第60話 母と息子
早急に仕事を片づけ、土方が警邏軍のビルを後にした。
周囲は、仕事を早く終わらせようとする土方に気づいていない。
ただ、薬の売人を摘発した件で、機嫌が悪いものだと思い込んでいたのである。
腕時計で、時間を確かめた。
終わらせようとしていた時刻より、十五分も遅れていたのだ。
チッと、舌打ちを打つ。
星空を眺めた。
(結局、ソージに言わなかったな。後で、席を設ければいいか)
弟に、何度か母が来ていることを、告げようとしたが、上手い具合に、二人になる機会がなく、言う機会を逃していたのだった。
軽く、息を吐く。
時間が遅れていることもあり、早々に待ち合わせ場所である馴染みの御茶屋に向かった。
御茶屋に辿り着くと、珍しくいつも遅刻をしてくる相手が、先に来ている。
待っている部屋の障子を開けた。
開口一番、言われてしまう。
「遅い!」
「……すまない、母さん」
素直に謝った。
何年かぶりに会う母親が、目の前で腰掛け、食事を取っていたのである。
とても、二人の息子がいる女性とは思えないほどだ。
仕事とは違い、長い髪を下ろしている。
「それと、母親をこんなところに、連れてくるんじゃないよ。もっと普通の場所がなかったの」
スバスバと言う母美和に、嘆息を漏らした。
端整の取れた顔とは違い、物怖じせず、何でも口にしてしまう性格なのだ。
そのせいで、上司との衝突が絶えなく、常に地方の支社に、回されていたのだった。
(黙っていれば……)
「何か、言いたそうだね」
咎めるような眼差しを注いでくる。
「何でもないよ」
「そう。で?」
御茶屋での待ち合わせ場所が、気に入らなかったようだと、面と向かって、嘆息を零せないので心の中でしたのだった。
ここは、土方と美和の仕事場の中間点でもあった。
でも、女や男を囲って、遊ぶ場所でもあったのである。
(母さんだって、仕事でこういったところに、来ているじゃないか)
「すまない。母さん」
もう一度、謝った。
言い返せば、それが何倍となって、降りかかることを、身に染みていたからだ。
瞳を眇めていたのをやめる。
いつもの表情に、美和が戻っていた。
「食事は、頼んで用意されているから、立ってないで座りなさい」
「ああ」
促されるがまま、用意されている食事の前に、腰をかけた。
勿論、女も男も、呼んでいない。
ゆっくりと、二人で喋るためだ。
「仕事、忙しいの?」
気遣うように、美和が尋ねた。
息子が、落ちこぼれ集団である深泉組の所属になったことは、すでに聞いて、知っていたのである。
どんな仕事をしているのかも、把握していたので、久しぶりに会う息子を、気遣ったのだった。
「前まで忙しかったが、今はそうでもない」
「そう。私も、少しは都にいられそう」
頬を緩ませる美和。
息子との時間が、もう少し取れそうだと。
「どれぐらい?」
「一ヶ月ぐらいかな」
「そうか。それなら、また時間取れる?」
「取れるけど?」
「ソージが、来てる」
何でもないような顔で、土方が口にした。
意外な事実に、瞠目し、何度もパチパチと目蓋を動かす。
地方にいるもう一人の息子のことは、忘れたことがない。
ただ、都に来ることが、意外過ぎて、驚愕していたのである。
「ソージが? あの子、何をしているの?」
「俺と同じ、深泉組」
苦々しそうに、土方が呟いた。
フリーズ気味な美和に、溜息を漏らすのだった。
(仕事人間も、ここまで来ると、凄いな)
仕事以外の情報を、徹底して、排除していたんだろうと読んだ。
「母さん、知らないの? 都で、話題になっているよ」
「へぇー。そうなの。じゃ、兄弟で一緒のところに?」
「ああ」
いやそうな顔を、土方が覗かせる。
そんな土方の意図を読んで、クスクスと笑う美和だった。
自分も知らぬうちに、弟がS級ライセンスに合格し、深泉組に無理やりねじ込んだことを語ったのである。
(ソージらしい行動ね。トシが嫌がると思って、とことん情報を隠していたんだろうね。さすが、私の息子だわ)
元気そうな沖田の様子に、微笑む。
そして、哀れむような視線を、目の前にいるもう一人の息子に注いだ。
辟易した顔を覗かせている。
「ソージと、一緒とは、可哀想だね」
「……」
「兄弟だから、周りも、気を遣うだろうし」
「知らない」
ボソッと、土方が零した。
「調査すれば、わかるでしょ?」
「ソージがいじったみたいだ。それに父さん、再婚して、その人がソージの母親になっている」
数年前に、父親が再婚していたことを語った。
その再婚相手が、現在家を出て行ったことも、付け加えたのだった。
「へぇー。あの人、再婚したんだ。それも出て行かれたなんて。よく繰り返すわね。それに、籍抜くのも忘れているなんて、あの人らしいわね。元気そうで、よかった」
気遣うような眼差しを送る土方。
そんな息子に、やれやれと首を竦めるのだ。
「トシ。私とあの人、何年前に、離婚したと思っているの? 逆に、ありがたいと思っているよ。結局、逃げられちゃったみたいだけど」
「そう。それならいい」
少し、肩の荷が取れた土方だった。
会う前から、そのことを、気に掛けていたのである。
「トシの方が、ショックだったようだね」
「……。俺をいくつだと思っているんだ、母さん」
子ども扱いする美和に、訝しげる。
ムッとしている息子に、小さく笑っていた。
「親からしたら、いくつになっても、子供は子供よ」
「……」
「トシは、あの人を気遣って、会いに行っていたからね」
「……」
母親に内緒で、父親や沖田のことが心配で、何度か会いにいっていたことが、バレていたのだった。
まさか、知られているとは思ってもみなかったのだ。
「時間と言うことは、ソージと会わせようと?」
「ああ。ただ、ソージには言っていない。母さんが都に来ていること。話そうとしても、なかなか二人になる、時間が作れなくって」
「そう、私はいつでも、いいよ。可愛い息子二人が、会いたいと言えば、無理やり、時間が作るから」
ニッコリと、微笑んだ。
「無理は、よくない」
心配げな眼差しを傾けてくる。
自分以上に、美和が仕事人間なことを知っていたのだ。
だから、無理をするのが明白だった。
「よく言うね、トシ。私に似て、仕事人間の癖ね。どうせ、遅れたのだって、仕事を早急に、終わらせてきたんでしょ? 明日に、持ち越すなんて、私もそうだが、トシもできないからね」
笑っている美和に、見事に当てられ、何も言い返せない。
「私は地方で、仕事仕事で、息子たちに会えないから。たまに、無理をしてでも、時間は作るよ」
仕事人間のせいで、随分と、迷惑をかけたことを自覚していた。
そのため、どんなに仕事が忙しくっても、息子のために時間を絶対に作ると、決めていたのだった。
「ありがとう」
美和の覚悟を読み取り、感謝を告げた。
「ソージのこと。要領力、仕事も、人付き合いも、上手くこなしているんだろうね」
「勿論だ」
「その点……」
哀れむような視線から、思わず、背ける土方。
「もう少し、頬の筋力を緩めなさい」
「……」
「それでなくでも、不機嫌そうに、見えるんだから」
「……」
「スマイルよ。トシ」
「もういい」
大きく嘆息を吐いた。
それも、これ見よがしに。
「どうして、兄弟なのに、ここまで違うのかしら?」
「……知らない」
不機嫌さを前面に押し出している息子に、クスッと笑う美和だった。
読んでいただき、ありがとうございます。




