第78話 ストレス
銃器組に、土方が定時の書類を提出に、出向いていた。
廊下を一人で歩いていると、前方にいる無表情でいる山崎の姿を、捉えたのだった。
瞬時に、気づかれないように周囲を窺う。
けれど、人の気配を、全然感じない。
目配せで、土方が了承する。
その合図を受け、土方の傍らに立ち、歩き始めた。
「何かあったのか?」
僅かに顔を訝しげ、小声で、山崎に話しかけた。
密かに誰かが、潜んでいる可能性もあるからだ。
念には念を入れたのだった。
「はい。芹沢隊長たちのことで」
山崎の言葉に、眉を潜める。
「何が、あった?」
「上層部の方に、また商家を襲った件が、漏れています。それに銃器組の隊長を、脅した件も、知られております」
「……」
ギュッと、唇を噛み締める。
数件の商家に、脅かしをかけていることを把握していたが、銃器組の隊長に、脅かしを掛けていたのは、初耳だった。
唐突に、自由奔放に動き回る芹沢の姿を掠め、ますます苛立つ。
不敵に笑みを零し、あの図体で、素早く動き回る芹沢。
その眼光の奥に、得体の知れない、バケモノが潜んでいたのだ。
何度か、芹沢と手合わせをしたこともあった。
何より少しだけ、芹沢のバカモノ振りを目にし、戦慄を憶えたのは確かだった。
そうした経緯により、自分では、芹沢を打ち負かせることができないと、苦々しく抱いていた。
(ソージなら……)
掠めた想像を、早々に打ち払った。
(何を、バカなことを)
それはそれで、厄介だと、巡らせたからだ。
ふと、現実に戻った。
「……銃器組の、どこの隊長を、脅したのだ」
「はい。三番隊の、山下隊長であります」
「山下、隊長?」
どこかで、聞いたことがある名だった。
首を傾げ、土方が逡巡している。
その隣では、おとなしく山崎が口を結んでいた。
以前、見かけたことがある、山下の顔を思い浮かべている。
隊長職で、出世が止まっており、長年、隊長を務めている男だった。
何かと、黒い噂が流れているが、証拠がないと言うこともあり、処分などされたこともなかったのである。
眉間にしわが増えていく。
芹沢が脅かすにしては、随分と、小物に手を出したなと言う印象だ。
(どういうことだ?)
「本当に脅したのか、山下隊長を?」
信じられず、思わず、山崎に確かめていた。
それに対し、いやな顔をしない。
素直に、土方の問いに応える。
「はい。珍しいことも、あるものです」
「上層部ではなく、銃器組の万年隊長をか」
山崎に確かめているのではなく、自分に発した言葉だった。
黒い噂は、芹沢隊長と同じであるが、山下隊長は規模が小さかったのである。
小さな商家などを、脅かしていると言うものだった。
それに、周辺を見回りしているのだから、手間賃をよこせと、庶民からもぎっていると言う噂も、流れていたのである。
芹沢が金をせびるところは、大物ばかりや、金がたんまりあるところを狙って、脅かしていたのだ。
その点については、違っていた。
ひと呼吸置き、頭を冷やし、土方が口を開く。
「芹沢隊長との接点は?」
「銃器組のいた際、何度か、衝突をしたことがあるようです」
調べた内容を、そのまま伝えた。
土方に報告する前に、山下隊長について、早急に調べていたのである。
その際に、七番隊にいた芹沢と、山下隊長の中で、何度か、衝突したと言う記述を見つけたのだった。見つけたと同時に、山崎自身、不可思議なこともあるものだと、首を捻りつつ、調べていたのだ。
だから、土方に、少し報告が遅れてしまった。
「衝突?」
目を細める土方だった。
(衝突をしていて、今まで、放置していただと。あの芹沢隊長が。……意外すぎる。即刻、手を出しているだろう、あの芹沢隊長が?)
これまでの芹沢の行動を、振り返ると、芹沢を窘めたり、嫌がらせを仕掛けてきた者たちは、すべて返り討ちに合っていたのだ。
長年、放置していた上に、今になって手を出している状況に、何かあるのかと勘ぐる。
だが、情報が不足し、思考が行き止まりだった。
「他に、何かないのか?」
「それだけです」
何度も、書かれている日誌などを、読んだりしたが、詳細が書かれていなかったのである。
「そうか。で、その件は、どこで止まっている」
落胆の顔を、微かに、土方が窺わせていた。
「上層部の一部しか、知らないようです」
「一部とは、どの辺だ」
「松木少将のところです」
「上までは、届いていないのか?」
(随分と、下で止めているな。松木少将に、そんな力があったのか?)
上層部において、松木少将の地位は下だった。
大して、力を持っていなかった。
「必死に、松木少将が、止めたようです」
(必死? 繋がりがあるのか? あの二人に?)
「松木少将と、山下隊長の関係は?」
「それが、わかりません」
訝しげている山崎。
どう探ってみても、二人に繋がるものが、出てこなかったのである。
勿論、土方が聞くだろうと巡らせ、二人について、どんな繋がりがあるのかと調べたが、二人に繋がるものが、一切出てこなかった。
全然、接点が見つからなかったのである。
山崎自身も、どうして松木少将が、山下隊長の件を隠しているのか、不明なままだった。
僅かに、土方が目を見張る。
(山崎にも、掴めないとなると……)
土方が、軽く息を吐いた。
「……さらに、探ってくれ。特に、二人のことを」
「はい」
「それと、もしかすると、裏に、誰かいるかもしれない。その者についてもだ」
「承知しました」
(何を考えているんだ、芹沢隊長は? 煩わしたくないが、近藤隊長に山下隊長の件を、聞くしかないか……)
次から次へと、出てくる厄介ごとに、嘆息を零した。
「待機部屋は、どうだ?」
「落ち着いております。井上が戻ってきて、原田隊長たちも、落ち着いたのでしょう」
井上が戻るまで、暗澹とした待機部屋のことを、気に掛けていたのである。
何度も、芹沢隊と、小競り合いをしていて、近藤も、土方も、待機部屋から離れることができなかったのだった。
ようやく井上が戻ってきたことによって、席を外すことができたのだった。
傷に触るので、必ず、近藤か、土方が、どちらか一方が、いるようにしていたのである。
自分たちの傷の具合も忘れ、暴れている隊員たちのことを、気遣っていたのだ。
安堵の息を漏らした。
「お疲れ様でした」
「ああ」
何かあれば、すぐに土方に知らせられるように、常に山崎も、待機部屋で過ごしていた。
二人が喋っていると、後方から、島田が声をかけてくる。
「副隊長」
立ち止まり、振り向く二人。
豪快な足取りで、島田が二人に近づく。
「山崎も、一緒にいたのか」
「はい。ですか、私の方は、終えましたので」
頭を下げ、待機部屋に戻っていく山崎に、島田が首を竦めている。
島田としては、山崎がいても、構わなかったのだ。
早々に、いなくなってしまった山崎に、済まなそうな顔を滲ませていたのだった。
「何だ、カイ」
「少し、相手を貰おうと、思ってな」
腰に下げている柄を、眉間にしわを寄せている土方に見せる。
厄介ごとかと、眉を潜めていたが、違うことで、若干ではあるが、顔が和らいでいた。
「部下を相手にすれば、いいだろう」
億劫そうな顔を、覗かせていたのだ。
「芹沢隊長や、原田たちのことで、結構、溜まっているんじゃないのか。それと、お母上のことで」
ニヤリと、島田が笑みを深めていた。
言われた通りに、芹沢や原田たちの件で、ストレスがかなり蓄積されていたのである。
そして、突然、来訪してきた美和のことで、不満を溜めていたのだった。
休憩室で、数件のお見合い話をされ、その話を、外で聞いていた原田たちが、どんな相手なんだと、数日うるさく嗅ぎ回っていたのだ。
(結婚しないと言ったからって、母さんは……)
「……」
「少しは、息抜きしないと、病気になるぞ」
「……」
「私も、暴れたいし。さすがに、部下相手に、本気になるなんて、できないからな。それでなくても、二つの班が、まだ機能できていないのに」
(ようはカイも、憂さ晴らしが、したいのか)
溜息を吐いた。
「そう溜息ばかりついていると、いいことが、逃げていくぞ」
苦笑している島田。
「このところ、いいことなんて、何一つないぞ」
「そんなことあるまい。せっかくお母上が、訪ねてきたのに」
「……あれは、単なる嫌がらせだ」
顔が、思いっきり顰めっ面だ。
「だろうな。副隊長は、以前に、お見合い話か、何か断ったんだろう?」
クスクスと、美和が来た際の出来事を、思い返していたのだった。
あまりの土方の狼狽振りが面白く、忘れられない出来事の一つとなっていたのだ。
さらに、苦虫を潰したような顔を、覗かせている。
「違うか?」
「……大して、違わない」
「だから、嫌がらせをしたんだな、きっと。十分に、副隊長が嫌がると思って」
「ああ。まったく、困ったものだ」
「そう、怒るな、副隊長」
ジロリと、美和の肩を持つ、島田を半眼していた。
「結婚しない息子を、心配しての行動なんだから」
「……」
「だから、少し付き合って、憂さ晴らししないか」
思いっきり、口角を上げていた。
「……」
まだ、仕事が残っていたのである。
島田と手合わせする、余裕な時間なんてない。
けれど、魅力的な提案に、心が惹かれていた。
「その方が、仕事も、はかどるだろう。それに、安富たちを使えば、少しは、仕事もラクになるだろう? 優秀な沖田も、いることだし」
(ソージか……。確かに、できるが……)
「沖田も、こんな状況だったら、いたずら心も湧かず、真面目に仕事するだろう。普段は、真面目に仕事はしているぞ? たまに、悪ふざけはしているが」
日頃の沖田の姿を過ぎらせ、笑っている島田だった。
ムスッとした顔をしたまま、豪快に笑っている姿を窺っている。
「カイ。お前も、手伝え」
「私に、事務処理なんて、無理だ」
あっけらかんと、手伝うことを拒否した。
「部下が、いるだろう」
「わかった。副隊長に、貸し出そう」
即座に、自分の部下を売った。
「なら、付き合ってやる」
不敵に笑っている土方で、楽しげな笑みを、漏らしている島田だった。
「では、訓練場にでも、行くか」
二人揃って、訓練場に向かっていった。
その足取りは、とても軽かったのである。
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