第81話 香茗
口うるさい三条から、逃れるために、香茗は敷地内にある離宮で過ごしていた。
離宮には、香茗と世話をする者十数人しかいない。
妻たちも、つれていなかった。
訪れている離宮は、数代前の当主が、煩わしい日常から逃れるために、作らせたものだった。同じ敷地内にある屋敷とは違い、とても小ぢんまりとした建物となっていたのだ。
部屋から眺める庭。
とても落ち着きのある草木が、育っている。
穏やかな眼差しで、香茗が観賞していた。
ここ数日、心が静かになることがなかった。
密かに、香茗と岩倉が会っていたことを知った三条が、どうして無謀な真似をするのかと、問い質していたのである。
それも連日で、長時間だ。
はぐらかしていた香茗だった。
だが、三条のうるささに業を煮やし、離宮に逃げ込んだ。
そして、離宮に籠もり、三条や誰とも、対面を拒否していたのである。
この離宮で、静かな日常を取り戻しつつあった。
色とりどりに、咲き乱れている花たち。
不意に、口元が緩んでしまう。
すると、背後から、岩倉が近づいてきた。
「随分と、お疲れのようですね。香茗様」
恭しく、頭を下げている。
思わず、顔を顰めてしまっていた。
そうした香茗の仕草を窺わなくても、理解できていた。
「……誰のせいだと」
「申し訳ありません」
真摯な態度を取っていたのである。
岩倉自身が、告げ口をしたのではない。
だが、連日の三条の問い質しが鬱憤となり、当たってしまった。
低姿勢なままでいる相手に、居心地の悪い香茗だった。
「もうよい」
「ありがとうございます」
向かい合う位置にある椅子に腰掛けるように、香茗が命じ、優美な仕草で、岩倉が促された場所に素直に腰掛ける。
訝しげな視線を、香茗が投げかけていた。
「なぜ、入れた?」
すべての面会を断るように、命じていたのだった。
それにもかかわらず、岩倉が離宮に入り、目の前に姿を現したのである。
「お願いをしました」
ふんと、顔を岩倉から背けた。
香茗の周囲に、岩倉に繋がる者がいたのだ。
「随分と、やり手だな。三条を出し抜いたのだから」
皮肉しか出てこない。
「そんなことはありません。ただ、どうしても、お会いしたい旨がありましたので、無理に入れて貰った次第です。ですから、何卒、ご容赦くださいませ」
詮索しないように、頼み込んだ。
乱れない姿勢で、頭を下げる。
誰もが、その美しさに、飲み込まれそうだが、香茗の表情が変わらない。
「わかった。不問にする」
「ありがとうございます」
許しを得て、ようやく顔を上げる。
「姉小路辺りが、告げ口したんだろう」
物憂げな顔を滲ませていた。
「そのようです」
「あれにも、困ったものだ」
同調できるはずもなく、ただ岩倉は苦笑しているのみだ。
「で、何だ?」
強引に、ここに来た理由が気になっていた。
「和音様の件でございます」
まっすぐに注ぐ、岩倉の眼差しに捉えられていた。
微かに、香茗の眉間にしわが寄っている。
「少々、パーティーにて、度が過ぎているかと」
「……」
「香茗様から、少し気をつけるようにと、助言するべきかと」
「……」
進言する内容に、居た堪れない。
僅かに、香茗が視線を外す。
香茗の耳にも、妹和音に対し、度が過ぎた、接触を行っている者が多いと入っていた。
けれど、現状を鑑みれば、目を瞑るしかなかったのだ。
自分に、子ができない以上、妹和音を良き相手と結婚させ、子を誕生させ、その子に天帝家の跡継ぎにしようとしていたのである。
苦々しい顔を覗かせながらも、香茗の口が堅い。
瞳が揺れている香茗。
兄としては、妹の幸せを願っている。
だが、香茗は天帝家の当主で、跡継ぎを欲していた。
物怖じせず、視線を注いでいる岩倉。
「さすがに、あれは、酷いような気がします」
さらに、岩倉の口が開いていた。
「やめろ」
感情を押し殺したような声音だ。
けれど、岩倉の口が止まらない。
「もう少し、穏便に、お話をしてほしいと」
「……」
顔を渋面させている。
互いに視線を巡らせ、一歩を引かなかった。
「……それに、香茗様にも、もう少し頑張っていただきたいと」
「……側室を、増やせと」
うんざりした顔を滲ませていた。
正室に加え、すでに四人の側室がいた。
毎夜、順番に閨を共にしていたが、ここ数年は、誰も寝室に入れていない。
「はい」
「断る。結果は同じだ」
怒気がこもる視線を、平然と構えている岩倉に浴びせていた。
たじろぐことがない岩倉。
「少し、血に拘り過ぎかと」
怪訝そうな顔を、香茗が滲ませている。
血に拘り、天帝家に連なる者や、以前、天帝家の娘を降嫁させた家臣の娘から、正室や側室が選ばれていたのだった。
選んでいたのが、三条を中心とした人物たちだ。
姉小路側は、三条以上の拘りがない。
血筋がよければ、いいのではないかと言う意見の持ち主だった。
「それに、少し趣向の違う女性で、気持ちも、和らぐかと」
「……」
胡乱げな視線を、注いでいる。
最近の香茗の状況に、三条も憂いていたのだ。
三条自身も、この状況がよくないと巡らせ、和音の相手同様に、香茗の新たな側室選びを、密かに行っていたのである。
そのことにも香茗自身、感じ取っていたので、決して寝室に、人を寄せつかないようにしていた。
「そのうち、三条殿の手の者が、寝室に、入り込んでくるかもしれません」
「……そんなことは、させぬ」
「ですが、三条様も、必死です」
「わかっている」
「ですから、香茗様に置かれましても、自ら動かれた方が?」
「まさか、自分を入れろと、言っているのか」
「違います。私など、香茗様の相手は、務まりません」
ふふふと、妖艶に微笑んでみせる。
岩倉自身が、側室になろうと思っていないことはわかっていた。
ただ、意趣返しで、出た言葉だった。
「三条が、うるさいぞ」
辟易した溜息を、漏らしていた。
天帝家に対し、三条は強い拘りを持っていたのである。
これまでは、三条が言う者たちを、素直に正室にしたり、側室に迎えていたのだった。
長年、三条家が親身になって、天帝家を支えていたので、香茗としては、強く三条に言うことを、躊躇っていた部分があったのだ。
「ですから、内密に」
「……」
「岩倉が、選んだ者か?」
「いいえ。市中に出て、自ら選んでいただいても、結構です。それとも、気になる者がいるならば、私どもが、手配いたします」
岩倉の口角が、不敵に上がっていた。
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