第28話 天帝家の内情1
都の中心部にある、徳川宗家の城から離れた場所に、天帝家の屋敷がある。徳川宗家の城と同じぐらいの敷地面積に、居住スペースの屋敷と、趣味で造らせている趣ある建物がいくつか建っていた。そして、美しい庭園も造られていた。
掛かっている費用の大半が、徳川宗家から出されている。
何百種類の薔薇があることから、バラ園と呼ばれることもあった。
当主である天帝香茗が、ロッキングチェアに座って揺られている。
天帝家を守る家臣、三条實富が進言しているのを辟易しながら聞いていた。
天帝家に筆頭家臣が三家ある。
その一つが三条家だ。
他に、姉小路家と岩倉家である。
徳川宗家の城と天帝家の屋敷は、同じ面積を誇っているが、出入りしている人間の数に大きな開きがあった。徳川宗家では多くの人員を確保しているのに対し、天帝家では日によっても違うが、数人しか出入りしない時もあるのだ。
三条家では、徳川宗家が握っている王位を、天帝家に戻そうと思索している。
そんな気がまったくない香茗を、常に説得していたのだった。
「この穏やかな暮らしを、私は気に入っている。そう騒ぎ出さずに、いたいと願っている」
「何を仰せですか」
気づかれないように、香茗が嘆息を漏らした。
「王位は、こちらにあったのです。それを戻すべきなのです」
熱く語る三条の姿を長年見ているが、その熱がいっこうに冷める気配がない。
どうすれば、落ち着くのかと逡巡している。
いつもように、言動をくり返すのだ。
「六百年だぞ」
「それでもです」
「興味がない」
「香茗様」
取り縋ろうとする三条。
「何やら勝手に動き回っている輩がいるようだが、私は徳川宗家と争うことはしない。戦は嫌いだ」
はっきりと勤皇一派と口に出さなかったが、勤皇一派を指して言っていることは三条にもわかっていた。三条自身、香茗が抱いている感情と分かち合っており、勤皇一派のことをよく思っていなかったのである。
勤皇一派とパイプを持っているのは、姉小路家や岩倉家だ。
「ですから、私たちの手で、ことを起こすのです。香茗様」
「……」
隠そうとせずに、大きく嘆息を零す。
三条家の主張は、勤皇一派の手を借りずに自分たちの力だけで、徳川宗家から王位を取り戻したいと考えていたのだった。
その中心となる柱である香茗が乗り気ではない。
立ち上がって貰うべき、日々説得を行っていたのである。
渋い表情で、必死な三条の顔を窺う。
長い間、歴代の天帝家の当主が実現しようと、くり返して失敗し続けたことが、自分の代で成功するはずがないと思い至っていたのである。
無駄な争いをするよりも、安らかな日々を過ごしたいと願っていたのだ。
熱心に自分を見つめている三条に居た堪れず、視線をそらす。
肩に掛かるぐらいの長さがある髪が揺れた。
綺麗で、艶やかな髪は、香茗の自慢だった。
手に入るかわからぬ王位よりも、光沢のある髪を手入れしている時間の方が大切と思っていたのである。
「香茗様」
「……」
日夜、香茗に願いを曲げて貰うべきため、熱心に長年進言してきた。
それでも、頑なに拒否し続けている。
天帝家に王位を取り戻すことが三条の悲願だった。
三条家は代々天帝家に仕え、家臣の筆頭を務めてきたのである。六百年以上も前に、王位が天帝家から、親戚筋に当たる徳川宗家に移った時に苦い屈辱的な思いを、幼い頃より聞かされ続けていたのだ。だから、自分の代で、どうしても天帝家の王位を取り戻したいと、誰よりも躍起になっていたのだった。
「王位を取り戻せるのか? 絶対に言い切ることができるのか?」
三条の眼光を見ることなく、言葉を投げかけた。
香茗の腹の中では、絶対に無理と言う言葉が居座っていたのである。
それは天帝家と徳川宗家を比べても、戦力の差がありすぎたからだ。
「香茗様さえ……」
「私は、無駄な争いがいやだ」
三条の言葉を遮るように、はっきりと自分の意見を述べた。
「確証のない戦をせぬ」
「ですが……」
「できぬ」
「そこを曲げて……」
頭を深く下げる。
「できぬ」
徳川宗家と戦って負けてしまったら、もう援助して貰えなくなり、天帝家が途絶えてしまう思いを拭えなかったからだ。
自分の代で、天帝家をなくしたくなかったのである。
ロッキングチェアから立ち上がり、大きな窓から外を一望する。
「私は、天帝家を途絶えさせることができない。私の身内は歳の離れた妹和音だけになってしまった」
天帝家の血筋が流れているのは、当主香茗と妹和音の二人だけになってしまったのだ。それ以外の身内は亡くなってしまっていた。
天帝家は、どういう訳か子供が恵まれることが少ない。そのせいで、天帝家は徳川宗家に、王位を渡す羽目になったのだ。
香茗に四人の側室がいるが、誰一人として香茗の子供を身籠っていなかった。唯一、正室は身籠って、子供を授かったが、短命に終わってしまった。香茗が生まれて十三年後に生まれたのが、妹の和音で、奇跡とも言える子供だった。
誰しもが、そんな貴重な和音を可愛がっているのである。
目線を落とすと、天帝和音がバラ園にいる姿を視界に捉えた。
小さく見える和音の表情は、はっきり見えなくても、笑っていることは容易に想像できた。
妹和音を守る使命を抱いている。
そのためにも、迂闊な行動をとることができない。
「確証がない限り、私は動くことはしない。よいな、三条」
香茗の言葉に、言い返すことができない。
香茗の不安が手に取るように理解していたからである。けれど、三条の中に、動いてほしいと言う強い気持ちを、捨てきることもできたかったのだ。
三条が複雑な顔を覗かせる。
香茗の妹和音は、屋敷にある広大なバラ園を眺めている。
これがいつもの日課であった。
バラ園の面積は、敷地面積の四分の一ほどもある。その中に歴代の当主たちが、集めた様々な薔薇の品種が咲き誇っていた。
この場所は和音の一番のお気に入りで、時間を見つけてはここに訪れていたのである。
毎日訪れて、バラ園の庭師である齢七十を過ぎた古西卓三と話をしていた。
長年、天帝家に仕えている庭師として、住み込みで雇われている。
天帝家の者たちは、卓三のことを卓じいと呼んで親しんでいたのだった。
「和音様。むやみに触るのはいけませんと、言っているのでありませんか? 手に棘でも刺さったら、どうするのですか?」
「ごめんなさい」
しゅんと肩を竦めた。
少し曲がっている腰を起こし、和音が薔薇に近づいて匂いを嗅ぐのを制した。
小さな棘一つでも、何かあったら一大事と、誰もが香茗や和音を気にかけているのだ。
少々構いすぎる周りの行動に、内心で辟易しながらも、みなが自分たちを大切にしていることを理解していたので我慢している。
「その綺麗な手に、ケガでもしたら」
「平気よ。それぐらいは」
小さく笑う和音だが、卓三はそう思わなかった。
「和音様。お身体を慈しんでください」
「大袈裟ね」
「和音様。もう、ここにはこられなくなってしまいますよ」
真剣な眼差しに負けてしまう。
「それは困るわ」
「でしたら、むやみに触らないようにしてください。私がお取りしますから」
「わかりました。卓じい」
長くストレートな髪が、サラサラとなびく。
バラ以上の美しさを持ち、優しさも和音は持っていたのである。
「棘ぐらい平気なのにな。何も触らせてくれない……。美しいバラに、棘はつきものでしょ? だったら、これぐらい……」
日頃の鬱憤が零れてしまった。
バラ園の薔薇を、こよなく愛していたのだ。
本音を言えば、自分自身で世話をしたいと思っているが、周りがそれを許さない。
もし、和音に何かあればと心配なのだ。
そんな考えよくないですと、卓三が頭を振って窘めた。
「みんな、心配性なのよ」
「みな、和音様のことを案じているのです」
「わかっています。わかっていますが、少し、息が詰まります。私は何もさせてくれないから」
拗ねてみせる和音が、ここでしか本音を零せなかった。
周りにいるみんなに愚痴を吐露すれば、オロオロと泣き始めてしまうからだ。
和音も、子供ではない。
自分たちがおかれている立場を把握しているつもりだ。
だが、何もさせてくれない現状に、うんざりしていた。
和音の心を見透かしたように、優しく名を呼んだ。
「ごめんなさい。卓じい」
「いいえ。和音様に、お願いしたいのですが?」
愛らしく首を傾げると、一輪の薔薇を手にしているのを凝視し、卓三のお願いを把握する。
「いいの?」
「えぇ。お願いできますか?」
「ありがとう。やるわ」
近くにある裁ちばさみを取り、卓三が手にしている一輪の薔薇を切った。
切り落とされた薔薇から、傷だらけで真っ黒な手で棘を取っていく。
「これを」
「ありがとう」
薔薇の匂いを嗅ぐ。
素晴らしい香りが漂う。
薔薇を見ながら、卓三に相談事を話す。
薔薇の手入れをしながら、和音の不安に耳を傾けていた。
「ねぇ、卓じい。私は屋敷を離れて、お嫁に行きたくありません。私はこのまま、ずっと、屋敷で暮らしたい。みなと、ここで暮らしたいの……」
十七歳となった和音に、十三歳の頃より数多くの縁談の話が舞い込んでいた。まだ手元に妹を置きたいと言う香茗の思いもあり、今までは縁談の話が流れていたのである。けれど、この一、二年前より、本格的に話が進んでいき、婿となる男の候補が絞られつつある。
和音の縁談は、香茗に跡取りができないことも、要因となっていた。
天帝家を絶やさないように、血筋のよい婿を取り、血をつなげようと画策している家臣たちもいた。
大人へと成長していく和音に、子供を生むことが望まれていたのだ。
香茗自身、押し付けるようで申し訳ない気持ちもあったが、自分にできない以上、妹に望みを託すしかできなかったのである。
それらのことを考えるだけで、自分は何なのだろうと心を痛めていたのだった。
「いやだな……」
俯き、今の心情を吐露した。
着々と進む話がいやで、最近ではよくバラ園に逃げ込んでいたのである。
屋敷で和音の顔を見るたびに、候補の婿たちの話を家臣たちがしてくるのだ。
それがいやで、たびたび逃げていた。
「和音様なら、大丈夫です」
「……」
「どなたと結婚なされようと、心優しい和音様は大丈夫です」
卓三の耳にも、縁談の話は聞き及んでいた。
不安でいっぱいの和音を、卓三なりに励まそうとしたのだ。
「兄様……。まだ行きたくないのなら、行かなくてもいいと申されていたけど……」
(きっと、兄様は兄様のことを責めている。だから、大好きな兄様の役に立ちたいと思うけど……。結婚は……)
「私、結婚なんて、したくない。ずっとここにいたい……」
訴える和音の独白に、何もしてやれない自分が居た堪れない。
悲壮感溢れる顔に気づく。
「ごめんなさい」
「いいえ」
和音の縁談に力を注いでいるのは、三条と岩倉智巳だった。
三条家も岩倉家も共に、天帝家の筆頭家臣だったが、昔から両家は馬が合わず、対立していたのである。特に三条は、女性で、なお若くして岩倉家を継いでいる智巳のことを嫌って、対立は年々酷くなる一方だった。
「卓じい。有栖川足彦さんって、知っている?」
「知っております。お会いしたことはありませんが?」
「その人も、有力候補の一人よ」
「それは、よろしいではありませんか。有栖川家と言ったら、名門でございますし、きっと、和音様とも、合うお方なのではないですか?」
明るく卓三が話したが、和音は暗いままだ。
「兄様より、三つも上なのよ。私とは十六も離れているのよ」
「……」
意外な事実に、言葉を失ってしまう。
まさか、そんな歳の離れた男を選んでいるとは思ってもみなかったのである。
「何度か、パーティーでお会いしたことがあるの。でも、好きにはなれない人だったわ」
婿候補たちを会わせるために、何度も様々なパーティーに出席させられていた。その中で何度か、有栖川足彦を紹介させられ続けていたのである。
そうした目的が隠されているパーティーだと、薄々認識していたが、気づいていない振りをし、自分の気持ちを押し殺してパーティーに出席していたのだった。
三条が、常日頃から兄香茗を困らせていることを知っていたので、これ以上香茗に厄介ごとを増やしたくなかったからだ。
会った際の有栖川足彦を思い出し、身震いを憶える。
丸顔でニヤッと笑う顔が、どうしても好きにはなれず、会うたびに全身に悪寒が走っていた。
目の前に有栖川がいないにもかかわらず、悪寒がして、思わず自分の身体を掻き抱く。
そんな和音に、卓三が気づかない。
「今は好きではないのかもしれませんが、いつか好きになるかもしれません」
卓三の言葉を聞いても、それはないと断言してしまうが、それ以上言っても、困らせるだけだと思い、それ以上は何も言わなかった。
「私、部屋に戻ります。みなが心配しているでしょうから」
「そうですね。そういったお時間ですね」
自分の部屋に戻っていく和音の後ろ姿を眺めている。
政治的な道具にさせられる和音の身が哀れで、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
(お可哀想な、和音様)
読んでいただき、ありがとうございます。




