第43話 竜さんとトシさん2
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
馴染みの店『菊路』に土方が顔を出すと、すでに坂本がいて、ヤケ酒を煽っていたのである。その光景を見た瞬間、こいつはいつ仕事をしているのかと思わず目を細めた。
ここに顔を出すと、大抵の確立でいるのだ。
顔を染めている坂本の正面に腰を下ろす。
待ち合わせをしていた訳ではない。
かなり酔っていても、店に姿をみせた土方の存在に気づいていた。
だが、そんな態度を匂わさない。
ただ、飄々といつもの調子に話しかける。
「暇そうだな」
ニコッと、頬を上げ笑っている坂本。
「それは、竜さんの方だろう」
呆れながら、返事を返した。
腰掛ける前に、頼んだ酒が運ばれてくる。
自分で注ぎ淹れ、喉を潤した。
「トシさん。肩、どうした?」
触れてほしくないことを言われ、微かに眉がピクッと動いた。
(気づかれたか……。見逃すと言う言葉を知らないのか)
内心では苦虫を潰したような気分だったが、面に表れていない。
歩いている姿を見ただけで、土方の肩の異変に、すぐに気づいたのである。
微妙に、歩き方が変だったのだ。
できるだけ気づかれないように、肩を庇っていたことが仇となった。
「……ちょっとな」
「ちょっとね……」
探るような仕草を覗かせた。
詮索されたくない顔を察し、それ以上の追及をあっさり諦めてしまう。
(警邏軍で、何かあったか? 肩を痛めるなんて、誰だ? トシさんにケガさせるなんて、近藤、芹沢、小栗? 違う、斉藤? ……沖田? 他に誰かいるか? 飛び火はごめんだな、とりあえず、考えるのはやめるか)
空になっているお猪口に、坂本が注ぎ淹れた。
「グイッと、飲んでくれや」
促されるままに、何杯も注がれる。
来たばかりの土方を、少しでも酔わすことに専念した。
誰も、邪魔する客がいない。
それぞれで、酒を楽しんでいる。
「俺ばかり注いで、竜さんは飲まないのか?」
「飲むさ。飲まないと、やっていられないからな」
自分のグラスに酒を並々と、口っきりいっぱいに注ぎ淹れ、坂本が半分以上を一気に飲み干してしまったのである。
互いに、何かあったことを察しているが、それ以上のことは口を開かなかった。
話したいことがあれば、最初に話していただろうからだ。
「竜さんと会う時は、大概ヤケ酒の時だな」
自嘲気味に呟いた。
つられえるように、フッと坂本も小さく笑ってしまう。
「トシさんしか、いないんだよ。俺と酒に付き合ってくれるのは。いやなのかい? 俺と酒を飲むのは?」
軽口を坂本が叩いた。
「別にだ」
「そうかい」
「俺も、竜さんと同じで、付き合ってくれるやつらがいない」
「互いに、寂しいもんだな」
「そうだな」
ヤケ酒を飲みたい時は、大抵『菊路』に足を向けていた。
そういう日に限って、妙に土方と酒を飲みたい気分だったのだ。
会うか、会わないかはわからないが、坂本の足は自然と動いていたのである。
それは、土方も同じだ。
何の気兼ねもなく、ただのトシさんと酒が飲みたいと思い、『菊路』に顔を出していた。
グラスに口をつけ、坂本が腹に溜まっている管を巻く。
「ムカつくことばかり多いな。世知辛い世の中になっちゃまったな」
「そうだな」
相槌を短く入れた。
これが、いつもの二人の酒の飲み方だった。
「何で、ムカつくことが多いんだ!」
「そうだな」
「もっと、平和的にさ」
「そうだな」
「どうにか、ならないのかい。トシさん」
酔っている瞳で、ムスッとしたままで酒を飲んでいる土方を捉える。
凝視されても、何一つ表情を変えないままだ。
「俺に、聞かれてもな」
味気ない返答に、坂本が不満顔を覗かせた。
「トシさん……」
「他の人に聞けばいいだろう?」
「誰だよ」
「竜さんの近くには、そういう話に詳しい人が多いから」
安易に西郷や高杉、沢村などを指す。
けれど、その解答に納得できない表情と、口を尖らせていた。
(お前はソージか!)
思わず、口を尖らせる坂本を見て、心の中で突っ込んでしまう。
けれど、そうした心情を面に億尾もみせない。
「俺は、トシさんに聞いているの。子供のような俺の周りに、物分りのいい大人しかいないから、トシさんに聞いているの。教えてくれよ」
徐々に、絡み酒になっていく坂本。
やれやれと、首を竦める土方。
身体の態勢が崩れ、とろんとした瞳で、土方の顔を下から見上げる。
ちゃんと座っていられないほど、酒を煽っていた。
(相当、腹の立つことでもあったのだな。互いに、いやなことばかりだ)
グイッと、酒を飲み込んだ。
愚痴を漏らす坂本を見下ろす。
いろんなことがあり過ぎて、脈絡のない愚痴となっていたのだ。
それでも土方は耳を傾け、時には相槌を打っていたのである。
(まさか、あんなところで、鳴瀬大将と出くわすなんて。……同じ警邏軍だからしょうがないと言えば、しょうがないか……。ソージに何か言われそうだな。何で、こんなに頭が痛いことばかり起こるんだ?)
心の中で、大きな溜息を一つ吐いたのだった。
土方が飲んでいる間も、仕切りに構って貰おうと話しかけている。
武市の行ったことは、決して口にはしないものの、武市や西郷のことを物分りのいい大人と揶揄し、俺は子供だから一つもわからないと拗ねていたのだ。
まるで、駄々をこねている子供のようでもあった。
そんな坂本の話に、一時間以上も付き合ってあげる。
辛抱強い土方だった。
「竜さんは、竜さんだよ。好きにすればいい。俺の話を聞き入れたら、それは竜さんではなくなってしまう。だから、竜さんが思った通りにやればいいだろう」
坂本の口の端が、上がっている。
(やはり、トシさんだな。ここでの酒はいい。トシさんと、飲む酒が一番、好きだな)
唐突に、坂本が立ち上がる。
「俺は俺らしく、やるぞ!」
店中に響くように、声を張り上げた。
突然の声に、客たちが一斉に酔っ払っている坂本に視線を注ぐ。
酔っ払いの戯れ言だと言う眼差しを傾け、またそれぞれに酒を飲み始めていたのである。
それでもやめようとはせず、客にもっと飲むように煽っていく。
「お前たちも、もっと飲め! じゃんじゃんと酒を飲んで、楽しく生きるぞ!」
もう、誰も声を張り上げている坂本を見ようとしない。
喚き声を漏らしている間、淡々と土方が酒を飲んでいた。
その間、従業員たちは、止めてほしいと言う眼差しを送っていたが、見ようとはしない。
ある意味で、この光景は、いつもの恒例でもあったのだ。
「もっと飲め、もっと飲め」
もたつく足で、周りにいる客たちを巻き込む。
そして、酒を飲ませ、騒いでいる。
瞬く間に、客たちも騒ぎ出し、店中で雄叫び合っていたのだ。
徐々に、客たちが坂本に看過されていったのである。
見知らぬ客たちを巻き込んで、どんちゃん騒ぎをしていく。
かなりの量の酒が、二人の胃の中で蓄積されていった。
楽しそうな顔に、感情を面に出すのが苦手な土方が、羨ましく見惚れてしまう。
そうした土方の視線に気づいた。
「俺の顔、何かついているのか?」
「いや。楽しそうだなと思ってさ」
「楽しいぞ」
「そうか」
「トシさんと、飲む酒が一番、上手い」
「そうか」
そっけなく答えたが、僅かに嬉しさが顔を覗かせていた。
親しい人間しか、気づかない僅かな動きだった。
「竜さんは、素直に感情を出すことができていいな」
「楽しい時は、楽しい。腹が立つ時は、怒る。生まれ持っての、俺のたちだな。トシさんは頭にくる時、静かに怒るだろう? 無言の圧力ってやつだな」
「……」
「否定しないのか?」
ニヤリと、笑っている坂本。
「……否定しない。そう思われているだろうな。周りには」
「じゃ、感情を思いっきり出したことも?」
「……竜さんほどではないが、ある」
「へぇー。意外だな」
瞳を大きく見開いている坂本。
「俺を、なんだと思っている」
不貞腐れたように、土方が吐き捨てた。
素直な意見を、あっさりと吐露する。
「鬼。鬼の形相で、周囲を黙らせる」
「……」
当たっているだけに、何も言えない。
鬼と言われていることを、しっかりと自覚していたのである。
ゲラゲラと高笑いしている坂本に、そこまで笑うことかと、ムッとし、目を細めて睨む。
笑いながらも、土方の眉間にしわを指差した。
「いつも、そうやっているから、周囲から怖がられるんだよ」
実際に、土方の顔を見て、酔いが冷めている客が出始めていたのだった。
(好き好んで、こうなった訳じゃない。周りがそうさせるんだ)
咎める視線を送っているだけで、近くにいる客たちが怯えだす。
「せっかくのいい顔が、台無しだよ」
「俺の顔は、元からこの顔だ」
頬を緩ませながら、坂本が顔を近づけていく。
「笑えば、もっと女が寄ってくるぞ」
「面倒だ」
眉間のしわの本数が増えた。
「残念だね」
店の中がいい具合に騒いでいるので、元に位置に座り直した。
顰めっ面の土方に、噂で聞いた話しを口にした。
「トシさんのところの上司、色豚の部下だったらしいな」
「……」
色豚とは、芹沢のことを指していたのである。
太って女好きなところから由来していたのだ。
本人も、色豚と揶揄されても、面白いと言って放置している。
「未だに、無謀とも言える色豚の頼み事を全部丸呑みしているらしいな。そのしわ寄せが全部部下にいって、揉めているらしいじゃないか」
話をしながら、終始土方の顔色を窺っていた。
嫌悪感を滲ませた表情に、変貌していたのである。
そんな表情から芹沢のことを、毛嫌いしていることを証明していた。
(全部当たりか。トシさんも大変だな)
「……酒が不味くなる」
「弱味を握られているのか?」
ギロリと、飄々と笑っている坂本を睨む。
けれど、誰もが怖がる形相でも、坂本は怯まない。
(弱味じゃないだろうな……。以前の部下たちは、誰も芹沢のことを信頼しているようだし……。何で、あんなメチャクチャな人を信頼しているだろうな。面白そうだから、近くで見てみたいけど、芹沢に近づくのは危険だしな。困ったものだ)
「美女と野獣だな」
「……」
「どんなことしたら、氷のような美女の心を溶かせるのだろうか。色豚に、そんな魅力があるとは思わないけど? トシさんは、どう思う?」
「竜さん」
低い声音で、土方の機嫌が悪くなったことを察した。
思考の海に潜っていたせいで、気づくのに少し遅れてしまったのだ。
降参とばかりに、両手を上げる。
「すまん。余計なことを言った」
芹沢の悪行を耳にしているので、純粋に心配した発言でもあったが、行き過ぎたことを言った憶えがあるので、素直に謝ったのだった。
勤皇一派の耳にも、深泉組が潰させるかもしれない情報が降りていたのである。
だからこそ、土方のことを案じていたのだ。
「どうも俺って言う人間は、余計なことを言ってしまう口があるようだ。トシさん、ホント、すまなかった」
真摯に謝っている姿勢に、溜飲が下がっていく。
黙って坂本の前に、空のお猪口を突き出した。
「ありがとうよ、トシさん。もし、トシさんが解雇になったら、俺が雇ってやるよ。だから、安心してくれ」
注いで貰った酒を飲んだ。
「断る。解雇になったら、好きなことして、のんびりと余生を送る」
「地味だね」
「竜さんのように、派手な暮らしはごめんだ」
「そうかい」
「ああ」
読んでいただき、ありがとうございます。




