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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第4章 散華 前編
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第64話  報告

 岩倉家の屋敷の一室に、現女当主の岩倉や、その警護についている岡田、部下の鷹司や菊川が集まっていたのである。

 部屋に、代々伝わる骨董品が飾られていた。

 誰一人として、その骨董品に、目を傾ける者がいない。

 鷹司や菊川に、勤皇一派と深泉組の報告をさせていたためでもあった。


「随分と、死者が出たようね」

 目を丸くし、驚いたような顔を覗かせているが、本当に驚いたような様子がない。

 勤皇一派の方が多く、亡くなるだろうと、岩倉の胸中では予想済みだった。


(目障りな骨董品ね。主張し過ぎだわ、いつの間にか、増えているし)


 表情に出ていないが、部屋に飾られている骨董品の数々に、岩倉が怪訝していたのである。何度も、ズラリと並べられている骨董品を片付け、品のいい物を、数点だけ飾るように命じているが、いつの間にか、部屋が骨董品で彩られていたのだった。

 その仕業をしていたのが、先代から務めている侍女長だ。

 彼女と、養女となった岩倉は、屋敷の中で対立していたのである。


 誰にも気づかれず、僅かに嘆息を吐いた。

「深泉組は?」

 上目遣いの視線で、忠実な部下である鷹司に注ぐ。

 屋敷にも、敵が潜んでいる可能性もあるので、大切な話がある時は、信頼できる部下しか置かず、他の者たちを近づけさせなかったのだ。

 勿論、事前に部屋を使う前は、盗撮、盗聴がないか、事前に確認済みだ。


「死者はありません。ただ、幾人かは、ケガをしたようですが」

「多少はいるかと思っていたけど、いないなんて……」

 今度は、純粋に驚愕していた。


(面白い人材の集まりね)


 その背後にいる岡田が、つまらなそうにしている。

 同じ勤皇一派に所属しても、今回の件は高杉が独自にしたことで、武市がかかわっていなかったからだ。

 気が抜けている岡田。

 冷ややかな眼差しを傾けている鷹司と菊川。

 だが、そんな視線も、気にしない。

 岡田のすべては、武市で埋まっていたのだった。


「深泉組は、落ちこぼれ集団って、言われているけれど、優秀なのね」

 微笑みを携えながら、敵対している深泉組に、岩倉が賛辞を送っていた。

 それに対し、二人は何とも言えぬ顔を、滲ませていたのである。

 まるで、自分たちの至らなさを感じるようで。


 そんな二人の様子に気づく。

「二人は私にとって、優秀な部下よ。卑下しないの」

「「失礼しました」」

 素直に、頭を下げる二人。

 ニコッと、優しく微笑む。


 自分の屋敷と言うこともあり、ゆったりとしたドレスに、化粧も薄い。

 簡素ないでたちでも、岩倉の美貌は光っていたのである。


「高杉さんは、どうしているの?」

「暴れているようです。ただ、今回は激しく暴れたようで、身体を壊したようです」

「しょうがない人ね。自分の身体も、気遣えないなんて」

 優雅な所作で、鷹司が淹れた紅茶に、口をつける。

 うっとりしている榛色した双眸で、鷹司が眺めていたのだ。

 その隣では、どこか悔しげな菊川の姿があった。


 どちらの顔も、端整が豊かで、女を魅了すること間違いなかった。

 けれど、二人は美しい岩倉に心を奪われている。


 紅茶を淹れるぐらいで、何争っているんだと、頭を傾げている岡田。

 報告する前、どちらが岩倉に紅茶を入れるかで、二人でひと悶着あった。

 その光景を、しっかりと視界に捉えてしまっていたのである。


 何事に置いても、慎重な行動を心掛けている岩倉は、大切な報告など話を聞く際は、必ず、信頼している部下に、お茶の用意もさせていたのだった。

 内部に入り込んでいる敵に、毒など盛られないためだ。

 そして、情報が漏れないように、細心の注意を払うためでもあった。


 タイミングを見計らい、鷹司が報告の続きを始める。

「勧誘した者を、多く配置したようですが、かなりの数の優秀な部下を、失ったようです」

「自信があったようね」

「はい。そのため、自身の部下や、勤皇一派から引き連れていった部下を、かなり登用したようです」


 廃墟ビルで、深泉組を誘い込み、高杉は潰そうと目論んでいたのである。

 結果としては、勤皇一派に多くの死人を出したにもかかわらず、深泉組を潰せず、相手側に死人を出すことも、できなかったのだった。

 大失態で、レンガ屋敷に戻っていた高杉。

 その後、身体を壊すほど暴れ回り、その被害も、甚大で、西郷たちを困らせたのである。


「自分の力を、見せ付けようと、したのでしょうね。敵の深泉組や、味方の勤皇一派の人に。でも、それが悪手となってしまったと」

 平然とした顔を、岩倉が覗かせている。


(自分は、優秀だと思っていたのでしょうね。とんだ、おバカさんね)


 微かに、口の端が上がっていた。

 誰も、そんな岩倉の姿を、気づかない。


「はい。随分と、高杉の株が、落ちているようです」

「でしょうね。今回の件で、痛い失態をしたから」

 哀れむような双眸を、岩倉が演じていた。

「自業自得だと思います。自分の力に、過信していたようですから」

 嘲るように、鷹司の口元が歪んでいる。

 チラリと、そんな姿を捉えた岩倉。


(ここにも、いたようね)


「あら、それは私たちにも、言えるではないかしら?」

 岩倉の窘めた言葉に絶句し、身体を震わせていた。

 微かに、菊川の口元が笑っている。

「私たちも、過信すれば、痛い目に会うわよ」

 真摯に、鷹司が頭を下げている。

「申し訳ありません。智巳様」


「いいのよ。ところで、勤皇一派は、これで手を休めるのかしら?」

「西郷殿より連絡があり、心配せぬようにと、ありました」

「そう」

 そっけない返事を、岩倉がした。

「念のため、動向はこのまま、探らせておきます」


「菊川」

 黙って控えていた菊川の報告を促した。

 待っていましたと言う顔の覗かせる菊川。

 思わず、クスッと笑ってしまう岩倉だった。


 崇拝する岩倉の信頼を勝ち取るために、この二人は密かに争っていたのである。

 それに気づいていたが、知らない振りをしていたのだ。

 そんなバカげた争いをしている二人を目にし、くだらないと岡田は、巡らせていたのである。


「深泉組は、人員的には失っておりませんが、勧誘した徳川宗家の家臣や、警邏軍の上層部の子供たちを、多く斬り捨てたようです。そのせいで、立場を失いかけているようです」

「取り潰しも、あると言うことかしら?」

 報告している菊川を、真剣な眼差しで捉えている。

「あり得るかと」

「そう」

 どこか思案する素振りを窺わせていた。


 間を置かず、喋り出す菊川。

「ある意味、高杉殿は深泉組を、潰したようになりますが」

 皮肉交じりの声音が、混じっていたのだ。

「深泉組だって、ただ潰れるのを、待っている訳じゃないでしょ?」

 窺うような眼光を、岩倉が注いでくる。


 岩倉の双眸に、自分が捉えられていると、密かに恍惚感を味わっている菊川だった。

 自分よりも、岩倉を引き込めていると、鷹司が悔しげに顔を歪めている。


「はい。表立っては、小栗や近藤といったところが、頭を下げ回っているようです」

「表があると言うことは、裏もあるのでしょうね?」

「かつての芹沢の部下が、深泉組の取り潰しを防ごうと、動き回っているようです。後、若干ですが、山南のかつての同僚や後輩も、それとなく動き回っております」

「詳細に、調べたのね」


 予想以上に、丁寧な報告に、艶やかな微笑みを沿え、褒めた。

 ギリッと、歯軋りする鷹司。


「ありがとうございます」

 憧れの人に褒められ、有頂天気味な菊川だった。

 対照的な二人に、僅かに首を竦める。


「芹沢の部下は、随分と、彼を慕っているようね」

 緩んでいた菊川の顔が、きりりと引き締まった。

「はい。銃器組にいた際の芹沢は、部下を育てるのが、上手かったようで。誰一人として、芹沢を悪く言う者がいません」

「あれだけのことを、しているにもかかわらず?」

「はい。それに芹沢が育てた者は、優秀で、銃器組で抜き出ています」

「見る目が合ったのでしょうね」

 どこか感心している眼差しを、傾けていたのだった。


「銃器組だけでの活躍を見れば、そうなるかと」

 素早く岩倉の手元に、詳細をまとめた書類を渡した。

 そこに、銃器組での芹沢が手掛けた仕事などが、細かくまとめ上げられていたのである。

 彼の部下たちの経歴も、書かれていたのだった。

 勿論、近藤の経歴も、書かれていたのである。


 渡された書類に、ザッと目を通す。

「一番の出世は、近藤でしたが、なぜか、深泉組に落ちたようです」

 どこか不満げな顔を、菊川が滲ませていた。

 なぜ、深泉組に落ちたのか、調べつくせなかったからだ。


「仕事で失敗でも、したのかしら?」

「申し訳ありません。そこまでは掴めませんでした」

 不本意な表情が窺い、岩倉が小さく笑ってみせる。

「それだけ、ガードが厚いと言うことは、そういうことなのでしょうね。次に出世したのは、清河ね。随分と、この若さで、何もないところから、出世したわね」


「上手く、立ち回っているようです」

 気分を変え、平常心に戻っていった。

 黙り込んでいる鷹司が、睥睨している。


「そうね。ホント、優秀な部下たちね」

 かつての部下たちの経歴に、目を通していく。

 どの部下たちも、銃器組で多くの結果を上げていたのだった。

 その中に、欲しいと思える人材が、何人か含まれていたのである。


(これでだけの人材を育て、鍛え上げたのね。ホント優秀な男なのね、そういったところが、気に入ったのかしら、あの子は)


「かつての部下たちは、上から芹沢との接触を、禁じられているようです。これは私の読みなのですが、彼らの動向を見ると、禁じられても、密かに接触している可能性も、あるかと」

「そうね。それだけ、慕っていると言うことかしら」

「はい」

「深泉組は、皮一枚でつながっている状況でしょうね。ただ、今後も、芹沢の存在が、危うくなるでしょうね」

「はい。なぜ深泉組は、芹沢を切らないのでしょうか?」

 微かに、渋面を滲ませる菊川。


「問題はあるけど、優秀なんでしょうね」

 自分が出した報告書で、優秀と書いておきながら、芹沢が優秀であることに、納得していないような顔を窺わせていたのだった。

「芹沢が変わったのは、奥さんが亡くなってから? その前後から窺うと」


 銃器組に所属していた際も、問題行動を起こしていたのである。

 銃器組をやめる少し前から、その問題行動が、さらにエスカレートしていったのだ。


「女の生き死にで、変わるような男でしょうか?」

 訝しげな表情を、菊川が覗かせている。


 不意に、背後に控えている岡田に、視線を巡らせた。

「依蔵は、どう思う? どうして変わったんだと思う?」

 突如、投げつけられた質問に、慌てふためく。

「えっ、あ……」

 視線を彷徨わせる。


 誰かに助けを求めようとするが、鷹司も、菊川も、咎めている視線を注いでいた。

 優しい微笑みで、岩倉が気後れしている岡田を捉えている。

「私が、質問したことはわかる?」

 しばらく、逡巡した後に、コクリと頷いた。


「どうして、深泉組の芹沢加茂は変わったと、依蔵自身は、どう考える?」

 少し頭を傾げてみせる岩倉。

 その仕草が愛らしく、鷹司と菊川の目が奪われていた。


「ゆっくりで良いわ。依蔵が思ったこと、感じたことを、聞かせて頂戴」

 促され、顔を渋面させ、素直に考えを巡らせていく。

 ここに来てから、岡田は岩倉によって身だしなみを整えられていた。

 無造作に長い髪を一つに束ねているだけだったが、櫛でとかし、綺麗に結われていたのである。そして、薄く化粧もほどかされていたのだった。


「……面倒になった?」

「面倒?」

 さらに、岩倉が首を傾げる。

「何もかも、面倒になって、好き勝手してる?」

 か細い声音だった。


 岡田の意見に、お前がただ面倒になっただけだろうと、鼻先で笑っている二人。

 けれど、岩倉だけが違っていた。

 深く思考を巡らせていたのである。


(面倒ね……。この世の中が、面倒になってしまったと言うことかしら? あの男が? 妻一人に対して、そこまで愛していたのかしら? 愛人を作っておきながら。随分と、身勝手な男ね、ま、それでおかしくなって、好き勝手しているのかもしれないわね)


「……そうね。意外と答えって、単純なのかもしれないわね」

 狼狽えている岡田に、微笑みを覗かせていたのだった。

 ふてぶてしい顔で、二人が岡田を半眼していたのである。




 その頃、岩倉家の別荘で、避難していた武市が、近くのカフェテラスで、コーヒーを嗜んでいたのだった。

 時より、こうして別荘から出かけ、コーヒーを飲んで、気分を変えていたのである。

 別荘に来た数日はこもり、外出も控えていた。

 だが、こうしている時間が勿体ないと、密かに出掛けるようになっていたのだった。


 席に武市一人だけ、腰掛けていたのだ。

 勿論、どんな状況に陥っても、自分の身だしなみに気を掛けていた。

 仕立てのいいスーツを着こなしていたのだ。

 洗礼された仕草で、コーヒーを味わっている。


 背後にいる男は長身で、程よい筋肉が備わっていることが、服の下からでも窺えた。

 彼は、勤皇一派に属する闇の四天王の一人、田中慎兵衛だった。

 闇の四天王とは、勤皇一派に属する暗殺部隊の中でも、優れた四人のことを指しているのである。田中慎兵衛、中村、河上、岡田依蔵だ。

 田中は、岡田を借りる代わりに、武市の警護のために、岩倉が用意してあげた人材である。


「相変わらず、暴れたのか」

「そのようです。それで身体を壊したそうです」

 淡々とした仕草で、武市が欲している情報を口にしていた。

 使っている部下から、報告を受け、それらの情報を武市に流していたのである。

「甘いな。沖田に盲信しているせいで、今回の件は、失敗したようなものだな」


 何も答えない。

 普段、無口で、余計なことは、喋らない男である。


「中村と河上は、どうしている?」

 武市を垣間見ることなく、聞かれたことに答えていく。

「中村は、勝手に仕事をしているようです。河上は待機しているようです」

「そうか。中村にも困ったものだ。勝手に仕事をして」

 眉間にしわ寄せている武市。


 闇の四天王の中村は、快楽的な男で、自分で仕事を好き勝手に請け、人を殺したり、見ず知らずの者を、場当たり的に斬り捨てることをし、自分の快楽を満たしていたのだった。


「襲ってきた者は、何人ぐらいいたんだ?」

「二十名以上近く」

「そんなにか?」

 訝しげな顔を、滲ませていた。


 自分を亡きにしたい連中が、多いなと掠めている。

 岩倉の別荘に訪れてから、何度も襲撃にあっていた。

 それらを退治したのが、田中であり、その部下たちだった。


「はい」

「潜んでいる者は?」

「十名以下だと」

「様子見と言うことか」

「はい。手は出してません」


(いつまでこんなこと。……時間のロスだと、思わないのか、あいつらは。煩わしいな、依蔵だと、一言で済むのに……。ある意味、田中も、監視の役割かもな)


「それでいい。ウザいが、監視だろう」

 忌々しげな双眸を注いでいた。


(どこの手の者たちだ?)


「西郷さんからは、何か連絡があったか?」

「いいえ」

「そうか。もう少し、このままと言うことだな」

 唐突に立ち上がった武市。

 その背後を少し離れ、ついていく田中。


 道の端に止められている車を、視界に巡らせていたのだった。

 車の運転席に、秘書の江藤がいて、後部座席に武市が座り、助手席に田中が座ったのである。

 命を狙われ、身を隠している武市ではあったが、活動する手を休めず、このところ精力的に密かに動き回っていたのだった。

 この後も、二つの会席の席が設けられ、それなりに忙しい時間を過ごしている。


読んでいただき、ありがとうございます。

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