第68話 岩倉、襲撃される
日付が変わり、ようやく終わったパーティーから帰っても、岩倉はいくつかの面談を済ませてから、ようやく明け方近くに、眠ることができたのだった。
だが、昼食をしながら、人と会う約束があったため、長い睡眠を取ることができなかった。
けれど、そうした疲れた顔を、滲ませることない。
会う人、会う人に、笑顔を忘れなかった。
昼食から始まった、人と会う約束も、後数時間で、日付が変わるのを待って、終わろうとしている。
勿論、時間を見繕い、僅かな休息を取ることも、怠らない。
この時間を楽しみにしているので、そうした時間が作れるように、鷹司が配慮していた。
御茶屋にある離れに向かい、歩いている岩倉と岡田。
鷹司は先に行き、会う人を、もてなしていたのだった。
立ち止まり、背後にいる岡田に顔を傾ける。
無言でついてくる岡田のことが、先ほどから気になっていたのだ。
「依蔵。随分と、疲れた顔をしているわね」
指摘され、黙っているしかできない。
実際に、疲れていたからだ。
肉体的ではなく、主に精神面で。
連日、岩倉に連れ回されていたのだった。
「もう少し、口角を上げ、ニッコリしなさい」
「……」
促され、言われた通りにするが、引きつった顔しかならない。
強張っている頬に、冷たい手で岩倉が触れた。
「もう最後の人だから、頑張りなさい」
「努力はする。けど、無理」
素直に、気持ちを吐露した。
精神的に、人の多いところに行くことに、疲弊していたのである。
武市の警護をすることがあっても、これまでの仕事の多くが、暗殺だったからだ。
こういった仕事に、慣れていなかったのだった。
「武市さんの時も、そんなブスッとした顔していたの?」
渋面している岡田の顔を、愛らしく首を傾げ、見上げていた。
ますます顰めている顔に、クスッと笑みが零れている。
「しない。それに武市さんは、いつも外で待機させていた。あなたのように、中まで連れて行かなかった」
不満げな顔を、岡田が滲ませていた。
安易に、岩倉が部屋の中まで連れて行くから、疲れているのだと言いたげだった。
部屋の外で待機するのが、通常だったが、あえて、部屋の中へ、岡田を無理やりに連れ込んでいたのである。
これに関しては、鷹司も、何か言いたげな顔を覗かせているが、笑顔で岩倉が無視していた。
瞳が揺れる岡田を、単純に見たかったからだ。
不躾な態度にも、怒った様子を見せず、コロコロと笑っているだけだった。
さらに、眉を潜める。
武市だったら、すぐに叱るのに、どうして怒らないのかと、笑っている姿を眺めながら、首を傾げた。
(なぜ? 笑う? 私はそんな面白いことをしているのか? 私からしたら、岩倉様の方が、変だと思うんだが?)
近頃、敬愛する武市と、目の前にいる岩倉のことを、比べることが多いのだ。
今までは、そんなことがなかった。
ただ、武市の命令に、従っているだけだった。
それが、岩倉の護衛を命令され、常に傍で控えているせいで、何かと話しかけられることが多く、日に日に武市とは、ここが違うなと、巡らせていたのである。
話しかけられることが面倒で、いやだったが、当初からの不快感がなく、ただ面倒だなと抱くぐらいに変わっていた。
(どうして、こんなに違う? 男と女だからか? それも違う気がする……。あの女、江藤とも違う……。だからと言って、奥様とも、違う気がする……。何だろう?)
逡巡しても、答えに辿り着けそうもない。
諦めた溜息を漏らす。
「どうかした?」
「いや」
「もう少し、ここにいる? 依蔵は、休憩したいのでしょ?」
甘い誘いに、酔いしれてしまう。
唐突に、眉間にしわを寄せた、鷹司の顔を掠めた。
本音を言えば、もう少し休みたい気持ちが存在している。
「……いいのか?」
鷹司の叱責よりも、魅力的な休憩の方が、勝ってしまった。
相手を窺う態度に、小さく口角が上がってしまう。
(誰かさんと違って、段々と、素直になってきたわね。あの子だったら、大丈夫と答えるでしょうね)
「大丈夫よ。きっと、鷹司が、上手くやるから」
「後で、怒られないか?」
岩倉のいないところで、ガミガミと怒る鷹司の顔が、何度も横切っていたのである。
決して、可愛がっている岩倉の前で、叱責せず、隠れて無作法な岡田のことを、叱りつけていたのだった。
勿論、鷹司がそうしたことを、岩倉も把握し、あまり岡田が疲れきった表情を覗かせる時のみ、鷹司を窘めていた。
礼儀を知らない岡田にとって、躾も大切な一環だと、抱いていたからだ。
「大丈夫よ。私のせいにするから」
あっけらかんと言い放った。
その堂々とした態度に、僅かに開いた口が塞がらない。
そして、仕えている者に気遣いさせ、いいものかと思案している。
「少しは、甘えなさい」
「……」
子犬のような瞳に、かつて一緒にいた妹と重ねた。
(ホント、似ているわね)
黙り込んでいる岡田に、問いかける。
「ここでの暮らし、慣れた?」
「……ああ」
ボソッと、短く返答した。
瞳が揺れている。
嘘が、バレバレだ。
ここに来て以来、戸惑っていることを、承知の上で、尋ねたのである。
ニッコリと、微笑んでいる岩倉。
「そう。それはよかった。じゃ、もう少し、ここにいて貰うわね」
長引く話に絶句し、早くこの任務から、放れたいと言う顔を窺わせていた。
何も考えなくて済む環境に、戻りたいと願っていたのである。
願っているだけで、決して武市に、戻りたいと口にしない。
武市の命令は、岡田の中で、絶対だったからだ。
だが、ここ最近は、少しずつ変わりかけてきている気がしていた。
それが、何なのかまではわからないが。
「どうかしたの? 依蔵」
口をパクパクさせ、どう応えていいのかあぐねえでいた。
「ここに、いたいのでしょ?」
愛嬌たっぷりに微笑む。
「……帰りたい」
小さく、本音を漏らした。
「よくできました」
何で褒められるのかも、理解できず、ただ眉を潜めている。
そんな岡田を無視し、さらに話を進めていく岩倉。
「嘘は、ダメね。鷹司と私、主は誰?」
「岩倉様」
「智巳」
下の名前で、呼ぶように命じたのだった。
けれど、なかなか下の名前で、呼ぶことに抵抗があったのだ。
「……智巳様」
「なら、私に嘘をつかない。いいわね」
「別に、あいつに命令されたからじゃない。……そう答えたら、早く返してくれるだろうと思って……」
声音が、徐々に萎んでいった。
成長が見える姿に、目を見張っている。
(この子なりに、きちんと考えていたのね。傀儡じゃなく、ちゃんと考えられるじゃない)
成長した、我が子を見るような眼差しで、居た堪れない様子の岡田のことを眺めていた。
突然、岡田の双眸と、雰囲気が、がらりと変わる。
何か起こることを、咄嗟に岩倉も感じたのだった。
(ホント、しつこい人たちね)
怯える様子もなく、穏やかな表情を、滲ませているだけだ。
鋭さを増した岡田の背後から、四方八方から五人の刺客が姿を現し、立ち尽くしている岩倉の狙い、襲い掛かってくる。
何一つ、動こうとはしない。
ただ、余裕のある顔で、岡田に任せていた。
敵を上回る、瞬殺する動きで、あっという間に、平然とした顔で、立ち尽くしている岩倉に近づく前に、敵たちを殺してしまった。
瞬く間に、五人の刺客が倒れていたのである。
見事な腕前に、握手を送る岩倉だった。
「全然、依蔵の動きが、見えなかった」
当たり前だと、胸を張っている。
「素人同然のやからに、負けない」
「依蔵の目からして、この人たちは、素人なの?」
「ああ。無駄な動きが多いし、遅かった」
素直に、質問されたことに答えていった。
「そう。でもね、こうなったら、どうやって、依頼された方の名前を、吐かせるのかしら?」
さわやかな笑顔を、岩倉が覗かせていた。
背筋に、ぞくりとしたものを感じ、岡田が破顔している。
五人の刺客は、すでに息の根がない。
いつものように、何も考えず、斬り捨ててしまったのだった。
フリーズし、動けない岡田に近づく。
「失敗したのか?」
たじろぎながら、呟いた。
「そうね。成功したとは、言えないわね」
頭の中で、武市に叱責される光景を、巡らせている。
「安心しなさい。武市さんには、告げ口しないから」
「助かる」
安堵した顔を、浮かべている。
「でも、こういう時はせめて、一人ぐらい、生かせてほしかったわね」
「……、今度は、気をつける」
素直に、非を認め、しゅんと落ち込んでいる姿に、口角を上げていた。
到着するのが遅いと、見に来ていた鷹司が、この有り様を目の当たりにし、仰天して岩倉に駆け寄ってくる。
「智巳様。大丈夫ですか? おケガなど、しておりませんか?」
周囲に息絶えた五人の死体が、転がっていたのである。
駆けつけ、青い顔を滲ませている鷹司に、穏やかな笑顔を見せた。
「大丈夫よ。依蔵が守ってくれたから」
急に、心痛な面を窺わせる鷹司。
「申し訳ありません。このような時に、お傍にいられず……」
苦々しく、自分のことを責めていた。
自分の手で、崇拝する岩倉を、守りたかったのである。
それが叶わず、岡田に対しても、嫉妬心が生まれていたのだった。
岡田ほどではないが、鷹司も剣術を嗜んでいたのだ。
「鷹司と、依蔵では、立場が違うでしょ? 私を補佐するのが、鷹司の役目。そして、私を守るのが、依蔵の仕事だわ。そこを間違えては、いけないわ。いいわね、鷹司」
「……はい」
いつも岡田に対し、倣岸な顔を傾けていたのが、なりを潜めている。
「ただ、私を助けるために、五人と斬ってしまって、依頼した方の名前が、わからないのよね。難しいけど、探ること、できないかしら?」
頼る視線を、岩倉が傾けた。
敬愛する主人に頼られ、拒む部下などいない。
むしろ、嬉々として喜んでいる。
難しいと言えば、言うほどだ。
「大丈夫です。鷹司に任せてください」
先ほどとは違い、生き生きとした顔を覗かせていた。
この変わり身の早さに、目を丸める岡田。
「あなたほど、頼りになる人はいないわ。ありがとう」
「いいえ」
岡田が感じ取った五人の刺客の印象も、付け加える。
話を聞きながら、どこから攻めていくかと、鷹司が巡らせていた。
「近頃、いろいろな人が動き回っているでしょ? 一応、誰だか、確かめたくって」
「勿論です。必ず、誰が依頼したか、突き止めてみせます」
熱くなっている姿に、どこか冷めた視線を岡田が巡らせる。
「ありがとう。後、片付けと、お客様にお詫びをしてきて貰えるかしら? このような事態だし、とても会える雰囲気ではないから」
それまで視界に入っていなかった、五人の刺客の遺体に、目を傾けている。
「承知しました。後のことは、すべて、この鷹司に、お任せください」
自信満々に、口角の端が上がっていた。
「じゃ、お願い」
恭しく頭を下げ、鷹司が客の元へ戻っていった。
二人になった岩倉と岡田。
「よかったわね、依蔵。いやな会食に行かなくて済むでしょ?」
「……」
「帰って、ゆっくりお風呂に入りましょうね」
岡田の身体から、鉄臭さが、漂っていたのだった。
顔を顰める姿に、クスクスと笑い始める。
「お風呂で、磨いてあげるから」
「……いや。一人で入る」
拒絶するが、岩倉が首を横に振った。
「ダメ。一人で入ったら、ちゃんと洗わないでしょ」
「……」
「一緒に、入りましょうね」
有無を許さない笑顔で、念を押した。
拒絶できるはずがない。
「用もないところで、話し込んでも、無駄だから、帰りましょう」
足の重くなった岡田を促し、岩倉たちは自分たちの屋敷に帰っていった。
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