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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第2章  自負 前編
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第39話  岩倉家の別荘

岡田依蔵、プロローグ以来、久々に登場します。

長かった・・・

 レンガ屋敷を出た武市は、西郷から命を狙われていると教えられたので、当分の隠れる場所を提供して貰うために、岩倉家の別荘に訪れていたのである。連絡した際に、別荘で落ち合うように命じられたのだった。


 休養している岩倉のもとに、武市と江藤、護衛の岡田依蔵がいた。

 寡黙な岡田は、二人の背後におとなしく控えているだけだ。

 岩倉の背後に、鷹司がしっかりと控えている。


「上から絞られたようね。でも、珍しいわね、あなたがそれに従うなんて。普段のあなたなら、そんなことお構いなしに突き進むのに」

 似つかわしくない言動について、率直な疑問を投げかけたのだった。

 連絡を受ける前から、武市の処遇については、別な情報筋から伝え聞いていたのである。


「西郷さんから、警告を受けましたので」

 苦々しい様子に、すべてを飲み込んだ。


(命を狙われるところまで来ていたのね。それも味方から。少しずつ、付き合いも変えた方がいい潮時かもね。もう少し使えると思えたのに、残念ね……)


「そう。それは大変ね」

「申し訳ないのですが、当分の隠れ場所を貸していただけないでしょうか」

「それはいいわよ」

「ありがとうございます」


 恭しく武市が頭を下げる。

 それに習うように、礼儀正しく江藤も頭を下げ、その二人の背後にいる岡田も、慣れない仕草で小さく頭を下げる。


 終始、岡田は場に慣れないのか、居心地悪そうに目を泳がせていた。

 前にいる二人は、そんな不審者のような振舞いに気づいていない。

 正面にいる岩倉と鷹司には、しっかりと捉えることができたのである。


 小動物のように、ソワソワと落ち着きのない仕草に、面白い目で見るような眼差しで、観察していたことを、武市は知らずに話し始めたのだった。

 二人で会話をしながらも、意識の半分は岡田の方へ向けられていたのである。


「そこでおとなしくしているの?」

「いいえ。ある程度の動きを封じられましたが、おとなしく引っ込んでいるつもりはありません」

 武市らしい回答だった。


(これまでのように、派手な真似はできないでしょうね)


「そう。それを聞いて、ホッとしたわ」

 妖艶な双眸に、安堵の色を窺わせる。

 現在は武市指導で動いているものがあったのだ。

 決して途中で止める訳にはいかなかった。


「でも、危険じゃなくて」

「危険は承知しています」

 心配を覗かせる岩倉に、逃げる真似はしないと意思を伝える。

「そう。ますます頼もしく感じられますね」

「ありがとうございます」

「勤皇一派の方も、もう少し武市さんのことを理解してあげないと」

 味方を失いつつある武市に、寄り添う発言を口にした。


(切り捨てるにしても、まだ早いわね。それまではしっかりと働いて貰わないと。随分とお金だって回してあげたのだから)


「……」

「始末しようなんて」

 視線を落とす岩倉。

 平然と装っているが、武市の内心でも苦々しい思いを抱いていたのである。

 でも、それを億尾にもみせない。

 誰にも侮られたくなかったのだ。


「……」

「ところで、それを塞ぐために、彼女が?」

 視線の矛先を、行き場を失った子供のように落ち着きがない岡田に傾ける。

 それに促されえるように、武市と江藤も自分たちが連れてきた岡田を視界に入れた。


「依蔵」

 鋭い眼光で、落ち着きのない様子の岡田を窘めた。

 慌てて頭を下げて謝る。


(私に恥をかかせて、依蔵のやつ。剣の才があったから、そればかり磨かせていたのが悪かった……。もう少し礼儀を教えておくべきだった)


「いいのよ。武市さん。きっと慣れていないだけよ」

 叱る親と叱られる子供のような二人の間に、岩倉が入り込んで宥めた。

「すいません」

「それより、紹介していただけるかしら」


「闇の四天王の一人、岡田依蔵です」

「彼女が?」

 楽しげな微笑みを携え、小動物のような岡田のことを眺めていた。

 岡田依蔵の噂は耳に届いていたし、部屋に入ってきた雰囲気から、岩倉自身もそうではないかと把握していたのである。


 観察している眼差しに、拒絶も口にできず、ひたすら値踏みされている視線に耐えていた。

「噂を聞いているわよ」

 優しく問いかけるような口調で、ますます居た堪れない状態の岡田に声をかけた。

「は、はい」

 どう答えていいものかと、武市にすがるような双眸を傾けてくる。


 剣術だけではなく、礼儀作法もきちんと学ばせておけばよかったと、後悔の念を抱いてもすでに遅かった。話す相手をまっすぐに見られない、どうしようもない礼儀の悪さに、微かに嘆息を零してしまう。

 幼少の頃に武市に拾われ、剣術の才を見出されて、修行に励み、ただ命の恩人である武市のために、愛する男のために、ひたすら命じられるままに人を斬ってきたのだった。


「この後も、同行させるの?」

「そのつもりですが?」

「ねぇ、武市さん。岡田さんのことを少しの間、貸してくれないかしら」

 ねだるような眼差しを注いでくる。


「……」

「護衛の人員だったら、こちらも出してあげるわ。それに闇の四天王の人を、もう一人ぐらい武市さんだったら、動かせるでしょ。名目は私の依頼と言うことで。どうかしら?」

 了承すべきかどうか、逡巡する。

 岩倉が述べたように動かすことができるが、岡田ほど深く信用もしていない男だ。


「ダメかしら?」

「……依蔵に興味が?」

「えぇ。小動物のようで、可愛くって」

「剣術に関しては申し分ありませんが、礼儀作法の方は……」

「いいのよ。私が教えてあげるわ。それに武市さんが教えるよりも、私が教えた方が上手だと思うわよ」


 無邪気に提案してきた。

 それに一理あると思案する武市に、顔を引きつらせ、拒否したくてもできず、途方に暮れたような岡田がいる。

 その顔つきは、まるで処刑される顔だ。

 口出しせずに平静でいる江藤も、内心ではどこが気に入っているのかと岩倉の興味の対象物に眉を潜めたくなるのを堪えていた。


「わかりました。依蔵のことをよろしくお願いします」

「ありがとう」


 それまでずっと岩倉の背後で控えていた鷹司が険しい表情でいた。

 どう考えても、岡田のどこに興味が湧いたのか理解できなかったからだ。

 武市と江藤が下がっていくと、鷹司のことも下がるように命じる。

「ですが……」


 疑い深い視線で、鷹司が行き場を完全に失っている哀れな岡田のことを蔑んでいる。

「下がりなさい。鷹司」

「……」

「私の命令が聞けないの」

「……わかりました」

 渋々と承知した鷹司が下がっていった。




 部屋に優雅にお茶を嗜んでいる岩倉と、部屋の隅で不安げに立っている岡田しかいない。

「依蔵と呼んでもいいかしら?」

「……はい」

 か細く返事を返した。


 部屋に入ってから、岡田は武市以外と目を合わせない。

 そんな行動も咎めずに、話を進めていく。

「では、依蔵。私の前に座りなさい」

「……」


 命じられても、本当に座っていいものかと迷ってしまう。

 去り際に武市から岩倉の命令に、従うようにと命じられたばかりだったが、奇妙な命令内容に戸惑いが隠せなかったのだ。


「武市さんは、言葉も教えなかったのかしら?」

 ありありと岩倉の言葉に不快感を滲ませている。

「……私のようなものが、座っていいんですか?」

「私はそう命じたはずだけど?」


 大切な武市をバカにされ、ムッとしている岡田が、微笑んでいる岩倉の前に腰掛けた。

 岩倉自ら、空いているカップに紅茶を注ぎ淹れる。


「どうぞ」

 未だに視線を合わそうとしない岡田の目の前に紅茶を置いた。

 何度か、微笑む岩倉と紅茶を交互に見比べ、深く思考をすることをやめ、どうにでもなれとばかりに、言われるがままに紅茶を飲んだ。


「おいしいかしら」

「わかりません。飲んだことがないので」

「そう。では、しっかりと味を憶えて置きなさい」

 コクリと頷いた。

 ちびちびと紅茶を飲みながら、警戒しながら岩倉の様子を窺っている。


(こいつは、私を使って、何がしたい?)


「何?」

 チラチラと何度も自分を窺っていることは、把握していたし、放置していたのである。それがしばらく続いてから、ようやく岩倉が口を開いたのだった。

 警戒している相手に、私は何でもないのよとみせていた。


「な、何でも……」

「言いたいこと、聞きたいことがあるなら、聞くけど?」

 可愛らしく、首を傾げてみせた。


 視線を彷徨わせた直後、意を決したように重い口が開く。

「……どうして、私がここに?」

「それは簡単、あなたのことが気に入ったから」

「どうして?」

 自分は何一つ気に入ることはしないと巡らせている。


「どうしてかしらね……」

 ずっと岩倉の双眸が、所在不安げな岡田のことを捉えている。


(懐かしいわね……)


「まるで子供みたいよ。依蔵、いくつ?」

 ムッとしながらも答えていく。

「二十三」

「そう。武市さんとはいつ知り合ったの?」

「四つの時に拾われた」

「あなた一人で」

 コクリと頷いた。


「そう……。それで愛人となったのはいつ」

 目を見張って驚く岡田。

 そんなことは一言も口にしていないからだ。


「見ていれば、わかるわよ」

「……十六」

 睥睨しながらも、素直に投げられるいやな質問に答えていった。

「意外ね。もっと早いと思っていたから」

 目を丸くし、驚愕している。

 もっと早くに武市の愛人となっていたと予測していたのである。


「……」

 自分のことよりも、武市をバカにされることが、もっともいやなことだった。そして、いつの間にか、気後れしている岡田がどこかへいってしまい、挑むような姿勢を醸し出している。


「秘書の江藤も、愛人の一人と知っていて?」

「知っています」

「他の愛人がいることは?」

「知っています」

「愛妻家で、もっとも妻を大切にしていることは?」

「知っています」

「それでも、武市さんがいいの?」

「はい」


「知っている? 先ほどから、私の目を見ていることに?」

「! ……いいえ」

 ゆっくりと視線をそらそうとする岡田を止める。

「ダメよ。そのまま、私を見ていなさい」

 小さく呻き声を漏らす。

 けれど、我慢してまっすぐに微笑んでいる岩倉を直視していた。


「話す相手と、しっかりと目を合わせて、話すこと。いいわね、依蔵」

「……」

「返事は?」

「……はい」

 よくできましたと満面の笑みを零している。


「依蔵。あなたは決してバカじゃない。ただ、何も知らないだけ。これからはいろいろなことを学びなさい」

「……」

 これまでは武市の傍にいる江藤や、他の者たちからバカにされ、自分はバカだと思い込んでいたのである。けれど、目の前にいる岩倉からバカじゃないと言われ、少しだけ、人に対して興味を抱きつつあった。


「依蔵。あなたは武市さんしか、興味がないでしょ」

 答えないことを肯定と取る。

「きっと、武市さんが、歩けと言えば歩くし、走れと言えば、走るでしょうね。武市さんが飛び込めって言ったら、ケガも命も恐れずに飛び込むのでしょうね。あなたの中で、武市さんしかいないんでしょう」

「……」


「随分と、武市さんに依存しているのね」

「……」

 だから、何なんだと、徐々に腹が立ってくる岡田。


「岩倉さんと、それと関係があるのですか?」

「智巳と呼んで」

 咄嗟のことに、憤慨が霧散してしまう。

 ニコッと微笑んでいるはずなのに、威圧感を感じさせる。


「智巳よ」

「……智巳様に、どういう関係があるのですか?」

「そうね。依蔵と、同じように依存している子を知っているからかしら」

 巡らせている姿を、物珍しそうに凝視している。

 愛くるしい仕草に、とても自分よりも年上にみえない。

 ただ、ずっと慣れない人と話すことに、辟易し始めている。

 まっすぐに岡田を見据えた。


「私の知っている子が、あなたにそっくりなのよ」

「……」

「何となく、傍にいてほしかったの。少しだけ話をしたいと思っただけよ」

「……」

「知っている? そうやって依存していると、いつか破滅するわよ」

 唐突な岩倉の話に、眉間にしわが寄る。


「……破滅?」

「そう。それでも、あなたは武市さんについていくの?」

「……はい」


「でも、その決断は間違いね。どんなことをしても、思考することを諦めちゃダメよ。むしろ、武市さんのことを思うなら、破滅していくことよりも、考えないとダメよ。それが武市さんのためになるわよ」

 揺るがない視線を岩倉が注いでくる。

 どういう訳か、岡田から視線を外すことができない。


「いつまでも、武市さんの命じるままに動くのではなく、自分自身を持って、生きなきゃ、武市さんに育てて貰った恩にはならないわよ」

 不意に自分に似ている人が気になり始める。

 どういう末路を辿ったのかを。


「……智巳様が知っている、人はどうなったんですか?」

「あなたのように、依存しているのではないかしら?」


(かしら? 知らないのか?)


「会っていないのですか?」

 当惑している岡田の疑問に即答した。

「そうね。ずっと会っていないわね」

 あっけらかんと答える姿に、間抜けな顔をしてしまう。


「それなのに、わかるのですか」

「えぇ。わかるわよ」

「どうして」

「どうしてだと思う?」

 質問を質問で返す岩倉にムッとする。


「わかりません」

 乱暴気味に吐き捨てた岡田に、ふふふと笑った。

 少し、思案する仕草をみせる。


「誰にも話したことはないけど、ま、いいわ。教えてあげる。私の妹よ。言っておくけど、誰も私に妹がいるって知らない話よ。後で武市さんに報告する?」

 そういう情報を報告するべきかどうか、逡巡している。


(きっと、報告するべきなんだろうな……。でも、何でだろう、話したくない気がする)


「ま、話してほしくはないけど。依蔵が報告するなら、しょうがないかな」

「……しません」

「そう。ありがとう」

 朗らかな表情で答えた。


「どんな妹、何ですか?」

 素直に生じた疑問を口にする。

 目の前にいる人の妹はどんな人なのか?と興味を憶えたのだ。


「あなたにそっくりよ。一緒にいた時は、私に依存してきたわ。私よりも、力があったにもかかわらず」

 昔を邂逅しながら、言葉を紡いでいく。

 その表情は僅かに苛立ちを匂わせていた。

「力?」

「そう。特別な力よ」


「智巳様もあるんですか?」

「ないわよ。きっと、依蔵なら、意図も簡単に、私を殺せるわよ。やってみる?」

 とんでもないと頭を振った。

 そんな仕草に、岩倉の口角が上がっている。


「……今は一緒にいないんですか?」

「えぇ。きっと、どこかで誰かに依存しているわよ」

「……」


(依存していると思っているんだ。でも、どうして、そんなふうに妹だからとって言い切るのだろうか……)


 眉間にしわを寄せ、考え込んでいる姿に、誰にもみせたことがないぐらいの、素直な微笑みがそこにはあった。だが、それを岡田は気づかずに、思考の渦の中に漂っていたのである。


「それよりも、一緒にお風呂に入りましょ」

「!」

 顔を引きつらせる岡田。


「大丈夫よ。優しく洗ってあげるから」

 必死に頭を振って、拒否する。

「ダメよ。命令よ、武市さんに命令されたでしょ。命令には従うようにと」

 絶望的な顔で、楽しげに笑う岩倉がいた。


「一緒に入りましょうね。依蔵」

「……」


 『人斬り依蔵』と呼ばれ、恐れられている人物とは思えないほど、岩倉の前では狼狽している岡田がいたのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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