大人は足元を見て歩かない
────父親も母親も、いつも下を見ない。
父親は仕事に行くために前を見て走る。電車に遅れないように、真っ直ぐ前を見て。
母親は手元ばかり気にして、ずっと前を見て子供の手を引いて歩く。早く仕事を済ませて、家事をしてしまおうと足元には目もくれず。時間に追われているだけのせわしい毎日。
アスファルトの隙間から生えている、いい環境とは言えない場所でもたくましく生きている小さな花さえ目に入らず。
……花を踏み潰して前へと歩く。
子供には見えていた。
道端にあるもの、草むらに隠れているもの、足元に転がっているもの。
大人には見えていない。いつも前ばかり見ている大人には。
子供はまだ大人の腰にも満たない程度の身体だけれど、地面は近い。近いからこそ、子供は下を見て歩く。
そこに落ちている、『宝物』が見つけられるから。その『宝物』は子供にはキラキラとした宝石のように目に映る。
大人には見えない。その『宝物』には気づかぬままに、あるいは見つけても気にも留めないから。
子供は外に出る。
今日も探検に行くつもりだった。見知らぬ場所ではないけれど、近くの草むらでも小さな子供には大きな秘境として目に映る。雑草が生い茂る足元のジャングルを駆け抜け、『宝物』を探しに行く。
草むらに潜む大きな昆虫。木陰に転がるドングリなどの木の実。そして道端にひっそりと落ちている、綺麗な石。それら全てが子供にとっては宝物だ。
大きくかっこいい虫を見つけた少年は興奮する。
虫取り網に引っかかったものが大物であるほど、その興奮は膨らんでいくのだ。
バッタの大きくたくましい足。カマキリの鋭いカマ。カブトムシの大きなツノ。それらをみて喜ぶと同時に、その生き様に憧れを抱く。
ドングリや綺麗な石を見つけた少女はそれらを眺めて楽しむ。
ドングリのツヤツヤとした表面。何故か集めるだけで楽しかった。手に溜まっていく感覚が、なんだか自慢げで。
たまたま見つけた石には、つるっとしてる手触り。赤みがかって珍しい色。透明で、透き通ったもの。たまたま見つけたことで、より喜びが増していった。
────だけど、それは長くは続かない。
やがて子供は『成長』していく。逃れられない、生きていく上で、身体が大きくなること。
文字や数字を覚え、器用な動きが出来るようになり、そして目線が高くなり……近かったはずの地面が遠ざかる。
『宝物』であったものは霞んでいく。
やがて虫に目を向ける余裕が無くなり。やがてドングリなどの木の実はどうでもよくなり。やがて綺麗な石はただの石ころになり。成長の過程で小さな頃の『何か』を失う。
やがて────子供は大人になって下を気にしなくなっていく。下を見る余裕がない程に時間に追われ、電車の時刻を確認するために上を見上げて。
そして子供だった人はまた……足元を見て歩かなくなっていく。
あなたも、見ないで歩いていませんか?
あなたも、見逃していませんか? ────かつての『宝物』を。