第45話 八木邸でのひと時
万燈籠のトップとの会談を終え、芹沢はそのまま警邏軍の外へ出て行ってしまった。
それも警護をさせている平山や平間をつけずにだ。
部下たちも知らない、古き馴染みの屋敷に訪れていたのである。
縁側に腰掛け、庭園を一人で静かに静観していた。
乱れた心を静めるために、気に入っている美しい景色を眺めている。
芹沢の脇に、盆に載せられたお茶と和菓子が置かれていた。
ここの屋敷の主とは、深泉組に所属になる前、銃器組の七番隊にいた時からの付き合いがあった。深泉組に所属となってからは、めったなことがない限りは、こちらに顔を出していなかったのだ。
この屋敷の存在は新見や、かつての部下だった清河でも知らない場所でもあった。
「落ち着きましたか?」
屋敷の主である八木清十郎がやってきた。
「ああ」
久しぶりの来訪に、すぐには顔を見せないで、芹沢の気持ちが落ち着くのを待って、挨拶に訪れたのだった。
慣れたように、芹沢の隣に腰を下ろし、穏やかな笑みを零している。
それにつられるように、優しげな笑みを浮かべていた。
深泉組の者たちが見たことがない、安らいでいる表情をしていたのである。
「お久しぶりでございます」
「しばらくであった」
八木は、すでに六十を超えている。
会うたびに、これが最後かもしれないと芹沢と話していたのだ。
「元気だったか?」
「はい。まだ、元気にしておりました」
醸し出す芹沢の雰囲気も、穏やかだ。
「騒がしくなってきましたね」
「だな」
小さく返事を返した。
庭園を眺めている横顔に、つい最近よく耳にした話を聞かせる。
「ごろつきの男たちが薬を研究して、売りさばいているようですね。そのごろつきの男たちなのですが、明後日に売りさばくようですよ」
耳にした情報を、普通の雑談のように提供した。
「まことか」
「はい。黒烏丸通りだそうです」
「時間は?」
「早朝。そこまでしか」
「そうか。助かった」
「いいえ。芹沢様の、お役に立てれば、嬉しゅうございます」
ニコニコと話している八木に顔を傾ける。
商いなど手広くしているが、店としてはそれほど大きくもない。
商家として、中間辺りの規模である。
「地獄耳だな」
「芹沢様ほどではございません」
笑って答えた。
八木の家族も、使用人も、口が堅く、芹沢が屋敷に訪れていることを口外していない。家族も、使用人も、心得ているように、距離をとってくれるので、そういう点でも気に入っていたのである。
無線を取り出し、部下の平山に連絡した。
八木から得た情報を伝え、小栗指揮官に話をしておくように命じたのだ。
終わると、懐に無線を仕舞い込む。
のんびりと、芹沢がお茶をすすっている。
「忙しく、なりそうだな」
「そのようですね」
「あれは、ここに来ているのか?」
(おや、珍しい。あの人のことを、お聞きになるなんて)
目が丸くなっているものの、八木の口角が僅かに上がっている。
ずっと、芹沢の視線が庭園に傾けたままだ。
そして、八木も同じように、自分の庭園を眺めている。
「芹沢様以上に、足を運んではおられませんが、極々たまに」
「そうか」
「気遣っておられるのでしょう。芹沢様のことを」
「……」
痛いことを言われ、顔が渋面している。
顔を見たかのように、クスッと笑みが零れていた。
「もっと、お前を頼ればいいものを」
「それに、性格もあるのでしょうね」
「性格か……」
「きっと、一人で背負い込む人なのでしょう、近藤様は」
「……」
八木の言葉が、身に染みるのだった。
理解して置きながら、逆に追い込んでいたのである。
「せっかく芹沢様がご紹介しても、できるだけ自分だけの力で、どうにかしようと思われているのでしょうね」
八木の存在を知っているのは近藤、ただ一人だった。
以前に、紹介していたのである。
けれど、近藤はめったなことがない限りは、ここに訪れない。
「あれにも、困ったものだ」
呆れ交じりの嘆息を漏らした。
「ですが、近藤様の部下たちは、優秀な方々が集まっておられるようで」
「荒くれ者が多いが、腕は悪くない。上手い具合に飴とムチを与えている」
「芹沢様の教えに従って」
「……」
口を閉ざしている芹沢を無視し、滑らかに語っていく。
「さすが、芹沢様が見込んだ近藤様ですね」
「……」
「それに、他の部下の方も、優秀な方々が多いですね」
「……」
「私に紹介してほしい方々です。勿論、部下と言っても、かつての部下の方ですが?」
何とも言えない顔になっている。
チラリと、八木が好々爺の笑いと共に眺めた。
近藤以外にも、八木に顔を会わせようかと思っている、かつての部下が何人かいた。
銃器組七番隊に所属していた際は、優秀な部下を育てると評されていたのである。
現在は、そのかつての部下たちが、優秀な活躍を見せている者が多い。
「今は、部下を育てる気がないのですね」
「……」
「使えそうな部下は、近藤様に渡して。残りの者を芹沢様が一手に引き入れ」
(さすが年の功だな。食えないな……)
「残り物とは言え、中には剣の腕も、まぁまぁ使える者もいるぞ」
今の部下を、無遠慮に小物呼ばれされたので、不満げな表情を作ってみせた。
性格に難があるが、それなりの実力を持っている者もいる。
八木と、大して変わらない評価を下していたのである。
でも、それを他人から言われ、少しだけムッとさせていたのだった。
「ですが、芹沢様の御身を考えれば……」
「気にするな。俺をやれるやつなんて、めったにいない」
哀れむ眼差しを傾けられている。
ただ、芹沢は怒らず、笑っているだけだ。
「確かに。ご承知していますが、心配はしています」
真摯な眼差しを注がれる。
だが、それを飲むことができない。
表情に申し訳なさが滲んでいる。
「すまぬな。私の我がままを通して貰って」
「……いいえ。芹沢様のご意志を、私では曲げられないですから」
「迷惑をかけて、すまないと思っているよ、心からな」
「……ところで、これを」
懐から折りたたまれた紙を、芹沢に渡した。
「いつも、すまんな」
「いいえ」
受け取ると、中身を確かめずに懐に仕舞い込んだ。
和菓子を落とさないように、慎重に持って、八木の孫娘である七歳になる梨那が、二人の前に現れた。
ふっくらとした頬を優しく上げ、手つきが覚束ない梨那を、自分のところへ呼び寄せる。
言われるがままに、芹沢の膝の上に、躊躇いもなく座った。
「芹沢のおじちゃんと、お菓子が食べたくって来たの」
蕩けるような芹沢。
屈託のない笑顔の梨那。
可愛くって溜まらないと言う眼差しを傾けている。
いつも侍らかしている女に見せる顔ではない。
愛おしむように、慈愛が込められているかのようだった。
八木の孫娘を、とても可愛がっていたのだ。
それも、目に入れても痛くないと言われるほどに。
「そうか。おじちゃんと食べたいか」
「うん」
祖父である八木も、梨那の行動をとめる気配がない。
柔和な微笑みを覗かせ、温かく見守っていたのである。
覚束ない手つきで、和菓子を切ろうとしているので、芹沢が代わりに、食べやすいように切って食べさせてあげた。
それを素直に口に入れる。
「おいしいか? 梨那」
「うん」
モグモグと咀嚼するのを待って、話しかける。
「梨那、いくつになった?」
「七つ」
「もう、そんなになったのか?」
「うん」
「子供の成長とは、早いものだな」
巷では恐れられている芹沢を、梨那は一切怯えることがない。
赤ん坊の頃から、懐いていたのだった。
「梨那、元気にしていたか?」
「元気だよ」
「それはいい」
「でも、梨那。芹沢のおじちゃんが遊びに来てくれないから、寂しかったの。どうして、もっと遊びに来てくれないの?」
純粋な梨那の瞳に、困ったと言う顔が映っていた。
「梨那。芹沢様は、忙しい方なのだから……」
窘めようとする八木を、手で制し、芹沢の口が開く。
「それはすまぬことをした。もう少し、ここへこれるように努力をしよう」
「ホント」
ひまわりのような元気いっぱいな瞳を輝かせた。
「ああ」
「申し訳ありません」
無邪気な孫娘の行動を、八木が謝罪した。
「よい、よい。私が悪かったのだから。後で、梨那を怒るなよ」
「承知しました」
祖父の自分よりも、芹沢の方が甘いなと抱く八木だった。
八木の孫娘梨那を可愛がって、訪れるたびに遊んであげたりしていたのである。
梨那も家族以外で、誰よりも懐いていたのだった。
芹沢が来たと耳にすると、一目散に芹沢の元へ駆けていったのだ。
切ってくれた和菓子を、梨那が自分で食べている。
脇に置いてあった、手を付けていない和菓子を、梨那の皿に乗せてあげた。
「これも食べるがいい。私はたくさん食べたから」
「ありがとう」
貰った和菓子を、今度は手掴みで食べる。
「おいしい」
「そうか。そうか」
おいしそうに頬張っている姿を眺め、やれやれと八木が首を竦めてしまった。
「すいません。新しいものを用意させましょう」
「よい」
「ですが」
「よいと言った。気にするな」
「わかりました」
食べている梨那の頭を、優しく撫でる。
「私は梨那が喜べば、それでいい」
「恐れ入ります」
不意に、一羽の色鮮やかな蝶が飛んでくる。
光の角度で、何色にも羽が輝いて見えるのだった。
蝶が好きな梨那が、喜びはしゃぐ。
「蝶だ。芹沢のおじちゃん、蝶だよ。蝶が飛んでいるよ」
大好きな芹沢に、同じように大好きな蝶を見せようと声を上げた。
誘われるがまま、前を飛んでいる色鮮やかな蝶を眺める。
「綺麗な蝶だな」
「でしょ」
エヘッと、満足そうな顔を覗かせたのだ。
「梨那は、蝶が好きなのか?」
「うん。芹沢のおじちゃんの次に、大好き」
自分より次に好きと言う言葉に、思いの外嬉しく、大きく双眸を見開く。
「そうか。私の次に、好きなのか?」
「うん」
「今度、ここに来た時、蝶の髪飾りでも買ってきてあげよう」
「ホント」
歓喜に満ちた表情で、大喜びする梨那。
「やった。芹沢のおじちゃん、絶対だよ」
「おじちゃんが約束を破ったことはないぞ」
大はしゃぎする梨那を横目に、八木が申し訳ありませんと頭を下げていたのである。
「構わん。構わん」
「それじゃ、芹沢のおじちゃん。鬼ごっこして遊ぼう」
そうかとばかりに、無邪気な梨那を抱き上げ、外へ降りていった。
屋敷の外では恐れられている芹沢を籠絡する姿を見て、天真爛漫な孫娘の将来を案じる八木であった。
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