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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第3章  自負 後編
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第45話  八木邸でのひと時

 万燈籠のトップとの会談を終え、芹沢はそのまま警邏軍の外へ出て行ってしまった。

 それも警護をさせている平山や平間をつけずにだ。


 部下たちも知らない、古き馴染みの屋敷に訪れていたのである。

 縁側に腰掛け、庭園を一人で静かに静観していた。

 乱れた心を静めるために、気に入っている美しい景色を眺めている。

 芹沢の脇に、盆に載せられたお茶と和菓子が置かれていた。


 ここの屋敷の主とは、深泉組に所属になる前、銃器組の七番隊にいた時からの付き合いがあった。深泉組に所属となってからは、めったなことがない限りは、こちらに顔を出していなかったのだ。

 この屋敷の存在は新見や、かつての部下だった清河でも知らない場所でもあった。


「落ち着きましたか?」

 屋敷の主である八木清十郎がやってきた。

「ああ」

 久しぶりの来訪に、すぐには顔を見せないで、芹沢の気持ちが落ち着くのを待って、挨拶に訪れたのだった。


 慣れたように、芹沢の隣に腰を下ろし、穏やかな笑みを零している。

 それにつられるように、優しげな笑みを浮かべていた。

 深泉組の者たちが見たことがない、安らいでいる表情をしていたのである。


「お久しぶりでございます」

「しばらくであった」

 八木は、すでに六十を超えている。

 会うたびに、これが最後かもしれないと芹沢と話していたのだ。


「元気だったか?」

「はい。まだ、元気にしておりました」

 醸し出す芹沢の雰囲気も、穏やかだ。

「騒がしくなってきましたね」

「だな」

 小さく返事を返した。


 庭園を眺めている横顔に、つい最近よく耳にした話を聞かせる。

「ごろつきの男たちが薬を研究して、売りさばいているようですね。そのごろつきの男たちなのですが、明後日に売りさばくようですよ」

 耳にした情報を、普通の雑談のように提供した。


「まことか」

「はい。黒烏丸通りだそうです」

「時間は?」

「早朝。そこまでしか」

「そうか。助かった」

「いいえ。芹沢様の、お役に立てれば、嬉しゅうございます」


 ニコニコと話している八木に顔を傾ける。

 商いなど手広くしているが、店としてはそれほど大きくもない。

 商家として、中間辺りの規模である。


「地獄耳だな」

「芹沢様ほどではございません」

 笑って答えた。

 八木の家族も、使用人も、口が堅く、芹沢が屋敷に訪れていることを口外していない。家族も、使用人も、心得ているように、距離をとってくれるので、そういう点でも気に入っていたのである。


 無線を取り出し、部下の平山に連絡した。

 八木から得た情報を伝え、小栗指揮官に話をしておくように命じたのだ。

 終わると、懐に無線を仕舞い込む。


 のんびりと、芹沢がお茶をすすっている。

「忙しく、なりそうだな」

「そのようですね」

「あれは、ここに来ているのか?」


(おや、珍しい。あの人のことを、お聞きになるなんて)


 目が丸くなっているものの、八木の口角が僅かに上がっている。

 ずっと、芹沢の視線が庭園に傾けたままだ。

 そして、八木も同じように、自分の庭園を眺めている。


「芹沢様以上に、足を運んではおられませんが、極々たまに」

「そうか」

「気遣っておられるのでしょう。芹沢様のことを」

「……」

 痛いことを言われ、顔が渋面している。

 顔を見たかのように、クスッと笑みが零れていた。


「もっと、お前を頼ればいいものを」

「それに、性格もあるのでしょうね」

「性格か……」

「きっと、一人で背負い込む人なのでしょう、近藤様は」

「……」

 八木の言葉が、身に染みるのだった。

 理解して置きながら、逆に追い込んでいたのである。


「せっかく芹沢様がご紹介しても、できるだけ自分だけの力で、どうにかしようと思われているのでしょうね」

 八木の存在を知っているのは近藤、ただ一人だった。

 以前に、紹介していたのである。

 けれど、近藤はめったなことがない限りは、ここに訪れない。


「あれにも、困ったものだ」

 呆れ交じりの嘆息を漏らした。

「ですが、近藤様の部下たちは、優秀な方々が集まっておられるようで」

「荒くれ者が多いが、腕は悪くない。上手い具合に飴とムチを与えている」

「芹沢様の教えに従って」

「……」


 口を閉ざしている芹沢を無視し、滑らかに語っていく。

「さすが、芹沢様が見込んだ近藤様ですね」

「……」

「それに、他の部下の方も、優秀な方々が多いですね」

「……」

「私に紹介してほしい方々です。勿論、部下と言っても、かつての部下の方ですが?」


 何とも言えない顔になっている。

 チラリと、八木が好々爺の笑いと共に眺めた。


 近藤以外にも、八木に顔を会わせようかと思っている、かつての部下が何人かいた。

 銃器組七番隊に所属していた際は、優秀な部下を育てると評されていたのである。

 現在は、そのかつての部下たちが、優秀な活躍を見せている者が多い。


「今は、部下を育てる気がないのですね」

「……」

「使えそうな部下は、近藤様に渡して。残りの者を芹沢様が一手に引き入れ」


(さすが年の功だな。食えないな……)


「残り物とは言え、中には剣の腕も、まぁまぁ使える者もいるぞ」

 今の部下を、無遠慮に小物呼ばれされたので、不満げな表情を作ってみせた。

 性格に難があるが、それなりの実力を持っている者もいる。

 八木と、大して変わらない評価を下していたのである。

 でも、それを他人から言われ、少しだけムッとさせていたのだった。


「ですが、芹沢様の御身を考えれば……」

「気にするな。俺をやれるやつなんて、めったにいない」

 哀れむ眼差しを傾けられている。

 ただ、芹沢は怒らず、笑っているだけだ。


「確かに。ご承知していますが、心配はしています」

 真摯な眼差しを注がれる。

 だが、それを飲むことができない。

 表情に申し訳なさが滲んでいる。


「すまぬな。私の我がままを通して貰って」

「……いいえ。芹沢様のご意志を、私では曲げられないですから」

「迷惑をかけて、すまないと思っているよ、心からな」

「……ところで、これを」


 懐から折りたたまれた紙を、芹沢に渡した。

「いつも、すまんな」

「いいえ」

 受け取ると、中身を確かめずに懐に仕舞い込んだ。


 和菓子を落とさないように、慎重に持って、八木の孫娘である七歳になる梨那が、二人の前に現れた。

 ふっくらとした頬を優しく上げ、手つきが覚束ない梨那を、自分のところへ呼び寄せる。

 言われるがままに、芹沢の膝の上に、躊躇いもなく座った。


「芹沢のおじちゃんと、お菓子が食べたくって来たの」

 蕩けるような芹沢。

 屈託のない笑顔の梨那。

 可愛くって溜まらないと言う眼差しを傾けている。


 いつも侍らかしている女に見せる顔ではない。

 愛おしむように、慈愛が込められているかのようだった。

 八木の孫娘を、とても可愛がっていたのだ。

 それも、目に入れても痛くないと言われるほどに。


「そうか。おじちゃんと食べたいか」

「うん」

 祖父である八木も、梨那の行動をとめる気配がない。

 柔和な微笑みを覗かせ、温かく見守っていたのである。


 覚束ない手つきで、和菓子を切ろうとしているので、芹沢が代わりに、食べやすいように切って食べさせてあげた。

 それを素直に口に入れる。


「おいしいか? 梨那」

「うん」

 モグモグと咀嚼するのを待って、話しかける。

「梨那、いくつになった?」


「七つ」

「もう、そんなになったのか?」

「うん」

「子供の成長とは、早いものだな」


 巷では恐れられている芹沢を、梨那は一切怯えることがない。

 赤ん坊の頃から、懐いていたのだった。


「梨那、元気にしていたか?」

「元気だよ」

「それはいい」

「でも、梨那。芹沢のおじちゃんが遊びに来てくれないから、寂しかったの。どうして、もっと遊びに来てくれないの?」

 純粋な梨那の瞳に、困ったと言う顔が映っていた。


「梨那。芹沢様は、忙しい方なのだから……」

 窘めようとする八木を、手で制し、芹沢の口が開く。

「それはすまぬことをした。もう少し、ここへこれるように努力をしよう」

「ホント」

 ひまわりのような元気いっぱいな瞳を輝かせた。


「ああ」

「申し訳ありません」

 無邪気な孫娘の行動を、八木が謝罪した。

「よい、よい。私が悪かったのだから。後で、梨那を怒るなよ」

「承知しました」


 祖父の自分よりも、芹沢の方が甘いなと抱く八木だった。

 八木の孫娘梨那を可愛がって、訪れるたびに遊んであげたりしていたのである。

 梨那も家族以外で、誰よりも懐いていたのだった。


 芹沢が来たと耳にすると、一目散に芹沢の元へ駆けていったのだ。

 切ってくれた和菓子を、梨那が自分で食べている。

 脇に置いてあった、手を付けていない和菓子を、梨那の皿に乗せてあげた。


「これも食べるがいい。私はたくさん食べたから」

「ありがとう」

 貰った和菓子を、今度は手掴みで食べる。

「おいしい」

「そうか。そうか」


 おいしそうに頬張っている姿を眺め、やれやれと八木が首を竦めてしまった。

「すいません。新しいものを用意させましょう」

「よい」

「ですが」

「よいと言った。気にするな」

「わかりました」


 食べている梨那の頭を、優しく撫でる。

「私は梨那が喜べば、それでいい」

「恐れ入ります」


 不意に、一羽の色鮮やかな蝶が飛んでくる。

 光の角度で、何色にも羽が輝いて見えるのだった。

 蝶が好きな梨那が、喜びはしゃぐ。


「蝶だ。芹沢のおじちゃん、蝶だよ。蝶が飛んでいるよ」

 大好きな芹沢に、同じように大好きな蝶を見せようと声を上げた。

 誘われるがまま、前を飛んでいる色鮮やかな蝶を眺める。


「綺麗な蝶だな」

「でしょ」

 エヘッと、満足そうな顔を覗かせたのだ。


「梨那は、蝶が好きなのか?」

「うん。芹沢のおじちゃんの次に、大好き」

 自分より次に好きと言う言葉に、思いの外嬉しく、大きく双眸を見開く。

「そうか。私の次に、好きなのか?」

「うん」


「今度、ここに来た時、蝶の髪飾りでも買ってきてあげよう」

「ホント」

 歓喜に満ちた表情で、大喜びする梨那。

「やった。芹沢のおじちゃん、絶対だよ」

「おじちゃんが約束を破ったことはないぞ」


 大はしゃぎする梨那を横目に、八木が申し訳ありませんと頭を下げていたのである。

「構わん。構わん」

「それじゃ、芹沢のおじちゃん。鬼ごっこして遊ぼう」

 そうかとばかりに、無邪気な梨那を抱き上げ、外へ降りていった。

 屋敷の外では恐れられている芹沢を籠絡する姿を見て、天真爛漫な孫娘の将来を案じる八木であった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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