第88話 姉妹
深夜、街の中を、近藤が一人で歩いている。
人通りが少ない。
夜空に目を向ければ、星が疎らに輝いているだけだ。
このところ、警邏軍に寝泊りしていたので、久しぶりに自宅があるアパートに帰って歩いていた。
普段でも、自宅に帰ることが少ない。
だが、薬の摘発をして以来、自宅に戻っていなかった。
近藤にとって、自宅は、ただ寝る場所だけだった。
掃除などする時間もないので、自宅には何も置かれていない。
簡素なものだった。
制服だと、目立つので私服だ。
隊員の中には制服のまま、帰る者もいた。
誰も、疲れきっている近藤に、見向きもしない。
疲労で、倒れそうでも、周囲に、異変がないかと、見回ることは忘れなかった。
いつでも、どこでも、仕事モードを、貫いていたのである。
古く、ボロいアパートに入っていく。
隊長でもある立場にある者が、住んでいるような場所でない。
けれど、住む場所に、大して拘りがなかった。
そのため、警邏軍に近く、賑わっていない場所を選んだに過ぎない。
自宅のドアの前に、立ち止まる。
眉間を寄せ、ドアを凝視している近藤。
部屋から、人の気配を感じ取っていたのである。
(何者だ?)
中にいる人物は、気配を隠そうとする意図が感じられない。
自分の留守の間に、入り込む知り合いなんて、一人もいなかった。
気配を感じながら、眉を潜めている。
考えられるのは、自分を探る者か、窃盗犯か、それとも、ただの物好きなだけだった。
自分の部屋にいる気配から察する。
自分を暗殺できるやからではないことは、すでに把握できていた。
(こんな時に……)
嘆息を漏らしながら、携帯している柄を手にした。
すでに、カギが空いているドアノブに、手をかける。
勢いよく開け放たれ、躊躇いもなく、部屋へ入り込んだ。
「誰だ? 私の留守に、入り込んだ者は?」
部屋にいたのは、首を傾げ、僅かに、目深にローブをかぶっている女がいた。
目深にかぶったローブからは、口元しか見えない。
妖艶に微笑む女に、訝しげる近藤だった。
(……着ているものから、窃盗する者には見えないが……)
ローブの隙間から、上質のドレスが見え隠れしていた。
この辺りに住む者たちが、着られるようなものではない。
自分を殺しに来たやからにも、纏う気配から窺えなかった。
何しに、ここに来たのか、見当がつかない。
ますます、眉間にしわが寄っていく。
「わからない?」
「……」
「寂しいわね」
ゆっくりとした動作で、かぶっていたローブを下ろす。
真下から、美しい女性の顔が出てきた。
楽しげに微笑む。
ムッとしながら、近藤が相手をしっかりと見据えている。
「留守に、入り込んだのは、ごめんなさい。あまり、目立ちたくなかったものだから」
ふふふと笑っている姿に、全身の力が抜けていく。
幼い無邪気な笑みと、目の前にいる女の顔が重なった。
目を見開き、近藤の唇が、震え始めていた。
「ようやく、わかったようね。勇巳」
愕然とし、言葉にならない。
ただ、その場に、立ち尽くしているだけだ。
そんな近藤を気にする様子もなく、岩倉が一人で喋っている。
「随分と、治安が悪いところに、住んでいるのね」
ベッドと、テーブルしかない。
それと、数着の服しか置かれていない部屋を見回っていた。
怪訝そうに、数着ある服を確かめている。
どれも、これも、いいものとは言えない。
「もう少し、着るものを、見直しなさい」
当惑している近藤に、視線を巡らす岩倉だった。
「それと、冷蔵庫に、何もなかったわよ」
「……」
近藤が帰ってくる前に、あらかた部屋の様子を窺っていたのである。
そして、生活感のない部屋に、呆れていたのである。
想像以上に、生活感がなかったのだ。
とても、女性の部屋とは思えなかった。
若い男の一人暮らしでも、ここまで酷くないと巡らせていた。
「ちゃんと、食べているの?」
容赦なく、生活感のない部屋に、ダメ出しをしていた。
衝撃的な出来事に、思考が停止寸前だったのだ。
「聞いているの? 勇巳」
「……どうして、姉さんが?」
か細い声で、ようやく紡ぎだした。
目の前に、幼き日に、別れた双子の姉智巳がいたのである。
信じられないと言う双眸を、注いでいた。
口角を上げ、驚愕が醒めない近藤を窺っている。
「会いたくなって」
「……」
その言葉を、鵜呑みにできない。
別れる際、決して会うことがないと、言われていたのだ。
地方のある村に、生を受けた智巳と勇巳。
妖魔の出現や、天候不良が続き、作物などが育たない、廃れていた村だった。
そこで、両親を失い、それぞれに、親戚筋に預けられることになったのである。けれど、近藤としては、姉と別れたくないと、しがみついていたが、あっさりと自分を捨て、岩倉は親戚の元にいってしまった。
幼き日の出来事が、走馬灯のように流れていった。
一度に、二人の子供の面倒を見られないと、親戚同士で話し合われたのである。
イヤなだと、駄々をこねる、過去の自分の姿が、頭の中に映し出されていた。
そして、それとは対照的に、飄々と、姉の智巳が抱きついている勇巳を、強引に引き離している光景に、近藤の心は締め付けられていたのだった。
そんな近藤の心情を、知っているのか、口を開く。
「前から、勇巳ことは、知っていたわ。随分と、大変そうね、深泉組の隊長なんて」
「……そんなことは、ないよ。ところで、姉さんは? 服装からすると、伯父さんからは、離れているよね?」
伯父さんの元では、こんな上質のドレスは、着られないと巡らせていたのだ。
亡くなった両親に比べ、伯父さん夫婦は、まともな生活をしていたのである。
まともな生活だけで、煌びやかな生活ではない。
「勿論よ。いつまでも、あんなところなんて、いないわよ」
「裕福そうで、よかった」
安堵感を滲ませた笑みを漏らしていた。
姉の性格を思えば、長くいないだろうと踏んでいた。
「そうね。お金や、地位には、困らないわよ」
動こうとしない、近藤の目の前に立つ。
近藤とは違い、手入れされている肌をしていた。
柔和に微笑む。
「私が、誰か、わからない?」
言っている意味がわからず、眉を潜めていた。
「……勇巳らしいわね。私の立場は……」
首を傾げ、可愛らしく微笑んでいる。
「それなりに、地位が高いところにいるわね。あなたの部下……、確か、山崎っていたかしら、私の近くを、うろうろしているわよ」
山崎と言う響きで、姉が、今どこにいるのか見当がつく。
(バラ園にいるのか……)
「どうやって……」
僅かに目を細め、微笑む岩倉を窺っている。
どう考えても、まともに入り込んだとは思えない。
自分たちの境遇を思えば……。
「いろいろよ。私のこと、知ったら、なるほどって思うわよ」
「……。でも、ちゃんと、食べられてよかったよ」
「そうね。贅沢は、できるわね」
労わりながら、少しやせこけた近藤の頬を触れる。
肌のキメや、艶が失われていたのだ。
(さすが勇巳ね。酷い状況にもかかわらず、これだけの衰えしかないなんて)
「仕事に夢中になって、食べることを忘れているようね」
ひんやりする指が、懐かしいと抱く。
「姉さんなら、知っているんでしょ? 今の深泉組の状態を」
「えぇ。調べさせたから」
「抜かりがないね」
「当たり前でしょ」
「適わないな、姉さんには」
苦笑している近藤。
じっと、岩倉が近藤を見つめている。
「ところで、どうして、深泉組に落ちたの? もしかして、バレた?」
「ああ。警邏軍としてのメンツがあるから、捕まえることをしない代わりに、深泉組に落ちた」
隠す必要なんてなかった。
だから、深泉組に落ちた理由を、あっさりと認める。
姉なら、すぐに察することができたからだ。
「最低な、連中ね」
蔑む眼差しで、岩倉が遠くを眺めている。
「しょうがないよ。失点続きだったから」
不意に、近藤の脳裏に、上層部の数人の顔が浮かぶ。
自分の秘密は、上層部の限られた人間しか知らない。
彼らによって、極秘裏に隠されたからだ。
当時、近衛軍や外事軍に、いろいろと手柄を持っていかれていた。
その上、近藤の秘密を公にし、警邏軍をさらに、失墜させる訳にはいかなかったのだ。
「ホント、勇巳は、変わっていないわね」
諦めの早い近藤に、首を竦めていた。
近藤の全身を、隈なく眺めている。
弱い姿を。
そして、目線を近藤に合わせた。
「力は、抑えているのでしょ」
「本気を出したり、高揚したりすると、変わるからね。自分を抑える訓練するのは、大変だったよ」
僅かに、近藤の周囲の空気が変わった。
瞬く間に、近藤の瞳が、赤く輝きだした。
「綺麗……」
鮮やかな赤の瞳に、手を触れようとする。
だが、寸前で止めた。
深紅の瞳に映っている自分を、見据えている。
岩倉の瞳は、変わっていない。
黒いままだった。
僅かに、眇めている岩倉。
だが、近藤は気づかなかった。
ふと、息を吐く。
「……。半妖としての力を、上手くコントロールできるようになったのね」
「ああ。随分と、苦労したけどね」
半妖としての力を、近藤は嫌っている。
自分には、無用なものだと。
だから、使わないように、幼い頃、力を押さえ込む訓練をしていたのだった。
羨望の眼差しを、岩倉が傾けている。
半妖の両親から、生まれた岩倉と近藤。
だが、半妖としての能力を携わっていたのは、妹の近藤だけだった。
姉の岩倉は、普通の人間の子と、変わらなかった。
両親同士が半妖の場合は、力を持った半妖の子が、多く生まれる可能性が高かった。けれど、少ない確率で、力を持たない普通の人間が、生まれる可能性もあった。
その珍しい確率で、岩倉が生まれたのだ。
ふわりと、近藤から離れ、ベッドに腰掛けた。
「そう言えば、相変わらず、誰かに、縋りつく生き方を変えていないのね」
フリーズし、動けない。
否定できなかったからだ。
それに、自身でも、認めていたのである。
そうした生き方しか、できないと。
「小さい時は、私だった。今は……」
まっすぐに、瞳が揺れ動いている近藤を捉えている。
「芹沢加茂に」
「……調べたの?」
ふふふと、口角を上げている岩倉に、双眸を巡らせていた。
あまり自分を調べられるのは、好きではなかった。
「別に、詳細に調べた訳ではないわ。ただ、報告を聞いて、きっと、芹沢加茂に縋りついたのねと、思っただけ。違った?」
(さすが、姉さんの勘だ)
乾いた笑いしか、出てこない。
「もう、別れたよ」
捉えている近藤から、視線を剥がさない。
「でも、縋りついているわよ」
今度も、はっきりと否定できない。
捨てられた子供のように、立ち尽くしている近藤。
「いい加減、その癖、直しなさい」
ただ、黙ったままでいる。
「いつまで、そうしているつもりなの?」
元に戻っていた黒い瞳を、伏せさせた。
芹沢のことを、出逢いから別れまで吐露し、岩倉は黙ったまま、耳を済ませていたのだ。
話し終えた近藤は黙り込み、岩倉が嘆息を吐く。
(ホント、バカな子。でも、勇巳らしいわね)
呆れながら、岩倉が眺めている。
小さい頃から、不器用な生き方しかできない子だった。
「芹沢に構っていなければ、深泉組からは、抜け出せたはずよ」
「……それはどうかな? 上層部に、バレているんだよ」
「それでもよ。勇巳の実力ならね」
「買いかぶりすぎだよ」
伏せたままで、いっこうに顔を上げない。
それでも、岩倉はそんな姿を、しっかりと見据えている。
「いいえ。深泉組は、個としての実力は、高いわよ。能力的に、土方、斉藤、山南、島田、原田、永倉、藤堂などは。そこに、沖田が加わった。ただ、灰汁が強過ぎて、他と、混じらないだけよ。それに、鍛えれば、ものになる人材だっているわよ。かなりね」
岩倉なりの評価を、口にしていた。
(さすが姉さん。しっかりと、みんなことを見ているな)
不意に、部下たちの顔を掠めていく。
灰汁が強いが、岩倉が評した通りに、実力があると見込んでいた。
それと同時に、上層部の顔ぶれを思い返していたのである。
彼らがいては、ダメだと巡らせていたのだった。
「……褒めてくれるのは、嬉しいけど」
「あなただって、わかっているでしょ?」
「……」
煮え切らない態度に、息を漏らした。
「芹沢の、どこがいいの?」
「……」
ふてぶてしいほどに、貫禄ある芹沢の姿を蘇らせている。
(あの人は強い……)
「私は、つまらないけど? ……銃器組にいた際は、野心はあったようだけど、今はまったくないようだし」
「……」
「一体、芹沢加茂の、どこがいいの? 勇巳」
射抜くような鋭い眼光を、岩倉が傾けている。
深泉組にいる、強い隊長である近藤は、ここにはいない。
弱々しく、心細い眼差しを携えている姿しかいなかった。
「……わからない。ただ、あの揺るがない強さに、惹かれた」
「強さなら、他にも、いたでしょ? 土方とか、斉藤とか。今は、沖田とか」
「……確かに、みんな強い。それに、沖田は……、もっと強い。きっと、もっともっと強くなる。けれど……」
ゆっくりとした動きで、頭を振った。
自嘲な笑みを、近藤が漏らしている。
「あり得ない。やはり、あの人だ」
「随分と、入れ込んでいるのね」
毒気を抜かれたような顔を、岩倉が覗かせていた。
「自分でも、わからない。なぜ、そこまで……」
儚げな視線を、近藤が遠くに巡らせていた。
岩倉が、やれやれと息を零す。
「そのまま、芹沢についていくなら、深泉組は、奈落に落ちるわよ」
視線を、呆れている岩倉に戻した。
「今、勇巳がしがみついているのは、芹沢加茂と深泉組でしょ?」
(そうなんだろうか……)
「意識していないようだけど、勇巳は、深泉組と言う存在に、縋っているわよ」
自信なげに、視線を彷徨わせている。
「いいの?」
真摯な顔で、問い質した岩倉。
何も、答えられない。
二人の間に、静寂だけが流れていた。
それを、先に切ったのは、岩倉だった。
立ち上がり、そして、近藤の前に立つ。
「そろそろ時間が、来たようね」
「……行くの?」
「えぇ。次、会う時は、敵同士かもね」
「……」
お互いの立場が、違っていたのだ。
困惑している近藤に対し、岩倉の表情は変わらない。
憂いも、哀しみもない顔だ。
「いい、勇巳。何があっても、私の事は今後、忘れなさい」
(また、切り捨てられるのか……)
「もう対面しても、姉妹だと、名乗らないこと」
「……わかっているよ」
「ありがとう。餞別代りに、これを上げる。足がつかないように、小さな宝石よ」
子袋に、いっぱい詰め込まれていた。
それも、二つもあった。
「大切に、使いなさい」
「姉さん……」
貰えないと、躊躇っている。
「あって、困らないでしょ?」
二つの子袋と、岩倉の顔を窺う。
「姉として、最後に。いい加減、決断しなさい」
子袋を渡し、岩倉が部屋から出ていった。
躊躇いもなく、アパートから出ると、ローブをかぶり、歩き始める。
その足取りは、軽やかだ。
すると、岩倉の背後に、岡田が姿を現した。
「ごめんなさい。待たせちゃったわね」
「……いい」
簡素に答える岡田だが、その顔は渋面になっている。
ちらりと、近藤のアパートに、視線を巡らせていた。
「それと、これは誰にも、喋っちゃいけないわよ。勿論、武市さんもよ」
「……わかった」
「ありがとう」
二人は、暗闇の中へ消えていったのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。




