第50話 草太、廃墟ビルで迷子になる
祝50話目です。
次は100話目まで頑張ります。
廃墟ビルの中を、キョロキョロしながら、草太が歩いていたのである。
ここに来て、日が浅いために迷子になっていたのだ。
食堂へ行こうとしたら、いつの間にか、来たことがない場所へ踏み込んでいたのだった。
「ここ、どの辺だろう?」
素直な吐露が漏れてしまった。
立ち止まり、周囲を見渡す。
これまで来たことがない場所だ。
「どうしよう……」
途方に暮れ、視線を彷徨わせる。
「全然、どっちに行っていいのか、わからない」
似たような廊下と光景に、歩いて来た廊下も怪しくなってきた。
(うっ。確か……、こっちから来たよな?)
「叫べば、誰か来てくれるのかな?」
不意に、大声を出してみようと巡らせるが、子供なりの矜持が邪魔し、声を出すことを躊躇ってしまう。
「瑛介たちにバレたら、絶対に呆れるだろうな。それにきっと、他の子だったら、絶対に笑われる。そんなのは、絶対にいやだ」
ギュッと、拳を握り締めた。
周りからバカにされていることも自覚していたし、自分の行動一つで、目を掛けて貰っている高杉にも、迷惑を掛けてしまうと巡らせていたのである。
焦っている気持ちを落ち着かせようと、時間を掛けて息を吐いた。
「とにかく、立ち止まっていてもしょうがない。どちらかに行かないと」
現状を打破しようと、道なりに歩くことを選択する。
誰かと出逢うかもしれないと思ったからだ。
しばらく歩いていると、ドアの前に立っている男の人を視界に捉える。
ホッと、胸を撫で下ろした。
駆け寄っていき、声をかける。
「すいません。食堂へ行きたいのですが?」
ドアの前に立っていた男が、口の端を上げている。
だが、安心しきっている草太は気づかない。
立っていた男は、脱走しようとした者を見張る監視役で、ちょうど休憩に入りたいと願っていたのである。
「食堂? 後で教えてやるから。ちょっと、ここに立っていてくれないか? 俺、トイレに行きたいんだよ。頼むよ」
どうしようと、瞳が揺れ動く。
遅くなると、瑛介や篤志が心配するだろうと掠めていたのだ。
「頼む。少しだけだから」
「……」
「な?」
「……立って、何をするんですか?」
上目遣いで草太が尋ねた。
「監視だ」
「そんな重要なこと、できません」
目を見張り、無理だと頭を振った。
(重大な任務じゃないか。非力な僕には絶対にできない)
「大丈夫だ」
「でも……」
狼狽えている草太に、しつこく頼んでくる。
徐々に追い込まれていたのだ。
だが、それに気づいていない。
「大丈夫だ。中にいる者は、大して身体を動かすことができないから」
ずっと男の口角が上がっていた。
(何で、笑っているの?)
「……」
段々と、気味が悪くなっていく。
「ここに、ただ、立っていればいい。俺が戻ってきたら、食堂へ行く場所、教えてやるから」
(無視して、他の人を頼る? でも、出逢うかわからないし……)
思案している草太に、懐柔がもう少しだとほくそ笑む。
「この辺に、人はめったに来ないぞ?」
「……」
「食堂へ、早く行きたいんだろう?」
「……」
「だったら……」
ニタッと、脅かすような笑みを零していた。
「……わかりました」
「よし、後は頼んだ」
渋々、承知すると、瞬く間に監視役の男が、暗闇の奥へ消えてしまったのである。
不安を抱きつつも、ドアの前に立つ。
すると、ドアの向こう側から、笑い声が漏れ聞こえてくる。
眉間にしわを寄せ、立ち尽くしていると……。
少年らしき声音で、草太に話しかけてきたのだ。
「お前、騙されたぞ。当分、帰ってこないからな」
ドアについている鉄格子の窓を覗き込む。
自分と同じぐらいの少年が、気怠そうに横たわっていたのである。
双眸だけ、当惑している草太を凝視していた。
ゆっくりとした動作で、身体を起き上がらせ、壁に身体を凭れかける。
身体を動かす動作が、いかにも億劫そうだ。
黙り込んでいる草太に、クスクスと笑っているのだ。
(騙されている? どういうこと? 帰ってこないって……。それに何で笑っている。バカにしているのか? 僕は逃げようとしたお前とは違うんだぞ)
言い返そうと口を開きかけるが、瞬時に噤んでしまった。
(そう言えば、喋ってもいいのか聞かなかった。どうしよう……)
けれど、真実を確かめたい欲求の方が上回っていた。
「……どうして、騙されていると思うんだ?」
そんなこともわからないのかと言う顔をしている。
ムッとする草太。
小さく笑っている少年の口が、気怠そうに動く。
「トイレなんて、嘘に決まっているだろう」
「嘘?」
「博打に行ったのさ。何度も同じ手に引っ掛かったやつらがいる」
二の句が出てこない。
そんな様子を気にせずに、少年が話を続けている。
「きっと、戻ってきた時の言い訳は、こう言うだろうな。トイレから出てきたから、知っているやつと会って喋ってしまったって。毎回、同じ言い訳を使っている。芸がない男だ、そう思わないか?」
「……」
食堂で食事を済ませたら、瑛介たちと剣術の稽古をしようとした目論見が、泡となって消えてしまったと落ち込む。
肩を落としている草太に、やり過ぎたかと首を竦めていた。
「大丈夫だ。お前だけじゃない。俺が知っているだけで、七人いるから」
(七人……。そんなに引っ掛かった人いるんだ)
「元気出せ。バカはお前だけじゃないんだから」
バカと揶揄され、口を尖らせてしまう。
そんな仕草に、クックッと笑う少年。
笑っている少年を注視していると、突如少年が身体を震え始めていた。
「?」
その震えが、止まらない。
ただ、黙り込んで震えているのだ。
(寒いの? でも、僕は寒くないんだけど……。身体の具合が悪いのかな?)
少年の身体に入り込んだ薬が切れ、震わせていたのだった。
そして、歯を食いしばって、薬に絶えていたのである。
つい最近まで、小屋で薬の効き具合の実験体にされていたが、高杉がこの少年を含めた数人を気に入り、手懐けるためにこちら側に移されたのだった。
他の人間は懐柔されたり、死んだりして、残るはこの少年一人だ。
未だに、この少年は抵抗し、高杉の申し入れを拒絶して、強烈な薬を欲する欲と戦っていたのである。
「寒い? 身体を掛けるものでも、用意した方がいいのかな」
周囲を見渡すが、それらしきものがない。
あたふたとしている草太に、少年の口が僅かに上がっている。
時間が経過するにつれ、口を聞ける程度まで、衝動が収まってきた。
「……面白いやつだな。俺を心配するなんて」
やや掠れている声を漏らしていた。
「……だって、苦しそうだから」
「そうか。迷惑かけたな」
何でもないと、草太が首を振ったのだ。
「時間が経てば、落ち着く」
「そうなの?」
「ああ。だから、気にするな」
「う、うん」
急に、また少年が先程よりも、激しく身体を震えている。
ただ、もがき苦しむ姿を頑張れと祈り、見守っていた。
震える身体を自分の腕で抱え込み、少年はひたすら、その衝動に絶えている。
抱え込む手の甲を眺めていると、筋が浮かび上がっていたのだ。
(苦しそう……。どうしようと……)
黙って、その様子を傍観していることしかできない。
何か掛けてあげたくても、掛けるものはないし、ドアを開ける鍵も持っていなかった。
視線をそらすことなく、苦しみに絶えている少年を凝視している。
知らぬうちに、時間が経過していくのだった。
「……大きな波が過ぎたようだな」
ボソッと、少年が自分の状況を客観的に呟いた。
その額からは、大粒の汗が噴出していたのである。
俯いていた顔を上げ、不安そうに見守っていた草太を視界に捉えた。
その瞬間、少年は瞠目したのだ。
(まだ、いたのか……。バカだな。見張りなんて仕事を投げ捨て、どこか行けばいいものを。律儀に言われたことを遂行しているなんて)
騙されたと気がつき、何人かは途中で放り投げて、どこかへ消えていたのだった。
少年の口角が上がって、笑っていることを認識する。
本当に笑っているのか、おかしくなったのか、判断がつかない。
どちらだろうと逡巡していると、少年の口が開く。
「どうして、ここに来た?」
戸惑う色が拭えない草太。
でも、普通に喋っている様子に安堵している。
(よかった。具合が少しよくなったのかな)
「高杉さんの理想に、共感したからに決まっているだろう」
迷いもない口調で、純粋に答えた。
嘲笑したい気分だったが、心配してくれたこともあって、笑うことをしない。
「そうか」
辛そうな身体は、壁に預けたままだ。
動かすこともできない様子に、何かしてあげたくてもできなかった。
名前を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていないことに気づく。
「僕は草太。名前は?」
「……リキだ」
「リキ」
小さく、草太が呟いた。
名前が、どうした?と言う顔を覗かすリキ。
「何で、リキはここに来たの?」
素直な疑問を投げかけた。
「俺か? 俺はいい賃金をくれるって言うから、来ただけだ。けど、来てみたら、こんなところだったから、帰ろうとしたら捕まって、このありさまだ」
腕も動かせない中でも、表情が自嘲していることは把握できた。
「賃金?」
「ああ。ここに来て手伝えば、高額な賃金をくれるって言うから、来ただけだ」
賃金と言う話が初耳で、自分の耳を思わず疑ってしまう。
(えっ? 聞き間違い? みんな高杉さんの理想に共感して、ここに来たんじゃないの?)
ここに集められた人たちすべてが、高杉の理想に共感して集まってきた者たちだと思い込んでいたのである。だが、事実は違い、お金で集められた人も、若干含まれていたのだった。
「ここに来ている連中の三分の一ぐらいは、金目当てだぞ?」
「……」
疑心暗鬼な眼差しを注いでくる草太。
「本当だ。こんなところで嘘言って、どうする。俺に何の利益があるんだ」
それもそうだと、リキの言葉を、少しずつ飲み込んでいった。
そうすると、新たな疑問にぶち当たる。
「だったら、賃金をくれるって言うなら、働けばいいじゃないか。何で、逃げ出そうとしたんだよ?」
「草太。人を殺せと言われたら、お前は殺せるのか?」
唐突な質問に、身体が硬直し、瞳が揺れ動いていた。
そんな深く考えたことがない。
憧れる高杉から、世の中を変えようと言われ、貧困な生活から抜け出したいとだけしか、抱いていなかったのである。自分の母親が、この貧困の中で、亡くなってしまい、こんな世を作った徳川宗家が悪いんだと巡らせていたのだ。
何のために身体を鍛えているのか、漠然と思っていたことが、リキの言葉によって、現実として突きつけられていたのだった。
動けないでいる草太。
素直なやつだなと、リキから笑みが零れる。
(俺と身分が大して変わらないやつなのに、こんな素直なやつが、まだいるんだな。だから、こんなところに騙されているのか。けど、これからどうするんだ……)
そんな素直な態度から、深く考えていなかったんだろうと読み取っていく。
「理由はどうあれ、俺は人を殺すことも、殺されることも好きじゃない。まして、言うことを聞かないからって、薬漬けにして、言うことを聞かせようとするやつらのことを、信用できないし、屈したくもない。おかげで、このざまだけどな」
「……薬って、麻薬の?」
「勿論だ。ここの連中、薬を製造して売り捌いている」
「……」
「資金集めだろうな、きっと。こういうことって、結構金が集まるからな」
賃金と言うことも、初耳だった。
巷で流れている薬が、ここで作られ、流れているとは思ってもみなかったのである。
崇拝する高杉がかかわっていると知り、ショックを隠せない。
光之助たちのことが、頭の中で過ぎっている。
薬に対し、街にいた頃から、いい感情を持っていなかったのだ。
(大丈夫かな。光之助がいるから、大丈夫だと思うけど……)
愕然と立ち尽くしている草太に、悪いことを言ってしまったかと巡らせている。
(だが、事実だから、しょうがないか)
今まで信じていたものが、音を立て崩れ始めた。
「俺はいろいろとやって、これまで生きてきた。だけど、そこまでして、落ちる真似はしたくない。俺には俺なりの流儀がある。だから、こうしているんだけどな」
自嘲してみせる。
だが、リキの目は確固なる強い意思が読み取れた。
強いんだなと抱き、羨ましさが込み上げてくる。
今後のリキのことが気になり始めたのだ。
「どうするの?」
「何が?」
「だって、出られないでしょ?」
「だな」
平然と頷いていた。
でも、どこか余裕なものを窺わせていたのである。
だが、逃げることなんて、できそうもない現状だった。
「だったら……。受け入れるの?」
萎んでいく声音で、草太が確かめた。
「いや。でも、なるようになるだろう」
笑ってみせるリキ。
心配そうに草太が見つめている。
「でも……」
「俺は、俺の流儀を通すまでだ」
はっきりとした口調だった。
それを覆す方法を知らない。
(格好いいなリキは。……高杉さんは知らないのかもしれない。勝手に部下の人たちがやっていることかもしれない。確かめた方がいいのかな、でも……。僕はどうしたら、いいんだろうか)
伏し目がちな草太を気遣う。
「お前は、お前の流儀を通せばいいだろう」
微かに笑っているリキの顔を凝視していた。
「お前が、信じた道を抜け」
「……」
すると、どこからともなく、足音が響き渡ってきたのである。
ニッと笑うと、リキが目蓋を閉じ、眠り込んでいる仕草をした。
「ありがとうよ」
監視役の男が声をかけてきた。
そして、リキが言った通りに、同じ言い訳を口にしていたのだった。
「……」
監視役の男と、眠っている振りをしているリキの顔を交互に見比べる。
「何も、変わったことはなかっただろう?」
「は、はい」
「そうか。では、約束どおり、食堂へ行く方向を教えてやろう」
「ありがとうございます」
「いいさ。迷惑かけたからな」
食堂へ行く道を、簡潔に教えてあげた。
後ろ髪惹かれる思いで、草太がそこから離れていく。
(まだ、話したい気が……)
読んでいただき、ありがとうございます。




