第86話 不安定な近藤
このところ、心が乱れることが多く、落ち着かせるため、久方ぶりで近藤が、八木邸に訪れていたのである。
それと、いろいろと考えることができ、静かな場所で、考えに耽りたかった。
芹沢以上に、近藤が、八木邸に訪れる回数が少ない。
芹沢の場所であって、自分の場所ではないと抱くからだ。
だが、八木を紹介したのは芹沢だった。
そして、かつての仲間は、誰一人として紹介されていない。
近藤一人だけが、八木を紹介されたのだった。
久しぶりの来訪に、好々爺の八木の顔が綻んでいた。
一見すると、気のいい優しい老人に窺えた。
でも、密かに芹沢と通じ、あらゆる情報を流していたのである。
それも、思いのままに。
芹沢と同様に、縁側で庭を眺めている近藤に近づいていった。
「お久しぶりです。近藤様」
近藤の隣に腰掛ける。
庭園を眺めている近藤を気遣い、心が落ち着くのを見計らい、姿を現した。
「八木殿も、元気そうで、何よりです」
口角を上げている近藤。
「近藤様。休息は、取られていますか?」
困り顔の八木の問いに、苦笑いしか出てこない。
休日返上で、動き回っていたのである。
この前の一件により、深泉組の廃止論が、高まっていたからだ。
そして、小栗や近藤の平謝りの行脚により、回避されつつあった。
けれど、これ以上、油断できないところまできている。
「そんなに、顔色が悪いですか?」
「かなりです」
目の前にいる近藤の顔は、青白かった。
休息も取れぬまま、馬車馬のように身体を動かしていた。
立ち止まると、鬱屈しそうで。
八木の耳にも、深泉組の置かれている状況が入っていたし、小栗や近藤が上層部に、連日、頭を下げている話は届いていたのである。
かの老人の元に、入らない情報がない。
それぐらい、あらゆる情報を持っていたのである。
「そうですか」
大したことがないと、ぎこちなく笑っている。
「いつも申しますが、睡眠や食事は、大切ですよ」
「どうも、忙しく……」
言葉を濁し、視線が宙を舞う。
「疎かにしてはいけません」
真剣な眼差しで、窘めていた。
「気をつけます」
真摯に、忠告を受けるが、果たして、その忠告を守れるのかと、頭を掠めているのだった。
出た結論としては、守れないだろうなと。
促された以上は、努力はしてみようとは思っていたのである。
「そう、してください」
少し、目元が和らぐ八木だった。
無理に笑ってみせる近藤の姿に、首を竦めている。
「相変わらず、芹沢様は、お元気なようですな」
「そのようです……」
引きつった笑みしか出てこない。
自分たちが、上層部に頭を下げている間も、おとなしくできなかったようで、そのやんちゃぶりは、上層部に回っている近藤の耳にも、いくつか届いていたのだった。
「昔から、豪快で、派手な方でしたから」
愉快そうに、八木の目元が和んでいる。
(確かに、豪快で派手好きだったが……)
かつて部下だった時のことを、思い返していた。
上司の言うことを聞かず、独断で動き回っていたのである。
振り回されていたのが、芹沢の部下たちだ。
昔も、今も、部下を振り回す状況は変わっていない。
根本的には。
「近藤様」
呼びかけられ、まっすぐに近藤に視線を巡らせている八木を窺う。
「芹沢様は、昔も、今も、変わっていませんよ」
「……」
近藤の瞳が、揺らいでいた。
そして、微かに、唇が震えている。
(変わっていない? 本当に、変わっていないんだろうか?)
「見ていてください。何かと、無茶をする人ですから」
素直に返事ができず、ただ、近藤が頷いた。
頷いたことを見た八木が、庭先に双眸を傾ける。
池の波紋を窺っていた。
「……かつてのお仲間に、仕事をお願いしても、バチは当たらないと思いますが?」
「……」
掠めているのは、かつて芹沢の元で、一緒に働いていた仲間たちの顔だ。
全員、芹沢が深泉組に移っても、その忠誠心は薄まっていない。
上層部や上司に内緒で、情報を流してくれている。
近藤にとって、ありがたい仲間たちだ。
「そうすれば、近藤様も、少しは、ラクに生きられると思います。何もかも、お一人でやるには、無理があります」
(ラクか……。確かにあいつらに頼めば、もう少し、上手く立ち回れたのかもしれない。どうもダメだな、私はどうも一人で、何でも背負い込む癖が直らないな)
幼い頃に、別れた姉の姿を、思い浮かべていた。
(どうしているだろうか、姉さんは)
幼い頃に、別れてから、会っていない。
消息も、不明のままだ。
僅かに、息を漏らす。
「近藤様の、負担が減ります」
「……そうですね。でも、あいつらだって……」
迷惑を、これ以上、掛けたくなかった。
自分のように、仲間たちを左遷させたくなかったのである。
だから、めったなことがない限り、接触しないように、心掛けていたのだった。
「かつてのお仲間の方たちも、動かれていたようです」
瞠目し、フリーズしている。
まさか、清河や八神たちが、動いていたとは気づかなかったからだ。
銃器組は、すべての仕事を放り出し、行方不明となっていた、少年少女たちの行方を追っていたのである。そして、現在、そのつけを払う形で、溜まっている仕事に、忙殺されていたのだった。
だから、自分たちを構う暇などない。
この前の一件で、世間から銃器組も、軽んじられつつあったのだ。
(また、迷惑をかけてしまったな)
唇を噛み締めている近藤。
それに対し、八木が首を竦めていた。
「銃器組のこともあり、随分と、責任を感じられているようですね。上司の方々を、何人か、怒らせたようです」
(私が、収めなければならなかったのに……。私に力がないばかりに)
「今、感じた思いは、かつてのお仲間も、同じだと思いますよ」
俯いていた顔を、近藤が上げた。
口角を上げている八木を、視界に捉えている。
「ですから、もう少し、お仲間の方々を、ご信用なされるように」
「……信用はしています。けれど……」
行き場を失ったかのように、視線を彷徨わせた。
(私は、どうすればいい?)
「愚痴でも、零されてみては?」
ニッコリと、八木が微笑む。
「愚痴?」
胡乱げな眼差しを、近藤が注いでいる。
「そう、愚痴です。そうすれば、かつての仲間の方々は、きっと、近藤様を、お助けなさります」
「愚痴……」
不安そうな顔を、覗かせている。
果たして、自分にできるのだろうかと。
心細い、子供のような姿に、困りましたなと、笑っている八木だ。
(ダメだ。この話は)
「……物騒な事件が、続いておりますが、勤皇一派が、かかわっているのでしょうか?」
居た堪れない近藤が、話の話題を変えた。
話題を摺りかえられても、飄々と構えている八木だった。
「確かに、物騒な事件が、続いておりますな」
「銃器組としては、私どもには、かかわらせたくないようで」
辟易した顔を、近藤が覗かせていた。
徹底し、情報が深泉組に行かないように、銃器組が画策していたのである。
けれど、すべてを隠すことができない。
情報が、漏れ出ていたのだった。
矜持を高くしている銃器組のあり方に、八木が微かに嘲笑していた。
「あちらとしても、失態続きでしたから、挽回しようと、躍起になっているのでしょうね。だいぶ、矜持を傷つけられたようで。……ですが、随分と、周りが、見えておられていない方が、多過ぎな気がします」
落ちこぼれ集団である深泉組に、かかわらせるなと、豪語している連中の顔を、八木は頭の中で思い浮かべていたのだった。
どの連中も、バカばかりの顔をしていたのだ。
そして、僅かに、口の端が上がっている。
だが、近藤は気づかない。
「そうかもしれません。私には、大して矜持と言うものが、ありませんから」
目を見張り、小さく笑っている近藤を窺っている。
その顔は、信じられないと言わんばかりだ。
心外だと思う近藤だった。
「……。本当に、私には、大した矜持を持っていません。私は、人に流されやすいので」
「そうは、思いませんが?」
近藤の口元が、僅かに緩む。
「幼い私は、今以上に、矜持なんて、持っていなかったのです。ただ、誰かにすがって、生きてきただけなんです」
自虐的に、微笑んでみせた。
その脳裏に、走馬灯のように過去が流れている。
「私には、矜持なんてありません」
沈痛な面持ちでいる近藤を、八木が見入っていた。
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