた雪の地面はさくりと軽く沈み小気味良い音を立てました。
「一人でも面白いことはいっぱいあるんだ」
半分は強がりでしたが、雪を踏むのは存外楽しいものです。熱中して歩いていると、知らない間にオンボロ橋の近くまで来ていました。
「この辺りはあんまり来たことなかったなぁ」
リズリーは辺りを見回しながら白い息を吐きます。
すると、ひと気のない森の中にぽつんと雪だるまが佇んでいるのが見えました。
「あ! 雪だるまだ!」
リズリーの背丈より小さいくらいの、大きな雪だるま。木の枝で出来た口がにっこり笑っているのがチャーミングなニクい奴、安定感は抜群なまんまるボディです。
「………誰かいるのかな」
作った誰かが近くにいるだろうとキョロキョロ見回しますが誰もいません。朝のうちに作って、もう帰ってしまったのでしょうか。
「こんにちは雪だるまさん、君も一人なの?」
帽子を取って紳士的に礼をするリズリー。
「暇ならぼくとお話ししない?」
気分はすっかり紳士なのですが、発言は少しナンパ野郎です。しかし相手は雪だるま、そこは気にしなくても大丈夫。
「ぼくねぇ、今日はずっと暇なんだぁ」
リズリーは帽子を被り直して雪だるまの前に座りました。それから話し出しました。
もしかしたらリズリーは、ずっと前からこんな風に誰かとお喋りがしたかったのかもしれません。もっと他人と自然に話すことができたら。そう思うものの、他のくまはリズリーがもだもだとしている間に去ってしまう。これがいつものことでした。
それを考えると、返事はないけれど黙って話を聞いてくれる雪だるまに話すのは、存外良いものだったのです。
さて、そんなリズリーを隠れて見ている小さな影がありました。
「うへぇ、あいつ、雪だるまに話し掛けてるよ。孤独でとうとう頭がおかしくなったのかな」
木の上で引き気味に口元に手を当てるリス。
彼はリス仲間にはいたずら好きで有名でした。
「ちょっとからかってやろう」
良く言えば好奇心旺盛、普通に言うとふざけた性格のこのリスは、目の前のくまに対してとあるいたずらを思いつきました。
するりと木から器用に雪だるまの裏に滑り込むと雪だるまの肩の辺りに座り、こっそりと咳払いを2回。
「それならボクが友達になってあげるよ」
普段より高い声で発せられたリスの台詞は、思いのほか雪の森に響きました。
「えっ、えっ……?」
驚いて再び辺りをキョロキョロと見回すリズリー。その様子にリスは満足して続けます。
「前だよ、前。ほらキミの前にいるじゃないか」
「えっ………雪だるまさん?」
リズリーは恐る恐る近づき、雪だるまの後ろを確認します。リスは雪だるまの首回りを半周してそれを躱し、リズリーの動きに合わせてまた半周戻り元の位置に帰りました。
「そうだよ。ボクのことはユキって呼んで」
表情が変わらないまま自己紹介をしてくる雪だるまにリズリーは戸惑いましたが、先ほどから自分は名乗っていなかったことを思い出しました。
もちろん、雪だるまが喋るとは思っていなかったので致し方ないのですが、そこは紳士の端くれ。名乗らなければ失礼にあたります。
「ぼ、ぼくはリズリー、リズでいいよ」
「よろしく、リズ」
長らく両親にしか呼ばれていない愛称で呼ばれると、なんだかむず痒くなります。
「ユキは、どこから来たの」
「空だね。昨日着いたんだよ」
「ふうん。誰が作ったの?」
「それは知らないな。気がついたらもうボクだった」
「そっか、ぼくも生まれたらぼくだったし、そんなものかも」
それからリズリーたちは、他愛もない話をして過ごしました。
怒ると怖いヒグマのおじさんのこと、根っこ広場の噂のこと、森一番の歌手の最新曲のこと………次の日もまた次の日も、リズリーは毎日ユキの元へ通い、話をしました。
「ユキ、ユキ、どうしたの」
リスがユキになって数日目、いつもより早く来たリズリーが話し掛けますが反応がありません。
「ユキ、返事をしてよ。ぼくのこと嫌になっちゃったの」
半べそで雪だるまをペチペチ叩くリズリー。これ以上強くやると首がもげそうです。
「まずいまずい、あいつ早く来やがったな」
一方、リスの方はいつも通り木の上で昼寝しながらあの間抜けを待とうかと思っていたところ、その彼が先に来て騒いでいるのを見て慌てて駆けていました。
「何でボクがこんな走らなくちゃならないんだ」
別に約束をした訳でもないのですが、なんならこのまま放置して「雪だるまが喋る訳ないだろ、ボクだよボク!」とネタばらしをして笑ってやってもいいのですが、それにはギャラリーがいないし、なんだか、なんだか………
よく分からないまま、考えているうちに雪だるまの裏へ到着していました。
「……ッンン、おはようリズ」
慌てて声の調整をし、設定を考えるリス。
「………ユキ?」
「どうしたのリズ、泣いちゃってさ」
「だって、ユキが喋らなくなるから………とっても心配した、怖かったよ」
「なんだよ、雪だるまは喋らないのが普通だろ」
取り乱すリズリーに、思わず素になりかけたリスは慌てて設定を練り直します。
「落ち着いてよ。キミの馬鹿力で叩いたらボクの顔が歪んじゃうだろ」
「ごめん」
「心配しなくても、ちょっと寝てただけだよ」
「そっか、さっき声が違ったもんね、寝起きだからかな」
このくま公、どんくさそうに見えて意外と鋭い。リスは慎重に声を整えて返事をしました。
「そうかもね」
雪の日も、吹雪の日も、リズリーはユキの元へやって来ました。
「毎日よく来るね、こんな寒いのに」
「だってユキは動けないんだから、ぼくが来ないと寂しいでしょ?」
あほか、お前が皆勤賞のせいでボクだって寒い中来てるんだよ、と心の中で悪態をつきながら雪だるまの首に巻かれたマフラーの中へ潜り込むリス。
「ボクは別に一人でも平気だよ」
「そうなの? ぼくは寂しいけどなぁ…」
このくまは、ボクが来なかったらどうするんだろうか。本当は別にすっぽかしてもいいんだけど、こいつのことだから一日中泣きながら待っていそうで怖いな。次の日、吹雪の中でくまの死体でも見つかったら後味が悪いな。
そんなことを考えながら来たリスは、恥ずかしげもなく寂しいなどと宣うリズリーに対し、むぐ、となって何もコメント出来ませんでした。
「寒いからシチュー持って来たよ」
そんなリスをよそに、ほかほかのシチューを水筒から出して見せつけるくま。寒い中で飲む温かなそれはどれだけ美味しいことか。
「ボクが飲めないの分かってやってる?」
「あ、ごめん。溶けちゃうよね」
「溶ける以前に、キミはそれをボクの口元にぶっかけでもするつもりか」
雪だるまには枝の腕が生えているにはいるのですが、もちろん使い物にはなりません。
「ユキがくまだったら良かったのにな。でも、それなら緊張してこんな風に喋れてないかぁ」
前に、リズリーとユキが友だちになって間もない頃、友だちが出来ないと零していたリズリーが口にした、ドングリ池のおまじない。
ドングリを投げ込んで願い事をすると叶うという噂の池。
リスはその時、その話を思い出していました。
あのおまじないは、どうやらよく効くらしいのです。心からの、純粋な願い事なら叶うと専らの噂でした。
リズリーがそこに投げるドングリがなく諦めるのを知っていましたが、大事な食料を分けてやる気はさらさらありませんでした。
そんな吹雪の日も徐々に減り、さらに数日。
少しずつお日さまが顔を出すのが早くなり、寒さも和らいできました。
ユキの身体は以前より水っぽくなっている気がします。もうすぐ、お別れの日が近付いていました。
「結局、ネタばらしのタイミングを逃してしまった」
冬の間毎日、いつもしていたのと同じように木に登ってターゲットを待つリスは、一人考えていました。
「もっと早めにバラしてやれば、こんなに何日も通わなくたって良かったんだ。でもま、それもあと数日で終わりか。ユキは溶けちゃうからね」
それならもう、からかわなくたって、ユキのまま綺麗に消えるのもいいかもしれない。あの哀れな、可哀想なくまにひと冬の思い出をプレゼント。なーんて。
「ふん」
この頃にはもうリスは、このくまのことがだいぶ好きになっていました。
絶対に口には出しませんが。
「ユキ、おはよう!」
「──来やがったか。毎日ご苦労なことで」
遠くから手を振りやって来るくまを見て、リスはするりと木から降りました。
「おはよう、リズ」
「なんだか暖かくなってきたねぇ、今日は何して遊ぼう」
「………キミ、毎日来るけど暇なの?」
「……え…うん、ぼく、友だちはユキだけだし」
本当は、リスにはわかっていました。
寂しいと言ったリズリーに何も返せなかったのは、同じ気持ちだったから。だけどいたずらから始めたリスは、おいそれと認めることは出来ませんでした。いつも心の中でこちゃごちゃと言い訳をしていました。
「キミ、そんなんで、冬が終わったらどうするんだよ」
「えっ、どうしよう」
本当にこの愚鈍なくまは何も考えていない。
冬が終わったら、ユキが溶けたら、もう会えなくなるのに。
「キミは本当にどうしようもないな」
そう言って、からかおうとしたせめてものお詫び、もしくは餞別のつもりで、リスが秋の間から貯めていたドングリの一つ、それを投げてやりました。
「………これ、ドングリ…」
そのドングリはユキの身体から転がり出たように見えました。
「いいもの貰ったし、お礼だよ」
いつかリズリーが趣味の編み物の話をした時に、ユキが褒めてくれたのでプレゼントした、おそろいの手編みの赤いマフラー。
恐らく、ユキの首に巻きついているそれのことでしょう。
「それで、お願いすればいいよ。ドングリ池に投げ込んでさ」
リスはこれまでいたずらで相手に悪いと思ったことはありませんでしたが、毎日雪だるまと話をしに嬉しそうに走ってきたリズリーがまた元の陰鬱としたくまに戻ると思うと僅かばかり、ほんのちょびっと胸が痛みました。
「友だちが欲しいってお願いすればいい。きっとすぐに出来るよ」
この純朴なくまのことです、恐らく願い事は叶うでしょう。
ただの雪玉ではなく、嘘でできたユキではなく、念願のくまの友だちが出来るはず。
「ボクはそろそろ溶けそうだからね。キミとの友だちはどこかのくまにタッチ交代」
「やだよ、ぼく、ユキがいい」
どうやらこの冷たくひんやりとした友だちは、本当に消えてしまいそうな様子で、リズリーは不安になりました。
「ユキ、溶けないで……」
「…無茶言うなよ」
リスだって本当はこの冬の先もリズリーと話したいと思っていましたが、そうするにはネタばらしをしないといけません。
からかって、馬鹿にして、笑おうとしていたと知られればリズリーは傷つくだろうし、嫌われる。そもそもリズリーは「ユキ」が良いのであって、リスのことを好きになってくれるとは到底思えませんでした。
「キミ、喋ればいい奴なんだからさ、ボクなんかよりもっといい友だちができるよ」
「どうしてそんなこと言うの」
まるで今生の別れみたいでした。
「絶対に、お願い事するんだよ。せっかくドングリあげたんだからさ。ボクは本物の存在じゃないんだから」
それきりユキはその日は一言も喋らなくなってしまいました。
次の日、とうとうユキはぐずぐずになって、もう溶け出していました。
「ユキ、返事をしてよ。いなくなっちゃうなんてやだよ」
例によって、朝から来ていたリズリーはずっと溶けかけの雪だるまに話しかけますが、一向に返事はありません。
「……このままお別れなんて嫌だよ」
最後に貰ったドングリを握りしめて、随分小さくなった彼を見下ろしますが、反応はなし。
ドングリ池の、願い事。
ユキを一生溶けないようにしてと言えば、叶えてくれるのかしら。でももしユキが溶けなくても、また喋るとは限りません。
不思議な雪だるま、突然話しかけてきた冬の友だち。
また次の日には、本当に跡形もなく消え去っていました。首に巻いていた赤いマフラーと、小さな窪みを残して。
「なんで来ないんだよ、あいつは」
ユキが完全に溶けたのを確認した後、リスはドングリ池のほとりの木の上でドングリ片手に池を見ていました。
「あいつも幻想の友だちが溶けたのを見たはず」
片手のドングリを上に投げてはキャッチを繰り返しながら池を見張っていましたが、あのくまは一向に来る気配がありませんでした。
「リズがさっさと友だちを作りますように、なーんて」
そう言って、ぽちゃん、とドングリを池に放り投げると波紋だけが静かに広がりました。
直後、背後から大きな足音が。
「ユキが、冬が終わっても友だちでいてくれますように」
そこにいたのはリズリーでした。
池にドングリを投げて、それから木の上のリスを見ました。
「叶うかな?」
「な、なんだよ、ボクは知らないぞ」
この、くまのくせに存在感の薄い男は、いつから居たのだろう。
リスは木の幹を背にリズリーを凝視しました。
「この森にリズはぼくだけだし、ぼくのことリズって呼ぶ友だちはきみだけだよ」
そう言ってリズリーは小さな赤いマフラーを差し出しました。
「小さい足跡があったから、もしかしてと思って」
サイズがぴったりのそれを、早く受け取れとばかりに掲げるリズリー。
このくまは、本当に変なところだけ鋭い。
「で、どうかな。ぼくのお願い叶うかな」
リズリーの問いに、リスはもう逃げ場がありませんでした。
「ボクと友だちになろうってのか、ボクはお前を騙したんだぞ」
「いいんだ、ぼく、ユキと話して本当に楽しかったから」
「ユキは、演技なんだ。ボクはユキみたいに優しくないぞ」
「ユキも結構厳しいところあったよ」
「ボクみたいな捻くれ者でいいのかよ」
リズリーは頷きました。
「きみと、今度は一緒にシチューを食べたり探検したりしたいな」
リスはもうなんだか顔が熱くなって、泣きそうでした。
「……本当に愚鈍なくまだ」
涙目のままそう言いました。
「きみはどうなの」
「ボクも、そうだよ。………騙してごめん」
リスの謝罪は本当に小さな呟きで、リズリーは笑ってしまいました。
「きみって素直じゃないね」
「うるさい………」
こうして、くまのリズリーと、ユキ改めリスのオスロは、冬の先もいろいろな事をして過ごしました。
春、リズリーの肩に埋もれて喋るオスロのせいで、リズリーに二重人格の噂がたつのですが、これはまた別のおはなし。