第63話 小栗指揮官の休まらないひと時
仕事を終え、疲れが癒えぬままに小栗指揮官は、馴染みの御茶屋『寒椿』に訪れていたのである。
先日の薬の摘発の仕事で、上層部に近藤を伴って、頭を下げ回り、それが表情に滲み出ていたのだった。
近藤と同じ、隊長職で芹沢や新見も、一緒に頭を下げるはずが、雲隠れし、行方知らずとなっていたのだ。
まだまだ、頭を下げる行脚が、終わりそうもない。
この置かれている状況に、ほとほと疲れていたのである。
それにもかかわらず、屋敷に帰らないで、ここに訪れたのは理由があった。
ちびちびと酒を飲んでいると、特命組に所属している千川涼が顔を出す。
彼は、小栗指揮官の手下で、警邏軍の内部の情報や、徳川宗家の内部情報などを、定期的に流していたのだ。
定例報告をするために、ここに顔を出したのだった。
「遅れて申し訳ありません。小栗様」
席につく前に、真摯に頭を上げる。
そんな律儀な姿に、苦笑を漏らしていた。
千川の一族は、祖父の代から、小栗家の手下の一人として、暗躍していたのである。
「いや。涼こそ、仕事が忙しかったんだろう。いろいろと」
「大丈夫です。通常の業務に、戻っています」
「そうか。とりあえず、腰掛けろ」
「はい」
従順に空席となっていた席に、千川が腰掛けた。
労うために、小栗指揮官がお酌をしてあげる。
用意されている料理も、千川がくる前から、注文していたのだった。
「恐縮です」
一口つけたところを見計らい、小栗指揮官の口が開く。
「上層部は、落ち着いているのか? 私が窺う際は、まだまだピリピリしている様子だったが?」
「派閥によってですが」
「だろうな」
疲れ気味の嘆息を吐いた。
上層部で、まだ機嫌を悪くしているところは、子息息女が亡くなったところや、まだ行方がわからず、やきもきしている派閥だったからだ。
それらを振り返り、さらに顔を曇らせる。
「小栗様。大丈夫ですか?」
疲れが滲む顔を、気にかけていた。
「……大丈夫とは言えぬな」
「……」
弱気な小栗指揮官の姿に、苦渋に顔を歪めている。
陰である自分が、表に出る訳にはいかない。
何もできなく、もどかしさを千川が巡らせていたのだった。
「芹沢や新見にも、困ったものだ。容赦しないで、すべて斬り捨ててしまうのだからな」
何とも言えぬ顔を、覗かせている。
薬の摘発の仕事の際、芹沢隊と新見隊は、一切の情けをかけることがなかった。
目の前にいる敵を、ことごとく斬り捨てていったのだった。
そのせいもあって、上層部に関係する人間の多くが、亡くなってしまっていた。
そのため、小栗指揮官は隊長の近藤をつれ、上層部に頭を下げ回っていたのだ。
「いつまで、あの二人を下に置くつもりですか?」
懇願してくる千川。
前々から、芹沢と新見に見切りをつけた方がいいと、進言していたのだった。
だが、それでも小栗指揮官は、問題の二人を、使用し続けていたのである。
それぞれに、個々の能力が高かったからだ。
「あれらが、本気になれば、頼もしいのだがな。だが、扱いが難しいものだ」
「小栗様の身体が、心配です」
憔悴しきっている小栗指揮官に、複雑な表情を滲ませていた。
仕事を放り出し、小栗指揮官の下で、世話をしたいと願っても、命じられている仕事がある以上、それを放り出すことができなかったのである。
「ところで、芹沢たちのことは、つかめているか?」
「今回のこともあり、なりを潜めているようですが、小さいところで、暴れているようです」
ありのまま、掴んでいる情報を伝えた。
眉間のしわが寄っていく小栗指揮官だ。
「今回のことで、おとなしくしていると思っていれば……」
本音を吐露してしまう。
「誰も、文句が言えぬ相手を見定め、金をせびって遊んでいます」
やるせない思いに、小栗指揮官が背凭れに身体を預ける。
僅かに、天井を見上げた。
その顔に、憂いが漂っていたのである。
「申し訳ありません。芹沢は剣の使い手で、なかなか近づくことが叶いません」
悔しげに、千川が唇を噛み締めた。
小栗指揮官からも、芹沢を探る際は、決して近づかぬようと、指示を受けていたのである。
容赦なく、自分の部下でも、斬り捨ててしまう芹沢なので、自分を探っている者に対し、手加減する訳がなかったからだ。
「いや、いい。遠くの方で、何をやっているのか、見ているぐらいで」
目を伏せている千川の瞳は、自分の実力不足を恥じていた。
武術に関しては、小栗指揮官より、千川は劣っていたのである。
そのため、情報収集の役目を与えていたのだった。
(芹沢を相手にできるのは、近藤、土方、斉藤、後は……沖田ぐらいだろう。私が無茶を押し付けているのだから、涼も、ここまで悲観しないでほしいが……。でも、これを言ったら、ますます悲観しそうだな)
「とりあえず、現状維持で、芹沢たちの様子を、窺ってくれ」
「はい」
「で、他のところは、どうなっている?」
これ以上、芹沢たちの話をしても、千川を余計に落ち込ませるだけだと巡らせ、小栗指揮官が話を切り替えた。
「特殊組は、見世物小屋を見つけることに、躍起になっている状況ですが、先の件のこともあり、なかなか発見することができないようです」
「向こうは、捕まる訳が行かないからな」
僅かに、渋面し、逡巡していく。
都が安全だと言いたい上層部と、同意見だった。
不用意に、都で暮らす人々を、煽りたくなかったのである。
「相当なパイプを、持っているのでしょうか」
「だろうな。総出で捜しているのに、見つからないとなると、バックに、大物がいるのかもしれないな」
どこか、苦々しい顔を覗かせている小栗指揮官。
徳川宗家の家臣に、彼らを手引きし、金儲けしたり、いろいろな嗜好に、利用する者たちがいたのだ。
そのため、すべての見世物小屋を、排除することができなかったのだった。
「そちらの筋から、あたってみましょうか?」
「特殊組に、任せておけ」
「承知しました」
「問題なのは、外事だな。あそこが緩まっているから、都に流れ込んでくるんだ。外事をどうにかしたいが、妖魔のことを踏まえると、見逃しているしかできないか……」
外事軍の手入れをしようものならば、ほとんどの人間を捕まえることになり、外事軍が機能しなくなることが、目に見えていたからだ。
機能しなくなれば、こぞって妖魔が都に押し寄せ、都が潰れてしまうので、都の外で妖魔と対峙している外事軍に、手が出せなかったのである。
「ままならぬものだな……」
「……」
沈痛な千川の顔に、気づく。
「すまん。余計なことを言ったな。続きを頼む」
「はい。徳川宗家のことなのですが、相変わらず、跡継ぎ問題で揉め、収拾がつかないようです。いくつかの人間が負け、密かに、排除された模様です」
「困ったものだな」
「それに伴って、役職に空席が出たようです」
「空席の役職に、自分の身内を入れようと、至るところで、金が飛び交うだろうな」
自分で口にしながら、小栗指揮官が嘲笑している。
周りにいる人間にとって、重要なことだけで、下の者にとって、跡継ぎが誰になっても変わらないのだ。
それに振り回されている自分たちだった。
「たぶん。近いうちに、そうなるかと」
「あちらは、跡継ぎが生まれず、困っているが、こちらは、跡継ぎが多過ぎて、誰にするかと、争っているのだからな。多いのも、面倒なことだな。だが、それに漬け込まれ、向こうに渡す訳には行かぬ。どんなことがあっても、徳川宗家を守らなければ」
目を細め、遠くを眺める小栗指揮官。
その眼光に、闘志の炎を燃やしている。
「どれぐらい、跡継ぎの候補が絞り込まれている」
「二十人近くには」
「まだ、そんなにいるのか?」
目を見張って、俯いている千川を捉えている。
徳川宗家の現当主に、跡継ぎが生まれていなかった。
現在の妻で四人目となっているが、誰一人として、子をなしていなかったのである。
だが、現当主に多くの兄弟がおり、さらにその父親であった人にも、多くの兄弟が存在し、跡継ぎ問題が勃発していたのだった。
一番いいのは現当主の子が生まれ、その子が継げればいいのだが、できる兆候がなかったのである。
それで徳川宗家の家臣たちは、どの跡継ぎ候補につけば、いいのか躍起になって、金などが飛び交っていたのである。
「特命組は、忙しくなりそうだな」
気遣うような眼差しを注いでいる。
「これも仕事なので。それに関してなのですが、よろしいでしょうか」
「何だ?」
「上層部のお一人、桐山ミハイル殿を、知っておりますか?」
「ああ」
「その方の娘殿が、跡継ぎ候補の一人のところへ、嫁ぐことになっていたのですが、高杉の思想に、看過されたようで……」
「あの現場に、いたのか」
怪訝そうな顔を、小栗指揮官が覗かせていた。
「はい。ですが、まだ発見はされなかったようで」
「生きている可能性が、高いな」
「はい」
「銃器組に、探させるつもりか?」
「いいえ。外腹の娘を替え玉にさせ、嫁がせるようです」
「可哀想に。桐山殿も、酷いことをするものだ」
さらに、報告をしていく千川。
それに耳を傾けていった小栗指揮官で、今日も屋敷に帰るのが遅くなるのだった。
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