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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第4章 散華 前編
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第68話  岩倉、襲撃される

 日付が変わり、ようやく終わったパーティーから帰っても、岩倉はいくつかの面談を済ませてから、ようやく明け方近くに、眠ることができたのだった。

 だが、昼食をしながら、人と会う約束があったため、長い睡眠を取ることができなかった。

 けれど、そうした疲れた顔を、滲ませることない。

 会う人、会う人に、笑顔を忘れなかった。


 昼食から始まった、人と会う約束も、後数時間で、日付が変わるのを待って、終わろうとしている。

 勿論、時間を見繕い、僅かな休息を取ることも、怠らない。

 この時間を楽しみにしているので、そうした時間が作れるように、鷹司が配慮していた。


 御茶屋にある離れに向かい、歩いている岩倉と岡田。

 鷹司は先に行き、会う人を、もてなしていたのだった。

 立ち止まり、背後にいる岡田に顔を傾ける。

 無言でついてくる岡田のことが、先ほどから気になっていたのだ。


「依蔵。随分と、疲れた顔をしているわね」

 指摘され、黙っているしかできない。

 実際に、疲れていたからだ。

 肉体的ではなく、主に精神面で。

 連日、岩倉に連れ回されていたのだった。


「もう少し、口角を上げ、ニッコリしなさい」

「……」

 促され、言われた通りにするが、引きつった顔しかならない。

 強張っている頬に、冷たい手で岩倉が触れた。

「もう最後の人だから、頑張りなさい」

「努力はする。けど、無理」

 素直に、気持ちを吐露した。


 精神的に、人の多いところに行くことに、疲弊していたのである。

 武市の警護をすることがあっても、これまでの仕事の多くが、暗殺だったからだ。

 こういった仕事に、慣れていなかったのだった。


「武市さんの時も、そんなブスッとした顔していたの?」

 渋面している岡田の顔を、愛らしく首を傾げ、見上げていた。

 ますます顰めている顔に、クスッと笑みが零れている。

「しない。それに武市さんは、いつも外で待機させていた。あなたのように、中まで連れて行かなかった」


 不満げな顔を、岡田が滲ませていた。

 安易に、岩倉が部屋の中まで連れて行くから、疲れているのだと言いたげだった。

 部屋の外で待機するのが、通常だったが、あえて、部屋の中へ、岡田を無理やりに連れ込んでいたのである。

 これに関しては、鷹司も、何か言いたげな顔を覗かせているが、笑顔で岩倉が無視していた。

 瞳が揺れる岡田を、単純に見たかったからだ。


 不躾な態度にも、怒った様子を見せず、コロコロと笑っているだけだった。

 さらに、眉を潜める。

 武市だったら、すぐに叱るのに、どうして怒らないのかと、笑っている姿を眺めながら、首を傾げた。


(なぜ? 笑う? 私はそんな面白いことをしているのか? 私からしたら、岩倉様の方が、変だと思うんだが?)


 近頃、敬愛する武市と、目の前にいる岩倉のことを、比べることが多いのだ。

 今までは、そんなことがなかった。

 ただ、武市の命令に、従っているだけだった。


 それが、岩倉の護衛を命令され、常に傍で控えているせいで、何かと話しかけられることが多く、日に日に武市とは、ここが違うなと、巡らせていたのである。

 話しかけられることが面倒で、いやだったが、当初からの不快感がなく、ただ面倒だなと抱くぐらいに変わっていた。


(どうして、こんなに違う? 男と女だからか? それも違う気がする……。あの女、江藤とも違う……。だからと言って、奥様とも、違う気がする……。何だろう?)


 逡巡しても、答えに辿り着けそうもない。

 諦めた溜息を漏らす。


「どうかした?」

「いや」

「もう少し、ここにいる? 依蔵は、休憩したいのでしょ?」

 甘い誘いに、酔いしれてしまう。


 唐突に、眉間にしわを寄せた、鷹司の顔を掠めた。

 本音を言えば、もう少し休みたい気持ちが存在している。

「……いいのか?」

 鷹司の叱責よりも、魅力的な休憩の方が、勝ってしまった。

 相手を窺う態度に、小さく口角が上がってしまう。


(誰かさんと違って、段々と、素直になってきたわね。あの子だったら、大丈夫と答えるでしょうね)


「大丈夫よ。きっと、鷹司が、上手くやるから」

「後で、怒られないか?」

 岩倉のいないところで、ガミガミと怒る鷹司の顔が、何度も横切っていたのである。


 決して、可愛がっている岩倉の前で、叱責せず、隠れて無作法な岡田のことを、叱りつけていたのだった。

 勿論、鷹司がそうしたことを、岩倉も把握し、あまり岡田が疲れきった表情を覗かせる時のみ、鷹司を窘めていた。

 礼儀を知らない岡田にとって、躾も大切な一環だと、抱いていたからだ。


「大丈夫よ。私のせいにするから」

 あっけらかんと言い放った。

 その堂々とした態度に、僅かに開いた口が塞がらない。

 そして、仕えている者に気遣いさせ、いいものかと思案している。


「少しは、甘えなさい」

「……」

 子犬のような瞳に、かつて一緒にいた妹と重ねた。


(ホント、似ているわね)


 黙り込んでいる岡田に、問いかける。

「ここでの暮らし、慣れた?」

「……ああ」

 ボソッと、短く返答した。

 瞳が揺れている。

 嘘が、バレバレだ。

 ここに来て以来、戸惑っていることを、承知の上で、尋ねたのである。


 ニッコリと、微笑んでいる岩倉。

「そう。それはよかった。じゃ、もう少し、ここにいて貰うわね」

 長引く話に絶句し、早くこの任務から、放れたいと言う顔を窺わせていた。


 何も考えなくて済む環境に、戻りたいと願っていたのである。

 願っているだけで、決して武市に、戻りたいと口にしない。

 武市の命令は、岡田の中で、絶対だったからだ。

 だが、ここ最近は、少しずつ変わりかけてきている気がしていた。

 それが、何なのかまではわからないが。


「どうかしたの? 依蔵」

 口をパクパクさせ、どう応えていいのかあぐねえでいた。

「ここに、いたいのでしょ?」

 愛嬌たっぷりに微笑む。

「……帰りたい」

 小さく、本音を漏らした。


「よくできました」

 何で褒められるのかも、理解できず、ただ眉を潜めている。

 そんな岡田を無視し、さらに話を進めていく岩倉。

「嘘は、ダメね。鷹司と私、主は誰?」

「岩倉様」

「智巳」

 下の名前で、呼ぶように命じたのだった。

 けれど、なかなか下の名前で、呼ぶことに抵抗があったのだ。


「……智巳様」

「なら、私に嘘をつかない。いいわね」

「別に、あいつに命令されたからじゃない。……そう答えたら、早く返してくれるだろうと思って……」

 声音が、徐々に萎んでいった。

 成長が見える姿に、目を見張っている。


(この子なりに、きちんと考えていたのね。傀儡じゃなく、ちゃんと考えられるじゃない)


 成長した、我が子を見るような眼差しで、居た堪れない様子の岡田のことを眺めていた。

 突然、岡田の双眸と、雰囲気が、がらりと変わる。

 何か起こることを、咄嗟に岩倉も感じたのだった。


(ホント、しつこい人たちね)


 怯える様子もなく、穏やかな表情を、滲ませているだけだ。

 鋭さを増した岡田の背後から、四方八方から五人の刺客が姿を現し、立ち尽くしている岩倉の狙い、襲い掛かってくる。

 何一つ、動こうとはしない。

 ただ、余裕のある顔で、岡田に任せていた。


 敵を上回る、瞬殺する動きで、あっという間に、平然とした顔で、立ち尽くしている岩倉に近づく前に、敵たちを殺してしまった。

 瞬く間に、五人の刺客が倒れていたのである。

 見事な腕前に、握手を送る岩倉だった。


「全然、依蔵の動きが、見えなかった」

 当たり前だと、胸を張っている。

「素人同然のやからに、負けない」

「依蔵の目からして、この人たちは、素人なの?」

「ああ。無駄な動きが多いし、遅かった」

 素直に、質問されたことに答えていった。


「そう。でもね、こうなったら、どうやって、依頼された方の名前を、吐かせるのかしら?」

 さわやかな笑顔を、岩倉が覗かせていた。

 背筋に、ぞくりとしたものを感じ、岡田が破顔している。


 五人の刺客は、すでに息の根がない。

 いつものように、何も考えず、斬り捨ててしまったのだった。

 フリーズし、動けない岡田に近づく。


「失敗したのか?」

 たじろぎながら、呟いた。

「そうね。成功したとは、言えないわね」

 頭の中で、武市に叱責される光景を、巡らせている。

「安心しなさい。武市さんには、告げ口しないから」

「助かる」

 安堵した顔を、浮かべている。


「でも、こういう時はせめて、一人ぐらい、生かせてほしかったわね」

「……、今度は、気をつける」

 素直に、非を認め、しゅんと落ち込んでいる姿に、口角を上げていた。


 到着するのが遅いと、見に来ていた鷹司が、この有り様を目の当たりにし、仰天して岩倉に駆け寄ってくる。

「智巳様。大丈夫ですか? おケガなど、しておりませんか?」

 周囲に息絶えた五人の死体が、転がっていたのである。

 駆けつけ、青い顔を滲ませている鷹司に、穏やかな笑顔を見せた。

「大丈夫よ。依蔵が守ってくれたから」

 急に、心痛な面を窺わせる鷹司。


「申し訳ありません。このような時に、お傍にいられず……」

 苦々しく、自分のことを責めていた。

 自分の手で、崇拝する岩倉を、守りたかったのである。

 それが叶わず、岡田に対しても、嫉妬心が生まれていたのだった。

 岡田ほどではないが、鷹司も剣術を嗜んでいたのだ。


「鷹司と、依蔵では、立場が違うでしょ? 私を補佐するのが、鷹司の役目。そして、私を守るのが、依蔵の仕事だわ。そこを間違えては、いけないわ。いいわね、鷹司」

「……はい」

 いつも岡田に対し、倣岸な顔を傾けていたのが、なりを潜めている。

「ただ、私を助けるために、五人と斬ってしまって、依頼した方の名前が、わからないのよね。難しいけど、探ること、できないかしら?」


 頼る視線を、岩倉が傾けた。

 敬愛する主人に頼られ、拒む部下などいない。

 むしろ、嬉々として喜んでいる。

 難しいと言えば、言うほどだ。


「大丈夫です。鷹司に任せてください」

 先ほどとは違い、生き生きとした顔を覗かせていた。

 この変わり身の早さに、目を丸める岡田。


「あなたほど、頼りになる人はいないわ。ありがとう」

「いいえ」

 岡田が感じ取った五人の刺客の印象も、付け加える。

 話を聞きながら、どこから攻めていくかと、鷹司が巡らせていた。


「近頃、いろいろな人が動き回っているでしょ? 一応、誰だか、確かめたくって」

「勿論です。必ず、誰が依頼したか、突き止めてみせます」

 熱くなっている姿に、どこか冷めた視線を岡田が巡らせる。

「ありがとう。後、片付けと、お客様にお詫びをしてきて貰えるかしら? このような事態だし、とても会える雰囲気ではないから」

 それまで視界に入っていなかった、五人の刺客の遺体に、目を傾けている。

「承知しました。後のことは、すべて、この鷹司に、お任せください」

 自信満々に、口角の端が上がっていた。


「じゃ、お願い」

 恭しく頭を下げ、鷹司が客の元へ戻っていった。

 二人になった岩倉と岡田。


「よかったわね、依蔵。いやな会食に行かなくて済むでしょ?」

「……」

「帰って、ゆっくりお風呂に入りましょうね」

 岡田の身体から、鉄臭さが、漂っていたのだった。

 顔を顰める姿に、クスクスと笑い始める。


「お風呂で、磨いてあげるから」

「……いや。一人で入る」

 拒絶するが、岩倉が首を横に振った。

「ダメ。一人で入ったら、ちゃんと洗わないでしょ」

「……」


「一緒に、入りましょうね」

 有無を許さない笑顔で、念を押した。

 拒絶できるはずがない。


「用もないところで、話し込んでも、無駄だから、帰りましょう」

 足の重くなった岡田を促し、岩倉たちは自分たちの屋敷に帰っていった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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