第72話 近藤による稽古
いつものように、商家から巻き上げた金を使い、馴染みの御茶屋で、芹沢隊と新見隊が酒と女たちで戯れていたのである。
予約などせず、突如、店に現れ、勝手に部屋を使っていたのだった。
店側は、予約していた客たちに、頭を下げ、別な部屋へ移動して貰っていたのだ。
近くの部屋からは、苦情が出ていた。
けれど、深泉組の芹沢であると伝えると、それ以上の苦情が出てこない。
誰もが、非道な行いをしている芹沢が怖かったのだ。
室内は、大いに乱れていた。
空のビンや、皿、お猪口、服など、様々なものが、散らかっていたのである。
各々、声を上げたり、奇声を上げたりし、耳障りなものばかりだった。
一人だけ、騒音に辟易している茨木。
黙ったまま、度数が低い酒をちびり、ちびりと口にしている。
(うるさい連中。どうして、こんなところに……)
隣では、女と戯れている仲間たち。
凄味ある視線を投げかけているが、酔っているせいで、誰も気づかない。
大きく嘆息を吐いた。
誰もが、酒や女に、夢中だった。
「……静かなところへ、行きたい」
思わず、本音を吐露した。
いつも、こういった場に、顔を出さない。
だが、芹沢の命で、顔を出さずに、いられなかったのである。
(命令じゃなかったら……。帰りたい)
チラリと、自分の隊長のところへ、視線を巡らせた。
新見の両隣に、少年二人を侍らしている。
(あの隊長の趣味には、ついていけない)
微かに、目を眇めていた。
男色家と言うこと以外は、隊長として、気に入っていたのだ。
もう一人の隊長に、視線を移した。
ご機嫌な芹沢の隣では、愛人小梅が寄り添っていたのである。
二人は、睦まじく、話し込んでいた。
愛人に向ける眼差しは、とても穏やかなものだった。
巷で流れている、悪役非道の顔とは思えないほどだ。
(何で、私は呼ばれたんだろう……)
遠い目をし、呆けていると……。
突如、障子が開かれた。
そこに、無表情を滲ませている近藤が、立ち尽くしている。
狂喜のように騒がれていた音が、徐々に静かになっていく。
口を結び、軽く顔を伏せ気味な近藤を、視界に捉えた者から、動きが止まっていた。
近藤から放たれているオーラに、誰も、気後れしていたのだ。
最後に動きを止めたのは、小梅と喋り、愉快そうにしていた芹沢だった。
勿論、いち早く近藤の存在に気づきながら、最後に自分を見つめている近藤に、視線を合わせたのだ。
「無粋な真似をするな、近藤」
隣にいる小梅が、交互に芹沢と近藤の顔を窺っている。
その顔は、少し強張っていた。
なぜなら、そんな真似をした者が、ただではすまない現場を、何度か、目にしてきたからだ。
(芹沢様……。……あの人が、近藤さん……。とても綺麗な人)
旦那である芹沢からではなく、周りから近藤の話を、耳にしていたのである。
かつての芹沢の部下だったと。
だから、以前から、どんな人なんだろうと、興味を憶えていた。
じっとしている近藤を、無粋に見入っている。
(……近藤さんの前では、芹沢様はどんなお顔を、なさっていたのかしら)
「……申し訳ありません。ただ、芹沢隊長に、尋ねたいことがあったので、突然ではありましたが、窺わせて貰いました」
立ち尽くしたまま、ピクリと動かず、口だけを動かした。
つまらなそうな顔を、芹沢が覗かせている。
その近くで、少年二人を侍らしている新見が動く。
「近藤隊長としては、珍しいですね」
「……」
「それによく、ここがわかりましたね」
探るような眼差しだ。
「……芹沢隊長なら、この辺ではないかと、当たりをつけ、当たった次第です。新見隊長」
素直に、ここに目星をつけた理由を説いた。
隠す理由がないからだ。
伏せ気味だった顔を上げ、新見、芹沢を見据える。
「さすが、近藤隊長」
賞賛の握手を、新見が送っている。
隊長たちのやり取りを、芹沢隊や新見隊の面々が、どうなるのかと窺っていた。
誰も、こんなところで、芹沢の機嫌を悪くさせたくない。
どうなるのかと、誰も静観し、何事もなく、事が収まることを願っていたのだった。
「疑問が解消されたので、芹沢隊長に、お返ししますね」
くだらんと言う顔つきの芹沢に、面白げな眼差しを新見が傾けている。
「で、何しに来た?」
「原田や、永倉たちのことです」
淡々とした声音だ。
小梅だけが、きょとんとした顔を覗かせている。
上層部に、頭を下げ回っている最中に知らせを受け、医務室に運ばれていた原田たちの様子を窺ったのだった。
ケガを受けた二つの班の中で、井上が一番重症だった。
近藤が訪れても、まだ意識が回復していなかったのだ。
医務室では、土方や島田が殺気を抑えることができず、辺り一面に漂わせていたのである。
それを何とか宥め、芹沢の下へ駆けつけたのだ。
冷静に振舞っているが、心が激しく乱れていた。
近藤の心中を察しながらも、芹沢の表情が変わらない。
宴会を邪魔され、どこか不満顔だった。
「稽古してやった」
何でもないと言う口振りだ。
そうですかと、今回は引き下がることができない。
ケガを受けた二つの班の具合は、重症レベルで、隊としても、機能できないぐらいだ。
倒れされている原田たちを挑発し、何度も、何度も、向かってくるよう仕向けたのだった。そのせいもあり、原田たちの身体は、重症を負ってしまったのである。
「……重症でした。芹沢隊長、やり過ぎです」
「そうか」
状況を伝えても、表情に変化がない。
平静な表情で、近藤が窺っていた。
「……それに、他の隊の稽古に口出しするのは、よろしくないかと存じます」
「そうか」
「はい」
平然とした顔で、新見が酒を飲んでいる。
だが、他の隊員たちは、喋っている芹沢と近藤の顔を、何度も行き来させていた。
その間も、放たれている近藤のオーラが、収まらない。
誰一人として、二人のやり取りに、口を挟めなかったのである。
不意に、芹沢が口角を上げ、ニコッと微笑んだ。
何か、面白いことを思いついたように。
「では、平山、平間、あの時いた……」
自分の部下たちに、視線を巡らす。
「いや、全員、外で出て、近藤から稽古して貰え」
突然の話に、ついていけない隊員たち。
ギョッとした顔を、微笑んだままの芹沢に、傾けていたのだ。
容赦なく、言葉が放たれる。
「何してる。私が、外に出ろと命じただろう」
とんでもない命令に、まだ誰も、回復できない。
スッと目を見据え、フリーズしている隊員たちを捉えている。
「芹沢隊長……、それでは」
芹沢の無茶苦茶な提案に、困惑しながらも、近藤が口を開いた。
狼狽している隊員たちに、顔を傾けたままだ。
「近藤。お前は口答えせず、ただ黙って、こいつらに稽古しろ」
「……」
殺気を伴った双眸を注ぐ。
「何をしている。外に出ろと、命じたはずだ」
「「「「……」」」」
「それとも、私に、やられたいのか?」
さらに、目を細める。
誰も、拒否できない。
「「「「!」」」」
狂喜乱舞していた隊員たちが、体勢を崩し、そして、こけながらも、一目散に外に出て行く。
すでに、大量の酒を飲んで、足も覚束ない。
それでも、懸命に外に出て行く。
芹沢の命は、絶対で、破れば、自分の命がなかったのだ。
新見以外の隊員が、外で、静かに佇んでいる近藤と芹沢に、驚愕の顔を覗かせていた。
隊員に寄り添っていた女たちは、成り行きを、静かに窺っている。
女たちも、研ぎ澄まされた芹沢の雰囲気に、呑まれていたのだ。
「近藤」
外に出るように、促した。
けれど、近藤が動かない。
「何をしている。稽古をつけろと、命じたはずだが?」
「……他の隊の稽古に、口出しするのは……」
「私が、許可した」
チラリと、静かに酒を嗜んでいる新見の顔を窺う近藤。
「私も、構いませんよ」
「……」
「と、言うことだ。わたしたちが、許可した」
「……わかりました」
渋面しながら、隊員たちが待つ、外に出て行った。
やる気になっている者、顔を顰めている者、恐怖している者、様々な隊員たちの顔を、近藤が何とも言えぬ顔で眺めている。
「芹沢様……」
小梅の震える身体が、よりふくよかな身体に、縋っていった。
「大丈夫だ」
ニコッと、微笑む。
それでも、小梅の顔が青ざめている。
何よりも、小梅は血を見るのが苦手だった。
優しく抱きしめる芹沢だが、やめさせない。
余興でも見るような感覚で、楽しんでいたのだ。
嘆息を吐く近藤。
先ほどまでの表情とは違い、僅かに、尖らせるような表情に変貌させる。
「……好きに、どこからでも、掛かって来い」
それを合図にし、隊員たちが近藤目を掛け、持っている各々の武器で、それぞれに襲い掛かっていく。
中に、躊躇している隊員もいる。
茨木も、その一人だ。
彼女は、戦闘要員ではなく、情報収集する後方要員だった。
そのため、戦闘に不慣れだったのだ。
近藤の一撃によって、脱落する者もいれば、倒されても、果敢に攻める手を、休めない者もいる。
だが、徐々に、人数が減っていった。
(最後に、残るのは……いや)
唇を噛み締め、怪我する覚悟で、茨木が、仲間たちを次々に伸していく近藤に突っ込んでいった。
いくら芹沢と新見から、優遇されているとは言え、命令には逆らえないと、身に染みて理解していたからだ。
「や!」
勢いよく、斬り込んでいくが、あっさりと交わされ、思いっきり隙だらけの腹部を蹴られてしまう。
地面一体に、仲間の血や、先ほどまで食べたり、飲んだりしたものが、吐き散らしていた。
そうした場所に、茨木が倒れ込んだ。
薄れゆく意識の中で、よりにもよって、こんな場所で……と、突っ込みながら、意識を手放したのだった。
最後まで残っていたのは、芹沢の護衛を任されている平山と平間だけだ。
息を乱している二人。
静寂な目をしている近藤が、見定めている。
すでに何度も、近藤からの攻撃を受け、身体が痣だらけだった。
二人は、近藤との実力の差に、歯軋りをしている。
余裕の顔に、それぞれ矜持が、傷つけられていたのだ。
「「……」」
何の構えもなく、二人を眺めている近藤。
どこからでも、掛かって来いと言う無言のオーラを、漂わせていたのだ。
ますます、苛立つ二人だった。
「行くぞ」
「おう」
二人は言葉を発し、立ち尽くしている近藤に、渾身の一撃を加えようとする。
だが、二人よりも速い動きによって、目の前から姿を消し、二人の背後に回り込み、平間の背中を勢いよく蹴り飛ばした。
平間が攻撃を受けている間に、平山が体勢を整え、攻撃しようとする構えに入ろうとするが、近藤の手が緩まない。
自分が手にしている柄で、平山の柄を器用に、跳ね飛ばす。
そして、容赦なく、がら空きになっている腹部に、拳を叩きつけた。
最後の平山を倒し、誰も立つことができない。
倒れている隊員たちを、複雑な眼差しで眺めている。
「随分と、手を抜いたな、近藤」
近藤の戦いぶりに、不服そうな顔を、芹沢が滲ませていた。
警邏軍に入ると同時に、近藤は芹沢の部下となったのだった。
手塩に育てた近藤の実力を、誰よりも、把握していたのである。
遊んでいるようなやり方が、気に喰わないのだ。
「……」
「なぜ、手を抜いた? お前だったら、もっとダメージを与えられたはずだ」
咎めるような眼差しに、居た堪れない。
視線を僅かに揺らしながら、弁明を口にする。
「……これは稽古と、芹沢隊長が申されたではありませんか? ですから、稽古をつけたまでです」
「気を失わせただけだろう」
「それも、稽古だと、思いますが?」
芹沢の見据える視線と、合わせようとしない。
「つまらない」
「申し訳ありません」
真摯に、近藤が頭を下げる。
「……互いに、稽古したんだ。これで同じだろう」
「……」
「下がれ」
冷淡な声音だ。
「……」
興味が伏せたと、小梅と喋り出す芹沢を眺めてから、近藤が一礼し、その場から立ち去っていく。
立ち去っていく近藤に、芹沢の目が向けられなかった。
近藤が宴会にイレギュラーで現れ、僅かに瞠目したものの、その後は、いつものように酒を飲み、芹沢は小梅と寝床を共にしたのである。
小梅を寝かせ、闇夜を芹沢が気持ちのいい千鳥足で歩いていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




