表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第4章 散華 前編
71/290

第63話  小栗指揮官の休まらないひと時

 仕事を終え、疲れが癒えぬままに小栗指揮官は、馴染みの御茶屋『寒椿』に訪れていたのである。

 先日の薬の摘発の仕事で、上層部に近藤を伴って、頭を下げ回り、それが表情に滲み出ていたのだった。

 近藤と同じ、隊長職で芹沢や新見も、一緒に頭を下げるはずが、雲隠れし、行方知らずとなっていたのだ。


 まだまだ、頭を下げる行脚が、終わりそうもない。

 この置かれている状況に、ほとほと疲れていたのである。

 それにもかかわらず、屋敷に帰らないで、ここに訪れたのは理由があった。


 ちびちびと酒を飲んでいると、特命組に所属している千川涼が顔を出す。

 彼は、小栗指揮官の手下で、警邏軍の内部の情報や、徳川宗家の内部情報などを、定期的に流していたのだ。

 定例報告をするために、ここに顔を出したのだった。


「遅れて申し訳ありません。小栗様」

 席につく前に、真摯に頭を上げる。

 そんな律儀な姿に、苦笑を漏らしていた。

 千川の一族は、祖父の代から、小栗家の手下の一人として、暗躍していたのである。


「いや。涼こそ、仕事が忙しかったんだろう。いろいろと」

「大丈夫です。通常の業務に、戻っています」

「そうか。とりあえず、腰掛けろ」

「はい」

 従順に空席となっていた席に、千川が腰掛けた。


 労うために、小栗指揮官がお酌をしてあげる。

 用意されている料理も、千川がくる前から、注文していたのだった。


「恐縮です」

 一口つけたところを見計らい、小栗指揮官の口が開く。

「上層部は、落ち着いているのか? 私が窺う際は、まだまだピリピリしている様子だったが?」

「派閥によってですが」

「だろうな」

 疲れ気味の嘆息を吐いた。


 上層部で、まだ機嫌を悪くしているところは、子息息女が亡くなったところや、まだ行方がわからず、やきもきしている派閥だったからだ。

 それらを振り返り、さらに顔を曇らせる。


「小栗様。大丈夫ですか?」

 疲れが滲む顔を、気にかけていた。

「……大丈夫とは言えぬな」

「……」


 弱気な小栗指揮官の姿に、苦渋に顔を歪めている。

 陰である自分が、表に出る訳にはいかない。

 何もできなく、もどかしさを千川が巡らせていたのだった。


「芹沢や新見にも、困ったものだ。容赦しないで、すべて斬り捨ててしまうのだからな」

 何とも言えぬ顔を、覗かせている。

 薬の摘発の仕事の際、芹沢隊と新見隊は、一切の情けをかけることがなかった。

 目の前にいる敵を、ことごとく斬り捨てていったのだった。

 そのせいもあって、上層部に関係する人間の多くが、亡くなってしまっていた。

 そのため、小栗指揮官は隊長の近藤をつれ、上層部に頭を下げ回っていたのだ。


「いつまで、あの二人を下に置くつもりですか?」

 懇願してくる千川。


 前々から、芹沢と新見に見切りをつけた方がいいと、進言していたのだった。

 だが、それでも小栗指揮官は、問題の二人を、使用し続けていたのである。

 それぞれに、個々の能力が高かったからだ。


「あれらが、本気になれば、頼もしいのだがな。だが、扱いが難しいものだ」

「小栗様の身体が、心配です」

 憔悴しきっている小栗指揮官に、複雑な表情を滲ませていた。

 仕事を放り出し、小栗指揮官の下で、世話をしたいと願っても、命じられている仕事がある以上、それを放り出すことができなかったのである。


「ところで、芹沢たちのことは、つかめているか?」

「今回のこともあり、なりを潜めているようですが、小さいところで、暴れているようです」

 ありのまま、掴んでいる情報を伝えた。

 眉間のしわが寄っていく小栗指揮官だ。


「今回のことで、おとなしくしていると思っていれば……」

 本音を吐露してしまう。

「誰も、文句が言えぬ相手を見定め、金をせびって遊んでいます」

 やるせない思いに、小栗指揮官が背凭れに身体を預ける。

 僅かに、天井を見上げた。

 その顔に、憂いが漂っていたのである。


「申し訳ありません。芹沢は剣の使い手で、なかなか近づくことが叶いません」

 悔しげに、千川が唇を噛み締めた。

 小栗指揮官からも、芹沢を探る際は、決して近づかぬようと、指示を受けていたのである。

 容赦なく、自分の部下でも、斬り捨ててしまう芹沢なので、自分を探っている者に対し、手加減する訳がなかったからだ。


「いや、いい。遠くの方で、何をやっているのか、見ているぐらいで」

 目を伏せている千川の瞳は、自分の実力不足を恥じていた。

 武術に関しては、小栗指揮官より、千川は劣っていたのである。

 そのため、情報収集の役目を与えていたのだった。


(芹沢を相手にできるのは、近藤、土方、斉藤、後は……沖田ぐらいだろう。私が無茶を押し付けているのだから、涼も、ここまで悲観しないでほしいが……。でも、これを言ったら、ますます悲観しそうだな)


「とりあえず、現状維持で、芹沢たちの様子を、窺ってくれ」

「はい」

「で、他のところは、どうなっている?」

 これ以上、芹沢たちの話をしても、千川を余計に落ち込ませるだけだと巡らせ、小栗指揮官が話を切り替えた。


「特殊組は、見世物小屋を見つけることに、躍起になっている状況ですが、先の件のこともあり、なかなか発見することができないようです」

「向こうは、捕まる訳が行かないからな」

 僅かに、渋面し、逡巡していく。


 都が安全だと言いたい上層部と、同意見だった。

 不用意に、都で暮らす人々を、煽りたくなかったのである。


「相当なパイプを、持っているのでしょうか」

「だろうな。総出で捜しているのに、見つからないとなると、バックに、大物がいるのかもしれないな」

 どこか、苦々しい顔を覗かせている小栗指揮官。


 徳川宗家の家臣に、彼らを手引きし、金儲けしたり、いろいろな嗜好に、利用する者たちがいたのだ。

 そのため、すべての見世物小屋を、排除することができなかったのだった。


「そちらの筋から、あたってみましょうか?」

「特殊組に、任せておけ」

「承知しました」

「問題なのは、外事だな。あそこが緩まっているから、都に流れ込んでくるんだ。外事をどうにかしたいが、妖魔のことを踏まえると、見逃しているしかできないか……」


 外事軍の手入れをしようものならば、ほとんどの人間を捕まえることになり、外事軍が機能しなくなることが、目に見えていたからだ。

 機能しなくなれば、こぞって妖魔が都に押し寄せ、都が潰れてしまうので、都の外で妖魔と対峙している外事軍に、手が出せなかったのである。


「ままならぬものだな……」

「……」

 沈痛な千川の顔に、気づく。

「すまん。余計なことを言ったな。続きを頼む」

「はい。徳川宗家のことなのですが、相変わらず、跡継ぎ問題で揉め、収拾がつかないようです。いくつかの人間が負け、密かに、排除された模様です」


「困ったものだな」

「それに伴って、役職に空席が出たようです」

「空席の役職に、自分の身内を入れようと、至るところで、金が飛び交うだろうな」

 自分で口にしながら、小栗指揮官が嘲笑している。


 周りにいる人間にとって、重要なことだけで、下の者にとって、跡継ぎが誰になっても変わらないのだ。

 それに振り回されている自分たちだった。


「たぶん。近いうちに、そうなるかと」

「あちらは、跡継ぎが生まれず、困っているが、こちらは、跡継ぎが多過ぎて、誰にするかと、争っているのだからな。多いのも、面倒なことだな。だが、それに漬け込まれ、向こうに渡す訳には行かぬ。どんなことがあっても、徳川宗家を守らなければ」

 目を細め、遠くを眺める小栗指揮官。

 その眼光に、闘志の炎を燃やしている。


「どれぐらい、跡継ぎの候補が絞り込まれている」

「二十人近くには」

「まだ、そんなにいるのか?」

 目を見張って、俯いている千川を捉えている。


 徳川宗家の現当主に、跡継ぎが生まれていなかった。

 現在の妻で四人目となっているが、誰一人として、子をなしていなかったのである。

 だが、現当主に多くの兄弟がおり、さらにその父親であった人にも、多くの兄弟が存在し、跡継ぎ問題が勃発していたのだった。


 一番いいのは現当主の子が生まれ、その子が継げればいいのだが、できる兆候がなかったのである。

 それで徳川宗家の家臣たちは、どの跡継ぎ候補につけば、いいのか躍起になって、金などが飛び交っていたのである。


「特命組は、忙しくなりそうだな」

 気遣うような眼差しを注いでいる。

「これも仕事なので。それに関してなのですが、よろしいでしょうか」

「何だ?」

「上層部のお一人、桐山ミハイル殿を、知っておりますか?」

「ああ」


「その方の娘殿が、跡継ぎ候補の一人のところへ、嫁ぐことになっていたのですが、高杉の思想に、看過されたようで……」

「あの現場に、いたのか」

 怪訝そうな顔を、小栗指揮官が覗かせていた。


「はい。ですが、まだ発見はされなかったようで」

「生きている可能性が、高いな」

「はい」

「銃器組に、探させるつもりか?」


「いいえ。外腹の娘を替え玉にさせ、嫁がせるようです」

「可哀想に。桐山殿も、酷いことをするものだ」

 さらに、報告をしていく千川。

 それに耳を傾けていった小栗指揮官で、今日も屋敷に帰るのが遅くなるのだった。

 

読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ