第3話 井上、警邏軍を案内する
警邏軍の本部の内部を知らない沖田のために、人選において問題のない人間である井上が近藤の命令で内部を案内することになった。深泉組の隊員はそれぞれに一癖二癖もある人間ばかりで、近藤は苦慮して誰に対しても面倒見がいい井上を選抜したのだった。
騒がしさの中にも和気藹々とする雰囲気があると称される近藤隊の朝礼が終わった。
「井上さん。案内、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
親しみやすい井上の背後から深泉組の事務を担当している女の子三人が揃って姿を現わした。左から三上沙也、アリナ・ジュジュ、伊達雪美である。
制服が少しばかり違っている。白を基調したものは同じだが、沖田たちよりも上衣の着丈が短く、形が僅かに違っていた。
持っていた領収書を三上に手渡した。
手渡された領収書を不備がないかとチェックし始める。
「領収書はできるだけ、その日のうちに彼女たちに渡してください」
調査で使ったお金は領収書を貰い、事務の人間に渡すようにと何事にも真面目な井上が説明した。
セミロングのまっすぐな髪が彼女の気質を表したように三上が厳しい表情で、不安顔になっていく井上を捕らえる。新人でいろいろと興味がある沖田に挨拶するより、まず自分たちの仕事を優先したのだった。
「ただの飲み代は落ちません」
「ちょ、調査で……」
しどろもどろな弁解を切り捨てる。
「無理です」
渡した領収書の一部が突き返されてしまう。
ばつの悪いところを見られ、ぎこちなく沖田に笑って誤魔化した。
「気をつけてください。落ちないこともあるので……」
「はい」
小さく笑って返した。
「それと井上さん。原田さんに言っておいてください、二週間も前の領収書持ってこないでと。処理するのが大変なんだから」
「はい……。以後、気をつけます……」
抑揚ない返事で、逆らわずに謝った。
外で屈強に戦う男たちも事務の女の子に頭が上がらない。
そんな姿を目にして、ますます面白さが増していく。
「今度からは処理しませんから」
容赦ない言葉が伊達からも続いた。三上とは違い、伊達は長い髪を編み込みして一つにまとめていた。
三上たちの言動から相当怒っていることを察する井上。そして、何の領収書だったのだろうと憶えがない領収書を巡らす。知らないところで渡したと言うことはやましさが含まれているものだなと詮索していた。領収書を渡す担当は暗黙のルールで井上になっていたからだった。
そこへ、話題の張本人が姿を現わした。
「よっ」
自分のことを言われていたとは知らずに、さばさばしている性格の持ち主である原田はのん気に興味の対象である沖田に声をかけた。すっかりいわくつきの領収書を内緒で渡していたことも忘れて近づいてきたのだった。
何も考えてない原田の登場でいつも迷惑をかけられている三上はいやそうな表情を浮かべる。
「ソージ。わからなかったら、何でもこいつに聞け」
がっしりしている腕を井上の首に巻きつける。
「やめてください」
嫌がる素振りを見せるが、言葉とは裏腹に表情はどこか笑っていた。
そんな表情を垣間見て、二人の仲の良さが伝わってくる。
「はい」
満足する返事が聞けて気をよくしている原田は警戒を怠らない三上たちに話しかける。
「なぁ、沙也ちゃん。給料……」
最後まで言わせない。
「ダメです」
「アリナちゃん、雪美ちゃん」
三人の中でリーダー格な三上がダメと判断すると、瞬時にターゲットをジュジュと伊達に絞る。その変わり身の早さに井上は呆れ顔で、初めて目にする光景に沖田は楽しそうに傍観していた。けれど、三上同様にジュジュと伊達の返答も同じで拒否されてしまった。
フワフワしているジュジュの金髪が、低姿勢な態度を取っている原田の前を通り過ぎる時に揺れた。まったく伍長の威厳すら感じられない。
諦めきれずに立ち去る三人についていく。
三人は仕事を終わらした後に新しく深泉組に所属した沖田とじっくり話したかったが、お邪魔虫の原田の登場ですべてが台無しになって、早々にその場から離れた方がいいとアイコンタクトを送り合った。
「沖田さん」
か細い声で、井上が話しかけた。
「出ましょう」
腕を引っ張られている形で三人に張り付いている原田に気づかれないように深泉組の部屋をこっそりと抜け出した。火の粉が自分たちに掛からないうちに危険な場から離れた方がいいと井上が即座に判断した。
部屋を抜け出して、すぐに疑問を口にする。
「何を断られていたんですか? 原田さんは」
「給料の前借です。とりあえず、行きましょう」
二人は廊下を歩きながら続きを話すことにした。
「前借……?」
「困ったものです。サノさんにも……」
以前から常にお金に困っている原田が給料の前借をしていることを語った。そして、総務組に多額の借金を抱えていて、その返済が滞っている現状も付け加えた。
「大変そうですね」
「自業自得です」
はっきりと言い捨てた。
「何でまた、前借したんですか?」
「それは……」
女に対してまめそうにない原田が旦那がいる女に手を出して、そのいざこざを収めるために今回は借金を頼もうとしていた。別な借金の返済が毎月の給料から天引きになって、金がない原田はみんなに泣きついてお金を借りようとしていたのである。
包み隠さずに事情を説明した。
「随分と大変そうですね」
「気をつけてください。サノさん、ハイエナのようなところがありますから」
「別に貸しても……」
「甘いこと言っていると、本当に最後まで吸われますよ」
「……」
真剣な眼差しに目を見張る。
「絶対に貸さないように。いいですね」
「わかりました」
井上の必死の形相に口角が上がる。
「たぶん、階級が上だから、給料いっぱい貰っているだろうと言う発言にはくれぐれも乗らないようにお願いします」
「はい」
「女と金、それと酒、……後、ケンカもですね。それ以外はいい人ですから」
その表情からは原田に対する信頼は色褪せてはいない。
二人の間はしっかりと結ばれていたのである。
「ああ見えて、サノさん。男気があって、頼れる人です」
「そんな気がします」
廊下を歩きながら警邏軍の組織について語り始める。
ジパング国には三つの軍隊があった。徳川宗家を警護する近衛軍、都の外である地方で起こる内戦を鎮めたり、人間の住む街を脅かす存在である妖魔から守る外事軍、都の中を警護して、大きな事件から小さな事件まで処理する警邏軍である。
沖田たち深泉組は警邏軍に所属している。警邏軍の内部は事務処理をする総務組、殺人などの捜査を行う銃器組、特殊組、特命組がある。そして、深泉組は他の組とは違い、殺人などの捜査をする特権を持っていなかった。仕事と言えば、夫婦ケンカの仲裁や庶民たちの苦情を聞いて処理することしか与えて貰えていなかった。
「そんなに難しい仕事はありません。他の組の雑用をしていると考えていればいいかと」
「雑用……ですか」
「揉め事を増やしている人もいますから。年中、暇と言う訳ではないと思います。それなりにやりがいはあると思いますよ」
「揉め事?」
「二条ブロックでやくざ同士の抗争が始まっていると聞き、駆けつけてみると、サノさんやシンパチさん、それにヘースケさんまで加わってケンカしていたんですから」
当たり前のように話す姿に日常茶飯事の出来事なのだろうと密かに思ったのである。
思わず、小さく笑ってしまう。
「沖田少尉、笑い事ではありませんよ。その後、他の組からは散々嫌味を言われたのですから。おかげでどれだけ他の班から白い目で見られたか……」
その時のことを思い出し、どんよりと重たい嘆息を吐いた。
「それは失礼しました。それと井上さん、少尉って言い方やめていただけますか? それに敬語も。みなさんよりも新人なのですから」
素直に謝り、ずっと気にかけていたことを口に出した。
その申し入れに困惑の色が隠せない。
終始井上は沖田に対して敬語を使っていたのである。
案内を勤めている井上は階級が一番下の兵士だった。
「それは……、難しいと思う……のですが?」
「井上さんより下っ端です」
はっきりと自分の現状を伝えた。
苦慮している表情に苦笑してしまう。
軍においては階級が重んじられていた。けれど、深泉組においては階級が希薄になっている部分もあり、どうしたものかと躊躇していた。
階級は一番下の兵士から三曹長、二曹長、曹長、少尉、中尉、大尉と上がっていく。その上にもまだ階級がある。小栗指揮官の少佐から、中佐、大佐、少将、中将となって一番上の階級、大将となる。
「ソージでいいですよ」
楽観的な原田や永倉のように、いきなり呼び捨てにできないと困り顔だ。
それに対して曇りがないぐらいに笑顔な沖田。
その笑顔を注がれると、はっきり呼べませんとも答えられない。
「気軽に呼んでください」
「……それでは沖田さんと呼ばせて貰います」
「はい」
嬉しい微笑みを零す。
考えた末の苦しい落としどころだった。
安堵の心持ちでいた井上は急に立ち止まった。そして、目の前にある部屋が銃器組の部屋の一つだと説明する。銃器組は一番隊ごとに一つずつ部屋があることも語った。
深泉組は三つの隊が一つの部屋を共有していたが、他の組は隊ごとに一つの部屋を与えられていた。
「ですから、銃器組には十番隊までありますから、十部屋あると言うことになります。でも、指揮官室や隊長部屋も個々にありますから、うちとはかなり違い、部屋数も多いです」
「すごいですね」
「特殊組も特命組も同じようにあると思って構いません」
特殊組と特命組の部屋の前まで行き、特殊組が六番隊、特命組が七番隊まであると語ったのである。この二つの組が表立って活動することがないと付け加えた。特殊組も特命組も秘密裏に行動するところだと説明した。
「謎が多い組って訳ですね」
「早い話そうです」
警邏軍の組織の仕組みについて語ってから、ふいに研修中に習ったことではないかと過ってしまう。研修を受けた沖田とは違い、研修がなかった井上は深泉組に入ってから組織の仕組みを学んだためにそこまで考えが至らなかった。
「すいません。こんな話、研修中に聞きますよね?」
「こうして説明して貰うと、わかりやすいです」
心遣いに頬を少し朱に染め、右手で頭を掻き始めた。
「他の組のように一番隊と言う固有名詞を使わないですね」
ふとした疑問を投げかけた。
深泉組では近藤隊や芹沢隊、新見隊と呼ばれていたのである。
ああと納得した顔で、その疑問に応える。
「その方が親しみやすいからですよ。一番隊が芹沢隊長率いる芹沢隊、二番隊が新見隊長率いる新見隊、そして、僕たちがいる三番隊が近藤隊長率いる近藤隊。どうですか? 親しみやすいでしょ?」
「そうですね。温かみがありますね」
賛同する言葉に井上の顔がさらに和らぐ。
井上自身、三番隊と言う呼称より近藤たちと言う響きを気に入っていた。新人の沖田にも受け入れられて、親近感が湧き上げっていく。
「芹沢さんと言えば、面白い人ですね」
貫禄があってどことなく影の雰囲気を漂わすと思ったら、豪快に笑ってその場をやり過ごす芹沢の顔を蘇らす。
「楽しい人です。僕は好きですよ、芹沢隊長のことは。でも、サノさんたちは嫌っていますけど」
苦笑いを零す井上。
その表情からいろいろとあることを察する。
「そのようですね」
酒気を匂わしていた芹沢が姿を現わした途端、原田たちや土方の様子が変わってしまった。その態度からも関係性が悪いことを示していた。
(相当、嫌いなんだろうな……)
「僕は新見隊長が苦手です」
ボソッと井上が呟いた。
「なぜです?」
口を濁して、なかなか話そうとはしない。
目が泳いで、返答に困っている様子だ。
「そのうち……、わかると思います……」
沖田を見た時の新見の粘りつくような琥珀色の瞳を井上は思い出して、ゾクッと背中に悪寒を走らせていた。
「男色だからですか」
「知っていたのですか?」
「いいえ。先程、僕を見る目で、何となく」
「……そうなんですか……」
沖田の観察眼に脱帽する。
僅かな時間で新見の男色を当てるとは思ってもみなかった。
知っても動じない姿勢に感心を抱く。
童顔な井上を新見は好み、隙あるごとに自分のところへ来ないかと誘いをかけていた。丁寧に断っても諦めていない様子に隙を見せないように心掛けていた。
(さすがS級ライセンスをとる人だ)
「だから、ちょっと僕は苦手です……」
(僕にはホント、わからない世界だ……)
案内をしている井上は気づいていなかったが、仕事を途中で切り上げて密かに土方が沖田たちの様子を窺っていた。そして、目ざとく沖田は気づいていた。
新人の動向が気になるので気づかれないように身を潜め、聞き耳を立てていたのである。
ふと沖田が視線を傾けた瞬間、陰に隠れていた土方はその場から立ち去ってしまう。
「……井上さん、すいません。上層部の方々に挨拶をするのを忘れていました」
「そうですか。じゃ、案内はまた後でと言うことにしましょうか」
「そうして貰えると助かります」
礼を述べてから、中断することに気にしない井上の前から立ち去った。
その後ろ姿を井上は眺め続けていた。
(階級が違うと、上層部に挨拶回りしなくてはいけないのか……。大変だな)
「よかった、兵士で」
読んでいただき、ありがとうございます。




