第75話 小競り合いと意趣返し
深泉組の待機部屋では、いつもの騒々しさはなりを潜め、静まり返っていたのである。
いつも騒いでいるメンバーである原田たちが、痛々しいいでたちで、不貞腐れていたからだ。
芹沢から受けた、打ち身や骨折、傷が癒えず、おとなしくいている状況だった。
ただ、重症だった井上だけ、この場にいない。
勿論、芹沢隊や新見隊も、同じようにテープや包帯を巻いた状態でいた。
何とも言えない空気が、部屋中に漂っていたのだった。
事務をしている三上が、気遣うように原田の前に、飲みやすいように冷めたお茶を置いてあげる。
口の中も、無数に切れていたのだ。
「大丈夫ですか?」
「……痛い」
ブスッとした顔を、滲ませている。
その近くでは、同じように自慢の顔に、傷がつき、鏡に映っている自分の顔と、睨めっこしている永倉がいた。
「……容赦ないな」
他の人に比べ、傷の具合が少ない。
それでも、永倉の顔に、腫れや傷があったのだ。
先ほどから、幾度となく、鏡を眺めている。
状況は変わらないのに、気になっていたのだった。
「これじゃ、出かけられない」
チラッと、心痛な面持ちで、三上が空席の井上の席を窺った。
井上以外、次の日に、待機部屋に集まっていた。
芹沢が隠し持っていた柄によって、腹部に強烈に打ち込まれ、内臓に損傷が起こり、未だに復帰できずにいたのである。
「大丈夫なんですか? 井上さん」
「……」
井上の名前を出され、原田の眼光が、鋭くなっている。
可愛がっている井上を傷つけられ、ずっと鬱憤が、溜まっていたのだ。
そして、原田班や永倉班の隊員たちも、物凄い形相を、滲ませていたのだった。
「「「「……」」」」
余計なことを口走ったと、フリーズしている三上。
原田班と永倉班の隊員たちと、芹沢隊との間で、小競り合いが何度もあり、険悪な雰囲気を醸し出していたのである。
そのたびに、近藤たちが止めに入っていた。
そのせいもあり、二つと班と、一つの隊の傷の具合が、癒えることがなかったのだ。
ますます、傷の数が増加していった。
嘆息を零す近藤と土方。
近くでは、同じように止めに入っていた島田も、首を竦めている。
衝突を、何度も、止めていた。
けれど、沈静化するメドが立っていない。
そそくさと、自分の席に、三上が戻っていく。
「おとなしくしていろ」
殺気を放出させている隊員たちに、土方が窘めた。
黙り込んで、返事をしない面々。
小さな抵抗だった。
それに対し、眉間にしわを寄せている土方は、何も言わない。
殺気を収めたことで、静観していたのだ。
井上を交え、共にお茶をしている沖田、毛利、水沢は、この曇よりとした空気に、首を竦めていたのである。
異様なほど、部屋に、時折、殺気が漂っているのだ。
「空気が、悪いですね」
溜息を漏らしながら、困ったような顔で、毛利が呟いた。
うるさいぐらいに、騒々しかった頃が懐かしいと、水沢が巡らせていたのだった。
耳を塞ぐほど、喧騒していたが、部屋の中に、活気が溢れていた。
お通夜みたいな状況に、それぞれ苦痛を抱いていたのである。
そんな中、いつものように、愛嬌を振り撒いている沖田だった。
誰も、内心では、驚愕していたのだ。
よく、そんな顔ができるなと。
「井上さん、早く復帰すると、いいですね」
「そう願いたい。この状況は、疲れる」
自分の肩を、揉み始める水沢だ。
このところ、常に強張っていたので、妙に肩が凝っていたのである。
ケガしている状況にもかかわらず、両者が睨み合っていた。
誰も、落ち着いていられない。
いつも以上に、気を巡らせている。
愛嬌のある顔を、疲れが滲む毛利に傾ける。
「毛利さん。井上さんは、出られそうですか?」
井上を案じ、何度も、お見舞いに訪れていた。
「近日中には、復帰するようなことを、言っていましたが、無理はしないようにと、言っています。井上さん自身も、野放し状態の原田伍長たちのことが、気に掛かるみたいで……」
刺々しい雰囲気の二つの班に、視界を捉えている。
仕切りで区切られた芹沢隊を、鋭い眼光で、睨んでいたのだ。
睨んでいるだけなので、誰も注意しない。
おとなしくしていればいいと。
「だろうな。井上が、原田伍長たちのストッパーだったから、気になって、寝ていられないんだろう」
微かに、哀れむ顔を、水沢が覗かせている。
苦笑している毛利。
「えぇ。随分と、原田伍長たちのことを、聞かれますから」
「なんて、答えているんだ」
「……ケガしているせいで、おとなしいって、言っています」
「ケガしてても、暴れているぞ」
怪訝そうに水沢が、困ったと言う顔をしている毛利に、突っ込んだ。
衝突する隊員たちを収めているのは、近藤や土方、島田、山南だった。
他の者たちは、手出しできなかったのである。
さすがに、この四人に咎められると、隊員たちはおとなしく、矛を収めているが、いつの間にか、また衝突をぶり返すのだった。
それが、日に、何度も起こっていた。
ケガしていない隊員たちにも、この状況のせいで、精神的な疲労が、蓄積されていった。
「さすがに、そんなこと、言えませんよ」
「だな。無理して、来そうだな」
「確実に」
二人は無理を押して、姿を見せる井上の姿を、脳裏に掠めている。
同時に、毛利と水沢が、溜息を吐いた。
「苦労性なんですね、井上さんは」
口角を上げながら、沖田が締めくくった。
渇いた笑いしか、出てこない二人。
不意に、席を外していた事務のジュジュが戻ってくる。
にこやかなジュジュが、扉の向こうにいる誰かを、招こうとしていた。
「どうぞ。お入りください」
その声に誘うように、一人の女性が、待機部屋に入室したのだった。
大きな音を伴って、ギョッとした顔で、土方が立ち上がる。
何だ、何だと、興味を注がれる面々。
めったに、見られないほどの土方の狼狽振りだ。
誰も、好奇心を抑えられない。
パクパクと口を動かすだけで、土方は言葉が出なかった。
先ほどまでの空気が、一転していたのである。
「初めまして。土方の母です」
女性が発した言葉に、仰天している隊員たち。
微かに、目を見張っている沖田に、気づく者がいない。
誰も、慌てふためく土方と、微笑んでいる美和に、視線が集中していたからだ。
騒然となっている室内を、愉快そうな双眸で、美和が巡らせている。
「いつも、息子がお世話になっています」
礼儀正しく、頭を下げている美和。
その容姿に、本当に母親なのかと、囁かれている。
言っている者たちを、半眼している土方だった。
その間も、柔和に微笑んでいる。
美和の若々しい容姿にも、少々問題あると、沖田が冷静に掠めていた。
クスクスと笑っている弟の姿を、咎めるように、目を細めている。
(お前の仕業か!)
(知らないよ)
(嘘をつくな!)
(来るなんて、知らなかったよ)
降参といった表情を、沖田が滲ませている。
それを、胡乱げに眺めていた。
ケガなんてしたことも、忘れたようで、原田たちは美和の周りに、群がっていたのである。それにつられるように、興味のある島田たちも、土方のような息子がいるとは思えないほどの、若々しさを醸し出している美和の近くに、足を運んでいたのだった。
とても二十七歳の息子がいる母親の姿ではない。
姉と言えるほどの、若さが見られたのだ。
距離を置き、驚愕しつつも、近藤が美和のことを窺っていた。
(自分と、大して年が見えないのだが……)
ふと、歯切りしている土方を眺め、もう一度、ニコニコと微笑む美和を見入っていた。
山南や斉藤も、自分の席で、肌の艶がいい美和を凝視している。
(本当に、知らなかったんだろうな)
(勿論)
(じゃ、何で、来たんだ?)
(知らないよ。僕だって、驚いているんだから)
(……そうか)
威圧していた視線を、土方がいったん下ろした。
不意に、引きつった表情を、土方が覗かせている。
原田たちに詰め寄られ、質問攻撃を受けている美和に、視線を傾けていたのだ。
(母さんに、手を出したら、許さんぞ)
目を細め、威圧するオーラを出しているが、気づかない。
誰もが、初めて知る土方の母である美和に、夢中だったのだ。
それは、芹沢隊や新見隊も同じだった。
二つの隊からも、好奇な目が向けられている。
楽しげな顔で、次から次と振りかかる質問に、躊躇せず平然と美和が答えていた。
忌々しい群れを、早々に睥睨している土方が、捌いていく。
「全員、席に戻れ」
怒気が孕み、土方の形相に気づいた隊員たちから、散っていった。
けれど、面白がっている原田や、永倉が、席に戻らない。
喰い気味なほどに、根掘り葉掘り、聞いているのだ。
「副隊長。本当に母親なのか? どう見たって、母親に見えないぞ。もしかして隠している女じゃないのか?」
ニタッと、笑っている原田。
殺気を込めた双眸を、原田に叩き込む。
好奇心に捕らわれた原田は、意に返さない。
いつの間にか、土方の手に、柄が握られていた。
「面白い。やるのか」
ギラギラし始める原田の眼光。
自分が負傷していることも、忘れている。
「トシ。ケガをしている人に、手を出したら、ダメよ」
手を出すなと促され、ギリッと、唇を噛み締める土方。
おとなしくなった土方の姿に、誰もが、瞠目している。
母親の言うことには、素直に応じるのかと、周囲が囁いていたのだ。
そんな隊員たちに、ひと睨みを利かせる。
「証拠よ」
コロコロと笑いながら、美和が身分証を、原田たちに提示したのだ。
そこに、四十六歳と、書かれていたのである。
「わっ、マジだ。……嘘だろう」
「本当よ。これでも私、おばさんなの」
ニコッと、優しく微笑む。
事務の三人は、それぞれ自分の肌を触りつつ、美和のみずみずしい肌を、食い入るように窺っていた。
荒れている肌と違って、美和の肌は、弾力もありそうだった。
ふと、微笑んでいた顔が、愛嬌を携えている沖田を捉えている。
「……あなた、確か、沖田宗司くんよね。S級ライセンスを、最年少で取った」
「はい」
まっすぐに、沖田に向かっていく美和。
ギョッとしている土方を、無視して。
「一度、会ってみたかったの」
ニコッと、さらに、微笑む美和だった。
沖田から送られた情報を入れていたタブレットを、眠るのも惜しんで、読み込んでいたのである。
膨大な量の情報を集め、母親に送っていたのだった。
すると、ベランダの窓が、コンコンと、小さく叩かれる音で、不敵に笑っていた顔を上げる。
美和がいる部屋は、三階だったのだ。
「誰?」
訝しげながら、携帯している小型の銃を取り出し、近づいていく。
「私に、何か用かしら?」
冷静な思考に、瞬時になっていたのである。
「……母さん。銃をしまって、僕だよ、ソージ」
聞き慣れた息子の声だった。
研ぎ澄ました神経を、軽く息を吐くことにより、宥めていく。
構えていた銃を下ろし、閉じられていたドアを開けた。
あどけない自分の息子が、目の前に立っていたのである。
「こんな時間に。それも、こんなところから」
子供を叱る母親に、素直に照れていた。
ふと、沖田の足にへばりつくように、二人の子供が立っている。
僅かに、美和の眉間にしわが寄っていく。
「どうしたの?」
ローブを目深に被っている小さな子供たちに、視線を巡らせる。
顔まで窺うことができないが、怯えていることだけは把握していた。
小さな身体が、震えていたからだ。
「当分の間、匿ってほしいんだ」
「この子たちは?」
「半妖の子」
隠さない沖田だ。
ようやく、合点がいく美和だった。
「入りなさい」
三人を、部屋の中に招き入れる。
けれど、子供たちは、沖田から離れようとはしない。
安心させるために、子供たちの頭を撫でていた。
子供たちから、美和に視線を移す。
「後から、また来る」
「随分と、多いわね」
呆れ顔を、美和が覗かせていた。
普通だったら、いやな顔を浮かべてもいいはずだが、肝が据わっている美和は、今後のことを巡らせていたのである。
「部屋、大きくした方が、いいかしら」
「大丈夫だよ。この部屋で」
「そう」
申し訳ない顔を、滲ませていた。
相当な負担をかけることが、想像できたのだ。
「ごめん、母さん」
「もしかして、お願いって、これだったのね」
クスッと、笑っている美和だった。
「うん。穏便に済ませたかったけど、できなくって」
「しょうがない子」
肩を落としている沖田に、抱きついている子供たちを見つめる。
まだ、怯えていたのだ。
置かれている状況を、沖田が説明した。
その間も、子供たちは抱きついていたのである。
「わかった。預かる」
必死に、しがみ付いている子供たち。
「この子たちを、都から、逃せばいいのね」
「母さん。助かる」
すべてを話さなくても、理解してくれる美和に感謝した。
無邪気に、微笑む沖田。
美和と話し込んでいる間に、リキがローブで姿を隠したククリたちを、連れてきたのである。
「どうですか?」
僅かに、両手を広げ、楽しそうに沖田がおどけてみせた。
「写真で見るより、いい男ね」
「ありがとうございます。副隊長の母親殿」
「あら、美和って、呼んで」
互いに、ニコニコし合っていたのである。
「では、美和さんと」
(何で、ここに来たの? 母さん)
(息子二人に、意趣返し)
(ごめん、母さん)
(いいのよ。子供は、親に多少迷惑をかけても)
(懐がデカいね。あれを多少と、言い切るなんて)
(何より、驚いた二人の顔が見られて、面白かったわ)
(それはよかった。母さんが、喜んでくれて)
和やかに喋っている二人を、ガルルルと土方が睨んでいた。
話が終わると、辟易している顔を覗かせた美和が、不機嫌全開の土方に、視線を傾けている。
「そうやって、眉間にしわを寄せて。少しは沖田君のように、笑ってなさい」
「……」
促しても、眉間のしわが、直ることがない。
ピクッ、ピクッと、眉が動いていたのである。
「何で、来た?」
低い声音で、問い質している土方。
「トシと、久しぶりに、お茶しようと思って」
これでもかと言うぐらいに、いい笑顔を滲ませている。
「断る。仕事中だ」
「いいじゃない。少しは、融通したって」
眼光鋭くし、拒否する。
「トシ。せっかく、お母上が来ていらっしゃるんだ。休憩してきてくれ」
拒絶している土方を、近藤が休憩するように促した。
「話がわかる上司で、羨ましいわ」
小さく笑っている近藤に、視線を巡らせる。
「しかし……」
抵抗を示す土方に、近藤が首を横に振っていた。
「トシ。外で、お茶しようとは、言わないから。休憩室があるんでしょ? そこでいいから、みなさんと一緒に、楽しいお喋りでもしましょうよ」
みなさんと言うフレーズに、フリーズしている。
「美和さんって、話しわかる人だな」
ニタッと、いやらしい顔を覗かせている原田たちが、美和の提案に賛同している。
「お前たちは、来るな」
「美和さんが、誘ってくれたぞ」
「それでもだ」
「いいじゃないか」
不満顔の、好奇心の塊たち。
「久しぶりの対面なんだ。二人だけに、するように」
威圧するような双眸で、近藤が口を尖らせている面々を黙らせる。
「「「「……」」」」
「隊長さん。気を使っていただき、ありがとうございます」
頭を下げ、渋面している息子に、部屋を出て、案内するように促した。
他の人を誘うことによって、自分と話すように、仕向けたのである。
「トシ。たくさん、喋りましょうね」
「……」
ムスッとした顔で、美和と共に、待機部屋を後にした。
クスクスと笑いながら、沖田はその光景を眺めていたのである。
休憩室で喋っている二人のもとに、好奇心が抑えられない原田たちが、壁やドアに耳を当て、どんな話をしているのかと、聞き耳を立てていたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。




