第4話 屋上での密談
案内をしてくれた井上と別れた直後、上層部の挨拶回りをせず沖田はまっすぐに屋上に登っていった。
上層部への挨拶回りは口実に過ぎない。
親切に一生懸命案内してくれる井上と離れるために嘘をついたのである。
案内して貰わなくても内部の構造はすべて熟知していたが、井上を気遣って、ずっと知らないふりを通していた。
厚い扉を開き、外へ出る。
屋上からは都のすべてが見渡せた。
警邏軍の屋上からは徳川宗家の住まいまでも見える。
目的の人を視界に捉えた。
瞳の中に映っていたのは土方の背中だ。
一瞬だけ視線を交わし、その足で土方は深泉組の部屋に戻らずに屋上へ登った。
待ち人を待っている間、澄んだ青空を眺めていた。
「いいんですか? 副隊長がこんなところで油を売っていても」
先程の口調とは違い、砕けたものだ。
ギロッとした眼差しをのほほんとしている沖田が受け止める。
「そんなにキリキリしていると、倒れてしまうよ」
まだ土方は睨んでいた。
そんな態度に困ったものだと肩をすくめる。
「……」
何の迷いもなく、ここに沖田が来ることがわかっていた。これ以上ないぐらいに憮然としている土方は以前から軽快に振舞っている沖田を知っていたのである。
眉間のしわの数で、相当怒っていることを察する。
微妙な表情一つでわかる間柄だ。
(やだなぁー。すぐに怒るんだから)
「なぜ、警邏軍に入った!」
微笑みを零す沖田に噛みついた。
怒鳴られても、どこ吹く風のような掴みどころがない態度だ。
その態度がますます怒らせる要因となっているとも気づかずに。
「よりにもよって、深泉組の所属を希望するなんて! 俺は聞いていないぞ!」
怒りを露わにしても、周囲に神経を研ぎ澄ますことを怠らない。
誰かが聞きつけ駆けつける恐れがあるからだ。
「話していませんから」
悪びれる素振りも見せない。
騙されたと喜んでいるありさまだ。
「それに話したら、兄さんが反対するに決まってますから」
「当たり前だ」
乱暴に吐き捨てた。
「だから、内緒にしていたんじゃないですか」
「よくもシラッと言えたものだな。ソージ」
「慣れていますから。怒鳴られるのは」
にこやかに返答した。
ますます苦虫を潰したような顔をしてしまう。
他の隊員とは勝手が違いすぎて効果が期待できない。
嘆息を吐いて、しわの数が取れていった。
目の前に対峙している二人は実の兄弟だった。幼い頃に二人の両親が離婚して、土方は母親に沖田は父親に引き取られ育ったのである。けれど、この事実は上層部や小栗指揮官、近藤隊長も知らないことだった。
「私の質問に答えていないぞ」
屈託のない笑みを土方に傾けた。
そんな仕草に変わらないと脳裏を掠める。
自分とは違い、小さい頃から周囲から愛される笑顔を振りまいていた。
「兄さんと同じ仕事がしてみたかっただけです」
「……」
「これが、兄さんが質問した答えです。答えになっていませんか?」
「……」
鋭い視線を弟に投げかけたままだ。
真の言葉か見定めていたのである。
表情や呼吸に乱れはない。
嘘はついていないと結論付けた。
弟である沖田に自分とは違った生き方をして貰いたいと願っていた。優しい弟にこの仕事は勤まらないと考えた兄の複雑な心境だった。
「今からでも遅くはない。やめろ」
冷静に低い声で久しぶりに会う弟を眺めていた。
たまに手紙のやり取りをしていたが、面と向かって会うのは五年ぶりだ。
「断ります」
挑むような微笑みと共に答えた。
「ソージ!」
「兄さんだって知っているでしょ?」
忌々しく沖田を睨んでいる。
「僕がこうと決めたら、曲げないってことを。無駄なことはしないでくださいね」
前もって釘を刺しておく。
「階級は兄さんより上なんですから」
揺るがない笑顔に土方は舌打ちを打った。
「上ですよ、兄さん」
そうしないと裏で何かすると兄の性格を読んだ行動だった。
勝手に辞表を出すか、それができない場合は移動させようと土方は逡巡していた。
それを沖田は見透かしていた。
「……」
現時点でやめさせる話を終わらせる。
土方は嘆息を吐く。
「父さん、元気にしているのか?」
父親の近況を尋ねた。
沖田と暮らしていた父親とは最近連絡を取り合っていない。人間的に問題の多い人だった。だから、離れて暮らしている父親の生活の様子が気になった。
「研究に熱中しているんじゃないのかな」
あやふやな返答に眉を潜める。
「知っているのか? 父さんはこのことを?」
「知らないと思うよ。一応、手紙は送ったけど、読んでいないと思うし」
あっけらかんと話す姿に渋面して呆れるしかない。
けれど、父さんらしいと感じる土方。
いつしか表情から渋面が消えていた。
「兄さんほど、僕はマメじゃないから。兄さんの方が父さんのこと、知っているんじゃないの? 手紙のやり取りはしていたんでしょ? 僕はこの二年ぐらい会っていないし……」
口を堅く結んで、さらに土方は呆れてしまう。
(母さんと同じではないか……)
目の前に立つ弟と母親は似ていた。
「僕は母さん似だね。で、兄さんが父さん似かな。そう言えば、母さん、元気にしてる?」
「仕事で地方に飛び回っているはずだ。お前と同じで連絡をよこさない」
諦めの境地に入って語っていた。
苦言を呈しても左から右にいってしまう人だった。
そして、目の前に立つ弟もだ。
「やっぱり僕は母さんの子だね」
「何だ、今更」
「兄さんって一見ぶっきらぼうに見えるけど、意外と父さんに似てマメなんだよね」
「父さんと同じにするな」
含みのある発言をした沖田を睨む。
研究熱心な二人の父親は妻と子供がいながら、女性にも熱心なところがあって何人もの愛人を作っていた。それが原因で離婚する羽目になった。
「父さんとマメに連絡取り合っているんじゃないの?」
黙り込む姿に肯定と受け取る。
父似の兄に小さく笑ってしまった。
余計なことを言わないことまでそっくりだった。
指摘されたように離れて暮らす父親とたまに連絡を取り合っていた。連絡しても返事が乏しい弟や人間として問題の多い父親を案じて、父親と連絡を取り合っていた。
どうしようもない父親でも手紙や連絡すれば、遅れても必ず返事は返ってきた。それに引き換え弟沖田はめったなことがない限り、手紙や連絡しても返ってくることが乏しかった。その性格は母親似と言う指摘も的が得ていた。母親と一年半ぐらい音信不通になっている状態が続いていた。外にいったん飛び出すと、二、三年返事がないのが当たり前の状況になっていたのである。
それでも時々、母親の居場所を捜して手紙や連絡を送っていた。
弟に指摘され、微妙に気恥ずかしさを抱く。
「悪いとは言ってないよ。そういうところが兄さんの優しさだからね」
より一層気恥ずかしさが増す。
睨んでも臆せず笑って返している。
目の前にいる弟に睨みで黙らせるのが一番困難だった。
ふと、経歴書に気になる一点を見つけたのを思い出した。入隊する前に確かめようとしたが、周囲が気になって会いに行けなかったのだ。
「母親の欄に母さんじゃない名前が書かれていたが、父さん結婚でもしたのか?」
提出した経歴書に二人の母親の名前ではなく、別な人間の名前が記載されていた。それを見た際に自分たちが兄弟だと隠すために偽造したものか、どうか判断がつかなかったのだ。
どう考えてもそんなことまでして入隊するとは思えなかったのである。
だから、父親が本当に結婚したのかと巡らしていた。
「そのこと。もう十年前かな」
「何っ」
驚きが隠せない。
連絡を取り合っていたが、一度も結婚した話が出てこなかった。
「本当なのか」
「本当だよ。でも、半年ぐらいで逃げられたよ」
「逃げられたって……」
か細い声で呟いた。
「気ままな一人暮らしをエンジョイしているよ、昔も今も、たぶんね」
「……」
言葉を失うのが半分、弟の言い分に納得するのが半分だった。
研究に夢中になると、周りのことが何も見えなくなってしまうところがあった。
幼い頃に何度も夢中になっている父親の背中を見てきた。
「逃げられたなら、籍を抜けばいいだろう? なぜしない?」
役所で手続きをするのが時間の無駄と言って研究を続けていることを語った。
話を聞き、月日が流れても父さんは変わらない人だとある意味感心してしまう。
「ところで」
「わかっているよ」
疑り深い視線が続いている。
「みんなの前では兄さんとは呼ばないから、安心して」
まだ睨んだままだ。
(信用してもいいのに……)
「僕たちが兄弟だと言うことはばれないから大丈夫だと思うよ。経歴書には別な女性の名前が書かれているからね。それに顔も性格も似てないから」
二人の顔はまったくと言っていいほど似ていない。
兄弟だと聞かされても疑ってしまうほどだ。
端正な沖田の顔は美人の母親にそっくりだった。
「そろそろ、下に戻った方がいいですよ。副隊長殿」
茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせる。
「ソージは?」
「もうしばらくここにいます。二人で降りて、変に勘繰られても困るでしょ?」
そのまま土方は下へ降りていった。
その背中を楽し気に沖田は眺めている。
読んでいただき、ありがとうございます。
沖田と土方は、実は兄弟でした、という設定いかがでしたか?
実はこの設定は初期にでき上がったものです。
近藤を女と言う設定にしようと考え、次に考えた設定です。




