第20話 カフェテラスでの休息
取締りの仕事を終え、数日が過ぎた良く晴れた日。
燦々と降り注ぐ日差しを浴びながら、カフェテラスで近藤はひと時の休息を取ろうとしていた。目立つ白の制服は着ておらず、ありきたりなラフな普段着姿だ。
取締りの仕事の調書をまとめて、小栗指揮官へ提出したばかりだった。
その間、数時間の仮眠しかとっていない。
取締りと聴取で疲れていた身体は悲鳴を上げている。
疲れをおくびにも見せず、背筋を伸ばし、いつもと変わらない足取りで、警邏軍から少し離れた場所にあるカフェテラスに来ていた。
警邏軍の関係者とできるだけ、顔を会わないようにしたかったのだ。
朝の六時と言う時間帯にもかかわらず、仕事に向かう前にコーヒーを飲む人たちで店は溢れている。
店内を見回し、空いている席に腰掛ける。
近藤の元に来た店員の女の子にサンドイッチとコーヒーのブラックを注文し、手にしていた新聞を広げて読み始めた。時々だが、警邏軍の人間だとわからない格好して、ここのカフェテラスに訪れていたのだった。
「助かった」
短く小声で近藤が呟いた。
広げた新聞を読んでいるままだ。
テーブルを挟んだ向かい側の席には誰もいない。
背後の席で、うつ伏せで寝ている男しか周囲にはいなかった。
寝ている男の身なりはだらしなく、趣味の悪い柄のシャツをはだけて着ている。首にはチラリと金のネックレスが見え隠れしていた。
うつ伏せのまま、男の口が開く。
「上手くいったようだな」
「ああ。清河のおかげでな」
取締りの仕事の情報提供者であり、密かに手伝ってくれた男だった。
互いに知らない振りを通している。
話をしているのを互いの関係者に見られたくなかった。
寝ているふりをしている男は清河八浪と言い、近藤の昔の同僚だった。現在の清河の立場は銃器組七番隊で局長を務めている。同じ警邏軍とは言え、上層部に疎んじられている深泉組と銃器組の人間が一緒にいるところはまずかった。
それも深泉組の隊長と銃器組の局長と言う立場では。
ひと目を避け、離れた場所で待ち合わせをしていた。
近藤がいる深泉組より銃器組や特殊組、特命組の方が規模が大きく、伍長の上に班長や局長と言うリーダーを置いていたのである。五人から七人ぐらいの集団を取り仕切るのが伍長で、その集団が五つ集まってリーダーを務めるのが班長である。その上を取り仕切るのが局長だった。
「役に立てたなら、よかった」
「すまん。連絡して」
「別に気にすることじゃない」
深泉組いる自分とつながりがあると思われるだけで、近藤から連絡を取ったことは今までなかった。旧友やかつての上司を心配して、清河の方から定期的に連絡をよこしていたのである。
「立場が違いすぎるだろう。少しは考えろ」
「面倒だ」
「面倒ってな、部下の立場を考えてやれ」
「気に食わないなら、他のところへ行くだろう」
「あのな」
何も考えない清河に呆れている。
それと同時に昔と変わらない姿に小さく笑ってしまった。
「ガミガミと説教はいやだな」
面倒臭そうに清河が答えた。
必要以上に深泉組と接触することを上司から禁じられている。
関係ないと清河は思っていたが、対照的に近藤が気に病んでいた。だから、昔の同僚にできるだけ会わないように心掛けていた。
気にする近藤を気遣い、頻繁に会うのをこれでも控えていたのだ。
「随分と出世したな?」
出世している友を心から祝っていた。
「そうか。人材がいなかっただけだろう」
そっけなく他人事のようだ。
「ぐうたらだったお前が局長とはな。世も末とはこういうことだな」
足音が近づいてきたので、二人の話はいったん止まってしまう。
店員の女の子が注文したサンドイッチとコーヒーを運んできたのだ。慣れた手つきでテーブルの上に置き、それに合わせるかのように近藤は新聞を畳み始めた。
近藤の耳元で顔を近づけて、チラッと背後の眠っている清河に視線を送った。
「うるさくありませんか? コーヒーを頼んだだけで、そのままなんですよ」
怪訝な顔でいびきをかいでいる清河を睨む。
うるさいいびきのせいで、その周囲に客が座りたがらないからだ。
近藤が来店した際、他の客たちは離れた席に座っており、遅く来たために周囲に迷惑をかけている男の近くしか空いてなかった。
店員の気遣いに苦笑する。
「大丈夫。そんなに気にならないよ」
「そうですか。それならいいですけど……」
起きようとはしない清河を睨み、店員の女の子は下がっていった。
それを見計らったように清河の口が再び開く。
「それを言うなら、お前が深泉組の隊長していることが世も末だぞ」
「そうか」
味気ない返事をするだけだ。
そんな態度に清河の声音が強くなる。
「出世頭だったお前が……。階級試験、受けたらどうだ?」
こんな姿をしていても清河は沖田と同様の少尉の階級を持っていたのである。
近藤よりも、清河が悔しがっていた。
埋もれている深泉組から這い上がれるように進言したのだった。
気遣う姿に何も変わっていないことをさらに実感していた。
口にする口調は軽やかである。
「……階級ね」
少尉の階級試験を受けたことが以前にあった。けれど、結果は不合格だった。
試験が悪かった訳ではない。
ただ、その他のことで引っ掛かってだ。
「受けてみろ。お前だったら、大丈夫だ」
「……私には深泉組の隊長があっている。上の目が当たっていたってことさ。階級試験ね……、そんな暇、ないな」
さらに明るい調子だ。
「お前な」
「心配性だな」
「訳のわからないダチのせいでな」
「それは悪かった」
笑っている表情とは違い、その思考は階級試験を受けたところで、上層部の人間が握り潰すだろうと巡らせていた。
それは決して口にしない。
言ったところで、その状況が変わる訳がなかったからだ。
それに清河にも話すつもりはない。
ブラックコーヒーに口をつける。
心持ち、いつもより苦く感じた。
「人生、捨てているなぁ」
「そうか?」
「そうだよ。ところで芹沢班長、元気か?」
「元気にしているよ。言っておくが、班長ではなく、現在は隊長だ」
呼び名を訂正した。
「昔から細かいことにこだわる性格だな」
芹沢の元部下たちがいまだに班長と慕っているので、上司たちが深泉組との接触を禁じたりして目を光らせていたのだった。
「そうでもないぞ。それを言うなら、お前が大雑把すぎるんだ」
昔の呼び名でいう清河を窘めた。
清河と近藤の二人は芹沢が銃器組七番隊の班長だった頃に部下だった。そして、二人は芹沢に目をかけて貰い可愛がって貰っていた。
当時の清河は今と変わらず、仕事を親身にすることがなかった。
いつもだらしなく、サボることもしょっちゅうだった。
そんな清河を怒らず、こういうやつも必要だと甲高く芹沢は笑っていたのである。
「お前が銃器組から特殊に移ってからだな、奥さんが亡くなったのは」
「……」
一気に近藤の表情は重苦しくなる。
出世コースを歩み出した近藤が銃器組から特殊組に移ってすぐに、病弱だった芹沢の妻が亡くなったのだ。特殊組が決まった際、芹沢班の誰もが近藤の出世を祝福して喜んでいた。それが特殊組に移ってしばらくしてから、深泉組の隊長へと移動が決まったのだった。
「あれからだよな……、芹沢班長があんなふうになったのは?」
「……」
「でも、俺の中では班長は班長のままだ。お前だって、そうだろう?」
どこへ移っても清河の中で芹沢は隊長ではなく、敬愛する班長だった。
僅かに口角が上がっている。
懐かしい記憶が呼び戻っていた。
そして、芹沢の妻の姿を思い浮かべていた。顔はやせ細って、身体は枯れ木のように細かった。幸薄い印象しかなかったのである。
脳裏に映っている芹沢の妻の姿は近藤のことを恨めしげに睨んでいた。
ズキンと胸に突き刺さるものを感じる。
「芹沢班長のこと、こっちまで届いているぞ。大丈夫なのか?」
不安げでいることを声で察した。
悪行を繰り返す芹沢たちのことは警邏軍全体で広まっていた。それに他の軍にも芹沢たちのことが広まっている状況だった。清河も悪い噂を耳にするたびに心を痛めていたし、何もできない自分を不甲斐ないと感じずにはいられなかった。
「何とかするさ」
「お前も苦労するな」
近くにいる近藤に清河は頼むしかできなかったのだ。
手を付けていなかったサンドイッチを取りながら、近藤はおもむろに口を開く。
「芹沢さんは大して変わっていないさ。ただ、言動が少しばかり昔と比べて派手になっただけだ。昔から豪快そのものだっただろう?」
「そうだな。よく甲高く笑っていたな」
「今でもそうだ。甲高く笑っているよ」
芹沢の基本的な性格が全部変わった訳ではない。昔からよく笑っていたし、計算高いところもあったのだ。それに人当たりがいいところも、今はあまり変わらなかった。
昔と比べて、やや言動が派手に見えるだけだった。
サンドイッチを口に運ぶ。
久しぶりにまともな食事をとった。
警邏軍に寝泊まりしていた際に、その辺にある菓子や飲み物で腹を満たしていただけだった。食事をとる時間を惜しんで仕事を優先していた。
「まぁな。俺は今でも芹沢班長のことが好きさ、楽しい人だからな」
考えるところがそれぞれにあったが、互いに芹沢の悪い噂についてこれ以上触れないことにした。
食べかけのサンドイッチを皿の上に置いた。
「これから仕事か?」
「まさか。これ以上、俺に仕事をさせたら死んでしますぞ」
「死ぬことはないと思うぞ。清河」
「今まで取調室で缶詰状態だった」
仕事の多さにうんざりだと吐き捨てた。
「それでやっと帰りだ。次から次へと仕事で参るよ。お前のおかげでこのざまだ」
「すまなかった」
深泉組が無登録の売春婦たちの摘発をしている時刻、清河たち銃器組は麻薬の製造元に踏み込んでいたのだった。その事情聴取を不眠不休で先程までしていたのである。
うつ伏せの清河の身体は疲れ切っていた。
「私の名前を出したか」
「いや。匿名の情報筋と言うことにしてある。実際にそうだっただろう?」
「それは助かった」
麻薬の製造元を告発する情報を流したのは近藤だった。摘発する前に事前の調査をしている段階で、麻薬の製造も女たちを取り仕切っている男たちがかかわっていると知って、できるだけ現場から男たちを遠ざけるために銃器組の清河に知らせて、同時に動いて貰うように謀ったのだった。
サンドイッチを残したまま、近藤は立ち上がった。
「仕事なのか?」
「まだ、少し残っているからな」
「昔から仕事熱心だったよな」
テーブルの上にお金を置いて、近藤は警邏軍に戻っていった。
近藤の姿が小さくなってから、清河は身体をモゾモゾと動かして起き出した。
テーブルを片付けている店員の女の子に声をかける。
「姉ちゃん。俺に目覚めの熱いコーヒーを淹れてくれ」
読んでいただき、ありがとうございます。




