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天翔ける龍のごとく  作者: 香月薫
第2章  自負 前編
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第25話  妻の命日

 斉藤班と島田班が外回りに出て、山南班が道場で稽古に汗を流している。原田班は食事休憩に入り、永倉班が待機部屋で待機となっていた。けれど、待機部屋に永倉班の秋吉しか残っておらず、他の面々は姿を消している。


 一人でいる秋吉は、自分の机で報告書をまとめている作業中だった。

 部屋に事務の三上とジュジュと、提出された報告書に目を通している近藤しかいない。


 お菓子をつまみながら、三上がパソコンに向かって、領収書の束の数字を入力していく。

「これ、おいしい」

 今、食べているお菓子に、感激している三上。

 両手を頬に当てて、満喫している状態だ。


 完全に入力している手も止まり、隣で領収書のチェックをしているジュジュの嬉しそうな顔を見入っていた。

 お菓子のおいしさに、酔いしれている三上に、そうでしょと大きな顔をする。

 このお菓子は、祖母から教えて貰ったジュジュの手作りだった。


「近藤隊長、秋吉さんも、食べてみてください。私の自信作なんです」

 仕事そっちのけで、ジュジュが手作りお菓子を二人の元へ持っていく。

「では、いただこう」

「私も」

 キラキラと目を輝かせ、食べようとしている二人の様子を窺う。


「んっ。……おいしい」

「えぇ。ホント、おいしいですね、これは」

 近藤も秋吉も甘いだけではなく、ビターな味にお世辞抜きで、手作りお菓子を賞賛したのだ。


 秋吉俊蔵は、永倉班の中でもおとなしい方である。ただ、いったん酒が入ると、陽気に騒ぎ出すだけだった。

 期待通りの言葉に、ますますジュジュの頬が緩む。


「では、私も、いただこうかな」

 ジュジュの背後から手が伸びてきて、持っていた箱から一つお菓子を掴んだ。

 何の気配もなく、突如背後から手が出てきたので、ジュジュが仰天してしまった。


 振り向くと、お菓子を食べている芹沢と、胡乱げな眼差しで、お菓子を眺めている新見の姿がある。

「芹沢隊長。驚かせないでください」

 茶目っ気な芹沢を、しょうがない人だと近藤が窘めた。


「確かに上手い。すぐにでも、嫁にいけるな」

 胸に手を当て、心を落ち着かせ、もうと子供のように笑っている芹沢にひと睨みする。

 上手く、騙されたとご満悦だ。


「剥れるな。剥れるな。可愛い顔が台無しだぞ」

「だったら、気配を消して、驚かせないでください。芹沢隊長」

 口を尖らせ、拗ねる仕草に、まったく悪びれる様子もない。

 芹沢は時々、事務三人組を驚かせて遊んでいた。


「怒るな。代わりに、いい物をやるよ」

 接待で貰った高級なロールケーキを渡した。


「こ、こ、こ、これ」

 鼻息荒くし、ジュジュが受け取った。

 そして、桐箱に入ったロゴマークを見つけ、三上も興奮気味にジュジュのところまで行き、本物かどうか確かめる。


「間違いない。三時間並んでも、買うのが不可能な、メチャクチャ高いロールケーキじゃないですか! どうしたんですか? 芹沢隊長!」

 今にも掴みかかりそうな勢いの三上に、甲高く笑う。


「落ち着け、三上。ロールケーキは逃げないぞ」

「だって、実際に、目にしてしまったら……」

「後で、三人で食べろ」


「いいんですか? 芹沢隊長」

 ジュジュが尋ねる横で、三上が何度もコクコクと頷く。

 その目は、嘘だったら許さないぞと言っている。


「ああ。どうせ、俺は食べない。だから、食べていいぞ」

「「ありがとうございます。芹沢隊長」」

 舞い上がっている二人に、今さら貰う訳には行かないと、近藤が言えなくなってしまう。

 それに自分たちではないと言うことで、ロールケーキの出どころについて、目を瞑った。


(困ったものだ、芹沢さんにも。一体、どこの接待を受けて、貰ったものだろうな)


 ご機嫌な二人から離れ、芹沢が近藤のところへ行く。

 その後を、新見がくっついていった。


「沖田は?」

「外回りです」

「つまらん」

 残念そうな芹沢。

 芹沢の目的は二つあり、一つは沖田と会って話すことだった。

 そして、もう一つは。


「夜勤交代してくれ。いいだろう」

 椅子に腰掛けている近藤を、当たり前のように見下ろしている。

 逆に見上げる近藤が、断らないで受けると自信満々な芹沢を凝視していた。


 二人の間に、短い沈黙が流れる。

 その間、芹沢の肉付きがある頬が上がっていた。


「嶋原へ?」

「そうだ」

 芹沢が嶋原に繰り出し、酒が飲みたいから、夜勤を交代してくれと頼んできたのである。

 嘘偽りなく、頼む姿勢に、ロールケーキでホクホク顔だった二人が、一気に冷め、秋吉は嘘ぐらいつきましょうよと言う顔で、見慣れている光景に嘆息を吐いていた。


 チラッと、卓上カレンダーを見る。

「今日は、五月十八日でしたね」

「ああ」

「わかりました」

 あっさりと承諾した。


 三上とジュジュが、怪訝な表情を浮かべる。

 困ったと言う顔で秋吉が、もう少し突っぱねてほしいなと肩を竦めていた。

 三人とも、芹沢の頼みを断らないのをわかってはいたが、もう少し何らかの抵抗をしてほしいものだと、思考を巡らせていたのである。


「じゃ、頼む」

「はい」

 新見と共に、陽気に去ってしまった。


「命日か……」

 か細く、近藤が呟いた。

 その声は、三上にもジュジュにも、秋吉にも届いていない。


 五月十八日は、芹沢の亡くなった妻の命日だった。

 芹沢が妻の命日に、仕事をしないのを知っていた。いつも誰かと酒を浴びるほど飲み、大騒ぎをしていたのである。亡くなった妻を、一人で偲びたくなかったのである。


 芹沢の妻が亡くなった際、近藤は特殊組に移動になっていて、すでに部下ではなかった。

 そのため、葬儀に参列しなかったのである。

 けれど、清河から逐一芹沢の様子を聞いていたために、葬儀が終わった深夜に、そっと葬儀が行われた寺に行き、影ながら冥福を祈っていたのだ。




 深夜、滝のように降っている雨の中を、近藤は濡れるのも厭わずに、静まり返っている道をただひたすら歩いていた。


 傘も差さず、ずぶぬれ状態だ。

 寺の前で立ち止まる。

 芹沢の妻の名が、書かれている板を見上げた。


(芹沢祥愛……)


 対面したことは、二、三回あった。


(とても身体が細い人だったな。それでも、芹沢班長のために一生懸命尽くしていたな)


 芹沢の妻は病弱で、そんなに長く生きられないだろうと言うのが、会った際に感じた見解だった。

 そんな病弱な妻を、献身的に見守っていたおかげで、芹沢の妻は随分と命を永らえていた。


 しばらくの間、まっすぐにその板を眺め続けている。

 報告してくれる清河に、仕事で外せないと言っていたが、それは嘘だった。

 都合をつければ、葬儀に参列できたのだ。

 仕事を口実に、葬儀に出席しなかった。


 それにもかかわらず、誰もいない深夜に、一人で葬儀が行われ、眠っている場所に訪れたのだった。

 奥にある本堂に視線を傾け、ここまで来たはずなのに、入るかどうか躊躇ってしまう。

 ここまで来る間にも、何度も引き返そうか、寺の前で参るだけで帰ろうか、慰霊の写真まで行こうか、堂々巡りして自問していた。


 結局、答えが出ないまま、ここに辿り着いてしまったのだ。

 煮え切らない自分の態度に、長い息を吐く。


(私は、一体何がしたいんだろうか。謝りたいのか、許してほしいのか……。そんなのは自己満足だけだ。それで許される訳がないのに……。ここまで参らないのも変か……)


「もう、誰もいないだろう……」

 意を決し、ご冥福を祈ってから帰ろうと決める。

 重い足取りのまま、門を抜け、中へと踏み入っていった。

 歩き進めると、本堂にぼんやりとする明かりが、残っているのを見つける。


 さらに進めていくと、雨の音で隠れていたが、すすり泣く男の呻き声も耳に飛び込んできた。

「……」

 近づくまで聞こえないほど、雨の音で男の泣き声が掻き消されていたのである。


 足が止まって、それ以上動けない。

 慰霊の前で芹沢が床を叩きながら、溢れるばかりの涙を流し、泣いていたのだ。

 深い悲しみに、恥じも外聞もなく、大の男が声を上げて泣いている。


 初めて見る光景に、指一本も動かせない。

 それほどに、強烈な出来事だった。


(……芹沢班長、泣くこともあるのか……。奥さんの前でも泣いたこと、あるのか?……)


 二時間泣き続け、ようやく芹沢は涙を流しながら、恥ずかしげに小さく笑っている慰霊の写真を見上げる。

「祥愛……」

 泣き続けたせいで、声が掠れていた。

 鼻水がたれ、見るも無残な姿をしている。

 とても、七番隊の班長をしているとは、思えない有様だ。


「なぜだ。なぜ何だ?」

 声にならぬような声を上げ、床を思いっきり両拳で叩きつけた。

 その様子を気づかれないように、影からこっそりと眺め続けていたのだ。


 見てはいけないと思いつつも、目が離せなかった。

 それに離したくもなかった。

 何かに取りつかれたように、その場に立ち尽くしていたのである。


読んでいただき、ありがとうございます。

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