第85話 ブーム
坂本の話が気になっていた土方が、独自で調べようとし、数日後に馴染みの遊女である花穂の元に訪れていた。
勿論、現段階で、近藤に報告をしていない。
もう少し、詳細を詰めてから、報告しようとしていたのである。
別なお座敷に、花穂が出ていたので、一人で酒を飲んで過ごしていた。
花穂の艶やかなストレートな黒髪が、ウキウキした気分と連動し、軽快に踊っている。
土方が来たと言う知らせを受け、土方が待つ部屋に向かって歩いていたのだ。
すると、正面から、後輩の小梅を連れた芹沢の姿を、視界に捉える。
(芹沢様……)
段々と、大きくなってくる芹沢に、にこやかな視線を注いでいる。
「お久しぶりです、芹沢様」
「花穂か。久しぶりだな」
飄々とする顔を、芹沢も崩すことがない。
目の前に立っている男は、眉を潜めることをしたのだった。
花穂にとっては、同期で、仲良くしていた小紫を、あっさり捨てたのだ。
そして、次に添えたのが、可愛がっていた後輩の小梅で、花穂としては微妙な感情が存在していたのである。
「花穂姉さん」
芹沢の隣にいる小梅が、花が咲いたような笑顔を覗かせている。
連日、芹沢が小梅の元に訪れているので、嬉しいのだろうと抱きつつも、頭の中で掠めているのは、寝たっきりで、徐々に弱っていく小紫の存在だった。
楽しそうな小梅の前で、慕う旦那をなじることができない。
身体を壊し、小紫は寝たっきりだった。
そういった状況になった遊女を、可愛がる旦那がいない。
理解しつつも、幼い時より、一緒に頑張ってきた仲間を、あっさり捨てた芹沢を許せない気持ちが、僅かに燻っていたのだ。
口角を上げ、営業スマイルを添える。
きっぷの良さと、人を魅了する笑みで、花穂は客の評判が高く、人気が高かった。
花穂の客になりたいと、多くの男たちが願っていたのである。
「そう言えば、小梅に、見せていただきました。沖田様と、写っている三人の写真を」
微かに、芹沢の眉が動いていた。
それに対し、花穂が不敵な笑みを漏らしている。
以前、嬉しそうに小梅が、三人で撮った写真を、遊女の仲間たちに見せていたのだ。
小梅を挟んで、両脇に怪訝そうな芹沢と、ニコニコ顔の沖田が写っていたのである。
「……そうか」
全然、芹沢の雲行きに気づかず、嬉しそうにしている小梅。
今も、懐に三人で撮った写真が、仕舞ってあるほどだ。
背後にいる部下たちも、微妙な顔つきを滲ませている。
徐々に、噂が広まり始めていたのだ。
沖田に関する噂が。
「今度、私も、混ぜてくださる?」
最高の笑顔を、付け加えるのを忘れない。
表情を曇らせ、黙ったままの芹沢。
大好きな花穂と一緒に撮れると、ホクホク顔の小梅である。
「勿論です。ねぇ、旦那様」
若干、頬が引きつっている芹沢の顔を、屈託のない表情で見上げていた。
「……そうだな」
「楽しみにしています」
含み笑いを滲ませながら、頭を下げ、客である芹沢たちに、道を譲った。
芹沢たちの背中が、見えなくなってから、足を動かす。
歩くたびに、白い生足が覗いていた。
そして、土方が待つ部屋に訪れたのだった。
広い部屋で、土方が酒を飲みながら、用意されていた料理を口にしていた。
ムスッとした表情で、美味しいのか、不味いのかわからない。
けれど、用意されている料理は、ほぼ完食に近い状態だった。
やや呆れ顔を、花穂が覗かせている。
(美味しいのなら、美味しそうな顔すればいいものを)
「誰か、呼べばよかったのに」
「いい」
鷹揚な姿に、クスッと笑みが零れていた。
躊躇なく、土方の隣に腰掛ける。
いつもの定位置だ。
イケメンな土方は、花街の中でも、人気も高く、妓女や遊女たちの間では、席に呼ばれたいと言う声が、多く上がっていたのである。その反面、一部では無愛想や、怖いと言う声も、ちらほらと聞こえていたのだった。
一人で訪れた際は、花穂以外の遊女を、呼ぶことがない。
「調べてほしいことがある」
咎めるような眼差しを、花穂が注いでいる。
「風情がないわね。もう少しゆっくりしてから、話せばいいものを」
「……」
むっつりした顔で、黙り込む土方。
首を竦め、そんな姿に、双眸を傾けていた。
(頭の中は、仕事のことしかないんだから)
嘆息を漏らし、無表情でいる土方を窺っている。
遊女である花穂は、呼ばれた座敷の客の情報を、別な客に教えてはならないと言う彼女たちの掟があったのである。
だが、土方の情報屋の一人として、一部の客たちの情報を漏らしていたのだった。
「で、何を調べればいいのかしら?」
「……外事に所属している者たちが、密かに、この辺一体で遊んでいる。彼らの動向を知りたい」
僅かに、目を丸くし、真剣な眼差しで、土方を見入っていた。
外事軍の関係者が遊んでいても、無視するのが慣例となっていたのだ。
そうしたことも、花街で生きる彼女たちも、しっかりと根付いていたのである。
意外な仕事の内容だった。
動揺は僅かで、気持ちは瞬時に切り替わっている。
「……外事軍の関係者は、頻繁に訪れているけど?」
今、知っていることを吐露した。
「頻繁? 以前よりもか?」
「数年前と比べると、この二、三年は、増えているわよ」
話を聞き、眉間にしわを寄せ、土方が逡巡している。
(増えてきているのか……。外事軍のやつら……)
苦虫を潰したような顔を、段々と、土方が覗かせていた。
完全に、花穂自身も、土方の情報屋の表情に、変貌していたのである。
「実際、この前のお座敷が、外事軍関係者だったもの」
目を開き、花穂を凝視していた。
今まさに、近くに外事軍の関係者がいるとは、思ってもみない。
(また、あるのか……)
胸糞悪いことが起こる可能性に、鬼のような形相になっている。
普通な人だったら、戦慄を憶えるほどだ。
けれど、花穂が怯むことがない。
よからぬことが起こると案じ、心を痛めているのだろうと感じ取っていた。
「えぇ。身分は隠していたけど、外事軍にいる人よ。知っている人がいたから」
土方の席に、来る前のお座敷は、外事関係者が募っている座敷だった。
規模としては、さほど大きくないものだ。
五人の客が、訪れていたのである。
八人もの妓女や、遊女が呼ばれていた。
その中に、暇を持て余していた花穂が、手伝いとして入っていたのだった。
「知っていると言うのは、幹部か?」
「いいえ。地方にいて、時々、いらっしゃるの」
「地方の人間か……」
どこか思案顔だ。
(近くに、半妖が来ている可能性が高いかもな……)
眼光を鋭く、睨んでいる土方。
「幹部がいるか、どうか、わかるか?」
先ほどまでのお座敷を思い返している。
都にいる幹部関係者がいたか、どうか、わからないので、花穂が首を振った。
「……わからない。ごめんなさい」
しゅんと、肩を落とした。
「何か、気になることはないか?」
取り繕っているが、土方の落ち着きが失われつつあるのを把握していた。
(外事で、何かあったのかしら? ……)
意気込む土方。
僅かに、狼狽している花穂に気づかない。
それほどに、僅かな外事軍の情報でも、飢えていたのだ。
彼女から漏れ聞く話を、待っていたのである。
「……そうね」
考え込み、外事関係者のお座敷に出ていたことを、思い返してみた。
固唾を飲み込んで、期待を込めた眼差しを巡らせている。
「……羽振りがよくなっているかしら」
外事関係者の多くは、地方に赴任している役人と身分と偽って、都で遊んでいたのである。
ただ、稀に外事軍だと、打ち明ける人もいたのだった。
その中で、地方は荒れているとか、遊びが少ないとか、話を耳にしていた。
「金を持っているのか」
「地方から出てきて、一回こちらに訪れたら、また次ぎ来る時は、数月や一年って言う時もあったのに、また、次の日にも、来る客が多くなっている。地方から出てくる日も、短くなっている気がするけど。それに、身につけている者も、以前に比べると、高価なものよ」
「……」
(近辺を探らせるか。だが、巧妙に、隠しているはずだ)
「私たちにも、お金をばら撒いているし」
「金をか」
眉を潜めている。
「えぇ。だから、随分と、金回りがよくなっているなって。地方が荒れていると、聞くから、お金でも奮発しているのかしらって、思っていたの」
「……」
なくはない話だと思いつつも、以前だったら、そうだろうなと鵜呑みにし、気にも留めていなかったはずだった。
だが、坂本から、あの話を聞いていては、捨て置けない情報となっていた。
まっすぐに、花穂の顔を、窺っている。
「……半妖のことは、何か言っているか?」
半妖と言う響きに、微かに顔を顰めている。
まさか、土方の口から、半妖と聞くとは思ってもみない。
都近くの地方から、幼い頃に、花穂は売られてきたのだった。
都の住人ほど、半妖に対し、嫌悪感がなかった。
「……何も。だって、ここは都だから、あの人たちだって、触れないわよ」
「そうか……」
落胆の色を、土方が滲ませていた。
「でも、少しだけど、増えているって、聞いているけど?」
「それだけか?」
微かに、前のめりになってしまう。
「何も言っていないけど、上の方を嘲笑している感じがあった。これは私の主観だけど」
「それでもいい」
「妖魔との戦いは、相当激闘しているみたい」
「そのようだな」
不意に、花穂の脳裏に、激闘しているにもかかわらず、外事軍が都に遊びに来ること自体、おかしいことではないのかと掠めていた。
思わず、その違和感に気づき、身震いしている。
(どうなっているんだろう……)
「都は、大丈夫なの?」
不安そうな眼差しを、傾けている花穂。
(大丈夫か……。どうなのだろうな)
目を細め、遠くを土方が見つめている。
「座敷にいるのは、全員、外事関係者か?」
「……全員が、関係者ではない気がする。たぶんだけど、商人らしき人が、混じっているように感じるけど」
「商人らしき?」
(半妖を売る、商人かもしれないな……)
「ああいう人たちは、身分を明かさないから。ただ、商人らしき人が、混じっている気がするの。外事の人たちは、独特のオーラがあるから。だから、数人は違う人かなって言う人たちが、混じっている感じかな」
「そうか……。どういった人物がいるのか、顔とか、わかればいいんだが」
(外事に、詳しい訳ではないからな)
「だったら、写真は、どうかしら?」
「写真。そんなものがあるのか?」
喉から手が出るほど、ほしいものだった。
「最近、ブームとなっているの」
不敵な笑みを漏らしている。
「ブーム?」
眉間にしわを寄せ、僅かに首を傾げていた。
「知らないの? 芹沢様と、うちの小梅と、深泉組の話題の新人沖田様が、三人で写真を撮ったことで、この界隈で、写真を撮ることが、ブームとなっているのよ」
「……」
意外な三人で、唖然としている土方。
そして、その内容が、頭の中へ浸透していくと、徐々にこめかみ辺りが、ピクッ、ピクッと動いていた。
(……何をやっているんだ! ソージのやつは)
「せっかくだから、一緒に撮る?」
「断る」
容赦なく、断った。
「つれない」
口を尖らせ、可愛らしく拗ねてみせた。
「そのブームで、彼らの写真が、手に入るのか?」
「やってみないと、わからないけど」
「それに、撮っている子も、いるかもしれないから、聞いてみるわね」
「頼む。でも、無理するな」
「わかっています」
立ち上がる花穂を、見上げる。
「早速、お座敷に戻るわね」
「いいのか」
「お客様が機嫌を悪くして、戻ってきたと言って、また混ぜて貰うわ」
「そうか」
「だから、思いっきり、顔を顰めていてね」
「……」
クスクスと笑っている花穂が、部屋から出て行ってしまった。
眉間にしわを寄せ、不愉快そうな顔を覗かせていたのである。
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